3月28日、サコ暦の新年(1939年)・ニュピ(=NYEPI) は、つつがなく明けた。
ニュピは、1991年から25回ほど体験していいる。
その日1日、労働(アマティ・カルヤ)、通りへの外出(アマティ・ルルンガン)、火の使用(アマティ・グニ)、殺生(アマティ・ルラングアン)などが禁じられている。
火は、現代では電灯も含まれる。
この4つを守り、精神を集中させ、心を穏やかにし、世界の平和、最高神イダ・サンヒャン・ウィディに祈るのが、バリ人の信仰するヒンドゥーの慣習だ。
前夜は、村々でオゴホゴ神輿が繰り出す。
オゴホゴを見学するのも、25回ほどということになる。
昨年(2016)は、タバナンの山中の村で、トランスのあるオゴホゴ行列を見学した。
一昨年(2015)は、南米コロンビアに旅立つ前の日本一時帰国で、バリに居なかった。
その前の年(2014)は、テガランタン村のオゴホゴ行列に参列した。
その前の前の年(2013)は、プリアタン村を見学。
ウブドのオゴホゴを見学するのは、5年ぶりになる。
観光客も多いが、村の人口も増えているようで、凄い人出だ。
ポリウレタンや発泡スチロールなどの材料の入手が用意になり、造作が繊細になってきている。
着色は、スプレーで吹き付けているようだ。
オゴホゴの数も、年々増えている。
動画は、ウブドの十字路。
こんな神輿が何十体も、変則十字路で奇声をあげる。
熱気が伝わるでしょうか。
これより10日ほど前のこと。
知人から「プンゴセカン村の中心地にそびえ立っていたビンギンの大樹が、切られていたよ」と情報があった。
ウブドの南に位置するプンゴセカン村とは、縁が深い私。
切られた原因を探る義務がある(と思っている)。
さっそく出かけて行った。
遠くから見つけられるビンギンは、ランドマークの役目をしている。
大きな影を作る鬱蒼とした大樹は、威厳がある。
大樹に宿る精霊は、この地の人々の生活や時の移り変わりを見てきたに違いない。
鬱蒼と茂っていたころのビンギン
現場に立ってビックリ。
畏敬の念を抱かせた大樹は、見るも無惨な骨骨の老木になっていた。
早朝に開かれ市に、日陰がないのは辛いだろう。
朝市は、村人のコンビニエンス・ストアー&井戸端会議の場。
大樹にサロン(腰布)を巻いているプマンク(僧侶)に「どうしたんですか?」と聞いてみた。
2月4日のTumpek Landopの日に、大きな音をともなって倒れたと言う。
樹齢1000年。
寿命だったのか?
排気ガスに負けたのか?
根っこをコンクリートで固められ、水分の補充が充分に行き届かなかったのか?
こうして悪いところを切っておけば、また、生き返るそうだ。
ビンギンの生命力に期待しよう。
無惨な骨骨になってしまったビンギン
プンゴセカン村のビンギン大樹には、こんなエピソードがある。
昔々、プンゴセカン村に3人組の泥棒が入った。
村人に追い詰められた泥棒は、ビンギンに上り枝の茂みに身を隠した。
時間が経てば泥棒は観念して下りてくるだろうと、村人は、樹の下で待った。
しかし、1昼夜が過ぎ、2日3日と過ぎても泥棒は下りてこない。
結局、そのまま姿を現さなくなった。
村人たちは口々に、この樹に棲みついているハントゥー(妖怪)に喰われてしまったのだと噂する。
このハントゥーは、夜な夜な樹から下りてきては鶏を食べてしまうそうだ。
顔は狼、身体は猫、尻尾は長く、足は犬のようだが3本しかない、という奇怪な動物だそうだ。
さてさてそんなエピソードのあるビンギン大樹が、丸裸になってしまった。
ハントゥーはどうしてたんでしょうね。
枝が払われ、朽ちた幹がカットされて、慌ててどこかへ移住したのかな。
緑が豊富なったら、戻ってきて欲しいね。
※バリ島見聞録「ビンギン (Bingin)」