2020年01月29日

懺悔の回顧録・アクション大須(340)

2人の思い出が、少ない。

愛していたはずなのに。

断片的な記憶を記してみた。

彼女の父親は、北海道の炭鉱に勤めていた。

閉山によって家族は、神奈川県に移住した。

そうした家庭の事情から、彼女は東京の高校に通うようになった。

結婚してから、神奈川県の実家に泊りがけで行ったことがある。

掛け布団の上にどてらをかけてくれたのを思い出す。

どてらを寝具として使うのを初めて知った。

札幌市手稲区の親戚を訪れたこともある。

一緒にスキーをした。

小・中学校を竹スキーで通った彼女は、スキーが上手かった。

東京の高校の同級生を訪ねた時は、青山の高級マンションに泊めてもらった。

思い出すのは、このくらい。

彼女は、私に寄り添うように存在していたのだろう。


今回も、私の回顧録のようになってしまっている。

とりあえず、読んでください。

あちこちのイベントに駆け巡っている時期に、新聞の地方版にこんな話が話題になっていた。

1970年代後半、栄や名古屋駅前の開発が進んだ事により衰退していく大須商店街に、客を呼び戻すためにの企画だ。

その賑わいを復活させたい、と持ち上がったイベント。

我々も、各地域でイベントの成功している。

どんな企画が行われているか、スケベ根性で覗いた。

顔を出したののが運の尽き。

企画は、まったく進んでいなかった。

「第二のふるさと創造」をテーマに掲げたこのイベントは、某大学教授が中心になって動いていた。

彼から「手伝ってくれない」と頼まれた。

アドバイスするうち、話は我々が参加することになっていた。

「できることはします」と協力の意思を伝えた。


そのイベントは、1975年(昭和50年)6月28日『人間のまつり、アクション大須』として開催された。

その後、「大須大道町人祭」と命名され、毎年10月中旬に開催されているようだ。

第1回は、1978年(昭和53年)の開催。

以上は、ウィキペディアに記載されていた。

アレヨアレヨといううちに、当日とになった。

私は大須観音の境内を中心に、イベントを打った。

と言っても、予算のないイベント。

私は友人・知人を動員した。

境内の一角で、コカコーラ協賛のドリンク・コーナーとトマトぶつけなどのコーナー。

メインは、鐘つき堂をステージにしたロックのライブ。

準備に忙しい私は、各会場を駆け巡る。

境内には、地面が見えないほどの人々で溢れかえっている。

フリーマケットの段取りは何度もしているが、音楽イベントは初めて。

不慣れな私は、かなり動揺している。

裾が裂けてしまったジョーパンのままで鐘つき堂に立ち、祭りの開催を告げた。

有名なファッション・デザイナーの訪問も告げさせられた。

ロックのライブは、名工大の現役学生が仕切ってくれたて助かった。

電源は落ちる、派出所からは音がウルサイとクレームがくる。

人ごみの中で、ロック・ライブをBGMに手づくり仲間による、おいらん道中が始まった。

予算の出ない手弁当のおいらん道中は、ただの道行きパフォーマンス。

しかし、前衛アーチストでもある手づくり仲間のパフォーマンスは、盛り上がっていた。

おいらん道中に、先妻が主役として出演した。

高校時代に演劇部員だった彼女は、舞台度胸があり、出演依頼はきっと即答したことだろう。

背が高くて、胸はないけどスタイルのよかった彼女は、学校では男役が多かったと聞く。

おいらん役の彼女は、着物がずり落ちて貧乳が露出したとのこと。

筋金入りの貧乳で、当時テレビ放映していたペチャパイ・コンテストに出れば入賞間違いないほど。

そんなことを楽しいそうに話してくれた。

私はステージに付きっ切りのため、見学することはできなかった。

名工大の学生さんには、お礼を伝えることなく、その後、再会も果たしていない。


イベントは満足のいくものではなかったが、魅力的な褒美が降って湧いてきた。

地元大須に事務所を持つ篤志家から、自社ビルの地下を無料で提供してくれるという申し出があった。

若者たちに、チャンスを与える、太っ腹お社長だ。

近くには、演劇場の「七ツ寺共同スタジオ」と「バー・自由都市」がある。

地下は戦時中、防空壕として使われていたと教えてくれた。

積み上げられていた木材は、持ち上げると崩れた。

ゴミは、中型トラックに2台分あった。

掃除していくうちにタイルが合われれ、そこがかつての「カフェ」だったことが偲ばれた。

数人の友人を仲間に誘い込んで、店を作った。

外人部隊のような仲間で作り上げた店だから、店名を「コマンド」とした。

クリエーターの集まるバーにしたかった。

いつのまにか、ライブハウス「コマンド」になっていた。


続く・

posted by ito-san at 17:32| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする