2018年02月25日

バリ人はフライドチキンがお好き!(187)

料理を作れない私は、毎日外食。

夕食は、ガッツリ「和食・影武者」で食べるが、昼食は軽く食べたり食べなかったり。

朝は食べないので、1日1食半といったところ。

この日は小腹が空いていたので、昼食をどこでとろうかと迷っていた。

ウブドは交通渋滞の真っ只中。

おまけに大雨が降っている。

渋滞を避けて脇道に入ると、目の前に「JFC」があった。

JFC1.jpg

「JFC」について、説明する必要があるだろう。

ご存知の「KFC=ケンタッキー・フライドチキン」ではありませんよ。

ローカルのフライド・チキン屋。

豚肉を食べない宗教の人も、牛肉を食べない宗教人も、鶏肉は食するようだ。

バリ人は鶏肉が好きなようで、近頃、フライドチキンの店がやたらに目立つ。

特に目につくのが「JFC=JAYA FRIED CHICKEN」。

小規模店舗で、各地にチェーン店を展開している。

バリ人のオッチャンだとわかるロゴマークが、人目をひく。

レストランのインスタントコーヒー(ネスカフェ)がコピバリより高かったり、インスタント・ラーメンが、ワルンの料理より割高だったりするウブド食事情。

バリ南部にあるファーストフードの店は、現地価格では中級レストラン並み。

その点「JFC」は、味もそこそこ、料金もワルン並みでお手頃。


雨宿りも兼ねて「JFC」に、飛び込んだ。

パケット・メニューの一番左手にある、もっとも安いPajay1を指差した。

「品切れです」だって。

しかたなく、すぐ右隣の写真Pajay2を指差す。

JFC2.jpg

「かしこまりました」と言ったかどうかわからないが、厨房に向かって注文していた。

注文の最後に「IN」と言う英語が続いた。

INと言うのは店内で飲食するということで、OUTと言えばテイクアウトのことだろう。

私はINだ。

しばらく待って、出てきたのがこれ。

JFC3.jpg

まずは、フライドチキンを平らげよう。

もちろんナイフもフォークも使わずに、バリスタイルの指でつまんで食べています。

衣がパリパリとして、歯ごたえ良し。

鶏肉も美味じゃ。

紙に包まれた物、内容も見ずに注文をしているので何かわからない。

きっとハンバーガーだろうと、思い込んでいる。

フライドチキンが食べ終わった。

包みを開けてビックリ。

中味はナシ・プティ(白飯)だった。

JFC4.jpg

バリのKFCでも、フライドチキンと飯のセットが売られていたのを失念していた。

インドネシア・バージョンなのだろう。

バリ人の人気の一品だ。

この日に限って、骨までしゃぶるほど綺麗に食べている。

ナシ・プティだけを食べることは、これまでの人生で初めてかもしれない。

ふりかけがあったらいいのにな〜。

残念なことに、塩のひとつまみもない。

しゃぶりつくした骨を、さらにシャブっている。

アイスティーで、流し込む。

白飯だけを食べる変な日本人と、思われるかな?。

周りを見渡すと、幸いなことに、他にお客がいなかった。

バリ人が見たら「日本人は白飯だけで満足するんだ」とは、思ってくれないだろうな。

写真は、2日後に同じメニューでリベンジした時に撮ったもの。

フライドチキンをおかずに、白飯をジックリ味わってきました。

こんな醜態は、2度と晒さないぞと、誓った日でした。


posted by ito-san at 15:34| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月21日

インスタント・ミーゴレン(186)

名古屋市在住の友人・水野さんから、お土産が届いた。

運び屋は、バリ雑貨「WAMO」の下働き・高木さん。

ゴメン、勝手に私同様の下働きにしてしまって。

水野さんは、私が名古屋に帰ると必ず世話になる旧友のひとり。

届いた土産は、カップヌードル。

中身は「ミーゴレン=Mi Goreng」。

Migoreng.jp.jpg

ミーゴレンはインドネシア料理で、ナシゴレン(焼き飯)と並んで人気の高いひとしな。

ミー(Mi)は麺で、ゴレン(Goreng)は揚げる。

実際には、炒めて作る。

焼きそばと考えていいだろう。

本場バリに、なぜ日本製のミーゴレンを送ってきたか?

この疑問には、高木さんが答えてくれた。

以前、水野さんが来バリした際、世話になったバリ人に「珍しい物を送ってやる」と約束したらしい。

そのお裾分けに、私はありついたわけだ。

ミーゴレンという言葉は、日本で市民権を得ていると言う。

大きなスーパーマーケットで、インスタントのミーゴレンは販売されている。

ラベルには、インドネシア風甘辛焼きそばと書かれていた。

焼きそばは焼きそばだが、日本の焼きそばとは、ちょっと違う。

コピーに「ケチャップマニスと甘みがチリの辛みがクセになる!」とある。

ケチャップマニスって言うことば、消費者にわかるのかな?

日本でケチャップと言えばトマトケチャップのことを指すが、インドネシアでは調理用ソースのこと。

では、マニスは何?

マニスは、インドネシア語で甘いという意味。

直訳すれば、ケチャップマニスは甘いケチャップ。

色は黒で粘性が高いソースです。(参照:ウキペディア)


私は、インスタントラーメンをあまり食べない。

大学生の時に、高校からの同級生と3ヶ月食べ続けたのがいけなかったのだろう。

友人は栄養失調で入院し、私はインスタントラーメンが食べられなくなった。

50年前のインスタントラーメンの話です。

当時のインスタントラーメンと、現在のインスタントラーメンとでは、味の差は格段に進歩したと思う。

これまでにも、様々なインスタントラーメンがお土産として届いたが、今のところ、好きになるほどに味には出会っていない。

一口目はいけるかもと思うのだが、トラウマなのか、今でも完食できない。

ラーメンと焼きそばの違いがあるが、果たして、食べられるか?

水野さんからの、お裾分け。

拒むわけにはいかないだろう。

日本製とインドネシア製の食べ比べ。

開発協力インドネシア日清とある日本製。

インドネシアには、インドミー社を筆頭に、幾つかのメーカーがある。

公正をきして、インドネシアNISSINのミーゴレンを選んだ。

Migoreng.ind.jpg

食べました、日本製。

1日置いて、インドネシア製を。

絶賛できるほどではないが、どちらも食べ残すほど嫌いな味ではなかった。

どちらかというと、メイドイン・インドネシアの方が少々美味しく感じたかな。

日本製88円プラス税。

インドネシア製はUFO・Rp12,000-(Rp25,000-もあったよ)。

値段の格差、これが公正ではなかったのか。

感想としては「不味くはないが好んで食べようとは思わない」でした。

水野さん、ゴメンなさい。

もらっておいて文句を言うのが、ミーの悪いところだ。

いやいや私の悪いミー。

いや麺だ、いや面だ。

あ〜メンどくさい!



posted by ito-san at 02:05| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月17日

どえら〜こと、してまった!(185)

「えら〜こと」とは、我が地方・名古屋では大変なことの意味に使う。

「どえら〜こと」は、最上級の大変なこと。

さてさて、どんな「どえら〜こと」をしてまったか、検証あれ。


私は日頃、小ぶりのリュックを背負っている。

毎日使っているからだろう、リュックは汚れ汚れ。

雨季に入ってからは、カビが目立つようになってきた。

そろそろ、洗ってもよい頃合いかな。

リュックのすべてのファスナーを開けて、中身をぶち開ける。

重要なパスポートを筆頭に、書類・ノート・筆記具・もろもろが出てくる。

転ばぬ先の杖のような、用心のための小物も多い。

例えば、懐中電灯、ミニ救急セット、薄手の雨合羽、コンビニのビニール袋、etc。

あとは恥ずかしくて教えられない。


洗濯機を持っていないので、手洗いだ。

タライに、中身の空になったリュックを横たえる。

リュックの上に、洗剤をまぶす。

バケツから汲み置きの水を、タライに移す。

リュックの上から豪快にぶっかける。

タライの中で、リュックを軽くゆすぐ。

リュックを取り出しタイルの床に置き、タワシでブラッシングしようとした時、異物に触れた。

まだ、何かが残っていたのか。

もしや? 零コンマ何秒で気づいた。

愛用のカメラが!

防水カメラではない。

生活防水程度の機能で、零コンマ何秒とはいえ水没したんだ、お陀仏かもしれない。

ワッワッワッワッ・・・・・

どうしよ〜どうしよ〜、気が動転する。

慌てて、一番表側のファスナーを引っ張って、カメラを救出。

濡れていないようなので、ちょっと安心。

洗濯を中断して、カメラをタオルに包む。

スイッチをONにしてみた。

レンズが出てこない。

やはり水が入ったのか。

メモリーカードとバッテリーを取り出した。

どちらも濡れていない。

スマホをトイレ便器の中に落とした知人が、すぐに取り出して乾燥させたら復活したと話していたい。

カメラも同じように乾燥させれば、いいかもしれない。

とにかく、水抜きだ。

カバーを外してみたが、水分は見つからない。

液晶に、水が入っていた。

スチッチが入らないのは、液晶が原因だろうか?

これ以上分解すると、もとに戻せない心配があるから、控えておこう。

このまま、乾燥を待つしかないだろう。

リュックの洗濯を再開した。

この手のドジは初めてなので、この日(2月12日)を水没記念日とした。

すぐに忘れてしまう、今月だけの記念日ですが。

kamera.jpg

カメラは、コロンビアに旅たつ前に、知人から譲り受けたもの。

シャイな男からの選別だったのかもしれない。

中古でもらってから、今日まで、3年半使い続けている。

コロンビアの旅では、酷使するほど使わせれもらった。

寿命と考えてもいいだろう。

と、責任をテンカして。

えっ! テンカを変換したら、転嫁になったよ。

他人に押し付けるという意味で使ったのに。

なぜ、嫁という字が入っているのかな。

昔々の日本で、自分の過ちをすべて嫁さんになすりつける、という風習でもあったのかな。

それと語源は、中国から?

話が横道に逸れてしまって、ゴメン。

使い慣れたカメラだった。

ブログとホームページの写真、YouTube動画は、水没したカメラで撮っていた。

液晶の水が抜けるまで、しばらく様子を見ることにしよう。

カメラも安くなっていると聞くが、今の私には予算がない。

幸い、アイフォンを持っている。

これも友人からの餞別。

大事に使わせてもらっている。

「アイフォンがあれば充分だよ」と知人はアドバイスしてくれる。

カメラの機能を使いこなせない私のこと、これを機会に、アイフォン一筋にしようかな。


posted by ito-san at 03:16| Comment(1) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月13日

インドネシアの銀行口座を開設(184)

私のブログを読んでくださった方から「時々、何が言いたいかわからない内容がありますね」と言われることがある。

文章がうまく書けないのは自覚しているので「そうなんですよ」と答えている。

備忘録なので自分が後から読んでわかればいい、そんなブログです。

今回も、そんな感じに仕上がりました。


預金するほどのお金は持っていないんですが、ある事情から、銀行の口座を開設することになった。

以前は、BCA=Bank Central Asiaを持っていた。

べー・チェー・アーと読む。

作ったのは、渡バリした1990年。

クタからウブドに移動する途中、デンパサールのBCAで作った。

持ち歩くには、ちょっと多額だったので預金した。

同行した知人は、渡航記念に作っていた。

あの頃は、ツーリストでも簡単に口座を開設できた。

数年前から、入金と出金がほぼ同等の生活になり、預けておく余裕がなくなった。

どうせバリにず〜と居るわけでもないしと、ATMカードと一緒に預金通帳をゴミ箱に捨てた。

預金通帳が必要になるなんて、考えてもいなかった。

近頃、ツーリストはもとより長期滞在する外国人も口座を作ることが難しくなった。

細々とでも残しておけばよかったな〜と、後悔。


説明しておかなければならない。

私は「リタイヤメント・ビザ」で滞在している。

55歳以上の外国人は、5年有効の「リタイヤメント・ビザ」が取得できる。

インドネシアで就業していない老人専用ビザだ。

1年ごとに、イミグレーションで延長の手続きができる。

「リタイヤメント・ビザ」が実施された当初は、条件にベラボウの預金と住居、使用人を数人、自家用車が必須で、年金の提示も求められた。

いつのまにか、それらはお目こぼしになり、私のようなお金をもっていない老人でも取得できるようになった。

こういう点は、インドネシアは緩くていい。

昨年末のビザ延長時に、ビザ代行業者から預金通帳と保険加入の証明書とその他1の提出を求められた。

これまで15年間、用意する必要がなかったのに、なんで今更?

担当者が変わり、裏技でごり押しは無理だと言う。

あと1週間で、ビザが切れる。

もっと早く言ってくれれば、対応できたかもしれないのに。

今からでは、間に合わない。

このままだとツーリスト・ビザかソーシャルブダヤ・ビザで取り直しになってしまう。

「書類は揃わないので、これまでと同じように、なんとかしてくれ!」私は懇願した。

延長手数料の金額が上乗せされた。

「金額は了承した、オーバースティにならないように手配してくれ!」

ビザが延長できなければ、出国しなければならない。

シンガポールへの航空券手配が必要になる。

パソコンで、エアーアジアのサイトとニラメッコ。

今なら安いチケットが買える。

宿は、現地に着いてから探せばなんとかなる。

出国日当日になって、スマートフォンにメッセージが入った。

「オーバーステイの料金、安いから大丈夫」

呑気なこと伝えてくる。

先の見えない、ウエーティングって辛いよね。

胃が痛くなるような、日々が続く。

オーバースティ2日目になって「パスポート取りに来て」だって。


冒頭に書いたある事情とは、ビザ延長時の提出書類についてのこと。

次の延長で、胃が痛くなるような思いをしたくないので、銀行口座を開設することにした。

銀行は、代行業者お勧めで「BNI=Bank Negara Indonesia」。

BNI=べー・エヌ・イーと読む。

インドネシア国営銀行だから、安心だということで勧めてくれたようだ。

必要なものは、パスポートとKITAS(私の場合はリタイヤメント・ビザ)。

パスポートは手元にあるが、残念なことにリタイヤメント・ビザが届いていない。

不備は承知で「運良く」を期待して、アパ?情報センターのワヤン君に付き添ってもらいBNIに行った。

結果は、昨年のリタイヤメント・ビザを見せてもだめだった。

「当銀行と10年以上取引のあるお客様と同伴でお越しいただければ、開設できます」と教えられた。

ワヤン君は、BNIと取引がなかった。

「ほかの銀行なら、簡単にできるよ」とワヤン君は言ってくれたが、私は代行業者のお勧めを重視した。

以前、パチュン君が日本人知人の口座開設をお手伝いしたことは知っていた。

奥様が条件を満たしている。

その知人は、ツーリスト・ビザだった。

10年以上取引のある友人が同行すれば、口座は開設できるということだ。

「親しき中にも礼儀あり」

手数をかけるので遠慮していたが、パチュン君に連絡をとると快く同行を承諾してくれた。

後日、パチュン君夫妻を伴ってBNIを訪れた。

初回入金額Rp250,000-とRp1000,000-とがあり、ATMカードは4種類。

どれも、デビット(debit)付きだった。

クレジットカードを持たない(持てない)私には、ありがたい。

これがあれば、シンガポール行きの航空券や宿の予約ができる。

もっとも諸経費の少ないカードをお願いした。

たくさんの書類に、あれこれ書き込んで、口座開設手続き終了。

一仕事終えた実感。

BNI_Taplus.jpg

預金通帳とATMカードを手にした。

早い時点でわかっていれば、通帳を取得していて、延長時のトラブルも少なかっただろうに。

保険加入の証明書については、代行業者が次回の申請の時にデンパサールの業者を紹介してくれると言っている。

その時になってみないとわからないが、とりあえず、代行業者さんに任せることにした。

労をねぎらって、3人でカキアン・ガーデンデンで祝杯。

パチュン君ご夫妻に感謝!

『テレマカシ・バニャ』



posted by ito-san at 15:43| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月09日

湖道沿いに、インスタ映えする造形物群(183)

乾季まで待てず。

7日:行ってきました、リベンジのバイク・ツーリング。

レケレケ(LekeLeke)の滝 @ Tabanan」に書いた、ブヤン湖とタンブリン湖を見下ろす丘。

丘というより、火山の外輪にある峰。

湖が見渡せる峰の反対側を振り向くと、11キロほど先の北部バリの海に向かって急斜面が広がる。

海岸線には、ブレレンの街が点在する。

この急斜面に、多くの滝が存在している。

幾つかの滝を訪れるのも、今回の楽しみでもある。


午前中パラついていた雨が、午後になって上がった。

1時になると、青空が見えてきた。

3時30分から「ウブド・本の交換会」のミーティングが始まる。

時間内に戻れないかもしれないが、バイク・ツーリング日和のチャンスを見逃したくない。

スタッフの皆様、ゴメンなさい。

ウブドを出る頃には、快晴になっていた。

快適なツーリングは、私の思考能力を低下させるようだ。

Apuanの街を通過して、やっと現在地点が把握できた。

Margaあたりで、道を間違えたのだろう。

通ってみたかった街道だから、ラッキーと考えよう。

ルンルン気分は、どこまでも楽天的にさせる。

幹線道路に戻ると、そこはPacung村。

そして、バトゥリティ、ブドゥグルと続く。

ブキット・ムンスを越え、ブラタン湖畔を抜け、イッキに目的地へ向かう。

左前方に、先回飛び込んだワルンが見えた。

ウパチャラでもあるのか、ワルンと彫刻屋の店は閉まっていた。

出発してから、すでに2時間を経過しているが、空は雲ひとつない晴天。

この調子なら、ブヤン湖とタンブリン湖の素晴らしい眺望が見られるだろう。

登り坂の途中に、野生の猿が日向ぼっこをしている。

急坂を上り詰め、鋭角に左折する。

しばらく走ると、左手にブヤン湖が見え隠れする。

湖の対岸に建つ家並みまでも見える。

展望台の東屋に人の姿がまばらなのは、今日が平日からだろう。

峰の湖側に東屋が立ち並び、その間をインスタグラム・スポットと思われる造形物が湖を背景に浮かんでいる。

湖道沿いに、突如として出現する造形物群。

村人としては、観光施設として財源にしたいのだろう。

純粋に湖をみたい人にとっては、邪魔な遮蔽物だろうな。

一時的な流行で終わらなければいいが。


空は、まだ晴れている。

最奧にあるタンブリン湖畔の村を訪問したい。

水位が上がり、村が避難したと聞いている。

10年以上ぶりに、変貌した村を確認したい。

この雲行きなら大丈夫だろうと、インスタグラム・スポットの見学を後まわしにした。

ブヤン湖を通り越した。

続いて、タンブリン湖が見えてきた。

両湖は、狭い陸地で分断されている。

その陸地に、バリ・ヒンドゥー寺院が建つ。

タンブリン湖を回り込むようにして、湖に降りていく道があったはず。

記憶は曖昧だが、近く行けば分かる自信はある。

海側から丘を這い上がるようにして、霧が立ち込めてきた。

霧雨が体を濡らす。

バイクを止めて、雨合羽を着込む。

湖側にも、霧が出てきた。

これでは、リベンジが果たせないかもしれない。

湖畔行きの道が見つからない。

雨は、一段と強くなる。

山の気候が変わりやすいのは知っているが、まさかの失態。

バイクをUターンさせた。

ブヤン湖とタンブリン湖を見下ろす丘に立つ。

湖は、雨で隠れてしまっていた。

雨宿りをして、しばらく待ってみよう。

展望台に東屋を持つ、レストランの一つに飛び込んだ。

ナシゴレンとバリコピを注文した。

雨は、土砂降りと小降りを繰り返している。

小降りの時に撮った動画がこれ。


これはこれで幻想的で、よろしいです。


雨模様の中、撮ったインスタグラム・スポットがこれ。

instagram_spot1.jpg

instagram_spot2.jpg

instagram_spot3.jpg




今回も、雨に祟られてしまった。

滝見学は、諦めるより仕方がないだろう。

私の心がけが悪いとは思えない。

この地域は、3時頃から天気が崩れるのだろうか。

だとしたら、3時には下山する予定を組んだ方がいいかもしれない。

次回のリベンジは、滝見学を必須とする。

ご期待ください。


posted by ito-san at 03:32| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月03日

レケレケ(LekeLeke)の滝 @ Tabanan(182)

キンタマーニ高原へ行ったことで、バイクでの遠出に自信がついた。

次には、ブラタン湖方面に行こうと考えている。

こちらは片道2時間ほどの行程で、ちょっと遠い。

25日午前11時、晴れ間が見えたので愛バイクを駆った。

ブラタン湖へ行くには、キンタマーニと違うルートを使う。

ウブドからは、西のムングイ方面に行ったあと北上する。

バリ島北部の町シガラジャへ向かう途中にある。

左右は田園風景。

ゆるやかな登り坂。

田んぼの向こうに小川があるのだろう、椰子の並木が道路に寄り添うように続いている。

風も心地よい、絶好のツーリング日和。

バトゥリティの市場をしばらく過ぎたあたりから、この先にWaterfallがあることを示す案内看板が目立つようになった。

滝巡りが、私のライフワークのひとつだったことを思い出した。

目的地到着は遅くなるが、寄り道しないわけにはいかないだろう。

久しぶりの滝訪問だ。

LekeLeke2.jpg

LekeLeke Waterfall は、アクティビティ複合施設だった。

◎Swing ◎Tubing ◎Treking ◎Camping

私は入場料:Rp30,000-を払ってレケレケの滝へ向かう。

雲行きが怪しくなってきた。

携帯用の雨合羽が、バイクの座席下の物入れに入っている。

こんな時のために買ったのに。

滝見学にも、雨合羽が必要だった。

持ってればよかったと後悔する。

滝見学をそうそうに終え、下りてきた道を登る。

詳細は動画で、ということで説明を省きます。



往路、復路とも20分ほど。

久しぶりのトレッキングで、フクラハギが痛い。


時間は昼を回ったが、昼食は目的地でしたい。

とにかく急ごう。

今のところ、雨は降っていない。

標高1000mを超えて肌寒くなってきたが、快適なバイク・ツーリングだ。

登り坂を幾度も曲がると峠に出る、ブキット・ムンス(ムンスの丘)だ。

峠の中央には、トウモロコシのモニュメントが立っている。

左手の大きなゲートをくぐると「バリ植物園」に続く道。

ゲートの隣にあるのが「果物市場」。

峠を越えると、雨が降り始めた。

レストランや土産物店が立ち並ぶ、観光地の風情になった。

ブラタン湖と湖畔に建つウルン・ダヌ・ブラタン寺院は、観光客が訪れる人気の行楽地。

ガイドブック「地球の歩き方MOOK・バリ島」創刊号の取材に同行して訪れたのが2011年。

その後、2016年のニュピの次の日に素通りして以来だ。

ニュピ前夜に体験した、タバナンの不思議な儀礼の話「2016年03月14日:■オゴホゴ神輿@パジャハン村(39)」も読んでもらえると嬉しいです。

今回の目的地は、ブラタン湖ではない。

目的地はさらに北にある、ブヤン湖とタンブリン湖を見下ろす丘だ。

ローカルのインスタグラム・スポットとして人気の場所。

湖畔のウルン・ダヌ・ブラタン寺院を、右手に見ながら通り越す。

雨あしが、きつくなった。

バイクを路肩に止め、雨合羽を着込む。

雨合羽は、寒冷地では防寒にもなる。

顔にあたる雨が痛い。

もう少し、と元気つけながら、急坂を登る。

ここを通るのも、ニュピの次の日以来になる。

その時、すでに人気の眺望スポットになっていたが、帰路を急いでいたので通り過ぎた。

雨と霧で、かすみがかかったように視界が悪い。

この先、進んでも状況は変わらないだろう。

あきらめようか?と自問した。

無駄なら無駄を確認したい。

とにかく、目的地まで行ってみよう。

展望台には、もちろん人の姿はない。

いつもならローカルが賑わっていると聞く。

晴れた日には腰を下ろしているだろう東屋も、今は雨よけのテントがおりている。

食堂も閉じられていた。

目的は、達成されなかった。

乾季になったら訪れようと心に決めて、私はバイクをUターンさせた。

雨はまだ、激しく降っている。

そそろそ、休憩をしたい。

雨宿りもしたい。

まだ、昼食をとっていない。

warung1.jpg
ブラタン湖の手前で飛び込んだワルン。

warung2.jpg

warung3.jpg
ワルンの隣の彫刻屋の若者が、こんなものを作っていた。


雨もあがり、お腹も満ちた。

さて、もうひとっ走りだ。

posted by ito-san at 16:19| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする