「懺悔の回顧録」に戻ります。
今回は、ちょっと重い話かも。
手作り仲間が、インドからベルトに仕込んで持ち帰ったハシシ(大麻樹脂)。
お土産として、軽い気持ちで彼女に渡したのだろう。
法に触れる物だという感覚が薄く、気安く受け取ったのだと思う。
こういうことに、彼女は疎かった。
さくらんぼ大の樹脂塊は、喫煙されないまま何日も、キャビネットの下段のテーブルに置かれていた。
知人が逮捕されたのは、知らされていない。
先に連行された知人たちとの交流も薄いため、事件をまったく知らなかった。
「人畜無害」にいた彼女が署に連行された。
その現場を私は見ていない。
私の家に、刑事が来た。
知人の名前を告げたあと、「大麻」という言葉が出た。
ハシシのある場所は、知っている。
妻が、連行されたのを告げられた。
警察は、主犯は年長の私ではないかと疑っていたようだ。
私を捕まえようとマークし、数日間尾行したと言う。
刑事が部屋に入ってくる。
現物がなければ、逮捕は免れるだろう。
物は、目の前にある。
どう隠そうかと思案した。
トイレに捨てるが、飲み込むか。
飲み込むには大きすぎる。
隠す暇もなく、証拠の物は見つかってしまった。
だらしないが、私は観念した。
刑事は、証拠物件を確保した。
喫煙形跡のない現物に、ガッカリしたようだ。
在庫で残っていたパイプセットにも、喫煙した形跡はない。
これで彼女は、ハシシの不法所持で逮捕されることになる。
刑事たちは、証拠の品を持って帰っていった。
数日後、地元名古屋のテレビ・ニュースと新聞で報道された。
名古屋発の大掛かりな大麻事件として扱われていた。
私の嫌疑が消え、彼女が最後の逮捕者となって終結したようだ。
名古屋近郊の所轄警察の留置場された。
面会はできなかった。
その後、何の伝達もなく、凶悪犯の多い中村署に送られた。
殺人犯の女性と同室だったと言う。
たらい回しにされて、面会もできない。
この経験から、私は、警察には絶対協力しないと誓った。
裁判中、身柄は名古屋拘置所に預けられる。
拘置所に面会に行った。
こんな威圧感と閉塞感のある建物に、何日も泊めるわけにはいかない。
1日も早く、出してあげなくては。
弁護士を手配するにも、私に知り合いはいない。
民事なのか刑事なのか、それもわからない。
民間人のトラブルは民事、犯罪行為は刑事だと知り、細い糸を手繰って刑事裁判の弁護士を探し当てた。
女性の弁護士は、親身になってくれているようには思えない。
現金を工面して、弁護士に手渡す。
裁判にも傍聴した。
2週間ほどの拘置で、身柄を引き取った。
もっと早く、弁護士と保釈金の対応が早かったら、2週間も拘置されることはなかったかもしれない。
自分の対応の甘さが悔やまれる。
彼女はやつれることなく、元気な姿に救われた。
親戚縁者に迷惑をかけただろうが、家族の誰からも非難は受けなかった。
1976年、これを機に「人畜無害」を閉店。
続く・