セノ家の裏の空き地には、ちょっとした林だ。
足を踏み入れると、落ち葉の間のあちこちから木の実が顔を出していた。
さくらんぼのように小さな枝のついた青い実は、枯れ葉の上にドット模様を作っている。
ひとつを摘まみ上げた。
見覚えのある実。
先日、M子さんから説明を受けた青い実だ。
チュンパカ・カレー・パーティーで、M子さんがしていたはブレスレットは、菩提樹の実で作られていた。
ネックレス、イヤリングなどのアクセサリーになって売られているらしい。
バリでは、ヒンドゥー・ダルマの高僧・プダンダが数珠として使っている。
この青い実は、ルドラクシ(Rudraksh)と呼ばれる菩提樹の実。
菩提樹と聞くと、寺院や王宮で見かけるバリのビンギン樹を思い浮かべてしまう。
ビンギン樹は、気根の生えるベンガル菩提樹で種類が違い、ルドラクシはならないようだ。
実は私は、M子さんに聞いて、さっそくルドラクシを探す旅に出たのです。
大きな樹がある寺院は、たいていがダラム寺院だ。
ダラム寺院は、死者の寺。
大樹は、火葬場に立っていることが多い。
まずは身近で、テガランタン村のダラム寺院前。
そして、お手頃なトゥブサヨ村ダラム・プリ寺院。
残念ながら、見つけることができなかった。
注意事項が、一点あります。
火葬場も寺院のエリア内。
近くには必ず、山や森や木や道の神・サダの祠(ムラジャパティ寺院=Pura Mrajapati)がある。
正装をしましょう! とは言いませんが。
ルドラクシを拾う時には、見えない神様に「ちょうだいな」と声を掛けてください。
災いが降り掛かるといけないので、くれぐれもお忘れのないように。
このあと、いくつか寺院巡りをするつもりでいた。
そんなある日。
庭の落ち葉掃除の時に、青い実を見つけた。
こんな近くに落ちてたとは。
イブに聞くと、ルドラクシなるのは、バリ語でジェニトゥリ(Genitri・インドネシア語も同じ)と呼ばれ種類の菩提樹。
コーヒーの木にはコーヒーの実がなり、椰子になる実はヤシの実がなる。
木と実に別々の名前がついているのは珍しい。
イチョウの木は別名ギンナンだが、実はギンナンと呼ばれる。
イチョウもギンナンも、漢字で書くと銀杏。
どうして、こんなメンドクサイことになっているのかな。
何はともあれ、ジェニトゥリの実はルドラクシと呼ばれる。
林には、ジェニトゥリの木が数本あった。
さっそく、ブレスレットを作ってみることにした。
青い実を剥がすのが一苦労。
私は年月が経った、すでに外皮の取れたルドラクシを集めた。
これとて、汚れを落とすのに指先を痛めながら悪戦苦闘だ。
バリでとれるのは、五面のルドラクシ。
白っぽい方が青い外皮のついていた実。茶色が濃くなるほど年月の古い実。
ルドラクシには、貫通はしていないが、小枝の先に始めから穴があいている。
ドリルを通す作業は、簡単だ。
ゴムひもを通すのも用意。
一作目(左)は私の、二作目は友人に送るつもり。
ネックは、外皮の除去だ。
面倒なことを避けるために、すでに外皮の取れた年代物の実を集めるつもりでいる。
私の持つルドラクシは、すべてこげ茶色になるだろう。
それを「ルドラクシ・タクス」と命名することにした。
タクスとは「バリ人魂」と理解されたい。
お世話になった人に、私の「ルドラクシ・タクス」が手渡される日々が待ちどうしい。
2016年05月30日
2016年05月26日
OB PEJENG(ペジェン古着市)(61)
ペジェン村プナタラン・サシ寺院前の広場で、毎日夕方から開かれる「ペジェン古着市」。
地元の人は「OB PEJENG=オーベー・ペジェン」と呼んでいる。
Oは、インドネシア語でObral=安く売る、Bは、Bekas=使った後の物。
と、アパ?のワヤン君が教えてくれた。
私は、これを「ペジェン古着市」と勝手に言っております。
メインは古着だが、新品の商品も売っている。
骨董市と違うし、あまりのも古い古着なので、観光客が訪れることは少ないだろう。
露店は5時頃から集まり始め、暗くなった頃に賑やかくなる。
閉店は、9時〜10時頃まで。
土曜日と日曜日が、ひときわ賑やかなようです。
5月25日、久しぶりに覗いて来ました「ペジェン古着市」。
今回の目的は、長スボンを探しに。
手持ちのスボンが少なくなり、この頃はカマンを巻いて「和食屋・影武者」に出向いている。
グルグル廻ったが、目星の物が見つからず、次回に持ち越すことにした。
その変り、欲しかった物が見つかった。
ウエストバックだ。
ナイキやクイックシルバーなどのブランド・ロゴが入った、見るからにインチキ物は使いたくない。
カメラとメモ&鉛筆を別々に入れたい。
以前使っていたウエストバックが便利だったので、似たものを探していた。
やっと見つかりました、ファスナーが4つついたのが。
小さなロゴマークのついた黒色のウエストバック。
これは新品のようです。
オールRp60,000のウエストバック。
私の力では、Rp55,000-に値切るのがやっとでした。
タバナン県の県都には、もっと大規模な「古着市」があると聞く。
いつか遠征したいと思っている。
地元の人は「OB PEJENG=オーベー・ペジェン」と呼んでいる。
Oは、インドネシア語でObral=安く売る、Bは、Bekas=使った後の物。
と、アパ?のワヤン君が教えてくれた。
私は、これを「ペジェン古着市」と勝手に言っております。
メインは古着だが、新品の商品も売っている。
骨董市と違うし、あまりのも古い古着なので、観光客が訪れることは少ないだろう。
露店は5時頃から集まり始め、暗くなった頃に賑やかくなる。
閉店は、9時〜10時頃まで。
土曜日と日曜日が、ひときわ賑やかなようです。
5月25日、久しぶりに覗いて来ました「ペジェン古着市」。
今回の目的は、長スボンを探しに。
手持ちのスボンが少なくなり、この頃はカマンを巻いて「和食屋・影武者」に出向いている。
グルグル廻ったが、目星の物が見つからず、次回に持ち越すことにした。
その変り、欲しかった物が見つかった。
ウエストバックだ。
ナイキやクイックシルバーなどのブランド・ロゴが入った、見るからにインチキ物は使いたくない。
カメラとメモ&鉛筆を別々に入れたい。
以前使っていたウエストバックが便利だったので、似たものを探していた。
やっと見つかりました、ファスナーが4つついたのが。
小さなロゴマークのついた黒色のウエストバック。
これは新品のようです。
オールRp60,000のウエストバック。
私の力では、Rp55,000-に値切るのがやっとでした。
タバナン県の県都には、もっと大規模な「古着市」があると聞く。
いつか遠征したいと思っている。
2016年05月22日
NOT FOR SALE @ BALI(60)
実は、水道パイプをクワで叩き割ったあと、もう一つ失敗している。
(水道パイプの話は「家庭菜園を始めた(58)」を読んでください)
私の美意識に、邪魔なものが眼に写った。
大樹に絡むツルだ。
スッキリしたい衝動にかられた私は、手にしたオノで足下のツルを一刀両断にした。
切り取ったツルを勢いよく引っぱると、ざわついた音とともにツルが手元に寄せられる。
2度目にツタを引こうとした時、陶芸工房の方から声が掛かった。
「そのツタは、◎喫茶だから切らないで!」イブの声。
また、やってしまった。
「覆水盆に返らず」
捨てるわけにいかず、カゴをつくる私でした。
マルキッサ(パッションフルーツ)を変換すると◎喫茶になった。
可笑しかったので、そのままにしました。
では、本日の本題に移ります。
テガランタン村の北の端は、ジュンジュンガン村との村境になる。
この辺りには、田んぼの風景が残っている。
ホタルが乱舞すると言われているライス・フィールドだ。
夜になると、地元の若いカップルのデート・スポットになる。
境界線を越えてすぐ右手、田んぼの真ん中に「NOT FOR SALE」の文字が見える。
私が最初に見たのは、2011年の2月のことだ。
何度も紹介している、竹で無造作に作られた野立て看板。
バリ人が、田んぼを売ることに警告を発している。
看板を背景に、記念写真を撮っていく観光客もいる。
そう言う私もそのひとり。
近年、海外から、そしてインドネシア各地の富裕層(主にジャカルタ)が、バリ島の土地を購入している。
その影響からか、バリの土地が高騰している。
売って欲しいという人が頻繁に訪れるのに業を煮やした村人が「NOT FOR SALE」の看板を立てた。
村人は、絵画アーチストだと聞いている。
「このままでは、バリ人の所有する土地が乗っ取られてしまう」と心配する声が上がっている。
土地を売ることを止めたバリ人が増えた。
売買契約の手続きが、年々煩雑になってきているのは、売らない為の政策か。
「NOT FOR SALE」の看板が、デジタル文字に変わっていたことがある。
看板には、お金がかかっているように見えた。
アーチスト作とは、薄々気がついていたが、この文字で確定的だ。
アーチストの主張が表面化した時点で、この作品が興ざめとなった。
残念至極!
2013年7月26日、野立て看板の前で「Bali Not For Sale」ライブ・コンサートが行われた。
ジュンジュンガン村、始まって以来の出来事だろう。
観客は、田んぼの畦道で鑑賞する。
MCの発する言葉から「プラスチック」「ノット・フォー・セイル」という言葉が頻繁に出た。
バリ南部ブノア湾のマングローブ保存や観光開発による環境破壊問題に真摯に取り組んでいるロックバンドが出演している。
環境問題に取り組んでいるグループの無料コンサートだった。
静かなテガランタン村にも、ヴィラ建築が始まっている。
土地を売ることを止めたバリ人は、貸すことにした。
貸すことなら、土地を手放すことにはならないから。
でも、貸すんだ。
土地は子孫からの預かりもの。
それを忘れてはいけない。
この田園風景がいつまで続くか。
それが心配だ!
現在、看板は竹製に戻っている。
動画は「ワルン・メゾ=Warung MEZZO」から撮っています。
(水道パイプの話は「家庭菜園を始めた(58)」を読んでください)
私の美意識に、邪魔なものが眼に写った。
大樹に絡むツルだ。
スッキリしたい衝動にかられた私は、手にしたオノで足下のツルを一刀両断にした。
切り取ったツルを勢いよく引っぱると、ざわついた音とともにツルが手元に寄せられる。
2度目にツタを引こうとした時、陶芸工房の方から声が掛かった。
「そのツタは、◎喫茶だから切らないで!」イブの声。
また、やってしまった。
「覆水盆に返らず」
捨てるわけにいかず、カゴをつくる私でした。
マルキッサ(パッションフルーツ)を変換すると◎喫茶になった。
可笑しかったので、そのままにしました。
では、本日の本題に移ります。
テガランタン村の北の端は、ジュンジュンガン村との村境になる。
この辺りには、田んぼの風景が残っている。
ホタルが乱舞すると言われているライス・フィールドだ。
夜になると、地元の若いカップルのデート・スポットになる。
境界線を越えてすぐ右手、田んぼの真ん中に「NOT FOR SALE」の文字が見える。
私が最初に見たのは、2011年の2月のことだ。
何度も紹介している、竹で無造作に作られた野立て看板。
バリ人が、田んぼを売ることに警告を発している。
看板を背景に、記念写真を撮っていく観光客もいる。
そう言う私もそのひとり。
近年、海外から、そしてインドネシア各地の富裕層(主にジャカルタ)が、バリ島の土地を購入している。
その影響からか、バリの土地が高騰している。
売って欲しいという人が頻繁に訪れるのに業を煮やした村人が「NOT FOR SALE」の看板を立てた。
村人は、絵画アーチストだと聞いている。
「このままでは、バリ人の所有する土地が乗っ取られてしまう」と心配する声が上がっている。
土地を売ることを止めたバリ人が増えた。
売買契約の手続きが、年々煩雑になってきているのは、売らない為の政策か。
「NOT FOR SALE」の看板が、デジタル文字に変わっていたことがある。
看板には、お金がかかっているように見えた。
アーチスト作とは、薄々気がついていたが、この文字で確定的だ。
アーチストの主張が表面化した時点で、この作品が興ざめとなった。
残念至極!
2013年7月26日、野立て看板の前で「Bali Not For Sale」ライブ・コンサートが行われた。
ジュンジュンガン村、始まって以来の出来事だろう。
観客は、田んぼの畦道で鑑賞する。
MCの発する言葉から「プラスチック」「ノット・フォー・セイル」という言葉が頻繁に出た。
バリ南部ブノア湾のマングローブ保存や観光開発による環境破壊問題に真摯に取り組んでいるロックバンドが出演している。
環境問題に取り組んでいるグループの無料コンサートだった。
静かなテガランタン村にも、ヴィラ建築が始まっている。
土地を売ることを止めたバリ人は、貸すことにした。
貸すことなら、土地を手放すことにはならないから。
でも、貸すんだ。
土地は子孫からの預かりもの。
それを忘れてはいけない。
この田園風景がいつまで続くか。
それが心配だ!
現在、看板は竹製に戻っている。
動画は「ワルン・メゾ=Warung MEZZO」から撮っています。
2016年05月20日
神聖で瞑想的な空間・猿の森(59)
ウブドの観光名所となっている「モンキー・フォレス」には、もちろん猿がいる。
野生の猿だ。
私は子供の頃、猿に襲われたことがあるので、猿が嫌いだ。
だが、モンキーフォレスには、時々行く。
ツーリストが猿と戯れているのを横目で見ながら、私は目的の場所に向かう。
正面入口から入ると、右手に大きな菩提樹が聳え立ち、常夏の太陽の強い陽射しを遮っている。
大樹をくぐるようにして渓谷に架かる橋を渡り、右手の下り坂の細い道を進む。
泉の湧く池を過ぎ、さらに進むと渓谷に降りられる。
そこが村人たちの沐浴場だ。
川水の流れに沿って通り抜ける風が、神聖な場所を感受させてくれる。
「モンキー・フォレス」には、もうひとつ、私の立ち寄る場所がある。
ダラム寺院だ。
森の奥にひっそりと佇む寺院は、時間を忘れさせてくれる。寺院に入りお祈りをして帰る。
私にとって「モンキーフォレス」は、瞑想する場所だ。
2013年1月7日、トリップアドバイザーにこんな内容で投稿している。
2014年8月30日、極楽通信に「モンキーフォレスト の散策」を投稿している。
こちらも読んでみてください。
2016年5月16日、2年と約8ヶ月ぶりの「猿の森」訪問。
モンキーフォレスト通りから入場した私は、まず、ビンギン(Bingin)樹のある渓谷に向かって右折した。
ビンギン樹に覆われた渓谷に架かる小さな橋は、精霊の世界への入口のようだ。
見上げると、ビンギン樹の枝葉が空を覆っていた。
以前は、垂れさがった太い気根を利用して、あやとりで作った橋のような吊り橋があった。
現在は、コンクリート製になっている。
渓谷を越えると、左右に道が分かれる。
右手が川上。
ここにはマンディ(沐浴)場があり、奉納舞踊に出かける前には、必ず、禊(ミソギ)をした。
マンディ場は、岩が取り除けられ様変わりしていた。
村人はもう、ここではマンディしていないのかもしれない。
左手に進むと、渓谷沿いの崖にウッドデッキのプロムナードが新しくできていた。
ここを歩くのは初めてだ。
清流の織りなす自然の音が、心地よく聴こえる。
猿のたちのひょうきんな動作が人々を癒してくれる。
メモをとろうとリュックから紙片とボールペンを出すと、猿が寄って来た。
場所を移動すると、他の猿が近づいてくる。
カバンを開いたり何かを手に持つと、餌でももらえると思うのだろうか。
落ちついて腰を下ろしていられない。
小さな森は、いくつかの観光スポットが用意され、良く整備され公園としての機能を備えていた。
猿の苦手な私には、好きになれない場所だが。
※モンキー・フォレスの正式名は「Mandala Suci Wenara Wana」。
★営業時間:8.30am〜6.00pm(年中無休)/
★入場料:Rp40,000-(大人)/
野生の猿だ。
私は子供の頃、猿に襲われたことがあるので、猿が嫌いだ。
だが、モンキーフォレスには、時々行く。
ツーリストが猿と戯れているのを横目で見ながら、私は目的の場所に向かう。
正面入口から入ると、右手に大きな菩提樹が聳え立ち、常夏の太陽の強い陽射しを遮っている。
大樹をくぐるようにして渓谷に架かる橋を渡り、右手の下り坂の細い道を進む。
泉の湧く池を過ぎ、さらに進むと渓谷に降りられる。
そこが村人たちの沐浴場だ。
川水の流れに沿って通り抜ける風が、神聖な場所を感受させてくれる。
「モンキー・フォレス」には、もうひとつ、私の立ち寄る場所がある。
ダラム寺院だ。
森の奥にひっそりと佇む寺院は、時間を忘れさせてくれる。寺院に入りお祈りをして帰る。
私にとって「モンキーフォレス」は、瞑想する場所だ。
2013年1月7日、トリップアドバイザーにこんな内容で投稿している。
2014年8月30日、極楽通信に「モンキーフォレスト の散策」を投稿している。
こちらも読んでみてください。
2016年5月16日、2年と約8ヶ月ぶりの「猿の森」訪問。
モンキーフォレスト通りから入場した私は、まず、ビンギン(Bingin)樹のある渓谷に向かって右折した。
ビンギン樹に覆われた渓谷に架かる小さな橋は、精霊の世界への入口のようだ。
見上げると、ビンギン樹の枝葉が空を覆っていた。
以前は、垂れさがった太い気根を利用して、あやとりで作った橋のような吊り橋があった。
現在は、コンクリート製になっている。
渓谷を越えると、左右に道が分かれる。
右手が川上。
ここにはマンディ(沐浴)場があり、奉納舞踊に出かける前には、必ず、禊(ミソギ)をした。
マンディ場は、岩が取り除けられ様変わりしていた。
村人はもう、ここではマンディしていないのかもしれない。
左手に進むと、渓谷沿いの崖にウッドデッキのプロムナードが新しくできていた。
ここを歩くのは初めてだ。
清流の織りなす自然の音が、心地よく聴こえる。
猿のたちのひょうきんな動作が人々を癒してくれる。
メモをとろうとリュックから紙片とボールペンを出すと、猿が寄って来た。
場所を移動すると、他の猿が近づいてくる。
カバンを開いたり何かを手に持つと、餌でももらえると思うのだろうか。
落ちついて腰を下ろしていられない。
小さな森は、いくつかの観光スポットが用意され、良く整備され公園としての機能を備えていた。
猿の苦手な私には、好きになれない場所だが。
※モンキー・フォレスの正式名は「Mandala Suci Wenara Wana」。
★営業時間:8.30am〜6.00pm(年中無休)/
★入場料:Rp40,000-(大人)/
2016年05月17日
家庭菜園を始めた(58)
どうにかセノ家にも慣れてきた。
少々遠慮なく、ものが言えるようになった。
さっそく、裏庭に畑を作らせてもらうことをお願いした。
心良く「どこでも自由に使っていいよ」と言ってくれた。
セノ家の裏には、広い空き地がある。
母屋の裏に建つ知人の陶芸工房の奥に、作らせてもらうことにした。
畑作りには、私よりひとまわり以上若い、強力な助っ人がいる。
知人のブンタロー君が協力してくれる。
協力と言うよりは、全面的に野菜作りをお願いしている。
初日(3日)、にわか百姓の始まり始まり。
ドリアンの木の下を避けて、クワをおろした。
水が噴き出した。
地中に埋まっていた水道パイプを、直撃したようだ。
まさか、こんなところに水道パイプが走っているなんて、考えもしなかった。
いきなり失態に、慌てた。
遠慮なくものが言えるようにはなったが、迷惑はかけたくない。
部屋に、ビニールプ袋を取りに戻る。
水が吹き出る水道パイプに、ビニール袋を巻き付けて、取り敢えず応急処置。
何の役にも立たない。
みるみる水溜りが広がっていく。
これでは、すぐに知れてしまうだろう。
私は、正直に申告することにした。
イブは「ティダ・アパ・アパ」と言いながら、元栓を締めに。
息子のワヤン君は「ティダ・アパ・アパ、明日直すから」と言ってくれた。
優しい家族だ。
土を耕して、3列の畝を作った。
取り敢えずは、この広さから始めよう。ファーム
手のひらには、豆ができていた。
ブンタロー君が、乳酸菌を散布する。
こうすると肥えた土ができるらしい。
オーガニック野菜に詳しブンタロー君は、更なる挑戦をしようとしている。
頼もしい相棒だ。
けたたましく飛び回る鶏の被害を避けるため、しばらく網を張ることにした。
網は、アヒル(べべ=イテッ)用に使っていたものを借りた。
ひと畝ごとに、トマト、オクラ、ルッコラの種を植えた。
徐々に畝を増やし、人参、キュウリ、茄子を植えるつもりでいる。
料理ができない私は、昼食に野菜サラダを食べたいと思っている。
畑の横に休息スペースを作って、取り立ての野菜を丸かじり。
いつ芽が出て来るかな。
あとは、ブンタロー君の百姓センスにかかっている。
楽しみが一つ増えた。
少々遠慮なく、ものが言えるようになった。
さっそく、裏庭に畑を作らせてもらうことをお願いした。
心良く「どこでも自由に使っていいよ」と言ってくれた。
セノ家の裏には、広い空き地がある。
母屋の裏に建つ知人の陶芸工房の奥に、作らせてもらうことにした。
畑作りには、私よりひとまわり以上若い、強力な助っ人がいる。
知人のブンタロー君が協力してくれる。
協力と言うよりは、全面的に野菜作りをお願いしている。
初日(3日)、にわか百姓の始まり始まり。
ドリアンの木の下を避けて、クワをおろした。
水が噴き出した。
地中に埋まっていた水道パイプを、直撃したようだ。
まさか、こんなところに水道パイプが走っているなんて、考えもしなかった。
いきなり失態に、慌てた。
遠慮なくものが言えるようにはなったが、迷惑はかけたくない。
部屋に、ビニールプ袋を取りに戻る。
水が吹き出る水道パイプに、ビニール袋を巻き付けて、取り敢えず応急処置。
何の役にも立たない。
みるみる水溜りが広がっていく。
これでは、すぐに知れてしまうだろう。
私は、正直に申告することにした。
イブは「ティダ・アパ・アパ」と言いながら、元栓を締めに。
息子のワヤン君は「ティダ・アパ・アパ、明日直すから」と言ってくれた。
優しい家族だ。
土を耕して、3列の畝を作った。
取り敢えずは、この広さから始めよう。ファーム
手のひらには、豆ができていた。
ブンタロー君が、乳酸菌を散布する。
こうすると肥えた土ができるらしい。
オーガニック野菜に詳しブンタロー君は、更なる挑戦をしようとしている。
頼もしい相棒だ。
けたたましく飛び回る鶏の被害を避けるため、しばらく網を張ることにした。
網は、アヒル(べべ=イテッ)用に使っていたものを借りた。
ひと畝ごとに、トマト、オクラ、ルッコラの種を植えた。
徐々に畝を増やし、人参、キュウリ、茄子を植えるつもりでいる。
料理ができない私は、昼食に野菜サラダを食べたいと思っている。
畑の横に休息スペースを作って、取り立ての野菜を丸かじり。
いつ芽が出て来るかな。
あとは、ブンタロー君の百姓センスにかかっている。
楽しみが一つ増えた。
2016年05月15日
引っ越して1ヶ月(57)
5月8日で、ウブド生活27年目に入った。
8ヶ月間の空白の影響はまったくなく、自他ともスムーズに受け入れられた。
ウブドの生活に、違和感はみられない、と思っている。
以前と変らない生活だ。
いやいや、変らなくてはいけないとは思っている。
今年は、何ができるかな?
11日に、テガランタン村のセノ家に引っ越して1ヶ月が経った。
この日は偶然にも、セノ家の家寺(サンガ)のオダランだった。
ウク暦24目の週・PRANGBAKATのBUDA(RABU=水曜日)/UMANISの日が、セノ家の寺院祭礼日。
昼まで寝ていて、お祈りに参加できなかった。
次回は、210日後の12月7日。
盛大な儀礼になるそうだ。
この時には、正装してしっかり参加したいと心している。
セノ家で世話になっている部屋は、バレ・ダジューの南。
陽当たりのよい部屋だ。
部屋に、ベッドを置かないことにした。
作業スペースが欲しいということもあるが、生涯旅人としては、荷物を増やしたくない。
フットワークを軽くしておきたいのだ。
そうです、チャンスがあればいつでも飛び出せるように。
小さなクッション(幅90センチ×長さ187センチ×厚さ5センチ)を入手した。
万年床のクッションを中心に、手の届く範囲に必要な物が並ぶ。
下宿生の部屋のようだ。
ホームステイだから、下宿部屋でいいのだろう。
部屋らしくなった。
ひとり住まいの私には、この程度の部屋で充分。
湯は、台所のカマドで沸かす。
最初は、巧く火が付けられなかったが、今は大丈夫。
コピ・バリの入ったコップを持って部屋に戻り、Hang drumを気がすむまで叩く。
大きな音を出して叩けるので、気持ちがいい。
こんな日課を送っています。
いやいや、何かしなくては、とは思っている。
何ができるかな?
8ヶ月間の空白の影響はまったくなく、自他ともスムーズに受け入れられた。
ウブドの生活に、違和感はみられない、と思っている。
以前と変らない生活だ。
いやいや、変らなくてはいけないとは思っている。
今年は、何ができるかな?
11日に、テガランタン村のセノ家に引っ越して1ヶ月が経った。
この日は偶然にも、セノ家の家寺(サンガ)のオダランだった。
ウク暦24目の週・PRANGBAKATのBUDA(RABU=水曜日)/UMANISの日が、セノ家の寺院祭礼日。
昼まで寝ていて、お祈りに参加できなかった。
次回は、210日後の12月7日。
盛大な儀礼になるそうだ。
この時には、正装してしっかり参加したいと心している。
セノ家で世話になっている部屋は、バレ・ダジューの南。
陽当たりのよい部屋だ。
部屋に、ベッドを置かないことにした。
作業スペースが欲しいということもあるが、生涯旅人としては、荷物を増やしたくない。
フットワークを軽くしておきたいのだ。
そうです、チャンスがあればいつでも飛び出せるように。
小さなクッション(幅90センチ×長さ187センチ×厚さ5センチ)を入手した。
万年床のクッションを中心に、手の届く範囲に必要な物が並ぶ。
下宿生の部屋のようだ。
ホームステイだから、下宿部屋でいいのだろう。
部屋らしくなった。
ひとり住まいの私には、この程度の部屋で充分。
湯は、台所のカマドで沸かす。
最初は、巧く火が付けられなかったが、今は大丈夫。
コピ・バリの入ったコップを持って部屋に戻り、Hang drumを気がすむまで叩く。
大きな音を出して叩けるので、気持ちがいい。
こんな日課を送っています。
いやいや、何かしなくては、とは思っている。
何ができるかな?
2016年05月11日
火葬儀礼@ウブド・サレン王宮(56)
2016年5月8日:ウブド・サレン王宮の火葬儀礼(Plebon)が盛大に執り行われた。
今回の火葬儀礼に、初物が登場する。
遺体をバデに移動するための高い階段の下に、なぜかトラックが潜り込んでいる。
従来は、王宮と火葬場に各1台用意する階段だ。
どんな事情があるか知らないが、今回は、それを一つですまそうとしている。
ダラム・プリ寺院の火葬場までの行列に、階段を積んだトラックが連なるのだ。
そんな初物を見たくて、久々の火葬儀礼見学。
王宮前で待機。
ゴメンなさい、最初に謝っておきます。
いよいよ、眼の前を階段を積んだトラックが通る。
カメラを構えた。
なんと「バッテリーが足りない」の表示。
急いでスマートフォンを取り出す。
慌てていて動画モードにするも、方法を思い出せない。
眼の前をトラックが通り過ぎて行く。
スムーズな動きだった。
感心してる場合ではない。
スマートフォンは、私を写している。
あああ〜、どうしよう。
と言っているうちに、階段を積んだトラックは大通りまで出て行ってしまった。
そんなわけで今回の目的だった「動く階段」の動画が写っていません。
「動く階段」は、変則十字路で横転することもなく行列に加わった。
アクシデントを期待していたわけではないが、ちょっと肩透かし。
後ろ姿を見送る。
次は、遺体を載せたバデが運ばれるはず。
振り返ると、バデ神輿がこちらに向かってきている。
もう出発していた。
大勢の担ぎ手が、道いっぱいに広がって突進して来る。
背中から「ツーリストはどきなさい!」と大声が掛かる。
私は、急いで縁石の上に移動した。
危機一髪でバデ神輿が通り過ぎて行った。
行列には、ついていかなかった。
動画は撮っていませんが、ダラム・プリ寺院前で火葬風景は見ている。
ドローンで撮った動画が、YouTubeでアップされています。
タイトル「Upacara Pelebon Puri Ubud 8 Mei 2016」
https://www.youtube.com/watch?v=pkskenSkDCY
鳥瞰した映像を見て、ウブド村の美しさを再発見した。
今回の火葬儀礼に、初物が登場する。
遺体をバデに移動するための高い階段の下に、なぜかトラックが潜り込んでいる。
従来は、王宮と火葬場に各1台用意する階段だ。
どんな事情があるか知らないが、今回は、それを一つですまそうとしている。
ダラム・プリ寺院の火葬場までの行列に、階段を積んだトラックが連なるのだ。
そんな初物を見たくて、久々の火葬儀礼見学。
王宮前で待機。
ゴメンなさい、最初に謝っておきます。
いよいよ、眼の前を階段を積んだトラックが通る。
カメラを構えた。
なんと「バッテリーが足りない」の表示。
急いでスマートフォンを取り出す。
慌てていて動画モードにするも、方法を思い出せない。
眼の前をトラックが通り過ぎて行く。
スムーズな動きだった。
感心してる場合ではない。
スマートフォンは、私を写している。
あああ〜、どうしよう。
と言っているうちに、階段を積んだトラックは大通りまで出て行ってしまった。
そんなわけで今回の目的だった「動く階段」の動画が写っていません。
「動く階段」は、変則十字路で横転することもなく行列に加わった。
アクシデントを期待していたわけではないが、ちょっと肩透かし。
後ろ姿を見送る。
次は、遺体を載せたバデが運ばれるはず。
振り返ると、バデ神輿がこちらに向かってきている。
もう出発していた。
大勢の担ぎ手が、道いっぱいに広がって突進して来る。
背中から「ツーリストはどきなさい!」と大声が掛かる。
私は、急いで縁石の上に移動した。
危機一髪でバデ神輿が通り過ぎて行った。
行列には、ついていかなかった。
動画は撮っていませんが、ダラム・プリ寺院前で火葬風景は見ている。
ドローンで撮った動画が、YouTubeでアップされています。
タイトル「Upacara Pelebon Puri Ubud 8 Mei 2016」
https://www.youtube.com/watch?v=pkskenSkDCY
鳥瞰した映像を見て、ウブド村の美しさを再発見した。
2016年05月10日
ワルン・リバービュー(55)
ウブドのカジェン通りは、サレン王宮の西側にあるスゥエタ通りと並行して南北に走る村道。
屋敷の建ち並んだ村を抜けると、お薦めの散歩道、田んぼの広がる風景に出られる。
通り東面の家並みの裏は、スウェタ通り。
西面の裏側は渓谷。
渓谷には、カジェン通りと並行して流れる川がある。
ご存知でしたか?
西側にある宿に宿泊しないと、気がつかないかもしれませんね。
ウブドの変則十字路からウブド大通りを西(チャンプアン橋方面)に5分ほど歩くと、建物の間から視界が開ける場所が右手にあることに気づくでしょう。
あなたが立っている場所は橋の上です。
てっきり道路だと思っていたら、なんとカジェン通りの渓谷を流れる川をまたいでいたのです。
その川を写している動画を用意しました。
奥に、泉の湧くマンディ(水浴び)場が見える。
川の左手に見える建物は「ワルン・リバービュー=Warung River View」。
今回は、この店を紹介する。
カジェン通りの渓谷を流れる川に、ウブド大通りに沿ってあった川(現在、枯渇している)が交わる北西角に建つワルン。
ウブド大通りから専用の細い橋を渡って、対岸に行く。
こんなに視界の開けるロケーションのワルンが、ウブドの中心地にあることに驚くことでしょう。
長期滞在者にも意外と知られていない、穴場です。
「ワルン・リバービュー」は、カジェン通りにあるワヤン・ロジャー氏の経営。
ロジャー氏は「ロジャース・ホームステイ」のオーナーでもある。
私は、ロジャーのホームステイに1990年5月から1年間お世話になった。
その頃、ワルン・リバービューのある場所にはロジャーズ・ホームステイのバンガローがあった。
現在、バンガローは「ワルン・リバービュー」とSpaが併設している。
1990年代初頭、バンガローに行くには、プリルキサン美術館の崖道を廻らなければならなかった。
現在、プリルキサン美術館前は大きな駐車場になっているが、以前は、広場だった。
美術館前に行くには、広場を通り、ウブド大通りに沿ってある枯渇した川に架かる橋を渡った。
橋を渡ると、右手にチケット売り場の小屋がある。
ロジャーのバンガローに行くには、チケット売り場の前を通り右手の崖っぷちを進む。
「バンガローに行く」と言うと、美術館も入れてしまうという特権があった。
これは特権ではなくて、ただのタダ見か。
「ワルン・リバービュー」は、ワルン(ローカル食堂)というよりは、ツーリストをターゲットにしたレストランだ。
店舗の雰囲気同様、料理のメニューもスタッフの態度も1990年代のまま。
いいのか悪いのか。
でも、私は好きです。
「レストラン・ノマド」「カフェ・ワヤン」も、昔はそんなものだった。
そんなものと言っても理解できないでしょうから、一度「ワルン・リバービュー」の立ち寄ってみてください。
1990年代のウブドを味わえますよ。
対岸の崖にへばりつく建物の風景も、私は好きです。
メニューは、インドネシア中華料理を中心にちょっとヨーロピアンの定番。
味も定番。
参考に料金を掲載します。
★飲物:コーヒーRp15,000-/紅茶Rp20,000-/ジュース各種Rp22,000-/ビール大Rp38,000-小Rp28,000-/etc。
★食事:ミーゴレンRp37,000-/ナシゴレンRp43,000-/ナシチャンプールRp55,000-/etc
★営業時間:8.00am〜10.00pm
★Tel:0361 975 574
光が入って画面が見難くなっていますが、お許しください。
屋敷の建ち並んだ村を抜けると、お薦めの散歩道、田んぼの広がる風景に出られる。
通り東面の家並みの裏は、スウェタ通り。
西面の裏側は渓谷。
渓谷には、カジェン通りと並行して流れる川がある。
ご存知でしたか?
西側にある宿に宿泊しないと、気がつかないかもしれませんね。
ウブドの変則十字路からウブド大通りを西(チャンプアン橋方面)に5分ほど歩くと、建物の間から視界が開ける場所が右手にあることに気づくでしょう。
あなたが立っている場所は橋の上です。
てっきり道路だと思っていたら、なんとカジェン通りの渓谷を流れる川をまたいでいたのです。
その川を写している動画を用意しました。
奥に、泉の湧くマンディ(水浴び)場が見える。
川の左手に見える建物は「ワルン・リバービュー=Warung River View」。
今回は、この店を紹介する。
カジェン通りの渓谷を流れる川に、ウブド大通りに沿ってあった川(現在、枯渇している)が交わる北西角に建つワルン。
ウブド大通りから専用の細い橋を渡って、対岸に行く。
こんなに視界の開けるロケーションのワルンが、ウブドの中心地にあることに驚くことでしょう。
長期滞在者にも意外と知られていない、穴場です。
「ワルン・リバービュー」は、カジェン通りにあるワヤン・ロジャー氏の経営。
ロジャー氏は「ロジャース・ホームステイ」のオーナーでもある。
私は、ロジャーのホームステイに1990年5月から1年間お世話になった。
その頃、ワルン・リバービューのある場所にはロジャーズ・ホームステイのバンガローがあった。
現在、バンガローは「ワルン・リバービュー」とSpaが併設している。
1990年代初頭、バンガローに行くには、プリルキサン美術館の崖道を廻らなければならなかった。
現在、プリルキサン美術館前は大きな駐車場になっているが、以前は、広場だった。
美術館前に行くには、広場を通り、ウブド大通りに沿ってある枯渇した川に架かる橋を渡った。
橋を渡ると、右手にチケット売り場の小屋がある。
ロジャーのバンガローに行くには、チケット売り場の前を通り右手の崖っぷちを進む。
「バンガローに行く」と言うと、美術館も入れてしまうという特権があった。
これは特権ではなくて、ただのタダ見か。
「ワルン・リバービュー」は、ワルン(ローカル食堂)というよりは、ツーリストをターゲットにしたレストランだ。
店舗の雰囲気同様、料理のメニューもスタッフの態度も1990年代のまま。
いいのか悪いのか。
でも、私は好きです。
「レストラン・ノマド」「カフェ・ワヤン」も、昔はそんなものだった。
そんなものと言っても理解できないでしょうから、一度「ワルン・リバービュー」の立ち寄ってみてください。
1990年代のウブドを味わえますよ。
対岸の崖にへばりつく建物の風景も、私は好きです。
メニューは、インドネシア中華料理を中心にちょっとヨーロピアンの定番。
味も定番。
参考に料金を掲載します。
★飲物:コーヒーRp15,000-/紅茶Rp20,000-/ジュース各種Rp22,000-/ビール大Rp38,000-小Rp28,000-/etc。
★食事:ミーゴレンRp37,000-/ナシゴレンRp43,000-/ナシチャンプールRp55,000-/etc
★営業時間:8.00am〜10.00pm
★Tel:0361 975 574
光が入って画面が見難くなっていますが、お許しください。
2016年05月07日
「ウブド・本の交換会」からのお知らせ(54)
「本が読みた〜い!」
そんな要望から「ウブド・本の交換会」がスタートした。
言い出しっぺたちが、ボランティアの実行委員に任命された。
私もそのひとり。
第1回は、2009年3月21日(土)「カフェ・アンカサ」から始まった。
大勢の人々の協力を得て「第1回ウブド・本の交換会@アンカサ」は盛況のうちに終わった。
在住者、旅行者に声を掛け、たくさんの本が集まり交換ができた。
読書好きな滞在者には、ありがたい催し物となった。
月1回の開催は、諸事情で2015年から隔月になっている。
2016年4月30日「ウブド・本の交換会」は、第75回を迎えた。
7年も続いている。
「ウブドラジオ」同様、長寿のイベントだ。
私は、一年ぶりのお手伝い。
昨年の日本一時帰国から、南米コロンビア小旅行の一年間、ご無沙汰でした。
お手伝いのメンバーの顔も、少々の変化がある。
ピンクのお揃いTシャツを着たメンバーは、手際良く準備を整える。
私の出番はない。
今回、お手伝いしてみて、気がついた。
参加者が少なくなっている。
次回は6月です。
開催場所は、スゥエタ通りの北部サクティ村のビンタン・ダイニング(旧カフェ・ビンタン)。
バザー&フリーマーケットもあります。
消滅しないように、皆の力で育てましょう。
「ウブド・本の交換会」実行委員からお願い。
本の交換会は、ウブド在住の日本人が主催するイベントです。
旅のお供に持ってきた本、読み終わった本を交換しましょう。
覗くだけでも構いません。
ウブド好きな人々が集まって、親睦&交流しませんか。
ご意見、アイデアを広く皆様より受け付けております。
ボランティア・スタッフも常時募集しています。
ご気軽に、お声をおかけください。
■ウブド村徒然記:2014年03月10日「ウブド・本の交換会(43)」も読んで!
http://itosan-ubud.seesaa.net/article/391087855.html
そんな要望から「ウブド・本の交換会」がスタートした。
言い出しっぺたちが、ボランティアの実行委員に任命された。
私もそのひとり。
第1回は、2009年3月21日(土)「カフェ・アンカサ」から始まった。
大勢の人々の協力を得て「第1回ウブド・本の交換会@アンカサ」は盛況のうちに終わった。
在住者、旅行者に声を掛け、たくさんの本が集まり交換ができた。
読書好きな滞在者には、ありがたい催し物となった。
月1回の開催は、諸事情で2015年から隔月になっている。
2016年4月30日「ウブド・本の交換会」は、第75回を迎えた。
7年も続いている。
「ウブドラジオ」同様、長寿のイベントだ。
私は、一年ぶりのお手伝い。
昨年の日本一時帰国から、南米コロンビア小旅行の一年間、ご無沙汰でした。
お手伝いのメンバーの顔も、少々の変化がある。
ピンクのお揃いTシャツを着たメンバーは、手際良く準備を整える。
私の出番はない。
今回、お手伝いしてみて、気がついた。
参加者が少なくなっている。
次回は6月です。
開催場所は、スゥエタ通りの北部サクティ村のビンタン・ダイニング(旧カフェ・ビンタン)。
バザー&フリーマーケットもあります。
消滅しないように、皆の力で育てましょう。
「ウブド・本の交換会」実行委員からお願い。
本の交換会は、ウブド在住の日本人が主催するイベントです。
旅のお供に持ってきた本、読み終わった本を交換しましょう。
覗くだけでも構いません。
ウブド好きな人々が集まって、親睦&交流しませんか。
ご意見、アイデアを広く皆様より受け付けております。
ボランティア・スタッフも常時募集しています。
ご気軽に、お声をおかけください。
■ウブド村徒然記:2014年03月10日「ウブド・本の交換会(43)」も読んで!
http://itosan-ubud.seesaa.net/article/391087855.html
2016年05月02日
ウブドラジオ4周年記念に出演(53)
ひと月前の話になるが「ウブドラジオ」に出演した。
毎週金曜日、バリ時間午後9時(日本時間午後10時)から始まる「ウブドラジオ」。
「和るん・あんかさ」のコテツちゃんとT君の2人が運営する放送番組。
T君については、どこまで紹介よいのかわからないので控えました。
フリーペーパー「@UBUD=あっ!とウブド」の編集長というのは公開してもいいのかな?
(ダメなら削除するので、一報ください)
基本、ウブドのモンキーフォレスト通りにある「和るん・あんかさ」の一階店内で、2人がウブドネタを駄弁るというトーク番組。
ラジオといってもインターネット配信だから生の映像で観られる。
http://ubudradio.com
日本で、楽しみに観ている人も多い。
見逃した人は、後日「You Tube」でも観られるので安心です。
私が出演したのは、4月1日の第174回。
この日、「ウブドラジオ」の4周年だった。
記念する特別な日。
そんな特別な日に、出演要請を受けたのだ。
私でなくても良いのでは、と一度はお断りしたのですが。
ハタと気がついた。
2012年、放送が始まった当初、私はT君に「続けることに意義がある」とアドバイスをしていた。
私の無責任なアドバイスを真に受けて続けているわけではないと思うが、「ウブドラジオ」は今も続いている。
なんと、4月29日の時点で第178回です。
凄いことですよね。
尊敬に価する。
「月イチ出演 最終回!」2014年5月2日収録以来、2年ぶりに出演。
いつまでも、老兵がシャシャリ出ていては、番組に新鮮味がない。
ということで、それを最後に出演をお断りしていた。
今回は4周年ということで、後援者のひとりとして断るわけことができなかった。
心改めて、出演依頼を受けることにした。
T君からは、南米コロンビアの小旅行を終え再びウブドに戻った私が、ウブドをどう感じたかを訊きたいと言われた。
何をしゃべったか覚えていないが、ウブドの良さをたくさん語ったと思う。
「ウブドは、住みやすいところ」
私にとってこの一言に尽きる。
皆さ〜ん、「You Tube」是非観てください。
私は恥ずかしくて、観られませんが。
毎週金曜日、バリ時間午後9時(日本時間午後10時)から始まる「ウブドラジオ」。
「和るん・あんかさ」のコテツちゃんとT君の2人が運営する放送番組。
T君については、どこまで紹介よいのかわからないので控えました。
フリーペーパー「@UBUD=あっ!とウブド」の編集長というのは公開してもいいのかな?
(ダメなら削除するので、一報ください)
基本、ウブドのモンキーフォレスト通りにある「和るん・あんかさ」の一階店内で、2人がウブドネタを駄弁るというトーク番組。
ラジオといってもインターネット配信だから生の映像で観られる。
http://ubudradio.com
日本で、楽しみに観ている人も多い。
見逃した人は、後日「You Tube」でも観られるので安心です。
私が出演したのは、4月1日の第174回。
この日、「ウブドラジオ」の4周年だった。
記念する特別な日。
そんな特別な日に、出演要請を受けたのだ。
私でなくても良いのでは、と一度はお断りしたのですが。
ハタと気がついた。
2012年、放送が始まった当初、私はT君に「続けることに意義がある」とアドバイスをしていた。
私の無責任なアドバイスを真に受けて続けているわけではないと思うが、「ウブドラジオ」は今も続いている。
なんと、4月29日の時点で第178回です。
凄いことですよね。
尊敬に価する。
「月イチ出演 最終回!」2014年5月2日収録以来、2年ぶりに出演。
いつまでも、老兵がシャシャリ出ていては、番組に新鮮味がない。
ということで、それを最後に出演をお断りしていた。
今回は4周年ということで、後援者のひとりとして断るわけことができなかった。
心改めて、出演依頼を受けることにした。
T君からは、南米コロンビアの小旅行を終え再びウブドに戻った私が、ウブドをどう感じたかを訊きたいと言われた。
何をしゃべったか覚えていないが、ウブドの良さをたくさん語ったと思う。
「ウブドは、住みやすいところ」
私にとってこの一言に尽きる。
皆さ〜ん、「You Tube」是非観てください。
私は恥ずかしくて、観られませんが。