なんと、6時間走りっぱなしだった。
ロンボク島の南海岸にあるクタ・ビーチは、すっかり様変わりしていた。
入り口には波乗りのモニュメントが建ち、記憶の欠片も見当たらない。
本当に、ここで良いのかと戸惑ってしまう。
目指した安ロスメンは見当たらず、海岸沿いに向かうと、ゲートがあり車&バイクの乗り入れのチェックがある。
海岸沿いの道路は、広い石畳となり全面遊歩道になっていて、リゾート化している。
以前にあった、バンガロー棟は消え、新しいホテルが建っていた。
どれだけ変貌したか1996年4月15日発行の「極楽通信・UBUD Vol.13」に、小田蘭丸のペンネームで私が投稿した記事があるのでそれを読んでもらいたい。
クタの村を入り、四つ角を左に折れると海岸線に並行して路肩の朽ちたアスファルトの一本道が続く。
右手に海岸、左手にはバンガローが点在している。
シャトルバスは、「Segara Anak」バンガローの前に止まった。
売店のような小屋は、プラマ社のオフィスだ。
15、6歳の少年がバンガローの客引きに来るが、彼らの世話にならずにバンガローは簡単に探せる。
バンガローは一軒一軒が広い敷地を持っていて、レストランを併設しているところが多い。
部屋はいたって質素で、ウブドのバンガローを想像すると雲泥の差である。
海岸はリアス式で、入江になっている。
道路脇はくるぶしまで埋まってしまう白いパウダー状の砂だが、浜辺は2mmほどの豆粒状の砂だった。
近くには未開発の海岸が無数にあり、どの海岸の水も限りなく透明に近いブルーで、すこぶる美しい。
最近、リゾート地として名が知られてきたが、プール付きの立派なホテルはまだない。
かつてのギリ諸島がそうであったように、荒地に簡素な建物が建っているだけである。
宿代は安いが、かなりチープな旅に慣れた人でないと宿泊は難しいかもしれない。
料金は、Rp5,000〜Rp25,000-まで。
ブランケットのないところもあるようなので、サロン(布)を用意して行くのがよいだろう。
バンガローでレンタルの自転車やバイクを手配してくれる。
自転車はRp5,000-、バイクはRp15,000-。
バイクは数が少ないためかレンタル料は高め。
バイクを借りて村を一望できる丘まで登ると、眼下に広がる風景は原始そのままを思わせる。
海岸には子供たちのパイナップルやマンゴ売りが、かなりしつこくつきまとって来る。
遠出でして他の海岸へ行くのも良いが、体長60cmほどもあるトカゲが道を飛び出してくるので要注意。
海岸は、すでにインドネシア政府に買い占められ、今建っている海岸沿いのバンガローはすべて西側に強制的に移動させられ、その跡地にはドイツ、スイス、日本などの外国資本の高級ホテルが建つリゾート計画があると聞いた。
新国際空港がプラヤ(PRAYA)に1996年に着工され、2000年開港の予定だ。
そのころには、ロンボク島クタも一大リゾート地になっていることだろう。
23年ぶりに訪れて、予想した通りになっていた。
参考のために、1996年に作ったイラストマップを添付しておく。
とりあえず、以前の面影を残す崩れかかったバンガローに入った。
名前は「SURFERS INN」。
目の前の海岸に、サーファーの姿はない。
フロントには誰の姿もなく、庭に座り込んでスマホを見ている3人の若者に声を掛ける。
リーダと思われる女性が立ち上がり、部屋の説明をする。
進んでお客を勧誘するつもりはないようだ。
部屋数が多いのに、客の姿が見えない。
オーナー不在で、スタッフはやる気をなくしているようだ。
このバンガロー、数年後には無くなっているだろうと、お節介な気分になる。
クーラー&ホットシャワー付きRp30,0000-の部屋を、朝食なしでRp150,000-で値段交渉成立。
WIFIがあると言っていたが一番奥の部屋で、電波は届いていなかった。
部屋は清潔で、申し分なかった。
暑いイメージのあったクタだったが、陽射しが強い割りに暑くなかった。
部屋のクーラーも必要はなかった。
今日は、私の72歳の誕生日。
独り物思いにしたりながら、ワルンで夕食。
今回の旅の目的のひとつに、誕生日を独り静かに迎えたいというのもあった。
人生を振り返り、余生を熟考する。