2017年05月25日

地球の歩き方・バリ島編(132)

残すところ、あと2ヶ月。

7月25日は、私の70歳の誕生日。

誕生日には、アグン山登頂に3度目の挑戦をするつもりだ。

アグン山頂上での暁紅は、50歳と60歳に拝んでいる。

決行日が近づくにつれ、登山に自信がなくなってきた。

そろそろ怠惰な日々に活を入れて、体力作りに励まなくてはと反省している。


近況報告はこのくらいにして、本題に入ろう。

先日、ガイドブック「地球の歩き方・バリ島」が、手元に届いた。

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一目見て、厚さが薄くなったな〜と、気になった。

五分の四ほどになっている。

出版業界は不況と聞いている。

経費節減か、と邪推した。

よく見ると、ページ数は変っていない。

紙質が薄くなっているのだ。

上質な紙のようで、これまでのザラザラ感はなくなり、ツルツル・スベスベと手触りもいい。

印刷の仕上がりも、ハッキリしている。

企業努力が伺われる。


バリ島が「地球の歩き方・バリとインドネシア」から独立して単独のバリ島編として出版されたのは1993年のこと。

その後、バリ島の人気が高まると同様に、ページ数が増えていった。

年々、厚くなっていく。

2年周期が、毎年出版されるようになる。

インターネットの普及でガイドブックが脅かされるようになった。

そんな時世、紙質の改善で軽量化を計ったのだろうか。

私と「地球の歩き方」との付き合いは長い。

「居酒屋・影武者」が記載されたのは、いつからだっただろう。

正確には記憶していないが、「影武者」の開店が1991年7月だから、初版から載っていたのではないかと想像する。

当初は、旅行者からの投稿で「名古屋から移り住んだ日本人夫妻の経営」と書かれてあった。

否定するのも面倒なので、そのままにしていた。

私は初代オーナーで、現在は女将・由美さんが「和食・影武者」を守っている。

1995年(記憶は曖昧)から取材を受け、正しい情報が載るようになった。

2009年には、編集者の好意から「バリ島ウブド 楽園の散歩道」を共著させていただいた。

楽しい仕事が出来たことに感謝している。

バックパッカーのバイブルと言われる「地球の歩き方」。

紙面の充実を楽しみにしています。


私が持って来た「地球の歩き方・バリとインドネシア」と最新版「地球の歩き方・バリ島」を見比べてください。

デヴィ・シータ通りの変貌に驚くでしょう?

と言っても、27年が経過している。

日本の戦後復興30年と比べれば、ノンビリしたものだ。

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'89〜'90版「地球の歩き方・バリとインドネシア」


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2017〜18「地球の歩き方・バリ島」



’96〜'97版、20年前の記事をコピーしたので、読んでください。

¥1円がRp25のレートの頃の話です。

『 居酒屋風日本料理店 Kagemusha

田圃の中にいきなり出現する蔵造り。

「なにか?」と思ってのぞくと、そこがウブドとは思えないような日本料理店「影武者」。

手打ちうどんRp5,500〜、ポテトコロッケRp4,000〜、揚げだしどうふRp3,000〜、野菜と卵ぞうすいRp4,000〜など、日本の味がズラリとメニューに並ぶ。

日本酒の種類も多い。

雑誌、マンガ、小説など日本の本もワンサカあって「日本語禁断症状」に陥った人にもおすすめの店だ。

ウブドラヤからさらにジャラン・ハヌマンを南へ5分ほど歩いたところ。

Rp5,000以上の食事の場合VISA、MASTERカード使用可。

営業時間:月〜土11:00〜15:00、18:30〜23:00

住所=Jl.Pengosekan、Pengosekan、Ubud

☎(0361)96134(’95)』


現在「影武者」は、ニュークニン村に移転し、電話番号は(0361)973-134。

キャッシュカードは、使えません。

「居酒屋・影武者」に興味がある方は『極楽通信/17「お疲れさまでした、居酒屋・影武者」をご覧下さい。


posted by ito-san at 20:07| Comment(2) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月19日

取って置きの「マンディ場」教えます(131)

5月18日、久々にパンチョランでマンディ(沐浴)をしてきた。

パンチョランとは、湧き水をパイプ(竹・塩ビ・鉄etc)を通して落としているマンディ場のこと。

寺院祭礼で舞踊を奉納する前には、必ず身体を清める意味でパンチョランに打たれた。

ほとんど、モンキーフォレスト内にある沐浴場を利用している。

1998年の事です。

ツーリストが今ほど多くなかった時代で、沐浴場まで足を伸ばすツーリストはいなかった。

正装姿で「マンディに行きます」と手を振れば、料金場を素通りできた。

私の奉納舞踊の話は「神々に捧げる踊り」にしたためてあります。


久しぶりに、晴れ間が見えた。

ジメついた身体に活を入れるためにマンディ(沐浴)をしようと、思いついた。

人気のスバトゥ村のムルカットは、混雑が予想されるし、私にはちょっくら遠い場所。

モンキーフォレスト内の沐浴場で、ツーリストの前に裸体を晒すのも何だな。

幾つかのパンチョランを思い起こしたが、どれも「何だな」だった。

そして、天命のように記憶がよみがえった。

ウブド内に素晴らしい「マンディ場」があるのを思い出したのだ。

さっそく正装に着替えて、出発。

記憶がよみがえった場所は、私の取って置きのマンディ場。

取って置きの場所なのに、なぜ、一番に思い出せなかったのかって?

そりゃ、ボケですよ。

「ホテル・イバ」の裏手にひっそりとあるマンディ場は、もう20年近くも行っていない。

なかば、忘れかけていた。


ウブド大通りを西に進むと、チャンプアン橋の手前右手に「ホテル・イバ」の看板が見える。

看板のある道を入り、バイクを道端に止める。

道の正面に見えるのが「ホテル・イバ」のエントランス。

「イバ」に向かって進む。

途中から、左に下る道の先には「グヌン・ルバ寺院」がある。

「イバ」のエントランスで、ガードマンに「マンディに行く」と告げると、心良くゲートを上げてくれる。

ホテルのフロントに向けて歩くと、車寄せの手前左手に幅1メートルほどの小さな鉄扉が見える。

この扉がマンディ場に続く入口。

入口のたたずまいが秘密っぽくて、前途を期待させる。

一歩足を踏み入れると、10センチほどの石を引き詰めた小道になる。

右手は「イバ」のある丘、左手は東Wos川の渓谷を覆い隠す木立。

東Wos川と西Wos川が合流するところが、チャンプアン(混ざる)と呼ばれる。

川の流れる音と鳥の声が清々しい。

時折、強い木洩れ陽が眼に飛び込んでくる。

渓谷沿いのなだらかな下り坂を5分ほど進むと、小さな橋の袂に出る。

橋の向こう側には、アランアラン草葺きのヴィラが見える。

私が訪れた1990年には、ここから先に進めば、東Wos川と西Wos川に挟まれた尾根に出られた。

アランアラン草の生い茂る風景をハイジの丘と名付けて、何度も散歩した。

イメージ貧困で、ゴメンナサイ。

今は、通行止めになっている。

現在、この尾根に行くには「グヌン・ルバ寺院」の横を抜ける専用のルートを使う。

尾根は「ブキット・チンタ=Bukit Cinta 」呼ばれ、ローカルのカップルや家族連れが訪れ、デートやオーキングのコースになっている。

ブキット・チンタとは、愛の丘の意味。

なんて、ロマンチックなネーミングだろう。

ツーリストには、見たそのままの「Campuhan Hill」と呼ばれている。


目的地のマンディ場に行くには、橋を渡らずに右手の細道を進むことになる。

残念なことに、入口の鉄の扉からここまでの映像が撮れていなかった。

どうやら動画モードになっていなかったようだ。

私には、よくあることです。

川の流れる音に、水の落ちる音が重なった。

パンチョランが近いのだろう。

パンチョランは2カ所、東Wos川の水ぎわにある。

「グヌン・ルバ寺院」が建立された8世紀以前から存在する、歴史の古いマンディ場だろう。

どの泉も古くから湧いていたのだろうが、今さらながらに関心する。

祠の近くにあるパンチョランは、聖水として頂くところだろう。

奥にある2つ目のマンディ場で、水浴びをさせていただくことにした。

人っ子一人いない空間。

ウブドの町中に、こんな静かな空間が、今も残っているのに驚かされる。

冷たい水が、気持ちい〜い!

気分はムルカット(浄化儀礼)

私の取って置きの場所だから、他の人に教えないでね(取りあえず、言ってみた)。

あとは、動画でご覧下さい。





posted by ito-san at 19:57| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月12日

こんなニュークニン村が好き!(130)

歩いていて見つけた。

それは、駐車禁止の標識。

気に入ったので、動画を撮った。

普通に歩いていても気がつかない程度に、控え目にある。

この大きさ(直径30センチほど)なら、景観にも邪魔にならないだろう。

ニュークニン村は、こんな気遣いのある村だ。



ニュークニン村はウブドの南端・モーンキーフォレスト(猿の森)の、さらに南にある村。

ウブドに滞在する者にとっては、モーンキーフォレストの裏にひそりとあるマス郡に所属する小さな村。

往来は、隣接するプンゴセカン村からだけ。

Wos川の対岸にあるシンガカルタ村とに架橋が開通するまでは、行き止りの村だった。

シンガカルタ村に行くには、竹の橋を利用していた。

人ひとりが通るにいっぱいの狭さで、自転車は担いで渡る。

パスフィンダーの地図には「サーカス・ブリッジ」と書かれていた。

この話は、2014年10月15日のブログ「サーカスブリッジ@ニュークニン村(72)」をお読みください。

新しい橋は、幅10m、長さ90m。

総計10トンのコンクリート製支柱が30mの深さの谷に埋設された総工費は、14億ルピア。

1997年2月初旬に完成。

橋が開通すると、村道は、車の通過する主要道路となった。

私は橋の名前を「バロン・ブリッジ」と勝手に命名した。

村は、主要道路の両側の広がる川に挟まれた地域。

北側は、パダンテガル村所有のモーンキーフォレストまで。

人家の続く集落はデサ寺院までで、90年代は、そこから先は見渡す限りの田んぼだった。

二本の道が集落を南北に走り、一本はサッカー広場の西の端に、もう一本はデサ寺院前を通ってモーンキーフォレストの南入口まで貫いて突き当たる。

モーンキーフォレストは、車の通り抜けができない。

細い脇道が、人とバイクの通行を許している程度。

主要道路と異なり、こちらは住宅地内のように車の通行量は少ない。

安心して散歩が出来る道「ウブドNo1」といったところ。

道の両側には、美しいジュプン並木の続いている。

ジュプン並木と家々の趣が、私は好きだ。


アパ?情報センターのホームページに《ニュークニン村の景観美》をニュースに書いたのは、2013年3月7日のこと。

ニュースの内容は:

『モーンキーフォレスト(猿の森)の南にあるニュークニン村は、景観がもっとも美しい村として、昨年(2012年)ギャニヤール県から表彰された。

ピンクの花が咲くジュプン(Jepun=バリ語 / 英名=Plumeria& Frangipani)並木が美しく、芸術的で個性的な塀の屋敷が目立つ。

今年に入って、屋敷門の左右に鎮座する石彫に、ポレーン(市松模様)布がが飾られた。

白黒のポレーン柄は、バリ人の信仰するヒンドゥー・ダルモで魔除けの意味がある。

静かで落ち着いたホテル&ヴィラの宿泊施設、レストランが充実しているニュークニン村は、観光客に人気エリアだ。

散策するツーリストも多い。』


あれから4年。

「バロン・ブリッジ」が開通してから20年。

橋のお陰でニュークニン村の開発は進み、田園風景はヴィラとレストランに埋め尽くされた。

独特の町並みに仕上がり、散歩するツーリストの姿が増えている。

集落内にもレストランが開店し始めているが、今のところ景観にさして影響はない。

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モーンキーフォレストにある「grandpa's coffee」の支店。
Ibu Robinさんがボランティア活動している産婦人科「ブミ・セハット=Yayasan Bumi Sehat」の前に出店したカフェ。


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人気のバリ土産「バロン・クッキー」のショップ&作業場もある。
「バロン・ブリッジ」のたもとにある「バロン・ブリッジ・カフェ」は、姉妹店。


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私好みのワルンが、近日に開店しそうだ。


「和食・影武者」がニュークニン村に移転(2014年5月24日)してから、通う頻度が高くなり、

只今「I LOVE NYUHKUNING」であ〜る。

posted by ito-san at 01:47| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月03日

私の辞書に「偶然」はない!(129)

5月1日のこと。

夜の出勤、「和食・影武者」への出発時間を間違えた。

いつもは8時45分に部屋を出る。

9時前後には、坂田さんをプンゴセカンの十字路付近でピックアッップすることができる。

たいていは坂田さんが、先に待っていてくれる。

しかし、この日、坂田さんの姿はない。

そして、なかなか現れない。

ちょっと足を伸ばして、コンビニ前の屋台付近を歩く。

トウモロコシが美味しそうな匂いをあげて焼き上がっている。

ここからなら、宿から出て来る坂田さんの姿が見られるはず。

慌てて出て来る姿を想像していたが、それもない。

もう一度、待ち合わせの場所に戻った。

やはり居ない。

嫌な予感!

スマートフォンで時間を確認した。

液晶画面には、20:05が浮かんでいる。

あれっ!

時間、間違えたか?

一時間早く家を出たのだ。

部屋に戻るには、中途半端な時間。

早めに「影武者」に行こうかな。

呼び出せば坂田さんは出て来てくれるだろうが、それも申し訳ない。

さてさて、どうしよう。

どうやって時間をつぶそうか。

そうだ、買い物を思い出した。

明日の予定を今、済ませてしまえばよいのだ。

プリアタン村にあるコンビニで、目的の商品を購入。

私は今、鼻風邪でマスクをしている。

マスクの下は、ティッシュペーパーが両鼻に詰めてある。

コンビニ前で、マスクを外し、新しいティッシュペーパーに詰め替えた。

時計は、20:20。

まだまだ、中途半端な時間だな。

アンドン地域に近々オープンすると聞いているスーパーマーケット「ペピート」まで、ツーリングしてみようか。

「ペピート」は、バリ南部で有名なスーパーマーケットらしい。

今年の初め、ウブドの南地域に開店して人気を博している。

私は一度も行ったことがないので、人気の要因はわからない。

プリアタン大通りを疾走中、夜空にイルミネーションの卑猥な色が目に付いた。

イルミネーションのキラメキは、ペンジョールを飾っていた。

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5年ほど前、カジェン通りのペンジョールのひとつに、クリスマスに使われる点滅ランプがついていたのを見た。

その後、一度も見かけなかったのは、評判が悪かったからだろうか。

オダラン(寺院祭礼)の舞踊公演も、年々、照明が派手になってきている。

ツーリストがとやかく言う筋合いではないが、個人的には素朴が好みだ。


アンドンの交差点を突っ切って「ペピート」の前。

大きな電飾看板を、ファサードに取り付けているところだった。

店内には、すでに什器が並んでいる。

この様子だと、今月中には開店かな。

9時までには、まだ時間がある。

のんびりバイクを走らせても、時間はつぶせない。

鼻水も止まらない。

クシャミも出てきた。

夜風は、風邪に悪い。

しかたがない、坂田さんに早く出て来てもらおう。

一路プンゴセカンへ。

ハヌマン通り南下した「カキアン・ベーカリー」前で、面影のある2人ずれの姿を発見。

ウダンをした後ろ姿に、記憶がよみがえる。

まさかとの思いはあったが、声をかけてみることにした。

バイクを止めて「お〜い!」。

振り返ったご両人は、やはり知合いだった。

彼らは、カキアンで明朝食用のパンを買って宿に戻るところ。

私は、時間つぶしでブラブラしていた途中。

会うべくして会うんだな。

私に、偶然はない。

年末年始にお会いした時、5月に来ると聞いたのを思い出した。

再会の挨拶を交わして別れようとする私のマスク姿に気がついたのか「葛根湯を持ってますよ」の一言。

私は「ちょうだい・頂戴」の二言。

では、宿「テガル・サリ」までと相成った。

「テガル・サリの借景が、以前と、すっかり変っちゃってね!」

そうこれが、気に入らない景色・今日の2つ目。

私の趣味の問題ですが、と断りをいれて。

テガリサリ・バンガローの向こうに見えるアパートのようなホテルの夜景。

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こういう興ざめする風景が、否だ。

ウブドに似合わないと思っている

表のプンゴセカン通りから見える紫色の看板も気に入らない。

このホテル名前は「the evitel resort」。


話し込んでしまい、待ち合わせの時間を少し過ぎてしまった。

痛め止めなど数種の薬をもらい、宿を辞去する。

食後に服したパブロンゴールドは効果てきめん。

いつのまにか、鼻水は止まっていた。

早出の結果が、葛根湯の入手に繋がった出来事。

この再会は、やはり必然だったんだろうな。


posted by ito-san at 21:09| 愛知 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする