まだ残っていた。
ガラクタをひっくり返したような、こんな店。
こんなの好きだな。
ウブド大通りからタマン村スリ・ウェダリ通りを、20メートルほど入った左手。
道路にまで、レンタル自転車がはみだしている。
観光案内の各種看板が掲げられているところをみると、観光案内所のようだ。
「アパ?情報センター」の商売がたきだ。
観光案内所には「Made Mako」の看板有り。
店舗のほうには「family sgop Wax's」とある。
店内には、壁一面に掛けられた絵画。
「ハヌマン・アートスペース」のイワン君と同じ匂いのする絵が置いてある。
(ハヌマン・アートスペースのオープン(67))
ギャラリーのように見えるが、雑貨も混じって足の踏み場もない。
「ユニークでしょう?」
後ろから声を掛けられた。
スリ・ウェダリ通りで、よく見かけるお兄ちゃんだ。
いつも欧米人ツーリストに話しかけている。
あれは、観光案内所の仕事だろう。
ガイドもやっているようだ。
彼の名前が「Made Mako」。
マコ? 女性ぽい名前だ。
風貌のワイルドさから、マコは想像できない。
自分の店をユニークだと思っている。
自分で「ユニーク」だと言う奴と、自分のことを「変わり者」だと言う奴は信用しないことにしている。
「昨日、チャンプアン橋の下の川から、この石を拾って来た」
道端に置いてある石彫は、彼の作品だ。
絵も彼の作品だと言う。
バイクのヘルメットにも、絵を描いている。
確かに、ユニークだ。
シラケルから、自分で評価するな。
「変わり者」のオーラを発するお兄ちゃんだった。
2016年09月29日
2016年09月26日
バリ島物語・コミック版が出版(87)
漫画家・さそうあきら氏によって、名作「バリ島物語」(ヴィキイ・バウム/訳者:金窪勝郎)がコミック化された。
双葉社より2016年8月27日に、第一巻が出版。
(アパ?情報センターバリ関係・推薦本:コミック・バリ島物語)
コミック版を読んだあと、久しぶりに、日本語訳を読み返してみた。
バリ島民が今も変わらず、「バリ島物語」にあるようなキャラクターなのが微笑ましかった。
風習やバリ人気質の情景が事細かに織り込まれていて、読み応えがある。
(アパ?情報センターバリ関係・推薦本:小説・バリ島物語)
さそうあきら氏から、「ププタン・バドゥン」の口実となった、サヌール沖に難破した船の石碑があると聞いて出かけた。
オランダ軍に立ち向かう、バドゥン王家の「死の行進」をププタン・バドゥンと言う。
1904年、バドゥン王家のププタン=Puputan(死の行進)は、バリ島の歴史上で有名な話だ。
場所は、マタハリ・トゥルビッ海岸(Pantai Matahari Terbit)と呼ばれている地域だった。
ウブドから向かうと、サヌール交差点手前左手の大きな石像が入口の目印。
レンボンガン島、ペニダ島への定期船発着所の海岸より、海に向かって左手の北へ200メートルほど行ったところ。
「インナ・ウランド・バリ・ビーチ」「ル・メイヨール博物館」とは、反対方向になる。
散骨が許される海岸のかたわらに、難破船の記録とププタン・バドゥンの二つの石碑が建っていた。
碑文には、こう書かれていた。
『サヌール海岸に取り残されたスリ・クマラ号。
1904年5月27日、この場所にバンジャルマシンから出航したオランダ領東インドの旗を付けた、中国商人・郭 得昌(クエン・チク・チャン)所有の貿易船スリ・クマラ号が座礁。
バドゥンの住民により略奪をこうむる。
これは906年9月20日、ププタン・バドゥンとして知られるオランダ領東インドから攻撃受ける口実となった。
もうひとつ石碑があった。
それは、こう書かれていた。
『ビーチサヌールに上陸オランダ軍
この場所は、rost van toningen率いるオランダ領東インド軍が1906年9月14日に上陸した地点。
16隻の艦隊には、大砲が搭載されていた。
軍人2312名と民間人741人のからなる3053人の遠征隊。
激戦の結果、オランダは1906年9月20日にクシマン王宮、デンパサール王宮、プムチュタン王宮を占有した。
3つの王宮の陥落は、バリ王国のすべてがオランダ領東インドの支配下に落ち着いたことを意味する。
インドネシアの独立共和国の後、地元政府は9月20日をププタン・バドゥンとして設定した。』
こんな感じで理解しました。
原文は、動画でチェックしてください。
「バリ島物語」は、110年以上も前の物語だが、今も残っているバリ人の気質と彼ら危惧している現実は今も変わっていない。
近頃、バリ人がよく口にすると似た内容の箇所があったのでメモしておいた。
『この土地を外国人に、やったり売ったりすることはできない。
彼らは我々の神々を知らないし、人間が守らねばならぬ約束をもわかっていないだろう。
寺院は破壊され、そうなれば神々は我々の島を見捨ててしまうだろう。
サトウキビだって、我々の農夫が食べ物を甘くして子供たちを喜ばせるために植えている程度を超えて、全島をサトウキビだらけにしてしまうだろう。
そしてそれを、大きな建物の中で煮つめて砂糖にするだろう。
そのため村中は、その悪臭でいっぱいになるだろう。
そして砂糖は大きな汽船にのせられ、金に換えるために運ばれる。
みっともない樹を植えて、ゴムを採取するだろう。
彼らは水田を荒廃させ、美しい椰子や果樹を切り倒して、空地を作り町を建てるだろう。』
・・・・中略・・・・
『闘鶏や祭りや音楽や踊りを楽しむ余裕を奪ってしまうだろう。
女たちは、娼妓のように胸をおおわせられ、誰ももう髪に花を挿さず、供物を寺院に持って行く者もなくらるだろう。
心からの歓びをむしり取ってしまうだろう。
そして忍耐と寛容と優雅との美しい性質をもぎとってしまい、意地の悪い、不親切な、不平に満ちた人間になってしまう。』
漫画家・さそうあきら氏のコミック版・第二巻が待ちどうしい。
コミックを読んで、バリ島に興味を持ってくれる人が増えるといいな。
2016年09月22日
BENAR(正しい)& SALAH(間違い)(86)
昼過ぎに起床。
外は、カンカン照りのバリ陽気。
今日(21日)の予定は、ゼロ。
まったく、することが浮かばない。
こんな日は、どこにも出かけず部屋で本でも読んでいるに限る。
お腹は空いていないが、取りあえず昼食にしよう。
トゥブサヨ村の「ワルン・サリ・ラサ」で、ナシゴレン。
ここのナシゴレンは、腹痛でも、空腹でなくても食べられる。
ナシゴレンを食べたら、元気がでてきた。
ジリジリと肌を刺すような太陽の陽射し。
よし、今から流木拾いにでかけよう。
日射病になりそうな暑さの中を、なぜか出かける気になっていた。
途中のトゥンクラ村に入って思い出した。
数日前、「和食・影武者」で、SATORUさんから、聞いていた情報。
(http://furuyasatoru.com・HAPPY UBUD DAYSの悟さんです)
トゥンクラ村のプセ&デザ寺院入口前に、掲げられた看板のことだ。
看板は、寺院に入る正装についての注意書き。
「BENAR(正しい) 、SALAH(間違い)」が、写真で説明されていると言う。
ウブドのプセ寺院の看板は「 DRESS WITH RESPECT!!、FULL ADAT ONLY!! 」と英語で外国人ツーリスト
に注意を呼びかけている。
英語訳できないけど、きっと「厳粛な伝統衣装の正装で!」と呼びかけているのだろう。
トゥンクラ村の寺院に、ツーリストが参拝することはあまりない。
BENAR、SALAHは、インドネシア語。
悟さんは、地元の人に呼びかける注意だろうと言う。
大テーブルで情報を聞いた常連客は、看板を見ていないが、口々にかってな意見を飛ばす。
「地元のバリ人に、注意を促す必要はないだろう」
彼らは、すでに正装については心得ていると言う考え方だ。
「それに、バリ人に対するならバリ語で書くのではないか」
「バリ人でないとすれば、他の島から来るインドネシア人を対象としているのでは」
どちらにしても、不可解な情報であった。
「次回、写真を撮って持ってきます」の悟さんの発言で、この晩はお開きになった。
寺院へ行く場合の正装についての注意事項。
女性の場合、上半身には袖付きのクバヤ(ブラウス)、下半身にはカマン(腰布)を着け、腰にはスレンダン(帯)を巻くのが一般的です。
髪の長い方はまとめます(既婚女性はサングル付けたりと、まとめ方があります)。
色使いは特に決まった決まりはないようですが、生地・デザインとともに流行があります。
男性は、上半身には袖つきのサファリ(シャツ・ジャケット)を着て、下半身にはカマンを巻いた上にサプッ(腰巻き)を巻いてからスレンダンで締めます。
頭には、ウダンと呼ばれるはち巻をします。
色使いはサファリとウダンを白(または白系の色)にし、サプッを黄色あるいは白にします。
寺院に行く際は、事前にシャワーを浴びるなどして体をきれいにした後で正装しましょう。
境内でのカメラのフラッシュ撮影は禁止。
祭司やご神体より高いところにあがらない。
生理中、出産後間もない方、近親が亡くなって間もない方、けがで出血をしている方、飲酒している方は残念ながら、寺院に入れません。
以上を守れば、気持ちよく参加できるはず。
ルールを守れば、地元の人々もこころよく受け入れてくれます。
・・・とはいっても、必要以上にドキドキしなくても大丈夫。
わからないときには周りの人たちをよく見て、行動を。
これは、アパ?情報センターのホームページ・オダラン情報に記載されているものです。
そして、私は見ました。
大きな赤いバッテンのついた「SALAH」の看板。
これは、バリ人に対しての注意書きだ。
悟さんは、正しかった。
女性の正装については、毎年のように流行があり、クバヤの色・デザイン、カマンの巻き方にも工夫が見られます。
結婚式などのお祝い事の儀礼なら許される正装も、いざ寺院となると厳格になる。
では、何が SALAH(間違い)か。
▲長い髪をまとめていない(女性)。
▲女性の短い袖、男性のベスト。肌を見せないのが基本です。
▲カマンがだらしない(男性)。
▲女性の場合、カマン(腰布)の合わせ目から、足首より上の生足がのぞくのはアウトです。
カマンのように巻かないタイトスカートタイプの便利でオシャレなサロンが流行しています、これも、スリットからおみ足が見えるのが SALAHのようです。
都会なら許されそうな正装も、トゥンクラ村の田舎ではまだまだ市民権を得られないのかもしれませんね。
プルナモ(Purnama)海岸、炎天下の流木拾いは、収穫ありでした。
さてさて、何を作ろうかな?
外は、カンカン照りのバリ陽気。
今日(21日)の予定は、ゼロ。
まったく、することが浮かばない。
こんな日は、どこにも出かけず部屋で本でも読んでいるに限る。
お腹は空いていないが、取りあえず昼食にしよう。
トゥブサヨ村の「ワルン・サリ・ラサ」で、ナシゴレン。
ここのナシゴレンは、腹痛でも、空腹でなくても食べられる。
ナシゴレンを食べたら、元気がでてきた。
ジリジリと肌を刺すような太陽の陽射し。
よし、今から流木拾いにでかけよう。
日射病になりそうな暑さの中を、なぜか出かける気になっていた。
途中のトゥンクラ村に入って思い出した。
数日前、「和食・影武者」で、SATORUさんから、聞いていた情報。
(http://furuyasatoru.com・HAPPY UBUD DAYSの悟さんです)
トゥンクラ村のプセ&デザ寺院入口前に、掲げられた看板のことだ。
看板は、寺院に入る正装についての注意書き。
「BENAR(正しい) 、SALAH(間違い)」が、写真で説明されていると言う。
ウブドのプセ寺院の看板は「 DRESS WITH RESPECT!!、FULL ADAT ONLY!! 」と英語で外国人ツーリスト
に注意を呼びかけている。
英語訳できないけど、きっと「厳粛な伝統衣装の正装で!」と呼びかけているのだろう。
トゥンクラ村の寺院に、ツーリストが参拝することはあまりない。
BENAR、SALAHは、インドネシア語。
悟さんは、地元の人に呼びかける注意だろうと言う。
大テーブルで情報を聞いた常連客は、看板を見ていないが、口々にかってな意見を飛ばす。
「地元のバリ人に、注意を促す必要はないだろう」
彼らは、すでに正装については心得ていると言う考え方だ。
「それに、バリ人に対するならバリ語で書くのではないか」
「バリ人でないとすれば、他の島から来るインドネシア人を対象としているのでは」
どちらにしても、不可解な情報であった。
「次回、写真を撮って持ってきます」の悟さんの発言で、この晩はお開きになった。
寺院へ行く場合の正装についての注意事項。
女性の場合、上半身には袖付きのクバヤ(ブラウス)、下半身にはカマン(腰布)を着け、腰にはスレンダン(帯)を巻くのが一般的です。
髪の長い方はまとめます(既婚女性はサングル付けたりと、まとめ方があります)。
色使いは特に決まった決まりはないようですが、生地・デザインとともに流行があります。
男性は、上半身には袖つきのサファリ(シャツ・ジャケット)を着て、下半身にはカマンを巻いた上にサプッ(腰巻き)を巻いてからスレンダンで締めます。
頭には、ウダンと呼ばれるはち巻をします。
色使いはサファリとウダンを白(または白系の色)にし、サプッを黄色あるいは白にします。
寺院に行く際は、事前にシャワーを浴びるなどして体をきれいにした後で正装しましょう。
境内でのカメラのフラッシュ撮影は禁止。
祭司やご神体より高いところにあがらない。
生理中、出産後間もない方、近親が亡くなって間もない方、けがで出血をしている方、飲酒している方は残念ながら、寺院に入れません。
以上を守れば、気持ちよく参加できるはず。
ルールを守れば、地元の人々もこころよく受け入れてくれます。
・・・とはいっても、必要以上にドキドキしなくても大丈夫。
わからないときには周りの人たちをよく見て、行動を。
これは、アパ?情報センターのホームページ・オダラン情報に記載されているものです。
そして、私は見ました。
大きな赤いバッテンのついた「SALAH」の看板。
これは、バリ人に対しての注意書きだ。
悟さんは、正しかった。
女性の正装については、毎年のように流行があり、クバヤの色・デザイン、カマンの巻き方にも工夫が見られます。
結婚式などのお祝い事の儀礼なら許される正装も、いざ寺院となると厳格になる。
では、何が SALAH(間違い)か。
▲長い髪をまとめていない(女性)。
▲女性の短い袖、男性のベスト。肌を見せないのが基本です。
▲カマンがだらしない(男性)。
▲女性の場合、カマン(腰布)の合わせ目から、足首より上の生足がのぞくのはアウトです。
カマンのように巻かないタイトスカートタイプの便利でオシャレなサロンが流行しています、これも、スリットからおみ足が見えるのが SALAHのようです。
都会なら許されそうな正装も、トゥンクラ村の田舎ではまだまだ市民権を得られないのかもしれませんね。
プルナモ(Purnama)海岸、炎天下の流木拾いは、収穫ありでした。
さてさて、何を作ろうかな?
2016年09月16日
ウブドの変則十字路の意味(85)
ウブドの道路には、変則十字路、T字路、S字カーブが多い。
何故だろうか?
それは、バリ人の風俗習慣に関係する。
彼らは、悪霊は真っすぐにしか進めなくて行き止りがあると右往左往する、と考えている。
だから辻には、必ず、悪霊を鎮めるため祠が建っている。
深夜、辻々に、犬がたむろするのは、そこに何らかの霊的パワーがあるからだろう。
屋敷の門をくぐってすぐ正面にある、背の低い壁も悪霊除けだ。
悪霊除けの低い壁は、アリン・アリン(=aling_aling)と呼ばれる(丁寧語も普通語も同じ)。
各家々で、工夫を凝らして作られている。
作られていない家もあるようなので、必須ではないようだ。
壁にぶつかって、引き返す悪霊も罪がない。
悪霊がはびこっていると考えるところがバリらしい。
沖縄にも、そんな魔除けの壁があると聞いている。
インドネシア語の「チャンプール」は、沖縄の「チャンプル」と同義語らしい。
もしかして、ルーツが同じかも。
バリ人の住む地域の道路は、ほとんどが変則十字路、T字路、S字カーブの構造になっている。
村々では、村はずれの結界だと思われる場所がそうなっている。
たいてい、そこには寺院がある。
交通量の少ない時代には、自動車&バイクのスピード緩和に役立っていた。
年々交通量は増え、道幅が狭いため交通渋滞を頻繁におこしているのが現状だ。
と言って、道を拡張してバリのユニークな風習が途切れるのは問題だ。
ウブドは、この村規模のまま発展させたい。
『 流入車両の規制と駐車場の完備 』
これしか、問題解決の方法はないのだろうか?
何故だろうか?
それは、バリ人の風俗習慣に関係する。
彼らは、悪霊は真っすぐにしか進めなくて行き止りがあると右往左往する、と考えている。
だから辻には、必ず、悪霊を鎮めるため祠が建っている。
深夜、辻々に、犬がたむろするのは、そこに何らかの霊的パワーがあるからだろう。
屋敷の門をくぐってすぐ正面にある、背の低い壁も悪霊除けだ。
悪霊除けの低い壁は、アリン・アリン(=aling_aling)と呼ばれる(丁寧語も普通語も同じ)。
各家々で、工夫を凝らして作られている。
作られていない家もあるようなので、必須ではないようだ。
壁にぶつかって、引き返す悪霊も罪がない。
悪霊がはびこっていると考えるところがバリらしい。
沖縄にも、そんな魔除けの壁があると聞いている。
インドネシア語の「チャンプール」は、沖縄の「チャンプル」と同義語らしい。
もしかして、ルーツが同じかも。
バリ人の住む地域の道路は、ほとんどが変則十字路、T字路、S字カーブの構造になっている。
村々では、村はずれの結界だと思われる場所がそうなっている。
たいてい、そこには寺院がある。
交通量の少ない時代には、自動車&バイクのスピード緩和に役立っていた。
年々交通量は増え、道幅が狭いため交通渋滞を頻繁におこしているのが現状だ。
と言って、道を拡張してバリのユニークな風習が途切れるのは問題だ。
ウブドは、この村規模のまま発展させたい。
『 流入車両の規制と駐車場の完備 』
これしか、問題解決の方法はないのだろうか?
2016年09月09日
虫に刺されて寝正月(84)
ガルンガンは、ウク暦の最大の祭礼日。
正月のようであり、お盆のようでもある。
三が日は、当日ガルンガンと前日プナンパハン、翌日マニス・ガルンガン。
毎年言っているが、滞在者の私が観光客だと実感する日。
今回は、寝正月だった。
実は、4日の早朝のこと。
寝床の中で左足の小指と薬指の付け根に、針で刺されたようなチックとした感覚がした。
急いで飛び起き、付け根を見たが、刺された跡は見えない。
蜂の仕業だと思ったが、蜂の姿は無い。
こんな狭い指の間に、蜂が入り込むことはないか。
痛みも残っていない。
再び寝床に着いた。
しばらくすると、今度は左手の小指と薬指の付け根に同じ感覚の痛みが来た。
付け根を見るが、刺された形跡は残っていない。
ムカデかもしれないと、ブランケットをはたいてみた。
何も出てこない。
手の指の付け根なら、ムカデの動きはわかるはず。
虫に刺されたのではないとすると、身体の中からの反応か。
内蔵のどこかが悪いのかもしれない。
足と手との違いはあるが、同じ左で小指と薬指の付け根。
ここに何か符号があるのか。
少し不安になる。
とにかく横になることにした。
足はなんともないが、手の方がカユミをともなってジワジワと痛くなって来た。
見ると、手の甲が腫れていた。
みるみる小指が太くなり、腫れは肘のあたりまでに達した。
5日、知人からカユミ止めのクリームをもらった。
効果てきめん、カユミ、痛みは止まった。
やっぱり虫さされだったのだろうか?
左手が不自由なため、三が日は寝正月となった。
虫に刺される前に、撮っていた動画をアップします。
8月末、「アパ?情報センター」の掲示板・Web版自由筆記帳に、質問があった。
「モンキーフォレスト大駐車場のその後は、どうなっていますか?」
「モンキーフォレスト東通りの大駐車場(3)」で報告してしてから、8ヶ月が過ぎている。
私も気になっていたので、現場に行って来ました。
大駐車場入口に、電光掲示板が建った。
駐車場は、完成当時の一年ほど前と変らず、稼働しているのは四分の一程度。
利用台数が少ないのは、路上駐車が可能だからだろう。
全面駐車禁止にしない限り、ウブドの渋滞は解消されない。
流入車両に対して駐車場が足らない。
指数を出して、行政が駐車場経営をバックアップする必要があるのではないだろうか。
正月のようであり、お盆のようでもある。
三が日は、当日ガルンガンと前日プナンパハン、翌日マニス・ガルンガン。
毎年言っているが、滞在者の私が観光客だと実感する日。
今回は、寝正月だった。
実は、4日の早朝のこと。
寝床の中で左足の小指と薬指の付け根に、針で刺されたようなチックとした感覚がした。
急いで飛び起き、付け根を見たが、刺された跡は見えない。
蜂の仕業だと思ったが、蜂の姿は無い。
こんな狭い指の間に、蜂が入り込むことはないか。
痛みも残っていない。
再び寝床に着いた。
しばらくすると、今度は左手の小指と薬指の付け根に同じ感覚の痛みが来た。
付け根を見るが、刺された形跡は残っていない。
ムカデかもしれないと、ブランケットをはたいてみた。
何も出てこない。
手の指の付け根なら、ムカデの動きはわかるはず。
虫に刺されたのではないとすると、身体の中からの反応か。
内蔵のどこかが悪いのかもしれない。
足と手との違いはあるが、同じ左で小指と薬指の付け根。
ここに何か符号があるのか。
少し不安になる。
とにかく横になることにした。
足はなんともないが、手の方がカユミをともなってジワジワと痛くなって来た。
見ると、手の甲が腫れていた。
みるみる小指が太くなり、腫れは肘のあたりまでに達した。
5日、知人からカユミ止めのクリームをもらった。
効果てきめん、カユミ、痛みは止まった。
やっぱり虫さされだったのだろうか?
左手が不自由なため、三が日は寝正月となった。
虫に刺される前に、撮っていた動画をアップします。
8月末、「アパ?情報センター」の掲示板・Web版自由筆記帳に、質問があった。
「モンキーフォレスト大駐車場のその後は、どうなっていますか?」
「モンキーフォレスト東通りの大駐車場(3)」で報告してしてから、8ヶ月が過ぎている。
私も気になっていたので、現場に行って来ました。
大駐車場入口に、電光掲示板が建った。
駐車場は、完成当時の一年ほど前と変らず、稼働しているのは四分の一程度。
利用台数が少ないのは、路上駐車が可能だからだろう。
全面駐車禁止にしない限り、ウブドの渋滞は解消されない。
流入車両に対して駐車場が足らない。
指数を出して、行政が駐車場経営をバックアップする必要があるのではないだろうか。
2016年09月06日
かごめ、かごめ・・・?(83)
バリの祭礼日「ガルンガン」。
9月6日:プナンパハン
9月7日:ガルンガン
9月8日:マニス・ガルンガン
この期間、ツーリストの私は、いたって暇な時。
読書に耽ることにした。
手にした本「ダレカガナカニイル・・・」著者:井上夢人に、「かごめ」歌詞について面白い解釈が載っていた。
ご存知の方も多いとは思いますが、私には初耳の話なのでメモして残すことにした。
かごめ、かごめ
籠の中の鳥は、いついつ出やる
夜明けの晩に、鶴と亀がすべった
うしろの正面だあれ
子供の頃に、こんな歌を唄った覚えはありませんか?
私は、覚えがあります。
歌詞のほうは、今、考えてもさっぱり意味がわからない。
かごめは、カモメじゃないことを私は知っている。
名古屋出身の人はカゴメと言えば、まず「カゴメ株式会社」を思い起こす。
それは私だけか。
カゴメ株式会社は、名古屋が本社の飲料、食品、調味料の大手総合メーカー。
本には、鶴と亀がつっぺったの歌詞がある。
鶴は宇宙を現して、亀は大地の象徴。
つっぺったは、突っ入ったと書き、突入する意味とある。
歌詞にでてくる“かごめ”は、竹で編んだ籠の目だ。
「カゴメ株式会社」も古くは、籠目の六角形のロゴ・マークを使用していたと記憶している。
籠目の六角形に星形の目は、ユダヤ民族を象徴するダビデの星と同じ。
イスラエルの国旗などにも使われている。
日本の籠目は、厄除けの力があるという。
伊勢神宮の燈籠にも、籠目が刻まれている。
何か奥深い物を感じるが、調べることは止めにした。
書物内の新解説ですが。
本文から抜粋しました。
「かごめかごめ、籠の中の鳥は、いついつ出やるー
鳥というのは、大空を翔るものの代表でしょう?
宇宙を翔るものー真理を追い求めるものってことね」
「宇宙の真理が現れるのはいつでしょう。
そう歌は問いかけているの。その問いに対してー夜明けの晩に鶴と亀がつっぺった。
うしろの正面だあれ。と歌は答える。
夜明けの晩というのは、朝でも夜でもない時間、だから時間など超越した境地に達した時ということね。
そうなった時、鶴と亀がつっぺったー
宇宙と大地と、つまりすべての存在が突然出合うことになる。
なにもかもが融合するの。
そして、それがかなえば、うしろの正面だあれー
それまで知覚できなかったものを知ることになるでしょう、と言っているんです」
新解釈は私には難しくて、私が解釈することは避けました。
地方により歌詞が異なるようなので、それもメモしておきました。
かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀と滑った 後ろの正面だあれ?
かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀が滑った 後ろの正面だあれ?
かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀が統べった 後ろの正面だあれ?
かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に つるつる滑った 鍋の鍋の底抜け 底抜いてたもれ
かごめかごめ 籠の中の鳥は いつもかつもお鳴きゃぁる(お鳴きやる) 八日の晩に 鶴と亀が滑ったとさ、ひと山 ふた山 み山 越えて ヤイトを すえて やれ 熱つ や(お灸を据えて、やれ熱や)
籠目籠目 加護の中の鳥居は いついつ出会う 夜明けの番人 つるっと亀が滑った 後ろの少年だあれ?
かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出会う 夜明けの晩に 鶴と亀が滑った 後ろの正面だぁれ?
ウィキペディアには、そのほかさまざまな説が載っていた。
ガルンガンは浄化儀礼。
浄化された心は解き放たれて、人間本来の心を取り戻す。
これ、「かごめ」の新解釈からヒントを得た、私の「ガルンガン」新解釈。
9月6日:プナンパハン
9月7日:ガルンガン
9月8日:マニス・ガルンガン
この期間、ツーリストの私は、いたって暇な時。
読書に耽ることにした。
手にした本「ダレカガナカニイル・・・」著者:井上夢人に、「かごめ」歌詞について面白い解釈が載っていた。
ご存知の方も多いとは思いますが、私には初耳の話なのでメモして残すことにした。
かごめ、かごめ
籠の中の鳥は、いついつ出やる
夜明けの晩に、鶴と亀がすべった
うしろの正面だあれ
子供の頃に、こんな歌を唄った覚えはありませんか?
私は、覚えがあります。
歌詞のほうは、今、考えてもさっぱり意味がわからない。
かごめは、カモメじゃないことを私は知っている。
名古屋出身の人はカゴメと言えば、まず「カゴメ株式会社」を思い起こす。
それは私だけか。
カゴメ株式会社は、名古屋が本社の飲料、食品、調味料の大手総合メーカー。
本には、鶴と亀がつっぺったの歌詞がある。
鶴は宇宙を現して、亀は大地の象徴。
つっぺったは、突っ入ったと書き、突入する意味とある。
歌詞にでてくる“かごめ”は、竹で編んだ籠の目だ。
「カゴメ株式会社」も古くは、籠目の六角形のロゴ・マークを使用していたと記憶している。
籠目の六角形に星形の目は、ユダヤ民族を象徴するダビデの星と同じ。
イスラエルの国旗などにも使われている。
日本の籠目は、厄除けの力があるという。
伊勢神宮の燈籠にも、籠目が刻まれている。
何か奥深い物を感じるが、調べることは止めにした。
書物内の新解説ですが。
本文から抜粋しました。
「かごめかごめ、籠の中の鳥は、いついつ出やるー
鳥というのは、大空を翔るものの代表でしょう?
宇宙を翔るものー真理を追い求めるものってことね」
「宇宙の真理が現れるのはいつでしょう。
そう歌は問いかけているの。その問いに対してー夜明けの晩に鶴と亀がつっぺった。
うしろの正面だあれ。と歌は答える。
夜明けの晩というのは、朝でも夜でもない時間、だから時間など超越した境地に達した時ということね。
そうなった時、鶴と亀がつっぺったー
宇宙と大地と、つまりすべての存在が突然出合うことになる。
なにもかもが融合するの。
そして、それがかなえば、うしろの正面だあれー
それまで知覚できなかったものを知ることになるでしょう、と言っているんです」
新解釈は私には難しくて、私が解釈することは避けました。
地方により歌詞が異なるようなので、それもメモしておきました。
かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀と滑った 後ろの正面だあれ?
かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀が滑った 後ろの正面だあれ?
かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀が統べった 後ろの正面だあれ?
かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に つるつる滑った 鍋の鍋の底抜け 底抜いてたもれ
かごめかごめ 籠の中の鳥は いつもかつもお鳴きゃぁる(お鳴きやる) 八日の晩に 鶴と亀が滑ったとさ、ひと山 ふた山 み山 越えて ヤイトを すえて やれ 熱つ や(お灸を据えて、やれ熱や)
籠目籠目 加護の中の鳥居は いついつ出会う 夜明けの番人 つるっと亀が滑った 後ろの少年だあれ?
かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出会う 夜明けの晩に 鶴と亀が滑った 後ろの正面だぁれ?
ウィキペディアには、そのほかさまざまな説が載っていた。
ガルンガンは浄化儀礼。
浄化された心は解き放たれて、人間本来の心を取り戻す。
これ、「かごめ」の新解釈からヒントを得た、私の「ガルンガン」新解釈。