3月25日の早朝、インスタグラムにメッセージが届いた。
『お父さんへ
急ではありますが、洋祐さんとそらがバリに行きます!
3月27日(火)の13:30にセントレアを出発し、28日の0:30にバリに到着でチケットをとりました!
中国上海航空5029の上海からです。
できましたら、28日の0:30に、お迎えをお願いしたいそうです。』
我が息子・洋祐の奥様ゆみなさんからメールだ。
家族の動向は、日々、ゆみなさんのインスタグラムで受信している。
2月には、メッセージに近況報告と家族写真が送られてきた。
その時に、バリ訪問の報告はなかった。
2日後に出発するのだから、急に決まったことなのだろう。
洋祐の家族は豊田市に住んでいて、25年ぶりに日本帰国した2014年が家族と初の対面をした。
次の年、コロンビアへ旅発つ前(2015年2月)にも立ち寄った。
その時に、長女きこちゃんが誕生している。
6ヶ月滞在したコロンビアからバリへの帰路(2015年10月)にも、豊田に立ち寄っている。
洋祐と初孫の長男そら君のバリ訪問プランが持ち上がったのは、その時だ。
そら君、8歳の小学校3年生。
洋祐が初の海外旅行に行った時と同じ年だ。
学校を休ませて、上海と北京、万里の長城に連れて行った。
楽しくなかったのか「お父さんが行きたかったのでしょう」と、図星を突かれた。
トラウマになった、事件でもあるのか?
それでも、自分と同じ年齢で、息子を海外へ連れて行きたかったようだ。
すでにパスポートを取得していたが、そら君の友達作りを優先して、渡バリを諦めた。
その後、まったく音沙汰がないので、バリ訪問プランは忘れ去られたかと思っていた。
いきなりの訪問宣言だ。
そら君は、10歳の5年生になっている。
半信半疑だが、会いに来てくれるのは飛び上がるほど嬉しい。
何度も読み直して、
『了解です。楽しみだ』と、返信した。
返信の返信。
『ようちゃんが、「父さんに会うのをめちゃくちゃ楽しみにしているよー」と伝言です。
さかたさんへもお伝えください。
そらも初めての海外でドキドキそわそわしています。
そらが象に乗ったり、ケチャを見たり、ベベブンギルのケーキを食べたりしたいそうです。』
3月28日:
01:00:空港で3年ぶりの再会(到着ゲートから出て来る姿を撮ったつもりだったが、動画は写っていなかった)
02:00:坂田邸泊
09.30:朝食「カキアン・ベーカリー」 with坂田さん
11.00:流木拾い(プルナマ海岸)の手伝い・ワルンでお茶=そら君初めて現地でインドネシア語「ブラパ?」を使う。
14.30:「BALI ZOO」
15.00:父子で象に乗る
17.00:坂田邸に戻る・昼食「ジャワ・ティムール」
19.30:ケチャ(タマン村)
20.40:そら君が「指差しインドネシア語」著者・コテツちゃんにサインをもらうため「和るん・あんかさ」立ち寄ったが不在。
:ラーメンを食して帰る
21.30:「和食・影武者」
:コテツちゃんが影武者に駆けつけてくれた。そら君緊張気味。
3月29日:
00.00:伊藤邸泊
: タイル床にマットを敷いて、真ん中にそら君を挟んで親子三代、川の字になって寝た。
10.00:洋祐とそら君はウブドまで散歩・どこかでナシ・チャンプールを食べてきたようだ。
13.00:パチュン家でバイクを借りる
14.00:キンタマーニ高原 byバイク「キンタマーニ・コーヒー」
:街道でマンゴスチンを購入
16.00:洋祐とそら君、市場で買い物・マリンバをRp20万からRp6万に値切って購入。
17.00:伊藤邸に戻る・おばけゲーム&荷造り
19.30:夕食「ワルン・マンガマドゥ」&おばけゲームの続き
21.00:「和食・影武者」
22.30:ウブド発
23.30:空港着・お別れ
密度の濃い46時間30分でした。
「レストラン・ベベ・ブンギル」のココナッツ・クリーム・パイは、次回の楽しみにとっておくことになった。
そら君は、どんな思い出を秘めて帰ったのかな?
お土産を買ってあげれないし、小遣いもあげられない、甲斐性のないおじいちゃんでゴメンね。
機会を見つけて、また遊びに来てください。