2017年03月22日

影武者スタッフ・クトゥット君の訃報 (123)

先週の日曜日(12日)から、この一週間、知人の訃報が続いた。

年を取ると知合いが増える。

そのどこかが、綻びる。

この日(19日)で、4人目。

「和食・影武者」のスタッフ・クトゥット君が逝った。

女将の由美さんから電話で知ることになる。

聞いたときは、唖然として、声もでなかった。

「どうして! どうして! どうして!」

心の中で叫んでいた。

近い将来、年取った私を実家に住まわせて面倒見てくれると言っていたではないか。


クトゥット君は、21年前に私が雇い入れたスタッフだ。

ウブドでホテル勤めをしているお兄さんが、頼みに来た。

お兄さんが、なぜ私を知っていたかは、記憶にない。

20歳だった彼は、生意気盛りの顔で私に接した。

私は、こんな態度の若者に共感を得る。

接客を担当したのだが、適任だった。

陽気な性格は、スタッフの牽引役になり。

店舗の造作にも気を配り、適切に指示をする。

手先が器用で、私が伝授したバナナの幹で作る紙も作れるようになった。

彼の実家近くで行われる合同火葬儀礼に、アパ?情報センターのツアーで参加した。

「帰りに、家に寄ってくれ」と誘われた。

そのときに賄われた料理が、参加した日本人全員の嗜好に合った。

もちろん私も満足した。

料理上手な奥さんのカルニーとクトゥット君を「ワルン・ビアビア」のオープニング・スカウトに誘ったことがある。

「私は、ここでお世話になっているので、止めるわけにはいかない」と義理堅いことを言う若者だった。

カルニーは働いてくれて、レシピーを作ってくれた。

レシピーは今でも受け継がれていると、現在のオーナーから聞いている。

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今年の7月で70歳になる私は、死の覚悟は出来ている。

今生に未練を残さない生活を心掛け、いつでも旅立てるように心構えはしている。

これからの一年一年は、神様からのおまけの人生だと思っている。

両親が他界した時、すでに社会人だった私の涙の源泉は、思い出だった。

他人の死の悲しみは、思い出の数だけある。

私の死で悲しむ者もいるだろうが、年齢で大往生だと納得してくれるだろう。


しかし、クトゥット君の場合は違う。

彼は、41歳と若い。

大往生とは違う。

働き盛りだ。

残された者の悲しみを計らなければいけない年齢だ。

若者の死の悲しみは、深い。

奥さんのカルニーも若い、2人の男児も幼い。

彼らの喪失感は、私には想像もできない。

お母さん、お兄さんも、さぞかし悔しかろう。

クトゥット君は、精神的な病を克服できなかった。

苦しみは、他人が計り知ることはできない。

辛かっただろう。

生死をさまよった数ヶ月で、くだした決断。

自分で命を断つことだった。

来世を選ぶほど、苦悩したのだ。

愛妻と二人の息子を残して、さぞかし心残りだろう。

私の人生で、はじめて経験する知人の死に様。

信じられない。

認めたくない。

バンジャールで火葬が出来ないため、火葬はその日のうちにヌサ・ドゥアにある葬儀場で行われた。

私は、列席しなかった。

頭も内臓も空っぽ、身体は重いのに足は地につかない、そんな状態で、大雨の中、バイクを走らせる気にならなかった。

実は、クトゥット君の死を受け入れられなくて、先送りいしたいのだ。

引き延ばしたところで、現実は変らないのに。


「影武者」での夕食後、クトゥット君は、何も言わずコピ・バリを出してくれる。

いつのまにか、他のスタッフも見習って恒例になっていた。

「あずき寒天、食べますか? アイスクリームは何をのせますか?」デザートを進めてくれる。

花粉症の鼻をズーグー鳴らしていると、トイレットペーパーのロールが一巻きテーブルに置かれる。

いつも気にかけてくれていた。

私は、いつまでも忘れない。

クトゥット君、もう苦しむことはないね。

安らかにお眠り。

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2017年03月18日

ワルン・ティンティン=Warung TINGTING(122)

ウブド西部・ペネスタナン村には、数多くのツーリストが長期滞在する。

特にビンタン・スーパーの裏手一体は、欧米人の住む特別エリア。

「ここはバリ?」と錯覚するほどの雰囲気を持った町並みだ。

そんな環境のせいか、オシャレな店が増えている。

「ワルン・ティンティン」も、そんな一軒。

ペネスタナン村の端、メイン道路を西にカーブすると人気カフェ「ベスパ」がある。

「ベスパ」の東側の村道を直進して、家並みが左右に残る石畳を進むと、道は100メートルほどで行き止まる。

右手は、プシンパナン・ウルンダヌー寺院(Pura Pesimpangan Ulundanu)。

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正面に見えるのが「ワルン・ティンティン」。


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一階のステンドグラスとピー玉のはめ込まれた階段が、印象的だった。


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2階席は、風が吹き抜けて心地よい。


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友人のミサトさんが描いたスケッチが置いてあった。


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手作りの万華鏡が、アンティックな雰囲気を醸し出していて気に入った。


ワルンの玄関横の建物で、グラインダーで何かを削る作業をしている男性を見つけた。

興味をひかれたので中を覗いた。

ステンドグラスを作っている工房だった。

20年前に、オーストラリア人から手解きを受けたらしい。

その頃に、ワルンのある場所で工房を持ったと言う。

男性は「ワルン・ティンティン」のオーナーだった。

どおりで、店内にステンドグラスが多いはずだ。

貧乏な家庭に生まれ、苦労をした話を聞く。

図面を持ってくれば、注文に応じてくれる。

ちなみに万華鏡は、Rp550,000-だそうです。


メニューが手頃な値段なのでお薦めです。

★メニュー:インドネシア料理

★食事:ミーゴレン&ガドガドRp20,000-/ナシチャンプール&ナシゴレンRp25,000-/etc

★飲物:紅茶Rp10,000〜/コーヒーRp15,000〜/ジュースRp15,000〜/ビンタン・ビール大Rp35,000-小Rp25,000-/etc

★営業時間:8.00am〜10.00pm(定休日・ニュピ&ガルンガン&クニンガンの祭礼日)

★Phone:(62 361) 975 954

★Email:Tingtingwarung@gmail.com





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2017年03月11日

アヤム・カンプン=Ayam kampung(121)

コーヒーは、かまどで沸かした湯を使っている。

薪は、使わなくなった流木の木っ端。

コーヒー一杯分のお湯を沸かすには、木っ端も少しでいい。

暑い昼下がり、いつものようにかまどの前に立つ。

何度も言うが、私は暑い日でも焚き火をするほど火を見るのが好きだ。

かまどの上に、真っ黒に煤けたヤカンをのせる。

インドネシア製100円ライターで、雑誌の数ページを握りつぶした紙に火をつける。

かまどの口に、火をもっていく。

からっぽのはずのかまどの中に、何かが入っている。

茶色い塊。

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恐る恐る覗いてみる。

何者かの目が、暗闇で動いた。

赤いトサカの鶏だ。

威嚇する目が、私を睨む。

具合のよいネグラなのだろう。

そうはいかない、私はお湯が沸かしたいのだ。

可哀想だが、出て行ってもらおう。

鶏に、火を近づける。

微動だもしない。

眼光が、いっそう鋭くなる。

図々しい奴だ。

いきなり飛びかかられては、怖い。

短い棒で、お腹を軽く突ついてみた。

いっこうに動く気配はない。

お腹の辺りを棒で少し、持ち上げてみた。

白い物が見えた。

もしかすると卵かもしれない。

親鳥が卵を温めているのか?

それなら、邪魔はできない。

この場所は、暖かく、そして安全なのだろう。

イブに聞くと「この鶏は、卵をとらせないために絶対に動かない」と言う。

ということは、卵がかえるまで、かまどから出て行かないということか。

お湯を沸かすのをあきらめるしかない。


セナ家では、放し飼いの鶏がけたたましい声をあげ、庭を走り回っている。

時には、テラスまで上って来て、糞をする。

追い払う、イブの大声が聞こえる。

親鶏5匹が、それぞれうしろに子供を8匹ほど従えている。

テリトリーをつくって、餌をついばんむ。

子供のすべてが成長すれば、庭中、鶏でいっぱいになる。

そうにはならないところをみると、適当なところで食べているのだろう。

庭で飼う鶏は、アヤム・カンプンと呼ばれ美味しい。

卵も栄養価が高い。

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卵は、何日でかえるのだろうか?

無知な私は、そんなことも知らない。

3週間ほどだと、イブは言う。

ネットで検索すると「抱卵を始めた日から21日目に自らの力で殻を割り、誕生を迎えます」とあった。

「えっ〜! その間ず〜とコーヒーが飲めないの!」

ここで、いくつもの疑問が浮かんだ。

鶏は、平均一日に一個の卵を産むと聞いている。

交尾しなくても卵を産む。

これを、無精卵と言うらしい。

セナ家では、オスとメスが同居していて自由に交尾をするので、有精卵かもしれない。

生み続けていては、抱卵する暇がない。

ネットで検索すると「ニワトリなどの鳥は、一斉抱卵の習性がありますので、ある程度卵を産んでから抱卵します」とある。

抱卵を始めたら、21日間は、卵を生まないというわけだ。

この期間、メス鶏の餌はどうしているのだろう。

この年になっても、知らないことのほうが断然多い。

日々、これ学習だね。


今月の初め、かまどが明け渡された。

モヒカン柄のひよこが8匹、母鶏の懐に隠れている。

ひよこにかえることはできなかった卵が、一つ。

一子から九子まで、9日間に渡って産み落とされたことになる。

抱卵の始まりは九子から、数えるのかな?

誕生日は、産卵日なのかひよこにかえった日か?

あとで検索してみよう。

みんな、食べられるまで元気に育てよ。

さて、久しぶりにお湯を沸かしてコーヒーでも淹れるか。



知らなかったウンチク:

本来は、生物学的な意味で「卵」、食材として「玉子」というように区別されるが、2014年現在では、生のものを「卵」、調理されたものを「玉子」という使い分けがされるようになってきているという。



posted by ito-san at 14:24| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月02日

ジャマイカ料理の ”Jambali Cafe”(120)

ジャマイカと聞いて思い浮かぶのは、レゲエ(reggae)&ボブ・マーリー&ドレッドだ。

知識が貧困で、ゴメンナサイ。

一度は行ってみたいと思っていた、中米の国。

「南米コロンビアの旅」の途中に訪問したいと思っていたが、お金が足りなくて断念した。


なぜ、いきなりジャマイカの話か、と言うと。

先日の「 FOOD TRUCK PARK @ UBUD」で、ジャマイカ料理の店「Jambali Cafe」が出店していた。

この日は、すごい人出で試食することができなかった。

単純な私は、どんなものか知らないジャマイカ気分を味わいたくなった。

気になったら即実行。

2月25日に行って来ました。

場所は、ペネスタナン村。

ウブドからチャンプアン橋を越えて、すぐ左手の坂を上る。

上りきると道は、右にカーブする。

目的のレストランは、カーブから50メートルほどの左手にあった。

壁に描かれたジャマイカの国旗とボブ・マーリーの写真パネルが目印。

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ジャマイカ人と思われる女性が、迎えてくれた。

店名の上に書かれている "MICHELE'S" は、彼女の名前なのだろう。

レゲエ・レゲエした店を想像したが、店内は意外と落ちついたトーン。

私の思うレゲエ・レゲエした店とは。

視覚的には、赤・黄・緑のラスタカラー。

聴覚的には、ボブ・マーリーのBGM。

臭覚的には、マリファナ(大麻)の匂い。

最初(1990年5月)に数日滞在した、バリ南部の観光地クタでは、そんなイメージの店があった。

ウブドに長期滞在するようになって、バリのイメージは一変した。

これがバリの本来の姿だろう。

クタで見かけたツーリストのドレッドに「ここまで来て、どうしてドレッドなの?」と疑問を投げかけたことがある。

その時の恋人は「あなたがバリの正装するのと同じよ」と言っていた。

ちょっと違うような気がしたが、反論はしなかった。


貧困な知識を、ネットで補充してみた。

1960年代後半に、レゲエは誕生した。

1970年代には、ボブ・マーリーが登場しジャマイカ音楽の象徴となる。

1年ほどの世界節約旅行から帰国したばかりの私が、反戦歌に耳を傾けていた時期。

ラスタ・カラーは、黒、赤、緑、金色(黄色)の4色の組み合わせ。

赤、黄、緑とユダのライオンは運動のシンボル。

これはジャマイカ独立のために戦った黒人戦士の黒、戦いで流れた血の赤、ジャマイカの自然の緑、ジャマイカの国旗の金色(太陽の色)を表すらしい。


「Jambali Cafe」に、ラスタファリのシンボル旗はない。

この旗が、ジャマイカの国旗だと思っていた時期があった。

ラスタ・カラーも充満していない。

女将のコンセプトなのだろうか。

見晴らしのよい、2階に席をとった。

メニューにコーヒーがない。

ミネラルウォーターを頼んだ。

ジャマイカ料理を知らない私は、無難にベジタリアン・ココナッツ・カレーを食すことにした。

ベジタリアン・ココナッツ・カレーは、普通に美味しかった。

これでは、ジャマイカ料理の特徴はわからない。

よって、食に対するコメントは、いつものように無し。

期待したレゲエ・レゲエした店ではなかったが、意外と落ち着けたので、再訪もありかな。

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COCONUT CURRY 'ITAL STEW'(Rp50,000-)

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JAMAICAN JERK CHICKEN DINNER(Rp85,000-)


★メニュー:ジャマイカ料理

★食事:メインディッシュRp85,000〜RP110,000-/ベジタリアンRp45,000〜Rp55,000-/etc

★飲物:ミネラルウォーターRp8,000-/ジンジャーレモネードRp25,000-/紅ビンタン・ビール小Rp30,000-/etc

★営業時間:5.00pm〜9.30pm(月曜日)/12.00am〜9.30pm(火曜日〜土曜日)/(定休日:日曜日)

★Phone:+62 81 246 588 938 ★Email:michelesjambali@yahoo.com

★Web:jambalicafe.com



posted by ito-san at 14:53| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする