2020年08月25日

自撮り棒についての考察(343)

自撮り棒(インドネシア語でTongkat selfie)を買っちゃったですよ。

私はナルシストじゃない。

自撮り棒を手にしてまで、なんで己の写真を撮るのかな。

冷めた目で見ていた私であったが、潜在的に欲しかったんだと気づく。

よく利用するスマホ屋さんで、プルサを買いにいった時に見つけて、価格を聞いたら安かったので。

5万ルピアが4,5万になると聞いて、400円もしないと、即買い。

この値段で、手元で操作できるのに驚いた。

手元で操作できないと多いに困るのだけど、こんなことに感心している無知に私。

一週間もしないうち、35,000とデスカウントされていた。(小さくショック!)

現在の自撮り棒には、様々な機能が付いて、さまざまな機種が販売されているようだ。

安かったのは、時代遅れだからかもしれない。

老人には、これでも画期的ですから満足です。


自称・生涯旅人のわたくし、一人旅が多い。

旅先で、どうしても景色の中に収まった自分が撮りたいときがある。

そんな時は、三脚を立ててセルフタイマーで撮る。

タイミングが掴めず、間抜けたな写真ができあがることもある。

そんなアクシデントも楽しかった。

人混みが多い時には、カメラから離れることはできない。

そんなときは、近くにいる人に、お願いして撮ってもらう。

カメラを持って逃げられるのじゃないかと心配しながら、信用できそうな人を選んでカメラを渡す。

「写真を撮ってもらえませんか?」の英語を必死に覚えたものです。

Would you mind taking a picture for me?

通じない時には、「JTBの六カ国語会話」を指差した。

こんな体験が「旅の指さし会話帳」の出版のキッカケになっているのではないかと、今更ながら感心した。

Google翻訳には「Could you take a picture of me?」と表記された。

こっちの方が覚え易いな。

私の場合、撮ってあげる機会の方が多かった。

旅先でのコミュニケーションだと、大歓迎だった。

自撮り棒が普及すると、こんなことも無くなってしまうのだろうか。


百も承知だとは思いますが、自撮り棒についておさらいします。

これは、自分のために確認です。

ウキペディアによると、1980年代初頭に日本で開発され世界で発売されたが、普及しなかったとある。

それ以前にも、棒の先にカメラをつけて撮っていた人は、各国にいたようだ。

スマートホンのカメラに、自撮りに切り替える機能がついた。

写真や動画が瞬時に公開できる。

SNS(ツイッター&フェースブックetc)で、さっそくアップロード。

流行りましたね「何処何処・ナウ!」。

私には理解できなかったが、以外と自分の写真を公開する人は多いんですね。

みんな、ナルシストなんだ。

「ナウ」はしないが、そういう私も最近は頻繁に自分の写真をアップロードしている。

カメラを手に持っての撮影には、限界がある。

自分一人じゃなくて、友人も一緒に入った写真が撮りたい。

それは、少し遠くから撮る必要がある。

そこで登場したのが、自撮り棒。

各種SNS(インスタグラムetc)の普及が拍車をかける。

ヒットしたのは、2014年と言われている。

インドネシアの自撮り棒普及は、早かった。

おりから韓流ブーム。

ボーカル・グループのコンサートでは、熱狂的ファンの自撮り棒が立ち並ぶ。

これは自撮りじゃないね。

こんなところが、私の自撮り棒に関する認識だ。

おおむね正しいようだね。


私は、写真を撮るのではなく、動画を撮りたいと思っている。

「徘徊老人のハイカイ先!」と銘打って、フェイスブックにアップし始めた。

生存確認のメッセージです。

ひとりでしゃべっているので、変なおじさんに見られるんじゃないかと心配になるが、現代人には見慣れた風景だろうから気にする必要はないかもしれない。


何をしようとしているのか?@ NG編


posted by ito-san at 16:21| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月14日

朝市 @ プンゴセカン村(342)

朝市(Pasar Pagi)と言えば、バリ人の台所だ。

村々には、必ずと言ってよいほど朝市が開かれている。

大きな町では、大きな朝市(Pasar Pagi)が開かれている。

州都デンパサールには及ばないが、ウブドにも、この地域で最大の朝市が立つ。

ウブドの朝市は、さまざまな形で紹介されているので、ご存知の人も多いだろう。

そんなわけで、今回は、小さな朝市を見学したい。

もっとも適していると思われるのが、プンゴセカン村の朝市だ。

もしかすると、古くから受け継がれている朝市の風景を感じられるかもしれないと考えた。

毎朝6時頃から9時ころまで開かれる、と知人が情報をくれた。

7時に到着できるように、早起きしてプンゴセカン村に向かった。

画家グスティ・サナさんの家の前に、無断でバイクを止めさせてもらう。

サナ家の長男コンピアン君からバリ舞踊を習ったり、「アパ?情報センター」主催のバリ風結婚式の会場として利用させてもらったり、舞踊&絵画の体験の紹介をさせてもらった関係がある。

勝手知ったる他人の家。


広場には、供物用の花と葉、取り立て野菜と果物、朝食の具や弁当、新鮮鶏肉などの屋台店が、肩を寄せ合って軒を連ねている。

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古い動画には、風呂で使うような低い椅子に腰を下ろした売り子の前に、やはり低に机に品物を並べての商売だった。

上半身裸の女性の姿が見られるが、さすがに今の時代にそれはない。

屋台の設備は様変わりしたが、冷蔵庫のなかった時代から変わらない品揃えだろう。

その日に使い切る品々が並んでいる。

売り手は、村内からがほとんど。

私の名前を呼ぶ声が聞こえた。

振り返ると見知った顔があった。

「和食・影武者」の厨房スタップの女性だ。

親戚のおばさんの弁当屋を手伝っていると言う。

買い物客は、歩いて来ている村人たちだ。

村人が作った農作物や家で飼っていた鶏肉などを持って来たのだろう。

近隣の村からも駆けつけている人売り手も、少しはいるだろう。

もしかすると、古く物々交換の時代から、連綿と続いているのかもしれない。

工芸の得意な者は、カゴやゴザなどの生活雑貨を店頭に並べていたかもしれない。

村人による、村人のための朝市として、今なお続いている。

賑わいを見て、スーパーマーケットの出店に危惧していた私は、胸をなでおろしたのであった。

金銭的な活動を行っていない私の行動範囲は、まったく村から出なくてよい。

村人も、他の村に行くことは少なかっただろう。

朝市で買い物をして、あとは行商が通るのを待っていれば、それで充分かもしれない。

バンジャールには、スーパーマーケットもコンビニもない。

バンジャールとは、村の最小単位・集落のこと。

ウブドは、2000年初頭からスーパーマーケット&コンビニの出店が相次いだ。

便利になることは良いことだが、ウブドらしさが失われていくようでもあり、複雑な気分だ。

経済的に打撃をうけた村人も多かったことだろう。

プンゴセカン村には、村はずれにコンビニあるが、共存しているようにみえる。

日本の小さな村でも、地域に根ざした相互扶助な商売が増えて欲しいと思っている今日この頃。




帰路の途中に、マウス・マスクをしていないことに気づいた。

村人のほとんどがマスクをしているのに、私としたことが、この日に限って忘れて出かけてしまった。

家に着くまで、冷や汗が流れていた。


posted by ito-san at 14:32| Comment(4) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月08日

クレープの店・MEALS ON WHEELS(341)

まだまだ、自粛の日々は続いている。

久しぶりに太陽が顔を見せたので、いつもより少し遠回りでウブドに出ることにした。

たまには、息抜きのバイク・ドライブも必要だ。

テガランタン村を北上して、ジュンジュンガン村のT字路からクトゥ村に南下する道を選んだ。

その途中左手に、フォルクスワーゲン(VOLKSWAGEN)・タイプ2(バス)の止まる店を発見。

フード・トラック(キッチン・カー)だ。

ワーゲンはビートルとタイプ2を愛用したことがあり、バスはバニングにして乗りたかった時期もあり、憧れの車種だった。

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場所は、クトゥ・カジョ村ティルタ・タワール通りの、昔々「ボタニック・ガーデン・ウブド」があった駐車場の跡地。

ボタニック・ガーデンは、2006年6月17日に開園したが、いつの間にか閉業。

極楽通信UBUDのニュースには、「2006年10月12日(晴):ウブド植物園オープン」とある。

内容には、こう書かれてある。

ウブド大通りとティルタ・タワール通り(Jl.Tirta tawar)が交わるT字路から、1.5キロ北上したクトッ・カジョ村に、6月17日、「BOTANIC GARDEN UBUD=ウブド植物園」が開園した。

のんびり散策して1時間ほどの、安全なジャングル・トレッキングといったところだ。

入場料50,000ルピア(ローカル30,000ルピア)。

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恐竜の造形物は、その名残り。

アルミ箔は、新たに装飾されたのだろう。

恐竜がマスクをしてたら、インスタグラム・スポットになるかな。

ジャングル・トレッキングも楽しかった。


ワーゲン・バスも魅力だが、店舗も私の趣味にドンピシャ。

さっそく入ってみた。

店名は「MEALS ON WHEELS」

廉価な予算で開店できたと思われる、オープンスペースの店が。

コロナ対策には適していが、風雨対策には万全ではない。

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ワーゲン・バスは改造されて、クレープのキッチンになっている。

クレープがメインで、7月18日に開店したようだ。

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可愛いワゴンが、ジュースコーナー。

メニューにはアイスコーヒーしかなかったが、私はアイスコーヒーを飲まないので、ホットコーヒーを頼んだ。

ホットコーヒーは、ネスカフェでRp30,000-。

料金を考慮すれば、ジュースにすればよかったと後悔。

2人いる女性スタッフの1人が、テガランタン村から来ていて、私の下宿近くの娘だった。

共通の知人がいて、話が盛り上がった。

もうひとりは、少し遠方のパヤンガン村からの娘で、こちらは共通点がみつからなかった。

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私のウブド滞在年(30年)より年下の彼女たち。

「チャンティック=可愛い!」の一言に、快く写真撮影に応じてくれた。

「インスタグラムにアップしてよ!」と、お願いしてくる。

デリバリーは、テガランタン村の娘が配達するという。

「大変ですね」と言うと「大丈夫です」とガッツポーズをした。

オーナーらしいスペイン人の女性が現れたので、席を立った。

椅子の座り心地が落ち着かないので、永いができない。

ネスカフェは、ほとんど口をつけていない。

インスタントコーヒーは、私の口に合わなかった。

クレームばかり書いてしまったが、開放感には満足している。

次回は、クレープとジュースを注文することにする。

*営業時間:昼12時からよる8時まで。

*定休日:月曜日。

*メニューは、写真で。

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posted by ito-san at 15:38| Comment(2) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月05日

ウブドは今、閑古鳥が鳴いている!(340)

バリ州政府は、7月31日より、国内観光客に対して観光を再開する旨の発表をした。

これで、少しでも観光業が潤えばいいな。

国内観光客にはインドネシア在住の外国人も含まれるが、海外からの観光客は含まれない。

海外からの観光客受け入れは9月からと言われているが、どんなもんでしょう。

まず、日本人の来バリ島は無理でしょうね。

それぞれの村にもバリ州から指示書が配布されているようです。

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観光地(kanko-chi)ウブドは今、閑古鳥(kanko-dori)が鳴いている。

ウブドは、閑古鳥が啼くゴーストタウン状態です。

自粛が緩んだ今でも、閉店、休業中のシャッターが目立ちます。

見ると心が沈みますよ。

すれ違う人も心なしか、元気がないように見える。

観光客ゼロのバリ島の懐具合は、寂しいと思います。

しかし、バリ人は逞しいのだ。

道端には、弁当や揚げ物などなどの店が、続々と登場。

ネットで、野菜やスイーツなどなどの販売。

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「なるようにしかならない」と考えるのか、日本人のように悲観感は漂っていない。

時の流れに身をまかせるように生きている。

楽しい会話の中に包み込んで陰にならなければ、落ち込まない(暗くならない)ですむ。

「果報は寝て待て」と言ったところか。

今回の新型コロナウイルス感染症が、「災い転じて福となす」になればいいな。



在デンパサール日本国領事館からのメールを掲載します。

バリ州に入域する際の諸要件に関しては、変更はない。

国内観光客がバリ州に入域する際の諸要件に関する通達(骨子)

1 認定機関が発行したPCR検査陰性証明書、あるいは迅速抗体検査(Rapid検査)陰性証明書の提示。

2 同証明書の有効期限は発行日から14日間。

3 有効な同証明書を提示した観光客は症状がない限り同検査の受検が免除される。

4 同証明書を提示できない観光客はPCR検査、あるいは迅速抗体検査を受検しなければならない。

5 迅速抗体検査結果の陽性者は続いてPCR検査を受検しなければならない。同検査結果が出るまでの間バリ州政府が指定する機関で隔離される。

6 PCR検査結果の陽性者はバリ州に所在する医療機関に入院し看護を受ける。

7 検査費用及び入院等のかかる費用は観光客が負担する。

8 すべての観光客はバリ州に入域する前にLOVEBALI(https://lovebali.baliprov.go.id)にアクセスして同アプリをインストールしておかなければならない。

9 観光客はバリ州に滞在する期間、以下の新時代における生活秩序のプロトコールを実践しなければならない。

a マスクの着用

b 手洗い等の励行

c 他者と1m以上間隔を開ける

d 清潔かつ健やかな生活を営む

e くしゃみや咳をする時にハンカチ等で鼻・口をふさぐ

f 目・鼻・口など顔の表面を直接に手で触らない

g 体温計の携行

h 携帯電話等身の回り品を清潔に保つ

i 新型コロナウイルス感染防止に協力する

j 他者との身体接触を避ける

10 観光客はバリ州に滞在する間、安全確保のためスマートフォンのGPS機能をオンにすること。

11 観光客はバリ州に滞在する間、LOVEBALIアプリを通じて体調不良や問題を通報することができる。

12 観光客は本通達の諸要件に従わなければならない。これに違反した場合は法により処罰される。


こんなに面倒な手続きが必要だけど、旅行する人がいるのかな?

なにはともあれ、経済の活性化は必須でしょう。


posted by ito-san at 15:34| Comment(2) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月01日

SKTT(居住地証明証)・2度目の申請は楽勝!(359)

私のパスポートの延長期限は、今年12月末日。

5年間の延長が終わったので、新規取得のためにシンガポールの出国する必要がある。

新型コロナウイルスの影響で、出国できるのか不明だが、準備をしておくことは大事だ。


今年もビザの申告用に、SKTTを入手しなければいけない。

リタイヤメント・ビザを取得するに、必要な書類のひとつ。

SKTTとは、Persyaratan Surat Keterangan tenpat Tinggal=居住地証明証のこと。

インドネシア人のKTP(Kartu Tanda Penduduk=住民登録証)のようなもの。

3月末、書類を揃えてギャニアールにある市民登録局(Dinas Kependudukan dan Pencatatan Sipil)に出向いた。

あいにく役所は、その日から新型コロナウイルスの影響で業務を停止されていた。

そして、外出自粛にはいった。

提出書類は、11種類ある。

詳しくは、2019年02月24日:■SKTT、四苦八苦の結果入手!(296)http://itosan-ubud.seesaa.net/article/464294839.htmlで。

もっとも手間取るのがドミシリー。

居住地の集落(バンジャール)の長が所有する書類に、長のサインをもらう。

就業しているので、在宅を狙うのが大変。

金銭を請求する悪習が残っている、集落長もいる。

集落によって金額も異なる。

ドミシリーが欲しいのは外国人だからと、法外な金額を請求する集落もあると聞く。

作成しない決まりのある集落もあるようだ。

このあと、集落長のサインの入った書類をウブドの役所に持っていく。

所長のサインをもらうためだ。

所長がオフィスに居れば、ラッキー。

スムーズにことが運べば、2〜3日で出来上がる。

ドミシリー以外にも金銭出費と手間時間がかかるという理由で、SKTTをビザ代行業社にお願いしている人が多い。

どんなテクニックがあるのか、SKTTの手続くを省いてKITAS取得をしている。

私は、入場料金がドメスティック価格になるので、是非SKTTを取得したい。

ボロブドゥール遺跡&プランバナン遺跡の入場料金が、外国人ツーリストは30ドル以上するが、地元価格だとRp4万だ。


4月15日、市民登録局に再度訪問。

ものものしいディスタンス状態になっていた。

インドネシアもやるときはやるのだ!

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なぜか客は、私以外に1組の男女だけだった。

申請用紙を預け、金曜日にできると伝えられた。

金曜日(17日)に行くと、建物の外で熱検査の鉄砲を額に当てられる。

36.5度で、無事通過。

受付に行くと、月曜日(20日)朝9時に変更された。

こういうことは、良くある話で、どうってこともない。

バリ人の信仰するヒンドゥー教の中に、3つの教えがあるそうな。

怒らない(Jangan Marah!)

嫌わない(Jangan Benci!)

逃げない(Jangan Minggat!)

彼らはこれを、小学校から習うと聞いている。

人間関係には、必要なことだ。

だから私も、怒らない。

そして、月曜日。

5分も待たず、手に入れることができた。

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昨年と同じ写真を使用。

現在の私は、白いヤギ髭をたくわえている。

使用できる期間が残り5ヶ月しかないが、とりあえず一安心。


posted by ito-san at 12:55| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする