2019年04月26日

ジャラン・ジャラン @ マゲラン滞在!(306)

19日の満月の夜「Kafe Mpat」で、アーチストを集めたイベントが行われた。

午後5時からの開場で、ライブ・ミュージックが始まる8時までフリータイム。

コーヒーを飲みながら、オシャベリをする人。

スケッチをする人、景色や満月の写真を撮る人など、それぞれ時間を楽しんでいた。

ライブ・ミュージックは、マゲランの街から来た6人編成で、ギター、ベースに民族楽器を加えたユニークな音色を奏でるグループだった。

客席には、20数名のファンとイベント参加者が。

午後11時過ぎまで盛り上がっていた。

私は、午後1時からバナナ・ペーパー・作りのワークショップをした。

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バナナ・ペーパーは、バナナから作る紙ですが、実ではなくて、実を収穫したあとの不要となった幹の繊維を取って作ります。

南米コロンビアに旅した2015年5月以来のワークショップです。

その時の話は「バナナ紙作り@ CHICHAN(31)」http://itosan-ubud.seesaa.net/article/419931388.htmlを読んでください。

想像以上に簡単に紙ができるのを見て、みな一様に驚く。

興味を持つ人が多く、27日にも開催することになった。

貧しい家庭の子供達を援助している女性は、援助資金を作る手段としてバナナ・ペーパーを考えていた。

一軒のバルコンデスのスタッフも興味を持ってくれた。

人の役に立てるとすれば、幸いなことだ。


今日の本題は、散歩(ジャラン・ジャラン=Jalan Jalan)の話。

ジャラン・ジャランはインドネシア語。

スンダ語もジャラン・ジャランだが、ジャワ語は、まったく違う言葉だった。

インドネシア語も充分に話せないので、今のところ、ジャワ語もスンダ語も覚える気はない。

とは言え、調べてはみた。

ジャワ語の散歩は、丁寧語がMlapah Mlapahで一般語はMlaku Mlakuと教えられた。

バダ一家は、毎週月曜日早朝5時出発の散歩がルールとなっている。

バダさんとワオンさんは「kopi_mpat」を始める前、2人で毎日歩き回っていたそうだ。

1年以上歩き続けて、さまざまなルートを開拓した。

今のように週一でスタッフ参加になったのは、昨年10月から。

強制ではないが、健康にために提唱しているバダさんの意向を汲んで私も参加した。

早起きは苦手だが、9時には戻るので、また寝ればいいだろう。


夜明け前の暗いうちから歩き始める。

散歩の途中で撮った写真を集めてみました。

バダさんのお母さんが経営していたワルン「Bu Empat」の看板。

ウンパットは、3年前に亡くなったお母さんの名前。

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距離が違う看板。

私の目測では、150メートル。



メイン通りとT字で交わる道の角にあるワルン。

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私が前を通り過ぎる時、扉から子供が顔を出していることが多い。



湧き水が豊富なので、魚の養殖が盛んな村。

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この派手な玄関のある建物は、魚研究所と市場とか。


廃墟の窓から顔を覗かせる、この木何の木?。

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チャンディ・ムンドックに立ち寄った。

甘い香りの花が咲く木に出会った。

木の名称はサラ(=SALA)、英語名はキャノンボールと聞いた。

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1人の時とは違った角度から観察できて、新鮮だ。



呼吸法の道場を発見。

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月曜日は休日だった。

日をあらためて訪れるつもりだ。


バリで「トゥンジュン」と呼ばれる蓮の花は、いたるところで見られる。

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我々が想像する、パドマと呼ばれる蓮を見かけることは少ない。

「Kafe Epat」の池にないので、育ててくれるように頼んだ。


バリと似た風景

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こうして、少しずつ土地鑑を育てていくのであった。


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2019年04月18日

バルコンデス @ マゲラン滞在!(305)

マゲラン名物「ミー・ドゴッ(Mie Godok・Mie Godog)」を食べに外食。

ミーというからには、麺料理だろう。

「ミー・ドゴッ」は、Bakmi Godokとも呼ばれる。

初回はスープに甘いソースが入っていたので、2回目をソース無しにしてもらった。

このソース抜きが、日本の薄味ラーメンに近い味で、私には美味しかった。

Rp13,000-、およそ100円。

待つのが長く感じたので、作っているところを覗いてみた。

初回の店は2人前、2回目の店では1人前づつ作っていた。

これでは待たされるはずだ。

5人で入店して注文すると、5人目のミー・ドゴッが到着する前に、最初の人は食べ終わっている。

なぜだかな〜?




ミー・ドゴッもそうだが、マゲランに来て、初めて聞く言葉に出会うことが多い。

「バルコンデス(Balkondes)」と言う言葉も初めて聞いた。

このバルコンデスは、balei ekonomi desaを短縮した新語。

直訳すると、村の経済の建物(意味不明だけど)。

村の経済的発展を助ける制度だそうだ。

現在の大統領ジョコウィ氏が、1年ほど前から奨励した制度らしい。

素晴らしい制度などで、紹介したい。

国営企業が、村々に金銭的援助をする。

日本円でおよそ850万円と言われる。

インドネシア国営の企業は、電気、ガス、水道、石油、電話、電車、セメント、航空、などなど20社以上はある。

援助企業は、経営に口出しをしない。

そのために、専門的な管理会社が設立されている。

管理会社は、バルコンデスを観光地としてPRするのが役目だ。

バルコンデスは、村所有の土地を利用して作られる。

宿泊施設をメインにして、レストランや土産物店などが付設されていることが多い。

村の特徴を探し、特色を持った経営が望ましい。

管理会社は、1年から3年の間をサポートする。

サポート期間の間に、村人に経営ノウハウを取得してもらい、村営として成り立つようにアシストする。

その後は、自力で経営しなければならない。


バルコンデスは、世界遺産のあるボロブドゥールとジョクジャカルタで見られる。

ボロブドゥールには20の村があり、それぞれにバルコンデスがある。

そのいくつかの村を見学した。

村によって意気込みが違うのを感じた。

興味深い試みなので、成功して欲しいと願っている。

以下に、4つのバルコンデスの写真をアップします。

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posted by ito-san at 18:25| Comment(2) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月15日

チャンディ・ムンドゥ @ マゲラン滞在!(304)

インドネシアの大統領選挙を今月4月17日に控えて、各地で集会が催されている。

ジョコウィ氏の再選、プラボウォ氏の挑戦、軍配はどちらに?

この3〜4日、夕刻まで、幹線道路から爆音が聴こえてくるので「何事か?」とバダさんに聞くと。

大統選挙の立候補者を応援するデモンストレーションで、公道をバイクでアピールしているのだそうだ。

動画は、昨日13日のデモンストレーションの模様です。



マゲランには、幾度か訪れているが、まったく土地鑑はない。

自分の居住する現在地を把握するのは、必修だ。

将来的に移動手段は、バイクに乗るつもりでいるが、まずは、近場を歩いて探索するつもりでいる。

マゲランは、ジョクジャカルタと同じ盆地にある。

ケドゥ盆地と言うらしい。

私の居住している小屋からも、360度、遥か遠くまで平野は続く。

テラスから西方を望むと、稲穂の波と椰子林の向こうに、峰々を背にしたチャンディ・ボロブドゥールのシルエットが薄っすらと見られる。

遺跡は、お椀型の小高い丘で、乳頭が少し尖っているが、おっぱいのように見える。
ボロブドゥール遺跡の見学は、次回に残して、まずは近場の観光地「チャンディ・ムンドゥ(Mendut)」に行くことにした。

チャンディ・ムンドゥは、ボロブドゥール周辺の寺院遺跡群の一つであり、チャンディ・ボロブドゥールについで有名なところだ。

遺跡群は、西暦8世紀から9世紀に建立されたとか考えられている。

チャンディ・ムンドゥは、通算2度目の訪問。

前回は、チャンディ・パオンと共に見学した記憶がある。

20年ほども前の話だ。


4月6日、道草をしながら1時間ほど歩いて、チャンディ・ムンドゥに到着。

入場料金は、チャンディ・パオン(Pawon)の2カ所が見学できてRp3,000-。

プラス、保険料のRp500。

勉強不足で、チャンディ・ムンドゥの詳細は知らない。

まずは写真に残すことにした。

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出入り口の隣に、日本軍戦没者の墓が、ひっそりと建っていた。

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大東亜戦争の名残だ。

太平洋戦争、第二次世界大戦の呼び名もある。

日本の宗教団体(創価学会)の援助で建てたと言われる仏教寺院にも入った。


帰路のこと。 お腹の調子が悪くなった。

普段でもお腹はゆるいが、マゲランに来て辛い物を食べている。

それが原因で、下痢になったのかな。

あと100メートルで小屋に着くというところで、辛抱たまらず小川に飛び込んだ。

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久しぶりの川厠(かわかわや)。

こんなところが、田舎の良いところだ。


小屋に戻り、「地球の歩き方・インドネシア編」を見ると、シャイレンドラ王朝の8世紀末〜9世紀初に建立されたとに載っていた。

チャンディ内の中央に如来像、左手に観世音菩薩、右手に文殊菩薩。

中央如来像の高さは3mと言われる。

興味がなかったので、全く知らない。

おいおい、調べることにしよう。


posted by ito-san at 18:00| Comment(2) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月08日

チャンディ・ボロブドゥール @ マゲラン滞在!(303)

フェイスブックのサービスには面倒なものが多いが、有難いサービスもある。

過去の思い出を振り返ってくれるサービスは、物忘れの激しい私には嬉しい。

ブログを始めたことをフェイスブックに投稿したのは、6年前(2013年)の4月5日だったようだ。

実際には「2013年03月05日:はじめ no 一言(1)」から始まっている。

4年前のこの日は、南米コロンビアでマネーチェンジにトラブっていた。

こんなことをしてたんだと、懐かしい。

昨年のバイク事故は、4月4日。

翌朝5日の手術あと「アパ?情報センター」のワヤン君がお悔やみコメントをフェイスブックにアップしていた。

その節は、皆様に、ご心配をおかけしました。

励ましの言葉を、たくさんいただきました。

クラウドファンディングにも、協力してもらいました。

傷は完全には癒えてませんが、元気に日々を送っています。

そして、只今、マゲラン滞在中。


バダさんには、4月行くよと伝えてある。

「伊藤さんがこちらに居る時の家を今建ててる」の、メッセージとともに写真が送られてきた。

「場所はこの前使った家の池の向かいにあって、少し離れるが誰にも邪魔されず、ゆっくり住めると思います」

「周り田んぼで、遠くにチャンディ・ボロブドゥールがベランダから観れて、サンセットが楽しいです」

暖かい言葉とともに、建築中の経過が送られてくる。

「小さな木の家ですけど」

「中古の木を使っています」

テラス部分を残して、建物が出来ている。

「来週中には出来上がる予定です」

「建てたら、写真を送ります」

あっという間に、完成していた。

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まさかと思っていたら、こんな立派な小屋が完成していた。

小屋を目の前にして、本当に作ってくれたんだと感動する。

今、この小屋に泊めてもらっています。

毎日朝食は、敷地内で採れたヤングココナッツをお願いした。

ボロブドゥール遺跡が見えるテラスで・・・・・

飲みながらノンビリ・・・・

爽やかな風が通り過ぎる・・・・

流れる水の音、落ちる音・・・・

夜は、虫の音、蛍の光。



夕陽をお楽しみください。



夕食は、先回、お気に入りになったマゲラガン(Mageragan)をリクエスト。

マゲラガンは、ナシゴレンとミーゴレンが一緒になった地元マゲラン料理。

ナシゴレンとミーゴレンは、どちらも私の大好物。

これでRp10,000-は、安いでしょう。

マゲラガンをブンクス(弁当)。

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快適生活。

さあ、これから何しようかな?

posted by ito-san at 22:43| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月04日

長距離バスに乗ってジョクジャカルタへ!(302)

ジョクジャカルタへ行く。

昨年(2018年)11月17日、バダさん&リカさんの結婚式に訪問して以来だ。

(バダさん、リカさん、結婚おめでとう!(285)http://itosan-ubud.seesaa.net/article/462995643.html

今回は、長距離バスを利用することにした。

長距離バスを利用するのはジャカルタを往復した1990年と、数年前にジョクジャカルタからバリまでの復路の2度経験している。

トラックとバスが繰り広げるチキンレースに、肝を冷やされた記憶がある。

1990年のチキンレースは、おちおち眠っておられないほど、凄かった。

あれから年月が経過し、道路も整備され、運転のマナーも改善されたであろう。

久々に、長距離バスに乗ってみたいと思った。

それに「SAFARI DHARMA RAYA」のバスが、マゲランの目的地から2キロの地点(palbapang)に止まってくれるのもありがたい。

チケットは、ウブドの「プラマ・シャトル」で扱っている。

2週間前に購入して、座席を前列の左「1A」を確保した。

料金Rp250,000-。

バリの発着地は、ムングイに完成したバスターミナル。

友人に送ってもらい、いよいよ出発。

ジョクジャカルタまで16時間のバスの旅が始まる。

心配なのは、腰が痛くならないかということ。

4月1日:午後3時発のバスは、2時30分に変更となり、実際には2時43分に発車した。

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おやつが配られた。
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バリ島西端にあるフェリー乗り場ギリマヌク港に、到着。

6時10分、フェリーはギリマヌク港を出て、対岸の街バニワンギのクタパン港に向けて直進した。

フェリー内でバスから降りるタイミングで車掌に、palbapangでの下車を願いして、Rp50,000-の付届けた。

運転手&車掌の交代があるかもしれないが、ここは運に任せるしかないだろう。

(運転手2名、車掌1名は、運良く最後まで変わることはなかった。)

バニワンギは、10月11日のバイクの小旅行以来。

この時の乗船では、警察によるパスポート(フォトコピーを使用)と荷物のチェックがあった。

チェックは、テロ対策だろう。

その時の話は「突然、思い立ったように小旅行・その3(280)http://itosan-ubud.seesaa.net/article/462332028.html」に書いた。

バスでの乗船では、何のチェックもなし。

チケット購入の際に、身分証明がされているからだろう。

フェリーでは、バニワンギ出身のおじさんに声をかけられ、1時間の船旅を退屈することなく過ごすことができた。

7時36分、バニワンギ港に上陸。

10時00分〜40分、ドライブインにて夕食。

おやつと夕食がついて、Rp250,000-の乗車券は安い。

付届けのRp50,000-を足してもRp300,000-

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今回、非常に気になったのがバイク。

車掌がひんぱんに「アワス=Awas=気をつけろ!」と声を発するので見ると、バイクがバスの前に入って来るところだった。

車高の高いバスは、フロント前の足元が見難い。

バスのスピードを考えず、突然、車道に入ってくるバイクに「アワス!」。

沿道を走る不安定走行のバイクに危険を感じ「アワス!」。

もっと恐ろしことを、夜になって目撃。

街灯が乏しい道は暗い。

バスの前を走るバイクの姿は、ボンヤリとしたシルエットで見えるだけ。

前から来る車のライトで照らされた時だけ、浮き上がる。

私が運転していなら、追突してしまいそうだ。

なぜ、こんなに見難いのかと考える。

テールランプが点いていない。

赤く光る反射板もないのだ。

きっと、ヘッドライトも灯ってないだろう。

追い越したバスから振り変えると、ヘッドライトの心細い灯が見えた。

完璧な未整備車だ。

かなり年代物のバイクが走っている。

ほとんどのバイクがこんな状態。

これでよく事故が起きないものだと感心する。


途中2度、時間調整のような休憩をした。

ジョクジャカルタに着いたあたりから、スマホでバダさんと連絡をとる。

翌朝2日の9時に「palbapang」に降り立った。

バダさんが、迎えに来てくれていた。


posted by ito-san at 20:01| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする