2019年12月28日

愛猫チビタとのお別れ(336)

この頃、チビタの姿が見えない。

気になってはいるのだが、パチュンの家族に聞く勇気がない。

チビタは、私の愛猫の名前。

「ブンブン・カフェ」の時代からの付き合いだ。

ブンブン・カフェは、1998年から2006年までの8年間、ARMA正面玄関西隣にあった雑貨&カフェ。

ミクシイ(古っ!)とブログを回顧して、年月を確認してみた。

2006年8月、子猫が一匹、交通量の多い道路をヨチヨチと渡ってくる。

脇目もふらずに、一直線で店に入ってきた。

近づくと、足元にまとわりついた。

生後一ヶ月ほどか、目が開いたばかりのメス猫は、人懐っこかった。

一匹だけ捨てられたとは思えないので、迷い子とも考えられる。

飼い主か母猫が、捜しているかもしれない。

あたりを見回してみる。

道を渡って捜してみたが、それらしい姿は見えない。

母猫が捜しにくるかもしれないので、ブンブン・カフェの裏にある作業場に寝床を用意した。

チビタは、ブンブン・カフェの来店者の魂を掴んで人気者になった。

幸いというか、生憎というか、母猫も飼い主と思われる人物も現れない。

その後、私がトゥブサヨ村に引っ越すのを機会に同居することになる。

トゥブサヨ村滞在は、約5年間。

テガランタン村のグスティ・パチュン家に移り住んだのは、2013年から。

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2014年、私は25年ぶりの日本一時帰国を果たした。

帰国期間の2ヶ月は、パチュンの家族が面倒をみてくれた。

コロンビア移住計画で、パチュン家を引き払うことになった。

2015年02月に、後釜の住人に知人を紹介して旅発った。

チビタの世話は、知人が引き受けてくれた。

5月には、日本トランジット帰国の2ヶ月を経てコロンビアに向かった。

結果6ヶ月で帰って来てしまうのだが。

友人、知人には「帰ってくると思った!」と言われた。

その話は「南米コロンビアの旅」で、お楽しみください。

夢破れ、ウブドに戻って来たがパチュン家には知人が居る。

チビタの世話は、知人に続投してもらうことにした。

S田さんの借家を間借りしながら、テガランタン村を中心に、安下宿捜し。

古くからの知人・セナ家が、低価格で部屋を用意してくれた。

2016年から、セナ家に厄介になる。

チビタの様子を見に、たびたびパチュン家を訪れる。

私を覚えているようで、体をぶつけて甘えてくる。

2017年に知人がパチュン家を出たが、リフォームする必要があるからと借りられなかった。

知人がいなくなってから、チビタは年々、薄汚れて精彩がなくなっていく。

生い先が短いことを告げているように感じる。

早く移り住んで、チビタの面倒をみたい。

しかし私は、2020年4月から中部ジャワのボロブドゥール移住を考えている。

10月の1ヶ月のボロブドゥール滞在を期に、セナ家を出た。


2019年11月から、再びパチュン家に戻る。

チビタは、私の部屋には入って来ようとしない。

出会ってから、すでに13年を過ぎていた。

猫の年齢を斉藤式で計算すると、チビタは82歳の高齢だった。

1週間前、テラスの階段前で見かけてから姿を見ていない。

人前に姿を見せず、死期を迎える猫がいると聞いている。

真偽のほどは定かじゃないが、私はそう信じている。

テラスの前をうろうろしていたのは、別れの挨拶に来ていたのだろうか。

13年間、癒してくれてありがとう。

安らかにお休み。

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2013年04月12日:■愛猫「ちびた」(13)
http://itosan-ubud.seesaa.net/article/355051506.html
2013年08月09日:■愛猫ちびた&レーシー(47)
http://itosan-ubud.seesaa.net/article/371566565.html
2014年12月25日:■愛猫 “ちびた” のその後(90)
http://itosan-ubud.seesaa.net/article/411268980.html

■猫の年齢の換算法=斉藤式
生後12ヶ月を人間の20歳とみなし、1〜5歳を成人期とし、猫の年齢に6をかけ15を足した値を人間の歳とみなす。たとえば、猫2歳は、2×6+15=27。
6〜10は、中高年期で、換算式は、猫の年齢×5+20。
11〜15は、高齢期で、猫の年齢×4+30。
16歳以上が老齢期、猫の年齢×3+45。


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2019年12月23日

ピアスの穴あけは、通過儀礼(335)

世界には、様々な奇習がある。

グーグルで調べてみると。

★素手でサメを捕獲する(パプワ・ニューギニア)

★ライオンを狩る(マサイ族)

★木のツルで足首を縛り、30メートルの高さからジャンプする(バヌアツ共和国)

★体に牛糞を塗りたくり、牛の背中を渡り歩く(エチオピア)

★毒アリがたくさん入った手袋に手を突っ込む(サテレ・マウェ族)

かなり強烈で野蛮な奇習があげられていた。

これらは、成人としての通過儀礼だ。

調べてみて、慣習を残すのも重要だが、生死を伴う奇習は考えたほうが良いと思った。


インドネシアにも、奇習といえる成人の通過儀礼がある。

先住民族の刺青の習慣。

ニアス島の、2メートル程もある岩の跳び箱を飛び超える儀礼。

勇気を試される風習だ。

インドネシアは多宗教とは言え、イスラム色の強い国。

トルコ旅行の際に、イスラム教の男児割礼に立ち会ったことがある。

意外と、男児のアッケラカンとした態度に驚いたのを思い出す。

女子割礼があるとすれば、それは悪弊かもしれない。

割礼の意義について詳しく知らない私が、発言をすることは控えよう。

これ以外にも、島々や民族によって珍しい風俗習慣が残っていることだろう。


バリ島にも、珍しい風習が残っている。

数々のカルチャーショックを受けた。

風葬や闘鶏も珍しいが、削歯儀礼は衝撃的だった。

マレーシア・マラッカを訪れた時、博物館に立ち寄った時に、世界の7奇習のひとつと知った。

削歯儀礼は、前歯の上6本をヤスリで削って平らにする儀礼。

バリ人の信仰する宗教・ヒンドゥーダルモに、五つの教義(パンチョ・ヤドニョ)がある。

その一つのソ・ヤドニョ(五つの教義)が人間の儀礼で、生誕から火葬までの通過儀礼を行う。

削歯儀礼は成人としての通過儀礼で、火葬に付すまでに済ませねばならない。


ピアスの習慣もショックだった。

我が伊藤家では、親から授かった身体に傷をつけることは法度だった。

親に背くのは、不良のすることと心得ていた。

刺青はもちろんのこと、ピアスも駄目でしょう。

以外と常識的な考えをする男だったのです。

そんな不良行為が、バリでは乳幼児に施されていた。

これも通過儀礼。

儀礼として必要不可欠なもの。

生後42日の儀礼が終われ、ピアスの穴の開けてもよいとする。

昔は両親がピンで穴を開け、そこのアランアランの茎を刺したという。

現在は、プスケスマス(公共診療所)で、無料から廉価(村に行って異なる)で穴を開け金具を通してくれる。

生後105日目の儀礼(ウパチャラ・ニャンブータン)には、金のピアスに付け替えられる。

金には、特別な魔よけの力があると信じられている。

これは、バリ人が古来からの信仰するヒンドゥー教に由来する。

現在は必須ではないようだ。

たいがい一歳を過ぎる頃には、ちぎれて無くなっていることが多いそうだから、バリ人女性の全員がピアスの穴が空いているとは限らないようです。


日本脱出して、やってみたかったこと。

と言っても、30年前の話だ。

刺青を入れることと、ピアスをつけること。

度胸がなくて、親から授かった身体に傷をつけることができなかった。

ウブドに長期滞在を決意した時に、この二つを実行した。

刺青は、右上腕に聖獣バロンを入れた。

その時の話は「極楽通信・UBUD / P12〜P13 / TATTOはやっぱり痛かった」をお読みいただけると嬉しい。

今では、色落ちしてみすぼらしい限りだ。

ピアスは、日本から穴あけ機を持ってきてもらった。

「居酒屋・影武者」の囲炉裏コーナーで、カチャンと一瞬にして。

銀製品の町・チュルクで買った金のピアスも、バロンだったような気がする。

とっくの昔に落としてしまい、今は穴も塞がっている。

これは、私にとっての通過儀礼だったようだ。


posted by ito-san at 16:56| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月20日

ウブドからもっとも近い・チャンディ遺跡(334)

シルビオ・サントーサが発行していたバリ島の地図「PATH FINDER」は、インターネットの普及から廃刊に追いやられたようだ。

ウブド在住のシルビオの地図は、特にウブドが詳細で、徒歩でしか通ることのできないルートまで網羅していた。

私のウブド探索に、おおいに貢献してくれた。

ガイドブック「地球の歩き方」の散歩道紹介は、これを参考にした。

「バリ島ウブド・楽園の散歩道 / ダイヤモンド社」で、彼の功績を紹介(P141)している。

ボロボロになった「BALI PATH FINDER / 12th EDITION / 2015」が、私の手元にある。

折り目が切れ切れになった地図を広げて、ゴアガジャ周辺に目をやる。

かなり以前に、迷い込んだプセリン・ジャガット寺院(Pura Pusering Jagat)の裏手で、崩れかけたチャンディを見たのを思い出した。

チャンディは石造の寺院や霊廟のことを言うが、バリでは建造物はなく崖(Tebing)に直接掘られている。

そんなことからCandi Tebingを呼ぶ。

今頃、崩壊しているかもしれないな。

そんな不謹慎な期待を持って、出かけていった。

プセリン・ジャガット寺院は、修復されて威風堂々としていた。

村はずれのマンディ場の前を通り過ぎたところにバイクを止めて、階段を下りていく。

反対側から青年が上ってくる。

対岸のティティアピ村から来ていた。

身体を悪くしたので、健康のために散歩していると言う。

渓谷を見下ろすと、チャンディは記憶を辿るように存在していた。

崩壊はしていなかったが、以前より朽ちているように感じるのは気のせいか。

「ティティアピ村から来れば、ここまでバイクで下りられるよ」と教えられた。

すぐに確認がしたくて「ティティアピ側から下りてくるので、ここで待っててくれませんか?」と約束をして、バイクに戻った。

ティティアピ村の十字路を南下すると、突き当たりは火葬場。

沿道に「Candi Tebing Kelebutan」の表示。

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新設の歩道が、奥に続いている。

バイクで歩道を下ると、先ほど青年と立ち話をした場所に着いた。

プセリン・ジャガット寺院側とティティアピ村側からの合流地点だ。

足下は、川が流れる洞窟になっている。

青年の姿はなかった。

時間は午後5時、眼下に水浴びをする男性達の姿がある。

集団の中に、青年がいるのかもしれない。

渓谷に下りて行っても、裸体をビデオに撮るわけにいかない。

撮影は、次回にすることにした。

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この数日後、ティティアピ村から2度訪れている。

ウブドの西方・アンドンの十字路をホテル・マヤ・ウブド方面に向かった渓谷の向こうに、ティティアピ村はある。

ウブドからもっとも近いチャンディは、シンガクルタ村の「Candi Tebing Jukutpaku」だと思い込んでいた。

■私の瞑想スポット教えます!(328)http://itosan-ubud.seesaa.net/article/470768725.html

ウブドの変則十字路(サレン王宮)からだと、「Candi Tebing Kelebutan」と「Candi Tebing Jukutpaku」は、ほぼ同じ距離にある。

ゴア・ガジャだって2キロと差はなかった。

新設の歩道の途中に、チャンディが見える。

近づくと、持ち運びのアルミのハシゴが立て掛けてある。

これで下りるのだろう。

昇降してみたが、危険を感じて足が震えた。

高所恐怖症の方は、遠慮したほうが良いだろう。

真っ直ぐの階段を、渓谷に向かって下りていく。

右手に、アルミのハシゴで下りたチャンディが見える。

左手対岸には、朽ち果ててはいるが歴史の気配が感じられるチャンディが掘られている。

川の流れる洞窟には、水たまりでできていてマンディ場になっている。

子供達に混じって、私も水に浸かる。

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少量の水が落ちる滝には、小さな虹が映っていた。

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洞窟の中に入ることもできる。

子供達がマンディしている場所は、お尻が隠れるほどの水深だが、洞窟の入り口付近は胸まで浸かった。

滝の落水で、カメラを濡らすわけにはいかない。

洞窟内へは、合流地点の反対側から入った。




村人に、ツーリストを誘致しようという意識がないように見受けられる。

整備されて観光地になるのも好みじゃないが、崩壊して消滅してしまうのも問題だ。

「将来どうなっているか?」

そんなことも、楽しみの一つと考えることにしよう。
posted by ito-san at 17:06| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月15日

テガリンガ(Tegallingah)の遺跡で奇跡! (333)

12月に入って、暑い日が続いている。

例年より、暑いと他人は言う。

思考能力が鈍るほどの暑さで、ブログに手をつける気も起きない。

手先を動かすだけのランプシェード作りははかどり、注文の2つを完成させた。

今日(13日)は、昼2時頃に通り雨があり、ちょうど良い潤いの涼しさになった。

3日ほど前から、まとまった雨が降るようになったのは、雨季に入る兆候か。

暦の上では、11月で雨季に入っているはずだが、今年は遅いようだ。

涼しさのおかげで、そろそろブログを仕上げなくてはという気になった。

気分転換に「カキアン・ベーカリー」で、WiFiと洒落込む。

冷房が私の頭を冴えさせてくれるのを期待しての行動だ。


さて、何を書こうか?

ランブット・スダナ(Rambut Sedana)の吉日に出掛けた、チャンディを記録しておこう。

チャンディは石造の寺院や霊廟のことを言うが、バリでは建造物はなく崖(Tebing)に直接掘られている。

そんなことからCandi Tebingを呼ぶ。

この日は、ウブドの北東に位置するブドゥル村に残る「Candi Tebing Tegallinga」を目指した。

グヌン・カウィやゴア・ガジャの遺跡は有名だが、ここはまったく知名度がない。

ブドゥル村は、10〜14世紀に栄えたといわれるワルマデワ王朝時代(バリ王国)の遺跡が多く残る地域。
発掘されていないが、王宮があったのも、この地域だと確信している。

「Candi Tebing Tegallinga」は以前、バリ人知人のフェイスブックに紹介されたのを見て、気になっていた。

グーグル・マップを頼りに、愛バイク・スクーピーを走らる。

矢印が示す場所を何度も周回した。

村人に尋ねると「この小道を進めばいい」と言う。

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半信半疑で進むと、確かに目的地に出た。

しかしこの道は、情報として紹介できるルートではない。

正式ルートは、帰路の際に探すことにする。



とにかく、数時間を掛けて到着。

入場料大人Rp30,000-のところを、長期滞在者証明書でRp20,000-に。

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手渡された英語の説明書に書かれていた文章を、要約してみよう。

「Candi Tebing Tegallinga」は近年、クライスマンというオランダの考古学者によって発見された。

テガリンガ集落を流れるパクリサン川沿いの崖壁に刻まれている。

タンパクシリンにあるグヌン・カウィと同じ11世紀の遺跡と推定される。

以下、省略。

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渓谷に向かって下りて行く。

崖のチャンディが見えてきたので、カメラを構えた。

チャンディの階段は濡れていた。

滑りそうだな、と想像した瞬間に現実となった。

右手にカメラを持ったまま、ケツで数段滑る。

もう少して、左側の崖に落ちそうだった。

ここまま落ちるかもと、かなり危険を感じた。

頭も腰も打っていない。

ズボンはベタベタだが、運良く、擦り傷もない。

リュックのパソコンは大丈夫かな。

不幸は起こらなかったが、怪我をしていてもおかしくはない状況だった。

近くに人のいない状況で、身動きできなかったらと身震いした。

老齢72歳、これからは、十分に注意を心がけようと心に誓う。

気持ちが落ち着いたところで、見学を始める。

皆様は、動画を御覧ください。




ここからが、今回メーンの奇跡の話。

駐車場の脇にあるワルンで、コピ・バリを注文した。

支払いを先に済まそうと、ズボンの後ろポケットに手を当てた。

手応えがない。

財布がないのだ。

どこに仕舞ったのだろう。

カバンの中も料金場周辺も調べた。

あれっ!

泥んこズボンの右ポケットが裂けている。

階段を滑った時に、ポケットが破れてサイプが落ちたのかもしれない。

慌ててチャンディに走った。

戻りで、すれ違ったカップルが見つけたかもしれない。

すれ違ったのは、彼らだけだ。

彼らが届けてくれるか、取得してしまうかは五分五分だ。

カップルの姿が見えた。

私が転んだ場所を通り過ぎている。

息急き切っている私の姿を見て「どうしたのかな?」という顔をしている。

見つけたのを、とぼけているのだろうか。

疑い深くなっている自分に嫌悪。

私は階段の上に立った。

一抹の期待を込めて、彼らに声を掛けた。

「財布は、落ちてませんか?」

彼らは、互いに顔を見合わせている。

拾ってくれたのだろか?

どうしようか、迷っているようにも思える。

男性が階段を上りかけようとした時、私は奇跡を見つけた。

水浸しになった、黒い財布がある。

財布は、苔むした階段と同調していて、彼らには見えなかったのだ。

「ありました! トゥリマカシ!」

少しでも疑ったことを詫びる気持ちで、カップルにお礼を言った。

訪れる人の少ないところでラッキーだった。

チケット売り場の女性に「ありました!」と報告。

「よかったね、今日はランブット・スダナだから、神様が守ってくれたんだね」

今日は、お金に感謝し、大金の貸し借りはしない、借金を返さないとされている。

関係あるかどうかわからないが、そんな言葉が暖かく受け止められた。

ワルンのおばさんも「カウンターの上で濡れた札を乾かすといい」と、優しい言葉を掛けてくれた。

大きく動揺もしたが、結果オーライの「Candi Tebing Tegallinga」見学だった。


正しいルートは、ギャニアールの幹線道路からです。

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おまけの動画:

グヌン・カウィ(Candi tebing・Gunung Kawi)


ゴア・ガジャ(Goa Gajah)



posted by ito-san at 13:09| Comment(2) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする