抜糸も終え、傷も癒えてきた。
やっと周囲にも、気が回るようになった。
プンゴセカン大通りの「The Pundi 」が、3月に新装オープンしたのは知っていた。
蓮池がなくなり、変わってプールになったのが、沿道から見える。
気になっていたが、バイク事故のため覗くことができなかった。
4月21日、大原さんのバイクに乗せてもらって取材に行った。
以前の「The Pundi 」は、中国人観光客専門のレストランだったようで、大型バスが頻繁に出入りしていた。
ライスフィールドの景観がなくなり、大型バスのウブド乗り入れ禁止で、経営転換を図ったのだろうか。
店名は「pool clab The Pundi」に変わっていた。
ウブドにも、コンクリートの打ちっ放しの店舗が出現する時代になった。
世界中が同じセンスのデザインになってきているような気がする。
これをグローバル化とすれば寂しい限りだが、これが時代の流れだ。
エメラルドグリーンのクッションは、只今、人気のアイテム。
ハヌマン通りを南下したプンゴセカン大通りの北部は、田んぼが広がる景色の美しい地域だった。
沿道からは「クブク」の宿と、その向こうの鬱蒼とした猿の森が見渡せた。
「Pundi-pundi」と「The Pundi」の間に、蓮池ができ観光客の目を楽しませてくれた時期もあった。
「クブク」の一部と「テガル・サリ」のヴィラが見える風景となる。
蓮池の向こうにあった「クブク」がなくなり、「テガル・サリ」のヴィラが増築。
「evitel」ホテルが建ち、沿道からの借景はなくなった。
私がウブドに長期滞在を初めた動機は、自然との共存が魅力的だったから。
蓮が見られる場所が、激減している。
なくした自然を取り戻すことは、容易ではない。
自然の癒しから、人工的な癒しに移行しつつあるようだ。
ウブドを訪れるツーリストの求めるものが、変わってきているように感じる。
それでも、まだまだウブドは魅力的だ。
時代時代で、それぞれの思い出があるだろう。
あなたは、どの写真の時代から、ウブドとお付き合いしているのかな?
2018年04月30日
2018年04月26日
ご結婚、おめでとうございます!(196)
「ウブド・本の交換会」の女性スタッフ・Sumieさんが、このたび、めでたくご結婚!
前々から「ウンダンガン=Undangan(招待状)をくださいね!」と、くどいほどお願いしていた。
まさかのバイク事故に遭いましたが、出席できるほどに回復していてよかった。
大原さんも「本の交換会」スタッフで招待されていたので、バイクの後ろに乗せてもらい出席することができた。
挙式は、好天に恵まれた4月18日に執り行われた。
お相手の男性は、痩身の好青年・Ketut suarsaさん。
会場は、ロットゥンドゥ・アビアンスマル村にある新郎の実家。
バリは今でも、結婚儀礼は自宅で行われている。
お似合いのカップルでした。
「ご結婚、おめでとうございま〜す!」
終始、笑顔を絶やさないSumieさんに、友人からのお祝いの言葉がいつまでも続いていた。
「ウブド・本の交換会」スタッフ一同、心よりお慶びを申し上げます。
女性のプダンダ(高僧)登場
(動画提供・大原正博)
さてさて「ウブド・本の交換会」について、ここで告知させていただきます。
4月は、会場「ビンタン・ダイニング」のリニューアルのため開催されませんでした。
お待たせしました、5月にはありますよ。
「第93回:ウブド・本の交換会」となります。
■会場:「TEAROOM @ ジュプンバリ 」
■日時:5月13日(日)・12.00〜14.00の予定(営業は16.00まで)
本の交換会終了後も、ゆっくりと飲食できます。
最新情報は、ホームページ・https://ubudbalihonnokoukankai.jimdo.com
フェイスブック・https://www.facebook.com/honkoukankai に随時アップしています。
お友達やご家族、お誘い合わせの上お越しください。
スタッフ一同、心よりお待ちしております。
前々から「ウンダンガン=Undangan(招待状)をくださいね!」と、くどいほどお願いしていた。
まさかのバイク事故に遭いましたが、出席できるほどに回復していてよかった。
大原さんも「本の交換会」スタッフで招待されていたので、バイクの後ろに乗せてもらい出席することができた。
挙式は、好天に恵まれた4月18日に執り行われた。
お相手の男性は、痩身の好青年・Ketut suarsaさん。
会場は、ロットゥンドゥ・アビアンスマル村にある新郎の実家。
バリは今でも、結婚儀礼は自宅で行われている。
お似合いのカップルでした。
「ご結婚、おめでとうございま〜す!」
終始、笑顔を絶やさないSumieさんに、友人からのお祝いの言葉がいつまでも続いていた。
「ウブド・本の交換会」スタッフ一同、心よりお慶びを申し上げます。
女性のプダンダ(高僧)登場
(動画提供・大原正博)
さてさて「ウブド・本の交換会」について、ここで告知させていただきます。
4月は、会場「ビンタン・ダイニング」のリニューアルのため開催されませんでした。
お待たせしました、5月にはありますよ。
「第93回:ウブド・本の交換会」となります。
■会場:「TEAROOM @ ジュプンバリ 」
■日時:5月13日(日)・12.00〜14.00の予定(営業は16.00まで)
本の交換会終了後も、ゆっくりと飲食できます。
最新情報は、ホームページ・https://ubudbalihonnokoukankai.jimdo.com
フェイスブック・https://www.facebook.com/honkoukankai に随時アップしています。
お友達やご家族、お誘い合わせの上お越しください。
スタッフ一同、心よりお待ちしております。
2018年04月25日
トレードマークのポニーテールを断髪!(195)
たくさんの友人・知人から見舞のコメントをいただいた。
私が事故に合って怪我をし救急病院(UGD)に駆け込んだことを、ワヤン君はその日のうちにフェイスブックにアップしていた。
右手の不自由な私は、返事のコメントを打つことができない。
ワヤン君は、お礼のコメントも私に代わって丁寧に返してくれていた。
手術後は、速攻で退院した。
見舞に訪れたくても、私の下宿を知る人は少ない。
みんなに迷惑かけたくないので、私としてはその方が都合が良い。
それでも、古くからの友人やご近所さん数人が、それぞれに怪我人を気づかった見舞の品を持参して下宿に駆けつけてくれた。
恐縮です。
食後に飲む薬のために朝ごはんの差し入れと、不自由な手では顔も体も拭けないだろうと、洗面器、お湯、タイル、持参で一週間も通ってくれた、気配りのNご夫婦には、感謝感謝です。
今は、服用も夜だけになり、身体は寒風まさつ風にして自分で拭ける。
大原さんは、毎晩「和食・影武者」からの弁当をデリバリーしてくれている。
もちろん弁当を作ってくれている「影武者」の女将・由美さんにも多大なお世話になっている。
そうそう影武者のスタッフ一同からも、見舞の品が届いた。
ワヤン君は、通院にも付き合ってくれていて、私のインドネシア語を補ってくれ助かっている。
受付の煩雑な手続きや順番待ちのカードなどを、てぎわ良く代行してくれる。
多くの友人・知人の励ましと、差し入れで生き延びております。
この誌面を借りて、お礼を述べさせていただきます。
『ありがとうございました!』
右手が不自由になって、気がついたことがある。
今まで出来ていたことが出来なくなった。
五体満足ってありがたいんだなと、つくづく感じる。
いろんな不便が起こっている。
そのひとつ、長髪がポニーテールに出来ない。
輪ゴムで括っていたのだが、片手では括れない。
トレードマークの長髪は、4年に一度ほどの割合で、自らか、それとも知人にお願いして短くしていた。
今回は、バッサリと切り落とすことにした。
23年ぶり。
やむを得ない決断だ。
今から23年目前の断髪は、インドネシア映画の出演依頼を受けてだった。
まだ黒髪だ。
極楽通信・UBUD:映画 “Puputan Margarana“ 出演
長期滞在を始めた1990年初頭、ウブドに床屋はなかった。
家族や知人などで手先の器用な人が、髪を切る役目だった。
どこにでも器用なバリ人はいた。
特別に器用な人には、訪れる人も多い。
店があるわけではないので、庭先で切ってもらうというアットホームな感じ。
髪を切ることをチュクール(cukur)と言い、髪を切る人のことはトゥカン(職人=tukang)・チュクールと呼ぶ。
ポトン・ランブットという言い方もある。
髪(rambut)を切る(potong)で、ポトン・ランブット。
数年前から、モダンなスタイルの「Barbar shop」が開店している。
私は、昔ながらの床屋に行ってみることにした。
これも初体験。
目的の「ポトン・ランブット」は、プリアタン村にある。
坂田さんご用達の床屋だ。
運良く、先客が終わるところだった。
壁に貼られたモデルの写真から、おとなしい目の髪型を選んで、お願いした。
店主は、バリカンとハサミで手際良くカットしていく。
無駄口が少ない。
私は鏡を見ながら「髪が細くなったな〜」。
「本数も少なくなったな〜」と、感慨にふける。
気になっていた頭頂部は、思いの外薄くなっていた。
寄る年波には勝てないね。
所要時間15分。
あ〜あ、スッキリした。
料金は、15,000ルピア。
本日のレートで、日本円にして118円。
今から、髪を伸ばす再スタート。
いつ頃、ポニーテールにできるかな?
そして、次の断髪は、どんな理由になるのかな?
最後にもう一度、ご心配をおかけした皆様に。
『本当に、ありがとうございました!』
私が事故に合って怪我をし救急病院(UGD)に駆け込んだことを、ワヤン君はその日のうちにフェイスブックにアップしていた。
右手の不自由な私は、返事のコメントを打つことができない。
ワヤン君は、お礼のコメントも私に代わって丁寧に返してくれていた。
手術後は、速攻で退院した。
見舞に訪れたくても、私の下宿を知る人は少ない。
みんなに迷惑かけたくないので、私としてはその方が都合が良い。
それでも、古くからの友人やご近所さん数人が、それぞれに怪我人を気づかった見舞の品を持参して下宿に駆けつけてくれた。
恐縮です。
食後に飲む薬のために朝ごはんの差し入れと、不自由な手では顔も体も拭けないだろうと、洗面器、お湯、タイル、持参で一週間も通ってくれた、気配りのNご夫婦には、感謝感謝です。
今は、服用も夜だけになり、身体は寒風まさつ風にして自分で拭ける。
大原さんは、毎晩「和食・影武者」からの弁当をデリバリーしてくれている。
もちろん弁当を作ってくれている「影武者」の女将・由美さんにも多大なお世話になっている。
そうそう影武者のスタッフ一同からも、見舞の品が届いた。
ワヤン君は、通院にも付き合ってくれていて、私のインドネシア語を補ってくれ助かっている。
受付の煩雑な手続きや順番待ちのカードなどを、てぎわ良く代行してくれる。
多くの友人・知人の励ましと、差し入れで生き延びております。
この誌面を借りて、お礼を述べさせていただきます。
『ありがとうございました!』
右手が不自由になって、気がついたことがある。
今まで出来ていたことが出来なくなった。
五体満足ってありがたいんだなと、つくづく感じる。
いろんな不便が起こっている。
そのひとつ、長髪がポニーテールに出来ない。
輪ゴムで括っていたのだが、片手では括れない。
トレードマークの長髪は、4年に一度ほどの割合で、自らか、それとも知人にお願いして短くしていた。
今回は、バッサリと切り落とすことにした。
23年ぶり。
やむを得ない決断だ。
今から23年目前の断髪は、インドネシア映画の出演依頼を受けてだった。
まだ黒髪だ。
極楽通信・UBUD:映画 “Puputan Margarana“ 出演
長期滞在を始めた1990年初頭、ウブドに床屋はなかった。
家族や知人などで手先の器用な人が、髪を切る役目だった。
どこにでも器用なバリ人はいた。
特別に器用な人には、訪れる人も多い。
店があるわけではないので、庭先で切ってもらうというアットホームな感じ。
髪を切ることをチュクール(cukur)と言い、髪を切る人のことはトゥカン(職人=tukang)・チュクールと呼ぶ。
ポトン・ランブットという言い方もある。
髪(rambut)を切る(potong)で、ポトン・ランブット。
数年前から、モダンなスタイルの「Barbar shop」が開店している。
私は、昔ながらの床屋に行ってみることにした。
これも初体験。
目的の「ポトン・ランブット」は、プリアタン村にある。
坂田さんご用達の床屋だ。
運良く、先客が終わるところだった。
壁に貼られたモデルの写真から、おとなしい目の髪型を選んで、お願いした。
店主は、バリカンとハサミで手際良くカットしていく。
無駄口が少ない。
私は鏡を見ながら「髪が細くなったな〜」。
「本数も少なくなったな〜」と、感慨にふける。
気になっていた頭頂部は、思いの外薄くなっていた。
寄る年波には勝てないね。
所要時間15分。
あ〜あ、スッキリした。
料金は、15,000ルピア。
本日のレートで、日本円にして118円。
今から、髪を伸ばす再スタート。
いつ頃、ポニーテールにできるかな?
そして、次の断髪は、どんな理由になるのかな?
最後にもう一度、ご心配をおかけした皆様に。
『本当に、ありがとうございました!』
2018年04月17日
バリ滞在28年初のバイク衝突事故!(194)
夕食は、いつも「和食・影武者」でとる。
8時45分に部屋を出て、バイクを走らせる。
9時頃に坂田さんを、プンゴセカンで拾ったあと影武者に向かう。
これが私のルーティンワーク。
ルーティンワークが突然、切断されることがある。
今回は、バイク事故によって切断された。
「親子三代、バリにて3年ぶりの再会!」を果たして有頂天だったその一週間後。
まさかのトラブルに巻き込まれる。
一変して、イタイイタイ地獄に突き落とされた。
運命に分かれ道って、あるんだね。
ブログの更新がされていないので、何があったかと? 心配をしている方も多いことと考え、事故の報告することにしました。
事故は、4日午後8時40分に起こった。
テガランタン村を出て、タマン村に入ったあたりで道が急に狭くなる箇所がある。
対向車線から、欧米人女性が運転するバイクが私に向かってきた。
私の走る反対車線に侵入してきたのだ。
まさに向かってきたという感じ。
その瞬間に激突。
全身に激痛が走る。
一瞬、記憶が飛ぶ。
私は横転したバイクの後ろに、上半身をおろした姿勢で座っていた。
ぶつかってきたバイクは、後方で横転していた。
これが事故の現状だ。
動転している頭を鎮めるために、軽く深呼吸をした。
激痛が過ぎ去るのを待つ。
ゆっくりと立ち上がる。
バイクを持ち上げる気力はない。
エンジンを切った。
数名の男性がワラワラと現れ、その一人が私のバイクを運んでくれる。
私はバイクの後ろについて歩いた。
ここは海外、バイクが盗難されないとは限らない。
事故現場で置き引きに会うこともあるので、要注意。
他人を信用しない体質ができてしまっている自分に、驚く。
近くのヴィラの駐車場に、バイクを止めた。
ヴィラの男性スタッフが、ここに座りないと進めてくれる。
私のリュックを応接椅子に乗せ、ヘルメットを預かってくれた。
「吐き気はしないか?」「めまいはしないか?」と聞いてくる。
そんな症状もなく、意識はしっかりしているので「大丈夫!」と答えた。
スボンを汚すほど、右手から出血している。
ロビーを汚すわけにいかないので、道路に面したテラスに腰を下ろした。
ボカシを塗り、したたり落ちる血を抑えるために、愛用の日本手拭いで縛る。
このあと、どうするかを考える。
病院へ行くべきか。
できれば、このままルーティンワークを続けたい。
とりあえず大原さんに電話をして事故ったことを伝え、坂田さんを影武者に送ったあと事故現場に来てもらうように頼んだ。
この時になって、相手の事故車のことが気にかかった。
彼女は、大丈夫だっただだろうか。
道が狭くなったあたりは道が湾曲していて、ぶつかってきたバイクの姿は見えない。
無免許だったので逃げたのかもしれない。
私は、高額で買った5年有効の免許証を持っている。
〈運転免許証取得で、もう安心!(179)〉
ワラワラと現れた男たちに聞くと「どこかへ行ちゃった!」と答えた。
軽いゲガだったからいいが。
スタッフがミネラルウォーターを持ってきてくれた。
傷を洗えと、もう一本持ってきてくれた。
赤チンも用意してくれた。
心から親切なスタッフなんだな、と感じる。
事故の瞬間を、思い起こしてみる。
あの時、もう少し私が左に避けていればよかった。
もっとゆっくり走っていれば避けられたかもしれない。
「もし」が無いのはわかっている。
自分がどんなに安全運転していても、相手が暴走してきては避けられない。
事故は、右手の軽傷ですんだ。
介護の必要な怪我では困る。
独り者では、どうしようもない。
中途半端な怪我なら一層のこと死んだほうがまし、などと絶望的なことを考えてしまう。
今後、事故が起こらないとも限らない。
うずくまって痛みに耐えているところ、大原さんが駆けつけてくれた。
事故の説明をする。
まずは、この場を移動しよう。
ワラワラと現れた男たちは、いつのまにかいなくなっていた。
バイクは動いた。
9時30分、自分で運転して影武者に向かう。
いつもの大テーブルに到着したが、心は落ち着かない。
アドレナリンが高くなっているのか、このくらいの怪我なら病院に行かなくてもいいかと考えている。
破傷風になる心配があるので、しっかり消毒してもらったほうがいい、みんなに言われる。
とりあえずは、近くの救急病院に行くことにした。
大原さんのバイクに後ろに乗った。
10時、トヤ・クリニックで、診てもらう。
容赦なく傷口を洗う。
しっかり消毒したあと「マスの病院に行ってください」と言われる。
そちらの先生に手術するかを決めてもらうのだそうだ。
海外保険に入っていれば、外国人専門の病院に行くんだが、あいにく私は入っていない。
10時30分、マスの救急病院(UGD)に到着。
付き添いで来たことはあるが、自分が訪れるのはバリ滞在初の経験。
痛がり屋、怖がり屋は、病院が苦手だ。
できれば、早急に済ませて帰りたい。
受付と問診のあと、処置室で手当てを受ける。
カーテンで仕切られたストレッチャーの一台に横になる。
レントゲンを撮り、各種の検査をした。
ジィ〜と痛みを我慢。
切り傷以外に甲の細い骨が折れている。
手術をすることになった。
保険に加入していないし、外国人ということで手術代は高額だ。
高齢者ビザが、デスカウントの対象になった。
宿泊代諸々の見積もり交渉に疲れたので、「和食・影武者」に由美さんに電話を変わってもらった。
00時過ぎ、悟さんが心配して駆けつけてくれた。
アパ?のワヤン君も駆けつけてくれた。
心強い。
病院内をストレッチャーでグルグル回って運ばれる。
待っている間、身体全体をハンマーで殴られたようなドスンとした痛みと戦う。
時々、激痛が走る。
5日朝6時、車椅子に乗って手術室に向かう。
生まれて初めて車椅子目線を体験。
手術準備室でストレッチャーに移動。
ストレッチャーが手術室に運ばれた。
振り返って見た壁掛けの時計は、6時10分を指していた。
着衣を外して大の字になると、寒気で震えた。
ドクターに「寒いです」と伝えると、「そうですね」と答えてくれたのを覚えている。
全身麻酔か?
目が覚める8時まで、気がつかなかった。
午後4時食事。
キャスターの付いた点滴スタンドを転がして、トイレに行くのも初の経験。
最後の点滴を終え、午後6時退院。
アパ?のワヤン君は、ず〜と病院に待機していてくれた。
退院は由美さんの助けを借りて車で、テガランタンの下宿に送ってもらった。
ルーティンワークは、今日で13日間ほど切断されている。
自己診断では、傷は全治1ヶ月と自己診断した。
縫合は、20針。
主治医には、バイクが乗れるようになるには2ヶ月はかかる、と宣言された。
まだまだ、不便な生活を強いられるそうだ。
8時45分に部屋を出て、バイクを走らせる。
9時頃に坂田さんを、プンゴセカンで拾ったあと影武者に向かう。
これが私のルーティンワーク。
ルーティンワークが突然、切断されることがある。
今回は、バイク事故によって切断された。
「親子三代、バリにて3年ぶりの再会!」を果たして有頂天だったその一週間後。
まさかのトラブルに巻き込まれる。
一変して、イタイイタイ地獄に突き落とされた。
運命に分かれ道って、あるんだね。
ブログの更新がされていないので、何があったかと? 心配をしている方も多いことと考え、事故の報告することにしました。
事故は、4日午後8時40分に起こった。
テガランタン村を出て、タマン村に入ったあたりで道が急に狭くなる箇所がある。
対向車線から、欧米人女性が運転するバイクが私に向かってきた。
私の走る反対車線に侵入してきたのだ。
まさに向かってきたという感じ。
その瞬間に激突。
全身に激痛が走る。
一瞬、記憶が飛ぶ。
私は横転したバイクの後ろに、上半身をおろした姿勢で座っていた。
ぶつかってきたバイクは、後方で横転していた。
これが事故の現状だ。
動転している頭を鎮めるために、軽く深呼吸をした。
激痛が過ぎ去るのを待つ。
ゆっくりと立ち上がる。
バイクを持ち上げる気力はない。
エンジンを切った。
数名の男性がワラワラと現れ、その一人が私のバイクを運んでくれる。
私はバイクの後ろについて歩いた。
ここは海外、バイクが盗難されないとは限らない。
事故現場で置き引きに会うこともあるので、要注意。
他人を信用しない体質ができてしまっている自分に、驚く。
近くのヴィラの駐車場に、バイクを止めた。
ヴィラの男性スタッフが、ここに座りないと進めてくれる。
私のリュックを応接椅子に乗せ、ヘルメットを預かってくれた。
「吐き気はしないか?」「めまいはしないか?」と聞いてくる。
そんな症状もなく、意識はしっかりしているので「大丈夫!」と答えた。
スボンを汚すほど、右手から出血している。
ロビーを汚すわけにいかないので、道路に面したテラスに腰を下ろした。
ボカシを塗り、したたり落ちる血を抑えるために、愛用の日本手拭いで縛る。
このあと、どうするかを考える。
病院へ行くべきか。
できれば、このままルーティンワークを続けたい。
とりあえず大原さんに電話をして事故ったことを伝え、坂田さんを影武者に送ったあと事故現場に来てもらうように頼んだ。
この時になって、相手の事故車のことが気にかかった。
彼女は、大丈夫だっただだろうか。
道が狭くなったあたりは道が湾曲していて、ぶつかってきたバイクの姿は見えない。
無免許だったので逃げたのかもしれない。
私は、高額で買った5年有効の免許証を持っている。
〈運転免許証取得で、もう安心!(179)〉
ワラワラと現れた男たちに聞くと「どこかへ行ちゃった!」と答えた。
軽いゲガだったからいいが。
スタッフがミネラルウォーターを持ってきてくれた。
傷を洗えと、もう一本持ってきてくれた。
赤チンも用意してくれた。
心から親切なスタッフなんだな、と感じる。
事故の瞬間を、思い起こしてみる。
あの時、もう少し私が左に避けていればよかった。
もっとゆっくり走っていれば避けられたかもしれない。
「もし」が無いのはわかっている。
自分がどんなに安全運転していても、相手が暴走してきては避けられない。
事故は、右手の軽傷ですんだ。
介護の必要な怪我では困る。
独り者では、どうしようもない。
中途半端な怪我なら一層のこと死んだほうがまし、などと絶望的なことを考えてしまう。
今後、事故が起こらないとも限らない。
うずくまって痛みに耐えているところ、大原さんが駆けつけてくれた。
事故の説明をする。
まずは、この場を移動しよう。
ワラワラと現れた男たちは、いつのまにかいなくなっていた。
バイクは動いた。
9時30分、自分で運転して影武者に向かう。
いつもの大テーブルに到着したが、心は落ち着かない。
アドレナリンが高くなっているのか、このくらいの怪我なら病院に行かなくてもいいかと考えている。
破傷風になる心配があるので、しっかり消毒してもらったほうがいい、みんなに言われる。
とりあえずは、近くの救急病院に行くことにした。
大原さんのバイクに後ろに乗った。
10時、トヤ・クリニックで、診てもらう。
容赦なく傷口を洗う。
しっかり消毒したあと「マスの病院に行ってください」と言われる。
そちらの先生に手術するかを決めてもらうのだそうだ。
海外保険に入っていれば、外国人専門の病院に行くんだが、あいにく私は入っていない。
10時30分、マスの救急病院(UGD)に到着。
付き添いで来たことはあるが、自分が訪れるのはバリ滞在初の経験。
痛がり屋、怖がり屋は、病院が苦手だ。
できれば、早急に済ませて帰りたい。
受付と問診のあと、処置室で手当てを受ける。
カーテンで仕切られたストレッチャーの一台に横になる。
レントゲンを撮り、各種の検査をした。
ジィ〜と痛みを我慢。
切り傷以外に甲の細い骨が折れている。
手術をすることになった。
保険に加入していないし、外国人ということで手術代は高額だ。
高齢者ビザが、デスカウントの対象になった。
宿泊代諸々の見積もり交渉に疲れたので、「和食・影武者」に由美さんに電話を変わってもらった。
00時過ぎ、悟さんが心配して駆けつけてくれた。
アパ?のワヤン君も駆けつけてくれた。
心強い。
病院内をストレッチャーでグルグル回って運ばれる。
待っている間、身体全体をハンマーで殴られたようなドスンとした痛みと戦う。
時々、激痛が走る。
5日朝6時、車椅子に乗って手術室に向かう。
生まれて初めて車椅子目線を体験。
手術準備室でストレッチャーに移動。
ストレッチャーが手術室に運ばれた。
振り返って見た壁掛けの時計は、6時10分を指していた。
着衣を外して大の字になると、寒気で震えた。
ドクターに「寒いです」と伝えると、「そうですね」と答えてくれたのを覚えている。
全身麻酔か?
目が覚める8時まで、気がつかなかった。
午後4時食事。
キャスターの付いた点滴スタンドを転がして、トイレに行くのも初の経験。
最後の点滴を終え、午後6時退院。
アパ?のワヤン君は、ず〜と病院に待機していてくれた。
退院は由美さんの助けを借りて車で、テガランタンの下宿に送ってもらった。
ルーティンワークは、今日で13日間ほど切断されている。
自己診断では、傷は全治1ヶ月と自己診断した。
縫合は、20針。
主治医には、バイクが乗れるようになるには2ヶ月はかかる、と宣言された。
まだまだ、不便な生活を強いられるそうだ。
2018年04月01日
親子三代、バリにて3年ぶりの再会!(193)
3月25日の早朝、インスタグラムにメッセージが届いた。
『お父さんへ
急ではありますが、洋祐さんとそらがバリに行きます!
3月27日(火)の13:30にセントレアを出発し、28日の0:30にバリに到着でチケットをとりました!
中国上海航空5029の上海からです。
できましたら、28日の0:30に、お迎えをお願いしたいそうです。』
我が息子・洋祐の奥様ゆみなさんからメールだ。
家族の動向は、日々、ゆみなさんのインスタグラムで受信している。
2月には、メッセージに近況報告と家族写真が送られてきた。
その時に、バリ訪問の報告はなかった。
2日後に出発するのだから、急に決まったことなのだろう。
洋祐の家族は豊田市に住んでいて、25年ぶりに日本帰国した2014年が家族と初の対面をした。
次の年、コロンビアへ旅発つ前(2015年2月)にも立ち寄った。
その時に、長女きこちゃんが誕生している。
6ヶ月滞在したコロンビアからバリへの帰路(2015年10月)にも、豊田に立ち寄っている。
洋祐と初孫の長男そら君のバリ訪問プランが持ち上がったのは、その時だ。
そら君、8歳の小学校3年生。
洋祐が初の海外旅行に行った時と同じ年だ。
学校を休ませて、上海と北京、万里の長城に連れて行った。
楽しくなかったのか「お父さんが行きたかったのでしょう」と、図星を突かれた。
トラウマになった、事件でもあるのか?
それでも、自分と同じ年齢で、息子を海外へ連れて行きたかったようだ。
すでにパスポートを取得していたが、そら君の友達作りを優先して、渡バリを諦めた。
その後、まったく音沙汰がないので、バリ訪問プランは忘れ去られたかと思っていた。
いきなりの訪問宣言だ。
そら君は、10歳の5年生になっている。
半信半疑だが、会いに来てくれるのは飛び上がるほど嬉しい。
何度も読み直して、
『了解です。楽しみだ』と、返信した。
返信の返信。
『ようちゃんが、「父さんに会うのをめちゃくちゃ楽しみにしているよー」と伝言です。
さかたさんへもお伝えください。
そらも初めての海外でドキドキそわそわしています。
そらが象に乗ったり、ケチャを見たり、ベベブンギルのケーキを食べたりしたいそうです。』
3月28日:
01:00:空港で3年ぶりの再会(到着ゲートから出て来る姿を撮ったつもりだったが、動画は写っていなかった)
02:00:坂田邸泊
09.30:朝食「カキアン・ベーカリー」 with坂田さん
11.00:流木拾い(プルナマ海岸)の手伝い・ワルンでお茶=そら君初めて現地でインドネシア語「ブラパ?」を使う。
14.30:「BALI ZOO」
15.00:父子で象に乗る
17.00:坂田邸に戻る・昼食「ジャワ・ティムール」
19.30:ケチャ(タマン村)
20.40:そら君が「指差しインドネシア語」著者・コテツちゃんにサインをもらうため「和るん・あんかさ」立ち寄ったが不在。
:ラーメンを食して帰る
21.30:「和食・影武者」
:コテツちゃんが影武者に駆けつけてくれた。そら君緊張気味。
3月29日:
00.00:伊藤邸泊
: タイル床にマットを敷いて、真ん中にそら君を挟んで親子三代、川の字になって寝た。
10.00:洋祐とそら君はウブドまで散歩・どこかでナシ・チャンプールを食べてきたようだ。
13.00:パチュン家でバイクを借りる
14.00:キンタマーニ高原 byバイク「キンタマーニ・コーヒー」
:街道でマンゴスチンを購入
16.00:洋祐とそら君、市場で買い物・マリンバをRp20万からRp6万に値切って購入。
17.00:伊藤邸に戻る・おばけゲーム&荷造り
19.30:夕食「ワルン・マンガマドゥ」&おばけゲームの続き
21.00:「和食・影武者」
22.30:ウブド発
23.30:空港着・お別れ
密度の濃い46時間30分でした。
「レストラン・ベベ・ブンギル」のココナッツ・クリーム・パイは、次回の楽しみにとっておくことになった。
そら君は、どんな思い出を秘めて帰ったのかな?
お土産を買ってあげれないし、小遣いもあげられない、甲斐性のないおじいちゃんでゴメンね。
機会を見つけて、また遊びに来てください。
『お父さんへ
急ではありますが、洋祐さんとそらがバリに行きます!
3月27日(火)の13:30にセントレアを出発し、28日の0:30にバリに到着でチケットをとりました!
中国上海航空5029の上海からです。
できましたら、28日の0:30に、お迎えをお願いしたいそうです。』
我が息子・洋祐の奥様ゆみなさんからメールだ。
家族の動向は、日々、ゆみなさんのインスタグラムで受信している。
2月には、メッセージに近況報告と家族写真が送られてきた。
その時に、バリ訪問の報告はなかった。
2日後に出発するのだから、急に決まったことなのだろう。
洋祐の家族は豊田市に住んでいて、25年ぶりに日本帰国した2014年が家族と初の対面をした。
次の年、コロンビアへ旅発つ前(2015年2月)にも立ち寄った。
その時に、長女きこちゃんが誕生している。
6ヶ月滞在したコロンビアからバリへの帰路(2015年10月)にも、豊田に立ち寄っている。
洋祐と初孫の長男そら君のバリ訪問プランが持ち上がったのは、その時だ。
そら君、8歳の小学校3年生。
洋祐が初の海外旅行に行った時と同じ年だ。
学校を休ませて、上海と北京、万里の長城に連れて行った。
楽しくなかったのか「お父さんが行きたかったのでしょう」と、図星を突かれた。
トラウマになった、事件でもあるのか?
それでも、自分と同じ年齢で、息子を海外へ連れて行きたかったようだ。
すでにパスポートを取得していたが、そら君の友達作りを優先して、渡バリを諦めた。
その後、まったく音沙汰がないので、バリ訪問プランは忘れ去られたかと思っていた。
いきなりの訪問宣言だ。
そら君は、10歳の5年生になっている。
半信半疑だが、会いに来てくれるのは飛び上がるほど嬉しい。
何度も読み直して、
『了解です。楽しみだ』と、返信した。
返信の返信。
『ようちゃんが、「父さんに会うのをめちゃくちゃ楽しみにしているよー」と伝言です。
さかたさんへもお伝えください。
そらも初めての海外でドキドキそわそわしています。
そらが象に乗ったり、ケチャを見たり、ベベブンギルのケーキを食べたりしたいそうです。』
3月28日:
01:00:空港で3年ぶりの再会(到着ゲートから出て来る姿を撮ったつもりだったが、動画は写っていなかった)
02:00:坂田邸泊
09.30:朝食「カキアン・ベーカリー」 with坂田さん
11.00:流木拾い(プルナマ海岸)の手伝い・ワルンでお茶=そら君初めて現地でインドネシア語「ブラパ?」を使う。
14.30:「BALI ZOO」
15.00:父子で象に乗る
17.00:坂田邸に戻る・昼食「ジャワ・ティムール」
19.30:ケチャ(タマン村)
20.40:そら君が「指差しインドネシア語」著者・コテツちゃんにサインをもらうため「和るん・あんかさ」立ち寄ったが不在。
:ラーメンを食して帰る
21.30:「和食・影武者」
:コテツちゃんが影武者に駆けつけてくれた。そら君緊張気味。
3月29日:
00.00:伊藤邸泊
: タイル床にマットを敷いて、真ん中にそら君を挟んで親子三代、川の字になって寝た。
10.00:洋祐とそら君はウブドまで散歩・どこかでナシ・チャンプールを食べてきたようだ。
13.00:パチュン家でバイクを借りる
14.00:キンタマーニ高原 byバイク「キンタマーニ・コーヒー」
:街道でマンゴスチンを購入
16.00:洋祐とそら君、市場で買い物・マリンバをRp20万からRp6万に値切って購入。
17.00:伊藤邸に戻る・おばけゲーム&荷造り
19.30:夕食「ワルン・マンガマドゥ」&おばけゲームの続き
21.00:「和食・影武者」
22.30:ウブド発
23.30:空港着・お別れ
密度の濃い46時間30分でした。
「レストラン・ベベ・ブンギル」のココナッツ・クリーム・パイは、次回の楽しみにとっておくことになった。
そら君は、どんな思い出を秘めて帰ったのかな?
お土産を買ってあげれないし、小遣いもあげられない、甲斐性のないおじいちゃんでゴメンね。
機会を見つけて、また遊びに来てください。