午後5時からの開場で、ライブ・ミュージックが始まる8時までフリータイム。
コーヒーを飲みながら、オシャベリをする人。
スケッチをする人、景色や満月の写真を撮る人など、それぞれ時間を楽しんでいた。
ライブ・ミュージックは、マゲランの街から来た6人編成で、ギター、ベースに民族楽器を加えたユニークな音色を奏でるグループだった。
客席には、20数名のファンとイベント参加者が。
午後11時過ぎまで盛り上がっていた。
私は、午後1時からバナナ・ペーパー・作りのワークショップをした。

バナナ・ペーパーは、バナナから作る紙ですが、実ではなくて、実を収穫したあとの不要となった幹の繊維を取って作ります。
南米コロンビアに旅した2015年5月以来のワークショップです。
その時の話は「バナナ紙作り@ CHICHAN(31)」http://itosan-ubud.seesaa.net/article/419931388.htmlを読んでください。
想像以上に簡単に紙ができるのを見て、みな一様に驚く。
興味を持つ人が多く、27日にも開催することになった。
貧しい家庭の子供達を援助している女性は、援助資金を作る手段としてバナナ・ペーパーを考えていた。
一軒のバルコンデスのスタッフも興味を持ってくれた。
人の役に立てるとすれば、幸いなことだ。
今日の本題は、散歩(ジャラン・ジャラン=Jalan Jalan)の話。
ジャラン・ジャランはインドネシア語。
スンダ語もジャラン・ジャランだが、ジャワ語は、まったく違う言葉だった。
インドネシア語も充分に話せないので、今のところ、ジャワ語もスンダ語も覚える気はない。
とは言え、調べてはみた。
ジャワ語の散歩は、丁寧語がMlapah Mlapahで一般語はMlaku Mlakuと教えられた。
バダ一家は、毎週月曜日早朝5時出発の散歩がルールとなっている。
バダさんとワオンさんは「kopi_mpat」を始める前、2人で毎日歩き回っていたそうだ。
1年以上歩き続けて、さまざまなルートを開拓した。
今のように週一でスタッフ参加になったのは、昨年10月から。
強制ではないが、健康にために提唱しているバダさんの意向を汲んで私も参加した。
早起きは苦手だが、9時には戻るので、また寝ればいいだろう。
夜明け前の暗いうちから歩き始める。
散歩の途中で撮った写真を集めてみました。
バダさんのお母さんが経営していたワルン「Bu Empat」の看板。
ウンパットは、3年前に亡くなったお母さんの名前。


距離が違う看板。
私の目測では、150メートル。
メイン通りとT字で交わる道の角にあるワルン。

私が前を通り過ぎる時、扉から子供が顔を出していることが多い。
湧き水が豊富なので、魚の養殖が盛んな村。

この派手な玄関のある建物は、魚研究所と市場とか。
廃墟の窓から顔を覗かせる、この木何の木?。

チャンディ・ムンドックに立ち寄った。
甘い香りの花が咲く木に出会った。
木の名称はサラ(=SALA)、英語名はキャノンボールと聞いた。


1人の時とは違った角度から観察できて、新鮮だ。
呼吸法の道場を発見。

月曜日は休日だった。
日をあらためて訪れるつもりだ。
バリで「トゥンジュン」と呼ばれる蓮の花は、いたるところで見られる。



我々が想像する、パドマと呼ばれる蓮を見かけることは少ない。
「Kafe Epat」の池にないので、育ててくれるように頼んだ。
バリと似た風景

こうして、少しずつ土地鑑を育てていくのであった。