2017年04月01日

プンゴセカン村ビンギン大樹の倒壊(124)

3月28日、サコ暦の新年(1939年)・ニュピ(=NYEPI) は、つつがなく明けた。

ニュピは、1991年から25回ほど体験していいる。

その日1日、労働(アマティ・カルヤ)、通りへの外出(アマティ・ルルンガン)、火の使用(アマティ・グニ)、殺生(アマティ・ルラングアン)などが禁じられている。

火は、現代では電灯も含まれる。

この4つを守り、精神を集中させ、心を穏やかにし、世界の平和、最高神イダ・サンヒャン・ウィディに祈るのが、バリ人の信仰するヒンドゥーの慣習だ。

前夜は、村々でオゴホゴ神輿が繰り出す。

オゴホゴを見学するのも、25回ほどということになる。

昨年(2016)は、タバナンの山中の村で、トランスのあるオゴホゴ行列を見学した。

一昨年(2015)は、南米コロンビアに旅立つ前の日本一時帰国で、バリに居なかった。

その前の年(2014)は、テガランタン村のオゴホゴ行列に参列した。

その前の前の年(2013)は、プリアタン村を見学。

ウブドのオゴホゴを見学するのは、5年ぶりになる。

観光客も多いが、村の人口も増えているようで、凄い人出だ。

ポリウレタンや発泡スチロールなどの材料の入手が用意になり、造作が繊細になってきている。

着色は、スプレーで吹き付けているようだ。

オゴホゴの数も、年々増えている。

動画は、ウブドの十字路。

こんな神輿が何十体も、変則十字路で奇声をあげる。

熱気が伝わるでしょうか。




これより10日ほど前のこと。

知人から「プンゴセカン村の中心地にそびえ立っていたビンギンの大樹が、切られていたよ」と情報があった。

ウブドの南に位置するプンゴセカン村とは、縁が深い私。

切られた原因を探る義務がある(と思っている)。

さっそく出かけて行った。

遠くから見つけられるビンギンは、ランドマークの役目をしている。

大きな影を作る鬱蒼とした大樹は、威厳がある。

大樹に宿る精霊は、この地の人々の生活や時の移り変わりを見てきたに違いない。

Bingin_Pengosekan1.jpg

鬱蒼と茂っていたころのビンギン

現場に立ってビックリ。

畏敬の念を抱かせた大樹は、見るも無惨な骨骨の老木になっていた。

早朝に開かれ市に、日陰がないのは辛いだろう。

朝市は、村人のコンビニエンス・ストアー&井戸端会議の場。

大樹にサロン(腰布)を巻いているプマンク(僧侶)に「どうしたんですか?」と聞いてみた。

2月4日のTumpek Landopの日に、大きな音をともなって倒れたと言う。

樹齢1000年。

寿命だったのか?

排気ガスに負けたのか?

根っこをコンクリートで固められ、水分の補充が充分に行き届かなかったのか?

こうして悪いところを切っておけば、また、生き返るそうだ。

ビンギンの生命力に期待しよう。

Bingin_Pengosekan2.jpg

無惨な骨骨になってしまったビンギン

プンゴセカン村のビンギン大樹には、こんなエピソードがある。

昔々、プンゴセカン村に3人組の泥棒が入った。

村人に追い詰められた泥棒は、ビンギンに上り枝の茂みに身を隠した。

時間が経てば泥棒は観念して下りてくるだろうと、村人は、樹の下で待った。

しかし、1昼夜が過ぎ、2日3日と過ぎても泥棒は下りてこない。

結局、そのまま姿を現さなくなった。

村人たちは口々に、この樹に棲みついているハントゥー(妖怪)に喰われてしまったのだと噂する。

このハントゥーは、夜な夜な樹から下りてきては鶏を食べてしまうそうだ。

顔は狼、身体は猫、尻尾は長く、足は犬のようだが3本しかない、という奇怪な動物だそうだ。


さてさてそんなエピソードのあるビンギン大樹が、丸裸になってしまった。

ハントゥーはどうしてたんでしょうね。

枝が払われ、朽ちた幹がカットされて、慌ててどこかへ移住したのかな。

緑が豊富なったら、戻ってきて欲しいね。


※バリ島見聞録「ビンギン (Bingin)


posted by ito-san at 17:55| 愛知 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする