7月25日:午前8時30分、ギリ・アイルを後にする。
航行15分で、バングサル港に到着。
下船も浜辺。
抜かりなくビーチサンダルを履いている。
バイク預かり場に向かう。
預かり場の受付に、鍵を振ってスタッフの若者が待っている。
「鍵の抜いて行ってください、と言ったのに」と呆れ顔を見せた。
私は、鍵をつけて行ってくれと、勘違いしたようだ。
確かに、鍵のつけっぱなしは考えられない。
スクピーにまたがって戻ってくると、今度は「お金を払っていけ」と不機嫌顔。
帰って来た時に支払いを済ますシステムだが、私の場合、鍵のやり取りをしていて失念していた。
預けた時に、前金で払っていたとも思っていた。
支払いを済ませ、埠頭を後にする。
港からの一本道には、ガソリンを小瓶に入れて売るワルンが何件もある。
暇そうにしているおばさんのいるワルンで、ガソリンを満タンにしてもらう。
T字路を、来た時とは反対の左手に向かう。
いよいよ、ロンボク島外周ツーリングの始まりだ。
海岸線に沿って走る。
午前9時、街道のワルンで、朝日を眩しく浴びながらの朝食。
ビーチサンダルをスニーカーに履き替える。
海岸に沿って走る道路だが、海は見えない。
右手は、リンジャニ(Rinjani)山を控えたブッシュが続く。
田んぼの風景は、見られない。
緑豊富なバリ島から来ると殺伐としたものを感じる。
ロンボク島から東は、こんな感じの島々になる。
北海岸の真ん中あたり。
AnyarとBayanの町に来た。
事前の下調べでは、この辺りにヒンドゥー寺院や滝がある。
巡る予定だったが、グーグルマップが使いこなせずに断念。
浜辺が見えるレストランがあれば、そこで休憩するつもりだ。
時間の都合によっては、宿を探してもいい。
しかし、レストランもワルンも、宿も見当たらない。
ここまで来たら、いっきにスンバワ島へのフェリー乗り場まで行って宿を探そう。
幾つかの風景を写真や動画に収めながら、バイクツーリングは続く。
ツーリングは好調。
ジュプン(プルメリア)の花は、バリのヒンズー教では供物や舞踊の飾り花に使う。
ジャワでは葬式や墓など、死者のために使うお花のようです。
右手上方には、リンジャニ(Rinjani)山の頂が見下ろすように覗いている。
太陽の傾きが、道路が東海岸に回り込んだのを教えてくれる。
海岸線が見えたので、アクションカメラを装着した。
残念なことに、入力操作を間違えたようで何も写っていなかった。
裾の広がった異様な大樹が、100メートルほど連なっている。
自家用車の止まっている広場がある。
隅に掘っ立て小屋のワルンがあり、数人のお客の姿が見える。
時間は昼12時を回ったところ。
ここで休憩しようかと考えたが、なぜか二の足を踏んだ。
フェリー乗り場へ道を、見過ごしてしまったらしい。
海岸沿いを走りたかったが、交通量の多い幹線道路に入っていた。
いつの間にかプラヤ(Praya)の街に近づいている。
こうなったらロンボク・クタまで直行だ。
西日が低くなり、暗くなるまでにクタに着けるか、心細くなってくる。
途中、道がわからなくなりワルンに飛び込む。
話し好きな若主人につかまり、グダグタと小休止。
午後3時、クタ・ビーチに無事到着。
2019年08月30日
2019年08月17日
ロンボク島・バイクツーリング・その参(321)
ロンボクのギリ3島は、車とバイクの走行禁止。
乗り物はドッカルだけ。
そんなことで、バイクは持ち込めない。
バングサル港周辺には、以前にはなかったバイク預かり場が何件も営業している。
預かり場は、雨風、直射日光の防げる屋根付き。
私は埠頭に近い預かり場にスクーピーを入れた。
空き地にスレート屋根を葺いた簡単な作りだ。
預かり料は、後払いで一泊Rp10,000-。
バイクを預け、船着き場に急ぐ。
駐バイク場とバイクの数を見て、かなりの乗船客がいることがわかる。
ギリ・アイル(Giri Air)行きは、高速艇の桟橋から離れた、港の北の端にある。
もしかしたら、虐げられている?
浜辺に小舟が数隻係留されている。
乗客が満員にならないと聞いていたので、長時間待つことを覚悟していたが、人気が出たのか一時間おきに小舟はでていた。
料金Rp12,000-。
運に導きられたようで、ギリ・アイルに立ち寄ることにした。
待つこと5分で乗船。
砂浜から直接乗るのは、昔と変わらなかった。
すっかり忘れていて、スニーカーは濡れてしまった。
10時25分、出航。
20分で、ギリ・アイル到着。
ギリ・アイルは、想像していたより開発されていた。
島の中心に向かってあてどもなく歩き、竹塀の宿の門をくぐった。
宿の名前は「FABIAN HOMESTAY」。
部屋数は、2つ。
料金は、一泊Rp150,000-。
チェックインのできる時間には、まだ早かった。
時間潰しに港付近を散策。
ついでにワルンで昼食。
宿に戻ると、部屋は清潔に整頓されていた。
リュックを下ろし、ベッドで横になる。
ホットシャワーでマンディを終え、島で唯一の観光であるサンセットを拝みに出かける。
宿の主人に「島を一周するドッカル(馬車)のチャーター代はRp250,000-と高いので、自転車がいいよ」とすすめられた。
私の体力で、可能な行程だということか?
レンタ・サイクル屋で、所用時間を聞くと「早くて一時間、ゆっくりで2時間」と教えられた。
料金Rp40,000-。
サンセットに間に合うには、ゆっくり走ってはおられない。
急いで走った。
砂地の道が多く、自転車を引いて歩くことの方が多い。
思ったより大変なサイクリングだ。
この砂地を抜ければ楽になると、言い聞かせ先を急いだ。
小舟の停泊する港が見えてきた。
島の反対側にも港があったのか? と疑問。
違う、レンタ・サイクルのオフィスの前を通り過ぎていたのだ。
サンセットヴューの見えるレストランに戻り、座り込む。
胸につけたアクション・カメラは、私の手元と道路しか写っていなかった。
一生懸命走ったので、カメラが下を向いてしまったのだろう。
悔しいので、そんな動画もアップしておいた。
乗り物はドッカルだけ。
そんなことで、バイクは持ち込めない。
バングサル港周辺には、以前にはなかったバイク預かり場が何件も営業している。
預かり場は、雨風、直射日光の防げる屋根付き。
私は埠頭に近い預かり場にスクーピーを入れた。
空き地にスレート屋根を葺いた簡単な作りだ。
預かり料は、後払いで一泊Rp10,000-。
バイクを預け、船着き場に急ぐ。
駐バイク場とバイクの数を見て、かなりの乗船客がいることがわかる。
ギリ・アイル(Giri Air)行きは、高速艇の桟橋から離れた、港の北の端にある。
もしかしたら、虐げられている?
浜辺に小舟が数隻係留されている。
乗客が満員にならないと聞いていたので、長時間待つことを覚悟していたが、人気が出たのか一時間おきに小舟はでていた。
料金Rp12,000-。
運に導きられたようで、ギリ・アイルに立ち寄ることにした。
待つこと5分で乗船。
砂浜から直接乗るのは、昔と変わらなかった。
すっかり忘れていて、スニーカーは濡れてしまった。
10時25分、出航。
20分で、ギリ・アイル到着。
ギリ・アイルは、想像していたより開発されていた。
島の中心に向かってあてどもなく歩き、竹塀の宿の門をくぐった。
宿の名前は「FABIAN HOMESTAY」。
部屋数は、2つ。
料金は、一泊Rp150,000-。
チェックインのできる時間には、まだ早かった。
時間潰しに港付近を散策。
ついでにワルンで昼食。
宿に戻ると、部屋は清潔に整頓されていた。
リュックを下ろし、ベッドで横になる。
ホットシャワーでマンディを終え、島で唯一の観光であるサンセットを拝みに出かける。
宿の主人に「島を一周するドッカル(馬車)のチャーター代はRp250,000-と高いので、自転車がいいよ」とすすめられた。
私の体力で、可能な行程だということか?
レンタ・サイクル屋で、所用時間を聞くと「早くて一時間、ゆっくりで2時間」と教えられた。
料金Rp40,000-。
サンセットに間に合うには、ゆっくり走ってはおられない。
急いで走った。
砂地の道が多く、自転車を引いて歩くことの方が多い。
思ったより大変なサイクリングだ。
この砂地を抜ければ楽になると、言い聞かせ先を急いだ。
小舟の停泊する港が見えてきた。
島の反対側にも港があったのか? と疑問。
違う、レンタ・サイクルのオフィスの前を通り過ぎていたのだ。
サンセットヴューの見えるレストランに戻り、座り込む。
胸につけたアクション・カメラは、私の手元と道路しか写っていなかった。
一生懸命走ったので、カメラが下を向いてしまったのだろう。
悔しいので、そんな動画もアップしておいた。
2019年08月10日
ロンボク島・バイクツーリング・その弐(320)
7月24日:8時起床。
今日はガルンガン祭礼日当日。
朝食のコピ・ロンボクとトーストが、テラスの準備されていた。
きのう、バリ食ラワールを希望したが受入れられなかったようだ。
薄雲地の空を見上げ、トーストをかじる。
目の前に、ロスメンの家寺が見える。
お祈りさせてもらうつもりでいたが、ウブドと比べ気合が入っていない飾り付けに、私の気持ちが失せた。
町にあるプラ(寺院)も、ハレの姿はみられなかった。
バリの正装を持ってきたが、着替える機会はないかもしれない。
コピを啜りながら、荷作り。
当初の計画では、反時計周り考えていたが、マタラムからなら時計周りがベストだろう。
途中、アンペナン(Ampenan)の町を通る。
アンペナンは思い出のある町。
バリ・ウブドに滞在する前(1990年)は、ギリ・トラワンガンに長期滞在する予定だった。
日本を発つ前、いろいろと生活の手段を考えたことが懐かしい。
2度と日本に帰ることはないだろうと、決死の覚悟で訪れている。
下見に来た時の定宿がここだった。
立ち寄ってみた。
廃業して荒れ果てていた。
アンペナンは、ロンボク島一の規模を持つ港町。
ジャワ島、シンガポール、香港などを行き来する船の貨物港として使われている。
今は活気がなくなっているが、その昔は人の往来も多く、倉庫や宿が軒を連ねていたと思われる古き良き時代を懐古できる建物が残っている。
再利用できないものだろうかと、イベント気質が顔を覗かせた。
午前9時、アンペナンを後にした。
スクピーの調子は、すこぶるご機嫌。
途中の街道沿いのワルンで、休憩がてらの軽い食事。
10時05分、リゾート地ビーチのスンギギを(Senggigi)通過。
今回の旅で、ギリ3島に寄ることは考慮に入れていない。
2018年の地震の影響で、観光客が激減しているとは聞いている。
廃墟を見るのも忍びない。
今夜の宿の確保を考えると、ギリ3島のどこかで泊まる選択もありではないかと思い始めている。
予定のない自由気ままな旅。
ギリ・トラワンガン(Gili Trawangan)には、知人のヴィラがある。
ギリ・メノ(Gili Meno)には、知人が住んでいる。
海岸に近いギリ・アイル(Giri Air)には、行ったことがない。
立ち寄るとすれば、ギリ・アイルだ。
知人を訪ねない私は、薄情な奴。
以前、ギリ3島へ渡るにはバングサル(Bangsal)港からローカルの小舟を利用するしかなかった。
それも不定期で、乗客(約30名)が集まらないと出航しない。
ギリ・トラワンガンの人気が沸騰し、今は、バリから高速艇が頻繁に出航している。
ほとんどのツーリストが高速艇を利用するので、小舟の利用者は少ないだろう。
船便の都合に運が導きられれば、渡ってみよう。
とりあえず、バングサル(Bangsal)港に向かうことにした。
ドッカル(馬車)の姿を見て、29年前を回顧する。
バングサル港は、すっかり近代化さてていた。
港に、回顧の面影はなかった。
今日はガルンガン祭礼日当日。
朝食のコピ・ロンボクとトーストが、テラスの準備されていた。
きのう、バリ食ラワールを希望したが受入れられなかったようだ。
薄雲地の空を見上げ、トーストをかじる。
目の前に、ロスメンの家寺が見える。
お祈りさせてもらうつもりでいたが、ウブドと比べ気合が入っていない飾り付けに、私の気持ちが失せた。
町にあるプラ(寺院)も、ハレの姿はみられなかった。
バリの正装を持ってきたが、着替える機会はないかもしれない。
コピを啜りながら、荷作り。
当初の計画では、反時計周り考えていたが、マタラムからなら時計周りがベストだろう。
途中、アンペナン(Ampenan)の町を通る。
アンペナンは思い出のある町。
バリ・ウブドに滞在する前(1990年)は、ギリ・トラワンガンに長期滞在する予定だった。
日本を発つ前、いろいろと生活の手段を考えたことが懐かしい。
2度と日本に帰ることはないだろうと、決死の覚悟で訪れている。
下見に来た時の定宿がここだった。
立ち寄ってみた。
廃業して荒れ果てていた。
アンペナンは、ロンボク島一の規模を持つ港町。
ジャワ島、シンガポール、香港などを行き来する船の貨物港として使われている。
今は活気がなくなっているが、その昔は人の往来も多く、倉庫や宿が軒を連ねていたと思われる古き良き時代を懐古できる建物が残っている。
再利用できないものだろうかと、イベント気質が顔を覗かせた。
午前9時、アンペナンを後にした。
スクピーの調子は、すこぶるご機嫌。
途中の街道沿いのワルンで、休憩がてらの軽い食事。
10時05分、リゾート地ビーチのスンギギを(Senggigi)通過。
今回の旅で、ギリ3島に寄ることは考慮に入れていない。
2018年の地震の影響で、観光客が激減しているとは聞いている。
廃墟を見るのも忍びない。
今夜の宿の確保を考えると、ギリ3島のどこかで泊まる選択もありではないかと思い始めている。
予定のない自由気ままな旅。
ギリ・トラワンガン(Gili Trawangan)には、知人のヴィラがある。
ギリ・メノ(Gili Meno)には、知人が住んでいる。
海岸に近いギリ・アイル(Giri Air)には、行ったことがない。
立ち寄るとすれば、ギリ・アイルだ。
知人を訪ねない私は、薄情な奴。
以前、ギリ3島へ渡るにはバングサル(Bangsal)港からローカルの小舟を利用するしかなかった。
それも不定期で、乗客(約30名)が集まらないと出航しない。
ギリ・トラワンガンの人気が沸騰し、今は、バリから高速艇が頻繁に出航している。
ほとんどのツーリストが高速艇を利用するので、小舟の利用者は少ないだろう。
船便の都合に運が導きられれば、渡ってみよう。
とりあえず、バングサル(Bangsal)港に向かうことにした。
ドッカル(馬車)の姿を見て、29年前を回顧する。
バングサル港は、すっかり近代化さてていた。
港に、回顧の面影はなかった。
2019年08月03日
ロンボク島・バイクツーリング・その壱(319)
23日:午前7時。
「トントントン・・・・」
小気味良い音が、壁越しに聴こえてくる。
ガルンガン祭礼日のご馳走を作る音だ。
明日24日は、部外者の私が疎外感を味わうガルンガン祭礼日。
25日は、私めの72回目の誕生日。
今更、祝われるのも気恥ずかしい。
そんなわけで、隣のロンボク島に逃避することにした。
1998年に、愛車キジャンで島内一周をしたことがある。
今回は、愛バイク・スクピーで一周の計画だ。
ロンボク島には、10年前に高速艇でギリ・トラワンガン(Gili Trawangan)に渡って以来。
久しぶりの訪問になる。
ご馳走作りに励む大家さん家族に「旅に出る!」と告げて家を出た。
普段は昼まで寝ているのに、旅の時は、なぜか早く起きられる。
スクピーのオイルも交換したし、タイヤのチェックも終え、壊れていたスピードメーターも直した。
準備万端。
午前7時40、バリ島東部のパダンバイ(Padanbai)港に向けて出発。
パダンバイ港には、8時50分着。
走行距離のメーターは、34005.6 を指している。
ロンボク島一周は、何キロ走行することになるだろう。
フェリーの料金は、Rp125,000-。
高くない?!
料金場のオヤジを疑ってしまう。
プラマ社で聞いたシャトルバスの料金は、ウブドからギリまででRp150,000-。
ガイドブックには、乗船料Rp45,000-と書いてある。
思い出した、これは乗客1名の料金だ。
今回は、バイクで乗船だったのを忘れていた。
フェリーの出航は、9時50分。
スクピーは、フェリーの片隅に乗っている。
これから、こいつとの旅が始まる。
客室設備の整ったフェリーで、リクライニング・シートと二段ベッドの睡眠スペースがある。
乗船時間は5時間の予定。
デッキには日光浴する欧米人ツーリストの姿がある。
ギリ3島やロンボク・クタに、行くのだろう。
バリからバイクで来ているツーリストも多い。
ロンボク島レンバール(Lembar)港には、15時00分に着岸した。
波が穏やかだったからか、予定通りの到着だ。
乗船もそうだったが、下船も気抜けするほどのノーチェック。
マタラム(Mataram)市には30分ほどで着いたが、すぐに見つかるつもりだった目的地「オカ・ホームステイ」の場所がわからない。
オカ・ホームステイは、マタラムでの私の定宿。
これまでは、プラマ社のシャトルバスで来ていたので、プラマのオフィスからの道順しか知らなかった。
オカ・ホームステイは、バリ人の多く住む村の中にあったはず。
ガルンガンのペンジュールが立つ通りに行けば、なんとかなると考えていたのが、大間違いだった。
ロンボクには多くのバリ人が住んでいて、ペンジュールの立っているところがたくさんある。
実は今回の旅の目的の一つに、ロンボクのガルンガン祭礼日の体験がある。
ニュピは一度体験したことがあるが、ガルンガンは初めてなので楽しみにしている。
スマートフォンをオンにして、グーグルマップを開き探した。
目的地はわかったが、道順がわからない。
操作の仕方が知らないからだ。
あっちに行っては止まり、こっちに行っては止まりして、尋ねた。
そんなことで、2時間近くも彷徨ってしまった。
オカ・ホームステイは、マタラムの隣町・チャクラヌガラ(Cakranegara)にあった。
17時00分:オカ・ホームステイに到着。
暗くなるまでに宿の着きたかったので、かなり焦ったゾ。
宿探しは、今後も課題だ。
「スマートフォンで予約ができるじゃないか」の声が聞こえてきそうですが、私にはできないに任務です。
今日の走行予定は、ここまで。
オカ・ホームステイは、以前のままの佇まいだった。
10部屋あり、エアコン付きがRp200,000-で、扇風機付きはRp125,000-。
私は安い部屋にした。
ウエルカム・ドリンクで一服。
マンディ(水浴び)を済ませ、一寝入り。
夜は、近くを散策した後、道端のワルンで夕食。
無事に来られたことに感謝。
明日も、気を引き締めて行こう!
おやすみなさい。
「トントントン・・・・」
小気味良い音が、壁越しに聴こえてくる。
ガルンガン祭礼日のご馳走を作る音だ。
明日24日は、部外者の私が疎外感を味わうガルンガン祭礼日。
25日は、私めの72回目の誕生日。
今更、祝われるのも気恥ずかしい。
そんなわけで、隣のロンボク島に逃避することにした。
1998年に、愛車キジャンで島内一周をしたことがある。
今回は、愛バイク・スクピーで一周の計画だ。
ロンボク島には、10年前に高速艇でギリ・トラワンガン(Gili Trawangan)に渡って以来。
久しぶりの訪問になる。
ご馳走作りに励む大家さん家族に「旅に出る!」と告げて家を出た。
普段は昼まで寝ているのに、旅の時は、なぜか早く起きられる。
スクピーのオイルも交換したし、タイヤのチェックも終え、壊れていたスピードメーターも直した。
準備万端。
午前7時40、バリ島東部のパダンバイ(Padanbai)港に向けて出発。
パダンバイ港には、8時50分着。
走行距離のメーターは、34005.6 を指している。
ロンボク島一周は、何キロ走行することになるだろう。
フェリーの料金は、Rp125,000-。
高くない?!
料金場のオヤジを疑ってしまう。
プラマ社で聞いたシャトルバスの料金は、ウブドからギリまででRp150,000-。
ガイドブックには、乗船料Rp45,000-と書いてある。
思い出した、これは乗客1名の料金だ。
今回は、バイクで乗船だったのを忘れていた。
フェリーの出航は、9時50分。
スクピーは、フェリーの片隅に乗っている。
これから、こいつとの旅が始まる。
客室設備の整ったフェリーで、リクライニング・シートと二段ベッドの睡眠スペースがある。
乗船時間は5時間の予定。
デッキには日光浴する欧米人ツーリストの姿がある。
ギリ3島やロンボク・クタに、行くのだろう。
バリからバイクで来ているツーリストも多い。
ロンボク島レンバール(Lembar)港には、15時00分に着岸した。
波が穏やかだったからか、予定通りの到着だ。
乗船もそうだったが、下船も気抜けするほどのノーチェック。
マタラム(Mataram)市には30分ほどで着いたが、すぐに見つかるつもりだった目的地「オカ・ホームステイ」の場所がわからない。
オカ・ホームステイは、マタラムでの私の定宿。
これまでは、プラマ社のシャトルバスで来ていたので、プラマのオフィスからの道順しか知らなかった。
オカ・ホームステイは、バリ人の多く住む村の中にあったはず。
ガルンガンのペンジュールが立つ通りに行けば、なんとかなると考えていたのが、大間違いだった。
ロンボクには多くのバリ人が住んでいて、ペンジュールの立っているところがたくさんある。
実は今回の旅の目的の一つに、ロンボクのガルンガン祭礼日の体験がある。
ニュピは一度体験したことがあるが、ガルンガンは初めてなので楽しみにしている。
スマートフォンをオンにして、グーグルマップを開き探した。
目的地はわかったが、道順がわからない。
操作の仕方が知らないからだ。
あっちに行っては止まり、こっちに行っては止まりして、尋ねた。
そんなことで、2時間近くも彷徨ってしまった。
オカ・ホームステイは、マタラムの隣町・チャクラヌガラ(Cakranegara)にあった。
17時00分:オカ・ホームステイに到着。
暗くなるまでに宿の着きたかったので、かなり焦ったゾ。
宿探しは、今後も課題だ。
「スマートフォンで予約ができるじゃないか」の声が聞こえてきそうですが、私にはできないに任務です。
今日の走行予定は、ここまで。
オカ・ホームステイは、以前のままの佇まいだった。
10部屋あり、エアコン付きがRp200,000-で、扇風機付きはRp125,000-。
私は安い部屋にした。
ウエルカム・ドリンクで一服。
マンディ(水浴び)を済ませ、一寝入り。
夜は、近くを散策した後、道端のワルンで夕食。
無事に来られたことに感謝。
明日も、気を引き締めて行こう!
おやすみなさい。