2019年03月24日

ココナッツ石鹸作りに挑戦!(301)

ジョクジャカルタ・マゲラン滞在に向けて「巻き寿司作り」以外に、もうひとつ挑戦したことがある。

タイトルにもある「ココナッツ石鹸作り」だ。

バダさんの経営するカフェには、地下水が大量に湧く泉がある。

泉水は、近隣の家々に配られている。

この泉の湧く場所で、時々、村人がマンディ(水浴び)をする。

その時、持ってきた石鹸の包装紙を捨てていく。

バダさんは、そのゴミがいつも気になっていた。

石鹸をこちらで用意すれば、ゴミはなくなるかもしれない。

前々から、石鹸を作りたいと考えていたようだ。

この話に、私が乗ったというわけだ。

石鹸作りは、以前に挑戦したことがある。

「ブンブン・カフェ」を開店した20年前だ。

ワルンやレストランから廃油を引き取って、リサイクルできないかと考えていた。

「居酒屋・影武者(現在の和食・影武者)」で廃油を分けてもらい、挑戦した。

みごとに失敗に終わった。

苛性ソーダ(水酸化ナトリウムの通称)を加えるのを知らなかった。

そりゃ、固まらまらないわ。

苛性ソーダは固めるために使うのかな?

加水分解されて石鹸になると説明されても、わからない。


作り方は「巻き寿司作り」同様に、「YouTube」で検索した。

これも、様々な動画が出てくる出てくる。

親切丁寧で、手に取るように理解できる。

見ているだけで、できる気になってくる。

まずは、必要な物を揃える。

材料は、ココナッツオイルと精製水と苛性ソーダ。

これだけで、石鹸はできる。

ココナッツオイルは、私が売っているのですぐに手に入る。

精製水は、アクア(飲料水)で代用。

苛性ソーダは、インドネシアでは「ソーダ・アピ」という名前で建材屋で売っている。

計量する必要があるので、ポータブルのハカリを買った。

微妙な温度調節のために、温度計が必要だ。

初めは「和食・影武者」で借りていたが、マゲランに持っていく必要があるので、購入する必要があった。

ネット通販で買おうかなと思っていたら、デンパサールのレノン地域に開店したダイソーでRp28,000-で売っていた。

目盛りは200℃まである。

あとは、手鍋と攪拌棒。

熱源は携帯コンロ。

さあ、用意はできた。

coconut_oil.jpg

参考にしたYouTubeでは、

材料、ココナッツオイル:500g・精製水:150〜170g・苛性ソーダ:85gだった。

1)苛性ソーダと精製水を混ぜて、苛性ソーダ水溶液を作る。
  水溶液は、60〜80度になる。

2)ココナッツ・オイルと苛性ソーダ水溶液を、40度の同じ温度にする。

3)同じ温度になったら、ココナッツ・オイルの入った容器に苛性ソーダ水溶液をゆっくり注ぐ。
  30分、トレース状になるまで、ゆっくり混ぜる。 

4)型に流し込む。
  1日、保温して寝かす。

5)寝かした石鹸を取り出す。

6)使いやすい大きさに切り分ける。

7)切り分けた石鹸は、風通しの良いところで乾燥・熟成させる。
  1年未満でも3ヶ月経てば使えますが、肌に刺激を感じるかも。
  少なくとも半年以上はしっかり熟成させてください。

8)これで出来上がり。


2018年12月から、2019年1月2月3月と隔月で制作。

数ヶ月、風通しの良いところで熟成させると良いと書かれてあったので、違いのチェックにそうしてみた。

合計で、5回作った。

ココナッツオイル:500g・アクア水:160g・苛性ソーダ:80gで、3回。

その後、ココナッツオイル:500g・アクア水:100g・苛性ソーダ:50gで、1回。

そして、ココナッツオイル:500g・アクア水:160g・苛性ソーダ:60gで、1回。

苛性ソーダの量を、それぞれ違えて実験してみた。

アクア水:100g・苛性ソーダ:50gの石鹸は、しっかり固まらない。

苛性ソーダは水に溶かすと発熱するので、アクア水に苛性ソーダを少しずつ入れて溶かしていくほうが良さそうだ。

水溶液中の苛性ソーダ小片が気になるので、小片が見えなくなるまで、よく撹拌する。

以前、市販されている石鹸で、ピリピリしたことがあった。

あれは、苛性ソーダがよく溶けていなかったのではないかと思う。

ココナッツ・オイルの入った鍋に、水溶液を加える。

アルミ製手鍋は腐食したので、ホーローかガラスの鍋を使った方が良いだろう。

30分ほど攪拌するうちに、乳白色に固まってくる。

参考YouTubeにはトレース状になるまでとあるが、型に流し込んでもよさそうな硬さになれば良しとした。

石鹸は、柔らかいうちがカットしやすいので、翌日に切り分けた。

ワイヤー&カッターナイフ、最終的には包丁でカットしたが、どれも上手くいかなかった。

これは、マゲランに行ってからの課題とした。

乾燥・熟成1ヶ月の石鹸を使ってみたが、ピリピリ感はなかった。

最終的には、初期に実験した分量が良しと結論した。

作った石鹸を携えて、4月1日は出発だ。

マゲランでも作るゾ!


posted by ito-san at 19:19| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月17日

バリで温泉 @ キンタマーニ(300)

バリ島随一の景勝地、キンタマーニ高原。

高原と言っても、実際は外輪山のこと。

バトゥール山とアバン山に挟まれたバトゥール湖を、外輪山から眺める。

展望台があるところはペノロカン村だが、この一帯がキンタマーニ高原と呼ばれている。

眺望に、自然に涙が溢れたのは、初めて訪れた30年も過去のことだ。

バトゥール湖畔のトヤ・ブンカ村には、温泉が湧き出ている。

温水プール施設のある「Toya Devasya」に行ってから、すでに10数年経っている。

「Toya Devasya」ができる前には、波打ち際にある浅い池に地元の人と一緒に浸かった。

外輪山に囲まれた夜空は、プラネタリウムのような満天の星。

流れ星を眺めての温泉は、格別だった。

数年前、「Toya Devasya」に隣接して「Batur Natural Hot Spring 」がオープンした。

一度は行ってみたいと思っていた。

今回、友人母子(Sさん&A君)が来ウブドしたのを機会に、希望を叶えた。

私の娘ほどの年齢のSさんと、その息子A君。

A君のバイク乗りは、今回で3度目。

かなり慣れてきている。

しかし、お母さんの乗せてのツーリングは、もう少し経験が必要だろう。

A君は一人乗りで、私がSさんを乗せる。

カルデラを登り下りするに「スクピー」の2人乗りは心もとない。

Sさんには内緒ですが、ひとまわりパワーのあるバイクに交換した。

バイクを2台連ねて、いざ出発!!

パノラマの美しい外輪山のカフェで、ドリップコーヒーを飲みながら小休止。

急坂を下ると、湖の景色が開けてくる。

湖の北端にあるソンガン村に直行。

ここには、有名な「ウルン・ダヌ・バトゥール寺院」のルーツの寺院が残っている。

湖面に浮かぶ「湖の女神」像を、遠目から見学。

ソンガン村からバトゥール山の北面を目指す。

ここには、A君に見せたい景色がある。

大自然の脅威で驚異の溶岩流。

溶岩流を目の当たりにして、自然の力を思い知らされるだろう。


さてさて今回のメインイベント、トヤ・ブンカ村の「Batur Natural Hot Spring 」だ。

「Toya Devasya」の隣と聞いていたので、探すのに少し苦労した。

温泉は隣接しているが、入口はかなり離れている。

Rp190,000-を支払って入場。

水着に着替えて、プールに向かう。

湖畔に並べられたデッキチェアの下には、湖水が侵入している。

これは故意にしているのか、湖面が上がったのか?

湖から2番目のプールの温水が、私にはちょうど良かった。

アバン山とバトゥール湖の景観を見ながらの温泉。

あ〜気持ちいい!

バスタブのない部屋で下宿しているので、湯に浸かるのは何年ぶりだろう?

もっかのささやかに夢は、バスタブのある生活だ。

快い疲れを感じながら、帰路に着いた。


帰宅してから、ブログを書くのに「地球の歩き方」開いてみた。

トヤ・ブンカの温泉プールのコーナーに「Toya Devasya」と「Batur Natural Hot Spring」の情報が記載されている。

「Toya Devasya」のほうが料金が高いところを見ると、施設が整っているのだろう。

遠目にも、繁盛しているように見受けられる。

「Batur Natural Hot Spring」の入場料は、Rp150,000-(1名)・ランチ込みのパッケージでRp18,0000-となっている。

値上がっている。

入場券には、ランチは含まれていないが、ウエルカムドリンク、タオル、ロッカーはサービスだった。

アラアラ〜、しっかり見るべきだった。

タオルもロッカーも、我慢したのに。

そういえば、サービスコーナーのような小屋が建っていたな。

あそこで相談すれば、インクルードのウエルカムドリンクももらえたかも。

昼食は、ナシゴレンとコーヒーでRp50,000-ほどだったと記憶する。

こんな失敗をしたが、Sさん&A君も満足している様子。

次回というチャンスがあれば、「Toya Devasya」に行こう。




posted by ito-san at 15:43| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月08日

ニュピ @ナギ村の奇祭!(299)

30年目にして、初めて眼にしたした情報。

「アパ?情報センター」のフェイスブックにアップされていた。

この頃は、ネットで様々な情報をキャッチすることができで便利だ。

ニュピ前夜、ウブドの北に位置するナギ村で、火を使って戦う儀礼があるという情報。

今年(2019年)のニュピは、西暦の3月7日にあたる。

ニュピは、サコ暦(1941年)の最大祭礼日。

前日は、各村では悪霊払いがある。

夜には、オゴホゴ神輿の行列が繰り出す。

ナギ村の奇祭は、情報では午後6時開始と載っている。

こんな奇祭を見逃す手はない。

是非、観ておきたい。

私に次回のチャンスは、ないかもしれない。


3月6日・ニュピ前日

午後3時頃から雨が降り始めた。

我が家からナギ村までは、バイクで15分以内に着けるはず。

開始30分前には、会場に到着していたい。

各村でオゴホゴ神輿の出陣準備で、道路が封鎖されていることが多い。

5時には、家を出たいと考えていたが、雨は降り止まない。

5時30分になっても、降り続いている。

あきめて、部屋でノンビリ過ごすことにした。

6時近くになって、小降りになってき。

これは止むかもしれない。

開始時間は、雨待ちで遅れているだろう。

道路封鎖がされる前に、とりあえず、ナギ村に行ってみようと思い立つ。

小雨の降る中、雨合羽をカブって出かけた。


北部に隣接するジュンジュンガン村、プトゥル村、クトゥ村を避けて、ウブド大通りを通った方が渋滞は少ないだろう。

タマン村の通りには、巨大なオゴホゴ神輿が若者たちと出陣を待っていた。

アンドン交差点を左折して、テガララン方面に向かう。

ホテル「Kamandalu」の看板のある道を右折すれば、ナギ村だ。

200メートルほど先に、二股に分かれる道がある。

左手に進めば「Kamandalu」「Vaiceroy」などの宿泊施設がある。

右手には寺院とワンティラン(集会場)がある、ナギ村集落の入口だ。

道路左側にある広場に、バイクを止めさせてもらう。


時計は、午後6時15分。

大小のオゴホゴが数体、ワンティランの中と周りに並んでいる。

奇祭はどこでおこなわれるか、わからない。

雨を避けて、集落入口の小屋に腰掛けて待つことにした。

正装の村人が三々五々集まって来る。

観光客の姿は、少ない。

村の警備員が、小屋に溜まりだした。

そのうちに一人が「ワンティランで待つと、いいよ。儀礼は、あそこで行われるから」と教えてくれた。

この小屋、今日は警備員が張り込む場所なもかもしれない。

私は、その場を離れてワンティランに向かう。

まだ、小雨は降り続いている。


ワンティラン前の小さな広場に、椰子殻の山が2箇所作られた。

火のついた椰子殻をこの距離から投げ合うのか。

かなり危険だが、傍観者としては興味深い。

中高生くらいの娘たちによる、踊りが始まった。

新作と思わせる、舞踊だ。

スマホのバッテリーがなくなっていて、開始時間は確認できない。

雨は上がっていた。

近くのホテルの宿泊客だろう、見物人に多くの観光客の姿が見える。

娘たちと同年代だと思われる青年が混じり、ケチャ舞踊が演じられた。

こちらも、モダンな振り付けだ。

娘たちが下がると、椰子殻の山に火がつけられた。

上半身裸のケチャ軍団だった青年たちが、火のついた椰子殻を両手に持って飛び跳ねる。

いきなり、一対一で火のついた椰子殻をぶつけ合う。

両陣営で投げ合う団体競技かと思っていたので、度肝を抜かれた。

火の粉が飛ぶ。

熱くないのか?

目の前で繰り広げられる、火祭り。

なぜか微笑ましく、感じたのはなぜだろう。

詳細は、省きます。

あとは動画でお楽しみください。




posted by ito-san at 16:25| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月05日

ニュピ(Nyepi)について考察(298)

今回は「ニュピ」についてのウンチクを少々語ります。

ウンチク(蘊蓄)の漢字が、読めない書けないので、カタカナにしました。

バリ島民は、世界共通の西暦(グレゴリオ暦)のほかに、古くから伝わる独自の暦を使っている。

それは、宗教儀礼や日々の供物を捧げる時の大切な目安となっている。

独自の暦には2種類あり、ひとつをウク暦、もうひとつをサコ暦と呼んでいる。

1343年、バリはマジャパイト王朝によって征服され、16世紀のゲルゲル王朝時代に、ジャワ・ヒンドゥー文化の影響を強く受けるに従い、ジャワ・バリ暦と言われるウク暦が中心となっていった。

征服される以前に建立された寺院の多くは、サコ暦に従って祭礼が行われている。

サコ暦は、インドが起源と考えられ、「釈迦」に由来するとも言われる。

西暦78年(79年という説もある)が元年とされ、例えば、今が西暦2019年だどとすると、78を引いた数サコ暦となる。

今年は、サコ暦の1941年。

サコ暦の1年は、353日、355日あるいは356日で巡ってくる。

ひと月は、約29日半なので、数年に1度のうるう月がある。

1年は、12のサシー=月(sasih)に分かれている。

うるう月では足らないので、何年かごとのうるう月を設けている。

2016年には13ヶ月あった。

第11番目の月・Sasih Jiyestha(雨季の終わり)と、第12番目の月・Sasih Sadha(乾季の始まり)の間に、「Sasih Mala Jiyesta」

ニュピは「サコ暦」最大の祭礼のこと。

月が隠れる・暗月(ブラン・ティラム・bulan tilem)の翌日から新しい月が始まり、次の暗月までをひと月とする。


満月と暗月の日には、普段より多めに供物が捧げられる。

サコ暦は太陰暦で、月のサイクルに合わせた暦。


第1番目の月(Sasih Kasa =サシー・カソ)は、西暦の6月頃。

第7番目の月(Sasih kepitu=サシー・クピトゥ・西暦の12月頃)の暗月前日に行われる祭礼が「Hari Siwaratri(シワラトリ)」。

第10番目の月(Sasih kadasa=サシー・カダソ)の第1日目が、ニュピとなる。

雨期の終わる、西暦の3月か4月に巡ってくる。


1年の穢れを払い浄める祭儀が、ニュピだ。

ニュピ前日の暗月の日に、冥界のヤマ神が大掃除をするので、悪霊ブト・カロ(Bhuta Kala)が地界から追い出され、地上にはい出て来る。

バリ中のすべての村の公共広場では、僧侶によるムチャル(悪魔払い)儀礼が執り行われる。

ウブドではスゥエタ通りの王宮前に祭壇が設けられ、儀礼が行われる。

夕方になると、家々では家族総出で鍋釜など音の出るものを手に、屋敷内の隅々をガンガンと鳴らしながら廻る。

これは、ングルプック=Ngerupuk(プングルプガン)と呼ばれる儀礼。

人間の生活を乱そうとする悪霊を追い払うためだ。

陽が落ちると、オゴホゴ(Ogoh-ogoh)と呼ばれる、張りぼて人形の御輿が村を練り歩く。

この行事が始まったのは新しく、インドネシア独立後(1945年)と聞く。


こうして、地上から悪霊ブト・カロを追い払った翌日がニュピ。

ニュピは、バリ語のスピ(Sepi=静かな)が語源で「静寂の日」とも言われる。

いかにも「この島には誰もいません」と言うように、生活の匂いを感じさせないよう家に引きこもり、悪霊ブト・カロに見つからないように静かに過ごす。

この日は、労働(アマティ・カルヤ)、通りへの外出(アマティ・ルルンガン)、火の使用(アマティ・グニ)、殺生(アマティ・ルラングアン)などが禁じられている。

火は、現代では電灯も含まれる。

この4つを守り、精神を集中させ、心を穏やかにし、世界の平和、最高神イダ・サンヒャン・ウィディに祈る。

こんな崇高な気持ちになれない私は、痛切に門外漢を感じる日である。

4つの禁止事項は、バリ島にいるすべての人に義務づけられる。

数年前から、テレビ、ラジオの配信もストップされた。

信じられないのは、観光で経済が成り立っている島なのに、この日、国際線の航空便を含む島内すべての交通機関が閉鎖される。

昨年(2018年)からは、インターネットも使えなくなった。

思い切った政策だが、良いことにはバリ島民は反対しない。

ニュピは、貴重な「サイレント・デー」として、世界中から注目されている。

ついでに新しい情報。

ゴミの問題は、バリでも深刻。

特に、プラスチックゴミは目を覆いたくなるほど。

今年に入って、スーパーマーケットやコンビニの持ち帰りビニール袋が姿を消した。

エコバックの使用を推進している。

順次、小さな店のビニール袋の使用も禁止されだろう。


ニュピをサコ暦の正月と捉える人がいるが、私は違う考えだ。

バリ人に、新年という概念はないように見受けられる。

本格的な雨期に入る、第7番目の月・サシー・クピトゥから、雨期が終わる、第11番目の月(西暦の4月頃)サシー・ジェスタまでの期間は、体調を壊しやすい時期である。

昔は疫病も流行ったことだろう。

悪いことが起こるのは、悪霊のせいだと考えるバリ人のこと、雨期の終わった時期に、お祓いをしようというわけだ。

日本人的な考えで、言葉を当てはめようとすると、間違いが生ずる。

「ニュピ」は、バリ独特の祭礼「静寂の日」の名称。

ちなみに、ウク暦の最大の祭礼日は「ガルンガン」だが、ガルンガンを、日本的にお盆と考えるにも無理がある。

単純に、210日に一度巡ってくる祭礼日として理解したほうが、私にはしっくりくる。 

今年のニュピは、3月7日。

何もできない1日をどう過ごそうか、悩んでいます。
posted by ito-san at 18:44| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月02日

巻き寿司作りに挑戦!(297)

私には、味覚センサーが鈍いのと、料理センスがない。

いつの頃からか、食べることにあまり執着しない人間になっていた。

空腹になっても、作るよりは我慢してしまう。

料理は作れないので、食べる専門。

だから持ち寄りパーティーには、誰も呼んでくれない。

人が集まるところが苦手だから、ちょうど良いのだが、ちょっと寂しい。

そんな私が、なぜ「巻き寿司」を作ろうと思い立ったのか。

それには、こんなわけがあります。

昨年(2018年)11月、バダさんの結婚式に招待されて、ジョクジャカルタ・マゲランに行った。

4日の間、お世話になった。

これといったお礼もできずに、ウブドに戻ってきた。

2015年に、南米コレンビア・サレントでジュンペイさんに6ヶ月間お世話になった時に気づかされたことが、ここで思い出された。

お世話になったお礼に、日本食を振る舞ってもよかったのではないかと。

料理に興味がないから、まったく気がつかなかった。

きっと、ささやかなも料理でも喜んでくれたはず。

私は、そんな努力を怠った。

これから海外旅行に出る若者にアドバイスする。

「日本食の一つくらい覚えておこう!」

きっと、コミュニケーションの役に立つはず。

日本料理で、材料や道具が少なくて外国人に喜ばれるもの。

思い立ったのが「巻き寿司」だった。

次回、マゲランを訪れる時には「巻き寿司」を食べてもらおう。

できるかどうかわからないが、とにかく挑戦してみることにした。


料理に興味のない私の部屋には、調理道具は皆無。

とりあえず他人の家で経験させてもらおうと考え、知人のレストランで行われる「たこ焼きパーティー」に「巻き寿司作り」を便乗した。

寿司を巻く道具がないので、片面がビニールコーティングされた包装紙を代用した。

この包装紙は、ナシ・チャンプールやサテなどのブンクス(持ち帰り)用に多用されている。

招待客となった私は、料理の下準備をしなくてもいい。

この日は、巻くことに専従。

巻き寿司は「海苔巻き」のことで、カルフォルニア・ロールは「裏巻き」「逆巻き」のことらしい。

料理作りは和気あいあいと進んだ。

初体験でまったくうまく巻けないが、巻き寿司の全貌は見えてきた。


「YouTube」で「巻き寿司」を検索すると、作り方が出てくる。

様々な動画がアップされていて、手に取るように理解できる。

見ているだけで、できる気になってくる。

まずは、調理道具を揃えなくてはいけない。

寿司を巻く道具は、「巻き簀」と呼ぶらしい。

「巻き簀」のことを「簀巻き」と言っていた私は、うぶな奴。

「簀巻き」だと、土左衛門(水死体)を連想してしまってよくないよね。

竹を削って「巻き簀」を作り始めた。

完成はしてみたものの、「YouTube」で見た物と比べると使いにくそうだ。

日本から誰かに持ってきてもらおうかと考えていた時、「和食・影武者」女将が、デンパサールに昨年開店したダイソーで買ってきてくれた。

makisu.jpg
(手前の薄汚いのが、私の手作り巻き簀)

ご飯を炊く炊飯器もない。

預けてあった携帯コンロを返してもらった。

1合が炊ければいいので、小さな鍋を買った。

鍋でご飯を炊くには、得意だ。

スーパーで、計量カップと計量スプーンを見つけたので即買い。

計量スプーンは、寿司酢を作る時と、炊いたご飯に、寿司酢を入れてを酢飯(すめし)を作る時に使う。

さてさてあとは、何が必要だろう。

包丁はとりあえず、工作用のナイフで間に合わせよう。

木の柄杓と小さなまな板も揃えた。

炊いたご飯に寿司酢を掛けてほぐすために、プラスチックのパットを買った。

布巾もある、皿と丼が一つずつあれば、あとは何とかなるだろう。


「巻き寿司」は、毎週土曜日の夕食として作ることにした。

いよいよ、実践に入る。

料理の説明は、皆さんの方がよくご存じだと思うので省きます。

巻き寿司だから、海苔は必須。

「和食・影武者」が、1パックを援助してくれた。

そして、寿司酢。

寿司酢は、酢に砂糖と塩を加えたもの。

(メモ:調合は、酢180cc・白砂糖大さじ5杯・塩大さじ1杯)

今回は、調合された寿司酢を、これも「影武者」から頂いた。

台所もないので、床に直接座り込んで作業する。

モビールを作る時と同じだ。

一合の米は150gで、炊き上がると370gになった。

茶碗のご飯で二膳分。

370gのご飯に対して、標準より少し多めの30ccの寿司酢を入れる。

これで、太巻きだと2本、細巻きだと4本が作れる。

慣れるまでは、前もって92gをサランラプして用意しておくことにした。

キュウリが入るカッパ巻きは、すぐに習得できた。

マグロの刺身がないので、鉄火巻きは作れない。

マゲランでは、カルフォルニア・ロールの方が喜ばれるだろう。

酢飯が表になるカルフォルニア・ロールは、うまく巻けずに苦戦した。

具に、キュウリにアボガトと人参、キュウリに生ハム、キュウリにスモーク・サーモンなどを使った。

サランラップを巻くと使いやすくなるのを「YouTube」で知った。

細巻きを作ると、酢飯が3本に少しあまる。

切り分けてから、もう一度巻き簀で形を整える。

早い段階で、包丁を購入した。

包丁に水を浸すと切りやすくなるのも、切ったあと包丁を濡れ布巾で拭き取るのも「YouTube」で知った。

食べる時には、キューピー・マヨネーズを使った。

キューピーは高価なので、現地ではローカルの「Mama Suka (Minyak Kedelai 67%. Telur6%)」を使うことになるだろう。

6回目の土曜日で、何とか形が整うようになった。

これ以上、技術の進歩は望めない。

あとは、現地の本番で覚えることにする。

条件は違うが、売り物じゃないので、許してくれるだろう。

バダさんたちにも、一緒に巻いてもらおうと目論んでいる。

彼らの好みの具を入れてもらうつもりだ。

楽しい「巻き寿司パーティ」が、目に浮かぶ。

4月に1ヶ月ほどの滞在で、マゲランを訪れる予定でいる。


posted by ito-san at 23:06| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする