2020年03月10日

懺悔の回顧録・最終回(345)

みぞおちあたりが熱くなる。

表現できない感情が、湧き上がってくる。

鉄道のポイントが切り替わるように、思い出す。

20代の笑顔の彼女が浮かぶ。

手の届きそうに、今にも会えるそうな雰囲気。

無理なことだと、すぐに悟る。

これは夢だ。


元妻からの音信が届く数年前に、こんなことがあった。

デンパサール空港に、友人を迎えに行ったある日。

彼女に似た女性が、ミーティング・ポイントから出てくるのを見た。

モデル風のお洒落な男女のグループに、彼女の姿がある。

離婚してからの彼女の人生を、私は想像した。

会いに来てくれたのかもしれない。

私の胸は、トキめいた。

遠目からでは、確信は持てない。

声も掛けられない。

グループの姿が消えるまで、見送った。

諦めきれなく、ウブドまで来るかもしれないとの期待した。

期待は、霧散した。

他人の空似。

未練心が起こした、虚しい幻想だったのだ。


遠い過去を、笑顔で語り合える年齢になった。

きっと、わだかまりなく会話は弾むだろう。

北海道で元気に生活している。

遠く離れていても、いつも幸せを願っていた。

訪ねれば、いつでも会えるという安心感があった。

また会えるだろうと楽観してところがある。

離れ離れになっていた期間に何があったか、何を考えたか、ポツリポツリと語り会う日がいつか訪れる。

2人しか知らない話がある。

生まれて一週間で命を絶った長女のこと。

再婚はしていなかったようだから、母子家庭で長男を育てている。

息子の成長過程を聞きたい。

送られて来た写真には、幸せそうな息子の笑顔が写っていた。

子育てした彼女を褒めてあげたい。

話し合いたいことがたくさんある。

本人の口からは聞くとこは、もう叶えられない。

彼女は、きっと幸せに生きたことだろう。

信じて疑わない。


未だに、訃報に実感がわかない。

息子から伝えられた訃報が、悪い冗談としか思えない。

順番なら私が先だろう。

やり場のない後悔を抱えながら、時間が少しづつ悲しみを忘れさせてくれるだろうか。

巻き戻しのできない時間の残酷さを感じる。

お寺に預けられていた娘の位牌は、数年前、彼女が故郷の北海道に持ち帰ったと、長姉から連絡があった。

亡き娘の誕生日も命日も覚えていない。

母娘の墓参りすることができれば、供養と懺悔をしたい。

息子と連絡が取れなければ、縁が途絶え、それすらできないことになる。

いつか必ず、息子から連絡が来るのを信じて待っている。

人生を振り返ることの尊さを感じる72歳。


おわり・


posted by ito-san at 18:34| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする