2018年11月30日

バダさん、リカさん、結婚おめでとう!(285)

9月15日、友人のバダさんからWhatsAppにメールが届いた。

WhatsAppは、インドネシアで主流のSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)。

「おはよう、お知らせだけです。まだ日付決まってないけど、11月に、ここの田舎娘と結婚する予定です」

ここの田舎娘とは、現在バダさんが住んでいる中部ジャワ・ジョグジャカルタ近郊の町・マゲランのことだろう。

マゲランは、仏教遺跡「ボロブドゥール」の近郊の村。

9月27日のフェイスブックのメッセンジャーには、

「元気? WAしたけど、11月17日に結婚する予定です。時間があれば来てねぇ」と、伝えてきた。

「WAって何?」と質問したら、「WhatsAppのことだ」と返事があった。

「もちろん、出席します」と返事をした。


西ジャワ・マジャレンカ(チレボンの隣)出身のバダさんに会ったのは、プンゴセカン通りにあった「居酒屋・影武者」だった。

当時、27歳の青年は「Rangin Sambadaです」と自己紹介した。

大阪のデザイン学校を卒業したバダさんの第一印象は、大阪弁をしゃべる変なインドネシア人だった。

名古屋に住んだことがあり、名東区本郷にあった「キャラバン・サライ」でアルバイトをしていた。

フルムーン・パーティを主催し、訪れたこともないバリ島の伝統芸能ケチャを演じて人気を得ていたと言う。

店長のジミーさんやライブに出演していたマーボさんなど、私と共通の友人が何人かいた。

ミニコミ「極楽通信・ウブド」Vol4(1994年8月25日発行)に、「バダからの頼り・Jalan-Jalan」を寄稿してもらったこともある。

その記事は、http://www.potomak.com/bali/ubud/ubud.htmlで、読むことができる。

インドネシア語教室を「ブンブン・カフェ」で開催していたこともあったね。

不思議な縁で、付き合いは28年間続いている。


ということで、挙式の行われるジョグジャカルタ近郊の町・マゲランに行くことになった。

マゲランには、バダさんの両親の家がある。

久しぶりだが、何度も訪れているので迷うことはないだろう。

儀礼の時間には間に合いそうもないが、レセプションには参加したい。

帰りの予定は決めていないが、3〜4泊はしようと考えている。


2018年11月17日:結婚式当日。

タクシーでバダさんの実家に駆けつけた。

空港からの渋滞で、実家でのレセプションは終わっていた。

実家にはバダさんの家族が大勢揃っていた。

何人かの知った顔が見える。

挨拶と近況報告をし、挙式の様子を訊く。

結婚儀礼は奥様の実家で、レセプションはバダさんの実家の中庭で、滞りなく終了したようだ。

バダさんと新婦のリカさんは、夜の部のレセプションが行われる「Kafe-mpat」に行っていて会えなかった。

全員のお祈りが終わるのを待って「Kafe-mpat」に向かう。

(写真:Bada&Rika)

バダさんは、現在55歳。

奥様リカさんは、20歳。

これは親子の年齢。

愛があれば、35歳の歳の差なんて!

リカさん両親は、バダさんより年下なんだけど。

バダさんは、年下の義父をどう呼ぶのかな。

まさか、お父さんはないでしょう。


リカさんの実家は、ボロブドゥールの麓にある小さな村。

夫妻は、しばらくバダさんの実家で暮らしたあとKafe-mpatに移り住む予定だと言う。

末長くお幸せに!



動画の最後に写っている小屋。

この小屋の2階で、4泊お世話になった。

電気は、電線敷設の予算が高いので、今は発電機で供給している。

暗くなる午後5時頃から9時ころまでの時間制限で、発電機を起動させている。

電気は無用の生活に戻りたい。

ボロブドゥールが見える、こんなところに長期滞在してみたいな〜!。

(写真:Kafe-mpat)
夕焼けと星空が美しい。
posted by ito-san at 17:29| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月16日

最終編・突然、思い立ったように小旅行(284)

ウブドを出発した日から、朝は7時には起きている。

普段は、昼12時頃まで寝ているのに、旅になると目覚めが早い。

なんでだろう。

1日の使い方が違うからだろうか。

今日、急に思い立った3泊4日の小旅行を終えてウブドに戻る。


「朝は、コーヒーか紅茶をサービスしています」

主人の声に送られて、ホテルをチェクアウトする。

クタパン港にあるフェリー乗り場に向かう。

不安だったが、バリ島からクタパン港の入島はスムーズだった。

帰りも問題はないだろう。

ゲート前に、検問の警察官の姿はなかった。

タイムスケジュールを知らずに飛び込んで来たが、フェリーは終日営業のようだ。

運航は1時間ごとにある。

乗船カードに、名前と住所とパスポートナンバーと年齢を書き込み、性別の欄の男性にチェックを入れた。

カードを提出して、Rp25,000-を払い込めばフェリーに乗れる。

はずだった。

料金場ゲートの列が、なかなか進まない。

係員と話をして、その場を離れる人がいる。

「何かあったのですか?」と尋ねると「新しいルールができて、カードを買う必要がある」と教えてくれた。

乗船カードを書き込むエリアで、カードを発券していた。

これを購入しないと乗船できないようだ。

係員に「観光客の私も購入する必要があるのか?」と聞くと、困った顔をして首を縦に振った。

しかたなく私も、発券テーブルに向かう。

プラスチックのカードが配られていた。

何の目的で発券しているのかわからないが、このカードがないと今後、乗船できないと言う。

「2度と乗船しないのに購入しないといけないのか?」

ここのスタッフは、無表情で首を縦に振った。

この態度は、忙しいから仕方がない。

乗船料込み、Rp48,000-也のカードを購入。


バリ島側のフェリー乗り場、ギリマヌッ港に到着。

乗船時間は、帰りもキッチリ1時間。

警察官の検問を受ける。

バリ入島は、テロリスト対策のチェックが厳しい。

車検証と免許証を提示。

しかめっ面をして、カードを返してきた。

銀行のカードを免許証と間違えて渡していた。

ゴメンなさいの笑顔を作ったが、むさ苦しいお爺の笑顔をいらないととでもいうように、手を振って早く行けと促した。

バリ島に上陸してしまえば、もう怖いものない。

あとは、暗くなるまでにウブドに着けばいい。


天気は快晴、幹線道路も思いの外空いていて、快適なバイク・ツーリングをしている。

ヌガラの町からは、何度も通った通い慣れた道。

純粋にツーリングを楽しめる。

時間に余裕がある。

前々から行きたかったところに、寄ってみよう。

このチャンスを逃すと、次はないかもしれない。

ウブドに滞在初めて(1990年5月)、すぐに知った場所。

地方新聞「バリ・ポスト」に掲載された記事に、興味を惹かれた。

ウブドからは遠く、脇道のため、行く機会がなかった。

ヌガラとタバナンを繋ぐ幹線道路の中間地点に、北上してププアン(Pupuan)に向かう脇道がある。

今回は、この脇道を上って目的地に向う。

Desa-Asahduren.jpg
途中の村にあったリアルな彫刻


目的のところは、道路を塞ぐようにあるので、決して見逃すことはない(はず)。

脇道を30分ほど車で走ると、目的地に到着した。

車が潜りくけることのできる、珍しい大樹。

これが見たかったのですよ。

複雑に絡んだ幹が、私の心を騒つかせる。

「大樹の前で瞑想するといいですよ。夜にでもまた来ると良い」と僧侶が教えてくれた。

村の名前は「ブヌッボロン=bunut bolong」。




ウブドに帰るに、来た道を戻らずに、ププアンから抜けたほうが近道だと教えられたが、これはかなりの誤算だった。

箱庭にような棚田が望める場所に、新しくワルンができていた。

癒された昼食ができたので、誤算は帳消しになった。




この小旅行、何か収穫はあったかな?

ブヌッボロンの大樹が見られただけでも満足だった。

そのくらい恋い焦がれた場所でした。

久しぶりに冒険心が湧き上がったのも確かだ。

旅心にも、火が点いたかな。


★おわり



posted by ito-san at 17:17| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月10日

その6・突然、思い立ったように小旅行(283)

「ホテル・バクティ」は、狭いながらも快適だった。

朝8時にチェックアウト。

フロントの女性は、昨日の女性とは違った。

ヒジャブと呼ばれるイスラムの女性が被るスカーフをしていた。

バリのデンパサール生まれで、小学校に通う子供を両親に預けて、バニュワンギの旦那の生家に来ている。

ホテルで働きながら、年に何度か実家に帰るそうだ。

地震の話をすると「たいしたことは、ありませんでした」と言う。

「津波がなくてよかったね」と言うと、「それは言わないで」と震えた。

「すぐそこは海だからね」と、今度は笑顔で答えてくれた。


今日の予定は、まずは宿探し。

昨日、下見をした市場のある地域に泊まろうと思っている。

探し当てた宿は「ホテル・アンダ=HOTEL ANDA」。

アンダはインドネシア語で「あなた」だから、あなたのホテルということかな。

ロビーでタイル貼りの工事をしていたが、そんなことを気にする私ではない。

商人宿的なホテルで気に入った。

料金は、扇風機付きでRp120,000-。

共同マンディ(シャワー&トイレ)の部屋はRp35000-だと言われたが、今回は遠慮した。

hotel_anda.jpg


次は、バイクに跨って街の探訪だ。

ガイドブックに、バニュワンギは4ページ紹介されている。

「イジェン火口湖」以外に、これといった観光名所はない。

地図に載ってた「ブーム・ビーチ」に行ってみることにした。

ブーム港は護岸工事中。

ブーム海岸は、平日の金曜日のためか、人影が少なかった。

対岸に見えるのがバリ島か?

pantai_boom.jpg


昼食のために、一度、ホテルに戻った。

ホテルから歩いていけるサテ・カンビン屋「NIKMAT」に入る。

「NIKMAT」は、楽しむという意味のインドネシア語。

ここまで来て、なんでサテ・カンビンだと思うでしょうが、イスラム色の強い本場を食したかったから。

濃厚なタレが美味しかった。

NIKMAT.jpg


2つある公園は、遠目に見学。

さてさて、これからどうしたもんか?

再び、バイクに跨って街巡り。

「fashon store a&r」と書かれた建物を発見。

バニュワンギ市民は、どんなファッションが好みか興味が湧いたので入ってみることにした。

バリとほとんど変わりない、品揃えと見た。

足首を絞ったズボンが気に入ったので購入。

3階にあるフードコートに入って、ローカルに混じってコーヒーを飲む。


3階のテラスから見た、バニュワンギのほぼ全景。


夕食は、フードコートにある「MIE RAMEN HAKERU」と決めた。

一度、ホテルに戻りマンディをし、先ほど買ったスボンをはいて出かける。

注文したのは、テリヤキ。

これならハズレはないだろうと、楽観したのが大間違いの味だった。

追加したサテ・シューマイもイマイチだった。

女主人には「美味しかった」と、愛想を振りまいて席を立った。


MIE RAMEN HAKERU1.jpg

MIE RAMEN HAKERU2.jpg


なんだか楽しい一日が終わった。

電車に乗ってみたかったが、それは次回の楽しみに取っておくことにしよう。

明日は、ウブドの戻る。

★続く

posted by ito-san at 17:33| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月07日

その5・突然、思い立ったように小旅行(282)

バニュワンギ市内観光は夕方からにして、まずはツーリングに出発だ。

どうせ走るなら「イジェン火口湖」の近くまで、行ってみたい。

目と鼻の先に「イジェン火口湖」が存在すると思うと、行ってみたい衝動にかられる。

一抹の期待を抱いているが、条件が揃えば登ってみようと目論んでいる。

観光案内所やツアー会社を探すが、見つからない。

「地球の歩きかた・インドネシア編」を持ってきていないのが、悔やまれる。

「Ijen=イジェン」の看板は、いたるところに目にする。

道案内の表示もある。

看板に誘導されて行くことにした。

イジェンへは、バニュワンギの中心部か国道3号線を逸れて、山側に向かう一本道。

Merapi山とRuang山の間を縫って走る道。

迷うことはないだろう。

イジェン火口湖は、ムラピ山西側のイジェン山にある。

幾つかの村を通り過ぎた。

登山道入口に近づいたのだろうか、宿を見かけるようになった。

登る時には、このあたりで宿を探そう。

すでに次回は「イジェン山」に、登るつもりになっている。

ブルーファイア見学は興味が失せたので、サンライズとイジェン火口湖を見るだけで充分だ。

道の途中で、崖崩れを起こしているところがある。

何カ所かで修復工事をしていた。

ガイドブックには、バニュワンギ市内から登山道入口まで車で1時間ほどと書いてあったと記憶する。

私の乗るバイクはオートマチックのスクター「ホンダ・スクーピー=Scooby」。

車よりは、時間が掛かるだろう。

すでに1時間は走っている。

登山道入口が見つからなかったとしても、1時間半走れば、高原のホテル「イジェン・リゾート&ヴィラス」に到着するはずだ。

ホテルで一服しよう。

昼3時を過ぎると森は深くなり、山間の道は左右から樹木が覆いかぶさってくる。

薄く霧が立ち込め、肌寒い。

帰路を考えると、この先に進むのは危険だ。

まさかとは思うが、山中の追い剥ぎも怖い。

進むのを諦め、引き返すことにした。

イジェン山のサンライズ・トレッキングは、準備を整えてチャレンジすることにしよう。


ホテルに帰る前に、バイクで街を流した。

シンガラジャと同じ規模の街を、想像して貰えばいいだろう。

と言っても、シンガラジャがどんな規模かわからないか?

カラフルな風景が、視界に入った。

それは、小さな川の両岸に施された彩色だった。

橋から見えるバラックが、ペイントされている。

川沿いにウッドデッキが張り巡らされ、回遊できるようになっていた。

スラム街に、こんな施している国が増えていると聞いている。

見られては困るものに蓋をしよう、という政策。

生活している人々は、どんな気持ちなんだろう。

lohkanti.jpg

ここから、ホテルは近かった。

一方通行が多くて、何度も同じ道を通っている。

大きなマスジット(モスク)がランドマークになっていて、ホテルを探すのは容易だった。




ホテルに帰ってスマートホンを見ると、

フェイスブックに、10日早朝の地震について知人がコメントしていた。

震源地は、東部ジャワ島。

バニワンギの北方で、意外と近いところだった。

街を徘徊したところでは、地震の被害は見当たらなかった。


夕食は歩いて行ける「レストラン」にした。

バイクで流した時に見つけておいた、今風のレストラン。

何を食べたか覚えていないが、コーヒーは美味しかった。

SrengengeWetan.jpg

もう一泊して、バリに戻ることにした。

明日は1日、バニュワンギ市内観光と町歩きだ。

★続く



posted by ito-san at 16:37| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする