12月30日(晴)
フカフカ・ベッドで、寝起きもすこぶる良い。
念願の「ホテル・マジャパヒト(Hotel Mejapahit)」に泊まっているんです。
ホテルと名のつく宿に泊まることのほとんどない旅人にとっては、たいへん珍しく贅沢なことをしています。
カーテンを開けると、柱廊の向こうに手入れの行き届いた中庭が見渡せる。
南国の陽射しが、緑のじゅうたんと白い壁を照りつけていた。
白亜の建物は、1910年にサーキス(Sakies)兄弟によって建てられた。
シンガポールにある「ラッフルズ・ホテル」の超縮小版の2階建て。
「ラッフルズ・ホテル」も、サーキス兄弟が1887年に創立したと新たに知った。
どうりで、似ていると思った。
なんて、泊まってもいないのに、言っちゃった。
こういう見栄をはるから、皆から嫌われるんだよな。
「ラッフルズ・ホテル」には、食事か喫茶で何度も足を運んでいるが、これからも宿泊することはないだろう。
私にとっては「ホテル・マジャパヒト」の宿泊でも快挙だ。
1942年から第二次世界大戦の終戦(1945年)までは、占領した日本軍の司令部が置かれ「ホテル・ヤマト」と呼ばれたと、フロントでもらったパンプレットに書いてあった。
そうそう1910年といえば、バリ島がオランダの統治下に置かれた年。
1906年にバドゥン王家、1908年には8つの王国で最後までオランダと戦ったクルンクン王国も「ププタン」で滅びた。
600年続いたバリ王国時代の終焉だ。
バリ島のオランダ支配は、王国時代の支配者層を現地人官吏とする間接統治だったため、スラバヤや他の都市のようなコロニアル建築は見られない。
それでは「ホテル・マジャパヒト」を写真でご案内しよう。
中庭と柱廊
床のタイル模様も可愛い。
中央の上下階はスイートルーム。
この庭では、パーティが催されることがあるそうです。
ホワイトハウスをバックに、オシャレな衣装に身を包んだ男女の優雅な所作が眼に浮かぶようです。
花柄が磨りガラス加工された扉
各所に配されたステンドグラスも美しい。
写真に撮るのを忘れている。
ホテル内の男子トイレ
白黒チェックのタイルがレトロっぽい。
インドネシア語で市松模様は、ポレン=polengと言う。
バリでは白黒ポレン布は魔除けとされ、神像や神木や祭壇などに巻かれているのを見かける。
女性トイレの洗面コーナー
鏡の額縁と洗面台の脚がレトロ。
決死の潜入取材でした。
さて、これからA子さんのアテンドでお出かけです。
楽しみだ。