2020年04月25日

外出自粛のウブド!(352)

入国制限のため、ウブドの観光客は壊滅状態。

多くの店舗が休業&営業時間の短縮をしている。

新型コロナウイルスの終息は、いつのなるのだろう。

人々は、一縷の望みをつないで息を潜め、ことの成り行きを見つめている。

気になるウブドの感染状況(24日)。

微妙に、増えているようですね。

大型クルーズきゃく船で働いていた人々が帰ってきたからだ、という噂です。

陽性も陰性も理解できない私ですが、参考になったコメントを見つけたので添付します。

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⚫︎Konfirmasi Positif:肯定的な確認(ひょうっとすると、これが陽性のこと?)

⚫︎Sembuh:治癒

⚫︎Pasien Dalam Pengawasan(PDO) :監視対象者
38度以上の高熱、上気道に感染症が認められ、肺炎があり、感染者との濃厚接触あるいは感染国への渡航歴がある人というカテゴライズされている人。
⚪︎上気道(じょうきどう)は、呼吸器(気道)のうち、鼻から鼻腔、鼻咽腔、咽頭、喉頭までをいう。 これに対して、喉頭よりも肺側の気管、気管支、細気管支、肺を下気道(気管より末梢の気道)という。

⚫︎Orang Dalam Pemantauan(ODP):観察対象者

肺炎などの感染症状が出ていないものの、感染国への渡航歴がある人とされる。

⚫︎Orang Tanpa Gejala(OTG):症状のない人(これが理解できない)

⚫︎Lainnya:その他(これも理解できない)

いずれかのグループに区分けされた患者に対して優先的に感染検査が実施されているいうが、検査キットや機材が絶対的に不足していることからとても全員が検査を受けられるという状況ではないという。


ウブドの様子は?


日頃、観光客で賑わう「ウブドの十字路」と「テガララン村のライステラス」。


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タマン村では、スリウェダリ通りとサンダット通りの南入り口で、マスク着用のチェックを行っている。

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ビンタン・スーパーのレジでは、密着を防ぐための立ち位置が指定されている。
コンビニでも、同様に行われてようだ。
スーパー&コンビニでは、出入り口でマスク・チェックと掌にアルコール液の散布も行われている。

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デルタデワタ・スーパーで見かけたブースは、何用か?

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いつもなら大勢の人で賑わうウブド公設市場。

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こちらも、いつもは・・ウブド市場の南のデヴィシータ通りと結ぶカルナ通り。

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ウブド大通り西部、チャンプアン橋に向かう風景。

地獄を見ないうちに、終息して欲しいです。


posted by ito-san at 15:10| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月22日

悩み多き、老人のつぶやき(351)

生活費の困窮を回避する目的で、ボロブドゥールへの本拠地移動を考えていた。

新型コロナウイルスの感染で、足止めをよぎなくされた。

日々、世界中で感染者は増えている。

今後、何ヶ月この状態が続くのか。

終息の先行きは、未だに見えていない。

このままでは、年内に貯金が底をつくのが目に見えている。

問題は、年末のリタイヤメント・ビザ更新だ。

今回の更新は5回目(5年目)の延長がすんだため、新たにビザ申請のために出国する必要がある。

出国はシンガポールにしている。

航空券とシンガポールでの代行業者への支払い、バリに戻ってから代行業者への手数料。

この金銭が用意できなければ、不法滞在になってしまう。

先行き不安な生活は、続いている。

私は、好き勝手に生きてきた。

「末路の哀れは、覚悟のうえ」

泣き言は言わないはずだったが、今回はちょっと堪えている。


的確じゃない例えかもしれないが、現在、人類は癌を宣告されたにも似ている。

正直言って、宣告されたことのない私には本当の意味で理解できないだろうから、不謹慎な発言かもしれない。

あるいは、余命を宣告されたのかもしれない。

手をつくしても、生き永らえることはできない事態。

患者本人、周りの人々の恥部が、露出することもある。

修羅場になるかもしれない。


人類の起源は、600万年前〜700万年前ほど。

人の起源は、20万年前と言われている。

この長い時間を人は、生き続けてきた。

様々な苦難もあったろう。

それでも、人類は続いている。

人の一生は、長くて100年ほど。

人間は、一生をまっとうして消滅する。

今回の新型コロナウイルスは、自然が帳尻を合わせようとしているのか。

人口の自然淘汰か。

そうは思いたくない。

連綿と続いた人類を、滅亡させてはならない。

人類の滅亡は、地球の滅亡でもある。

しかし、前途有望な若者には、地球は必要だ。

人類は、克服しなくてはいけない。

「万物の霊長」と言う傲慢な考えを捨てされ!

人類の恥部をさらけ出すことになるだろうが、新しい世界は、地球を救う力を携えていることだろう。

世界中の人々が総力をあげて立ち向かえば、光明はさしてくるはずだ。


泉谷しげるの「春夏秋冬」を口ずさんだら瞼の裏が熱くなった。

サビの部分は、こんな歌詞だ。

『今日ですべてが終わるさ 今日ですべてが変わる』

『今日ですべてがむくわれる 今日ですべてが始まるさ』

一日も早く、終息することを願望している。

悩み多き、老人のつぶやき、でした。


posted by ito-san at 15:27| Comment(4) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月18日

さあ「ガーヤトリーマントラ」を唱えよう!(350)

至福とは、肉体ではなく、精神的なエクスタシーなり。

世界が、それに気がつけば、地球は救われる。(from itosan-ubud)


「 GAYATRI MANTRA 」

Om
オーム
至高の神よ

Bhur Bhuvah Suvaha
  
ブール ブヴァッ スヴァハ
  
地、空、天界

Tat Savitur Vareniyam
  
タット サヴィトゥル ヴァレーンニャム
  
私たちの聖なる母よ、その輝きは、
私たちの心にある暗闇を滅します。

Bhargo Devasya Dheemahi
  
バルゴー デーヴァッス ジャディーマヒ
  
私たちは、その聖なる輝きに瞑想します。

Dhiyo Yo Nah Prachodayath
  
ディヨー ヨー ナッ プラチョーダヤート
  
私たちの内なる知性を目覚めさせたまえ。




私たちはこのガーヤトリーマントラを唱える時、神を描写し(1〜3)、瞑想し(4)、祈願する(5)、という三つの意念が込められているのです。

ガーヤトリーマントラは、一日三回唱えることが定められています。

三回とはすなわち、朝と昼と夕方です。

ガーヤトリーは五つの顔をもつ女神であり、これら五つの顔(1〜5)を
  

もって存在するガーヤトリーは、五つの生命力(プラーナ)でもあります。
  

女神はすべての生命を守護し育てます。
  

生命を守護している時、この女神はサーヴィトリーと称されます。
  

サーヴィトリーは真理に基づく生活を送る人を守り導きます。
  

人の倫理的知性を高めようとする時、女神はガーヤトリーと称されます。
  

女神があなたの語る言葉を守護して育てる時、女神はサラスワティーと
称されます。
  

このように女神は、言葉と生命と倫理的知性を守り、ガーヤトリーとして
サーヴィトリーとしてサラスワティーとして、あらゆる方面から人を守護し
育てます。

これら五つの顔をもつ一つの神こそが、生命力そのものです。私たちの生命力を保つ植物をはぐくみ、世界を維持しているのは太陽です。
  

ですから、ガーヤトリーマントラを唱えている時、直接、太陽エネルギーに
『暗黒を追い払い、肉体が浄化され、アストラル体(感情体)が浄化され、コーザル体(魂の器)が浄化されますように』と祈っているのです。
posted by ito-san at 15:43| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月17日

外出自粛の日々!(349)

毎日、ネットで日本のニュースを見ている。

死亡者数をパーセンテージで示していることに業腹だが、新型コロナウイルス関係に使われる言葉も気に入らない。

意味の理解できない横文字言葉が使われていると思いませんか?

いちいち検索する必要がある。

クラスター(cluster):集団感染

ロックダウン(rockdown):都市封鎖

オーバーシュート(overshort):感染した人が急に増えること。感染した人を合わせた数が2〜3日の間に2倍に増えた時に使う

パンデミック(pandemic):感染症の世界的な大流行

ソーシャルディスタンス(Socialdistance):社会的距離

これでは、緊張感が伝わるわけはないだろう。

庶民に危機感を持たせないために、意識的に緩和する表現をしているとしか思えない。

英語の不得意な老人の私に、ひがみだろうか、そんな風に受け止めてしまう。

ダイレクトに日本語を使って欲しいと思うのは、私だけだろうか。


バリも、外出自粛が20日間を過ぎた。

メリハリのない日常と暗雲が漂う屋外に、活力が湧かない。

外出できないだけで、これだけ生命力が奪われてしまう。

じわじわと感染者の足音が近づいて来ている気配がする。

そろそろ、身近に感染者が出てきそうだ。


ニュビ前日の「お祓いの儀礼」


「和食・影武者」が臨時休業に入った4月1日から、私のルーティンワークが大幅に変わった。

勤め人ではないので、毎日が日曜日な生活をしている。

よって、昼ころになっての起床。

これまでは、午後3時30分頃からバイクで外出。

コンビニで雑貨の購入、バイクの給油、クリーニング店、スマホにSIMの補充、など。

一日ひとつの小さな用事を済ませる。

時には、お気に入りのカフェでコーヒータイム。

思い立つと写真や動画を撮りに出かけていた。

5時30分までには部屋に戻り、運動不足を感じれば縄跳びと軽い体操。

その後は、暗くなるまで、テラスで読書にふける。

烏の行水のようなマンディをすませる。

バスタブはあるのだが、経費節減で利用していない。

風呂好きな私には、ちょっと辛い。

午後8時45分の出発で「和食・影武者」に向かう。

女将からの心づくしの夕食をとったあとは、友人たちとの楽しい歓談だ。

これが私の日常でした。

読者の皆様には、こんなことを教えてもらっても何の興味もわかないことでしょう。


こんな平凡な日常が、いきなり遮断されたのです。

自粛だから外出はできるのだが、感染の拡大を防ぐ意味で、私は控えるようにしている。

新たなルーティンワークは、さらに日曜色を強くした。

雑貨の買い物は、村にある、マンク(お坊さん)の経営するワルンへ。

夕食は、大家さんに頼んだ。

大家さんの食事は質素だが、満足している。

外出を控えたので、バイクの給油、クリーニング店、スマホのSIM補充も軽減した。

ほとんど屋敷からと言うより、村から出ない生活だ。

先日、ちょっとウブドを駆け巡ってみた。

これまでツーリストで賑やかだったウブドは、閑散としていた。

通りには、重い空気が漂い、目に見えない邪鬼が蔓延っているように感じた。

幸いにして戦争は未体験だが、あたかも戦禍のように活気が失せるている。

そんな世界へ、出かけたいとは思わない。

終息の先行きが見えてこない。

何度も言うが『一日も早い終息を願っている』


posted by ito-san at 15:00| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月11日

越路吹雪さんを思い出す!(348)

3月27日に、外出自粛が始まってから、2週間が経つ。

幸い、世話になっているパチュン家に、ネット環境が整っていて助かっている。

お陰で、暇を持て余さずにいられる。

メールとフェイスブックも毎日、利用している。

YouTubeで、日本からのニュースを見るのが日課になった。

ニュースを見ていて、「あなたにおすすめ」メニューに、私の好きな女優さんの姿が写っていた。

彼女が主演のテレビ・ドラマ「越路吹雪・愛の生涯」だった。

越路吹雪さんは、シャンソン歌手として有名な芸能人。

「愛の讃歌」「ラストダンスは私に」「サントワマミー」「ろくでなし」などのヒット曲は、私も口ずさんだことがある。

彼女が師と仰ぐ、エディット・ピアフ女史の「愛の讃歌」は、フランス語の理解できない私の心にも響く。

主演の女性は、越路吹雪さんと同じ宝塚出身の女優。

ドラマを見て、越路吹雪さんが1980年に亡くなっていたのを知って驚いた。

Googleで検索すると、56歳の若さで死去していた。

40年前に亡くなっているので、知らない人も多いことだろう。

https://www.youtube.com/watch?v=SyMeOtZbMKw
越路吹雪さんの「愛の讃歌」


越路吹雪さんとは、1968年、私が20歳の時に会っている。

会っていると言っても、お客様とスタッフの関係だ。

この頃私は節約旅行中で、フランス・パリの日本食店「桜」で、アルバイトをしていた。

バイト期間は6ヶ月。

これは不法滞在だ。

21歳の誕生日は、独りでヒッソリと迎えた。

越路吹雪さんのエピソードを思い出したので、書き留めておく。

当時、彼女が44歳だったのに驚く。

すでに、国民的歌手のひとりだった。

NHK紅白歌合戦に、1956年から1969年に連続出場していることが証明している。

彼女は、開店前の「桜」に顔を出した。

スタッフの食事中だ。

このレストランでは、食事は客席ですることになっている。

カウンターの裏や厨房内で、隠れてするようなことはしない。

賄いご飯だが、手抜きはない。

これは、経営者の方針だった。

私がウブドに「居酒屋・影武者」を開店した1992年、バックパカーを受け入れたいと考えていた。

残念なことに、インドネシアは不法労働者に厳しく、実現できなかった。

時効だろうと考えられる今だから公言するが、かく言う私は長い間、不法労働だった。

越路吹雪さんの話に戻そう。

「ごめんなさい。食事中だったのね」

食事中のスタッフを見て、彼女は戸惑っていた。

「開店前なんですよ」シェフが対応する。

「うどん! 美味しそう!」

そう、この日の食事はうどんだった。

シェフは「うどんでよければ、食べて行きませんか?」とすすめた。

私以外のスタッフは、彼女が有名な越路吹雪さんだとは気づいていないようだ。

乙女のような微笑みをたたえて、入り口に近いテーブルの腰を下ろした。

絶頂期幕開けの芸能人とは思えない、控えめな態度に、私は心を打たれた。

「桜」は、日本からの有名人が来店する店。

カンヌ映画祭に参加する監督たちも、紳士的だった。

世界的名声の高い指揮者の使いが、ご主人様の名前を挙げて、オーダーストップ後に弁当の注文しようとした。

有名人なら融通をつけてくれるだろうという、心根が嫌いだ。

私は、注文を断った。

彼女は、有名人を鼻にかけることもなかった。

食べていったのか否かは、記憶にない。

検索から、毎年行われている日生劇場リサイタルの合間を縫ってのパリ訪問だったろうと推測する。

今、自分の44歳を振り返っている。

https://www.youtube.com/watch?v=aPcHqDlROb4
エディット・ピアフ女史の「愛の讃歌」


posted by ito-san at 14:10| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月03日

人々の心の叫びは、通じるか?(347)

地球規模で、災害が勃発している。

4月1日発の長距離バスで、マゲランに移動する予定でいたが、断念した。

中国湖北省武漢市で2019年12月に発生した新型コロナウィルス肺炎(COVID19)が、世界中に広まった。

「在デンパサール日本総領事館」からのメールは、2月に入って頻繁になった。

そのほとんどが「新型コロナ・ウィルス」に関するニュースだ。

これまで対岸の火事だった災難が、今回は自分にも火の粉が降りかかりそうだ。

バリ島ウブドにも、その影響が現れた。

これまでウブド滞在30年の間に、大きなニュースは数々あった。

1995年1月17日の神戸淡路大震災

2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件

2002年10月12日のバリ島自爆テロ事件

2004年12月26日のスマトラ沖地震

2006年5月27日のジャワ島中部地震

2011年3月11日の東日本大震災

2017年1月25のアグン山噴火

このほかにも、隣島の火山噴火や地震が頻繁に続いている。

その中で、バリ島爆弾事件とアグン山の噴火はみじかで起きた事件だったが、それでも恐怖は感じなかった。


「新型コロナ・ウィルス」のニュースが広まると、観光客の足が遠のいた。

航空機乗り入れを禁止する国が出ている。

日に日に、観光客姿が減ってきている。

観光の目玉である、悪霊払いの綺麗「オゴホゴ」のパレードを中止した。

こんことは、30年の滞在で初めてのことだ。

バロンダンスの起こりは、疫病の流行を鎮める為に行なわれた。

今回も盛大な疫病退治の儀礼を行うだろうと思っていたが、それはなかった。

バリ人の考え方も合理的になったということか。

近代化されたバリは、もう呪術的な力に頼れなくなってきたのか。

バリ人の進行する、ヒンドゥー教の神々が守ってくれると考える彼らさえ、今回は神頼みじゃいけないと考えたのだろう。

ニュピ ( Nyepi )の翌日も外出を禁止した。
(ニュピ:http://informationcenter-apa.com/kb_nyepi.html

世界は今、一丸となって「新型コロナ・ウィルス」に立ち向かっている。

その後は、外出自粛。

海外からの渡航者は、入国禁止となった。

各国の各地域で、最良の対策が施されていることだろう。

ネット上には、人っ子ひとりいない街が、映画のワンシーンに似た風景が映されている。

現実とは思えない、様々な情報が流れくる。

思いもよらない未来の世界が今、目に前で繰り広げられている。

死亡者の数をパーセンテージで表していることに、悪寒が走る。

数字では、悲惨さは伝わらない。

犠牲者を、ぞんざいに扱ってはいけない。

死は、もっと丁重に扱うべきだ。

私は、いつ死んでもいい心つもりで日本を旅発っている。

しかし、他人には迷惑をかけたくない。

個人としては、何もできないが、早急に終息することを強く望んでいる。

世界が高齢者人口のリストラを願うなら、それに従ってもいい。

率先して、名乗りをあげてもいい。

地球に平穏が戻るなら、72歳の命を捧げよう。

呼吸困難で苦しむのは嫌だから、できれば痛みの伴わない処置をお願いしたい。

これは、贅沢な望みか。

国(インドネシア・日本)が、政府が、決めたことには、素直に従おう。

前途の見通しは、決して明るくない。

むしろ暗いと言える。

2日午後6時、バリ・ヒンドゥー教徒は「新型コレラウイルスの終息」を願って、お祈りを捧げた。

人々の心の叫びは、通じるか?


posted by ito-san at 17:34| Comment(2) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする