「徘徊老人のハイカイ先は?」シーリズ化していますが、未だに上手く収録できないでいる。
台本なしのぶっつけ本番なのが、よくないのかな。
と言って、あんちょこを用意するほどの語りもしない。
動画の編集もままならないので、見苦しい仕上げになっています。
新型コロナ感染症が終息するまでの徘徊予定です。
いつになるのかわかりませんが、それまでお付き合いください。
《 第5回:徘徊老人のハイカイ先は? 》
ニュークニン村とシンガクルタ村を結ぶ橋は、1997年2月の完成。
それまでは、人がすれ違うにいっぱいの狭い竹の橋を渡っていた。
ツーリストは、この橋を「サーカスブリッジ」と呼んでいたようだ。
沐浴場だった川ですが、ホテルが建ち、観光客に見られるのを村人が嫌ったようで、今では沐浴する姿は見られません。
徘徊老人のカクカク動画は、NG物ですが、これもありかなと思ってアップ。
《 第6回:徘徊老人のハイカイ先は? 》
「クブンインダ(Kebun_Indah)・バンガロー」
プンゴセカン通りに「初代・影武者」があった頃、友人の多くが泊まったバンガロー。
そう、あなたとあなたのために動画をアップしました。
畦道の奥にあり、田園風景も美しかった。
台本なしの行き当たりばったりのレポートは、ボキャブラリーが少ないので難儀ですね。
クブンインダは「カフェ・ワヤン」の経営で、他にトゥブサヨの実家は「ファミリー・ゲスト・ハウス」を、ニュークニン村には「アラム・インダ=Alam Indah」」「アラム・シャンティ=Alam Shanti」「アラム・ジワ=Alam Jiwa 」がある。
《 第7回:徘徊老人のハイカイ先は? 》
今回は散歩道を探してのハイカイ。
3カ所ほど早送りがあって見苦しいですが、全編が長くなってしまうので、我慢ください。
回遊性がないのが残念ですが、ウブド内の散策で、この景色はレベルが高いですよ。
編集が下手でゴメンなさい。
《 第8回:徘徊老人のハイカイ先は? 》
パンダワ(Pandawa)ミュージックの北面の小道を抜けて、カルナ通りへ。
2020年09月26日
2020年09月18日
先進国と発展途上国という言葉に異論!(346)
田舎っぽさが気に入って、滞在を始めたウブド。
滞在を始めてすぐ、この村は人類が理想とする先進した村ではないだろうかと思った。
そう言う意味で、使い古された言葉だが「最後の楽園」を感じた。
街づくりに興味がある私が最初に驚いたのは、1990年に訪れた時に、すでに「セミパブリックスペース」があったことだ。
今では、日本でも普通に使われている言葉だろう。
セミパブリックスペースとは、プライベートなスペースとパブリックなスペースの中間的な役割をする場所。
例えば、屋敷内と外。
ウブドには、屋敷の道路側に幅の狭い空間があり、ほとんどが小さな庭になっている。
私は、曖昧なスペースと呼んでいる。
曖昧な部分は、バリの二元論にも通じると思っている。
「バリ人の信仰するヒンドゥー教の二元論について考える(355)http://itosan-ubud.seesaa.net/article/476168500.html」
道路ギリギリに、家が建っているわけでないので、圧迫感がない。
滞在当時、塀も生け垣だったり、低い土塀だったので、さらに圧迫感は薄い。

(写真提供:中村政広氏)

(写真提供:中村政広氏)
現在は、わずかしか残っていないが、田舎に行け、ばまだ見られる風景だ。
滞在が長くなるうち、この曖昧さは、バリの個性でもあること気がついた。
そう、キッチリ割り切らなくてもいいだろう、と言う考え方だ。
これが、ストレスを溜めないテクニックに思えた。
バンプ(Bump)の存在にも目を奪った。
バンプとは、道路の一部を隆起させ、通過する車両に上下の振動を及ぼすことで運転者に減速を促す構造物の総称。
機能や形状によって、スピードバンプやスピードクッションなどとも称される。
インドネシア語では、ホリス・ティドゥールと云う。
横たわっている警察官とも訳そうか。
日本では、ニュータウンや住宅地などに設置されている。
ウブドでは、幹線道路を除いて、すべての道にバンプが敷設されていた。
残念ながら、簡易なため壊れやすいバンプでもあった。

先進国、後進国という言葉がある。
先進国は、高度な工業化を達成し、技術水準ならびに生活水準の高い、経済発展が大きく進んだ国家のこと。
後進国は、経済発展や開発の水準が先進国に比べて低く、経済成長の途上にある国を指すらしい。
後進国は、侮蔑的な言葉とされ、現在では発展途上国(開発途上国)の呼称が一般的になっている。
途上国という言葉にしても、先進したとされる国の、上から目線としか思えない。
よその家と比較して「うちはお宅より、文化的生活しています」だから先進国なのよ的な発想だ。
先進国にしても、到着点に達したわけではない。
すべての国は、現在進行形の発展途上国。
あえて先進を使うなら「先進途上国」だろう。
人間がもっとも人間らし生きられる国造りに、すべての国は邁進している。
インドネシアには、外部と接触を持たない村があり、数世紀前の文明のままで生活している人々がいる。
先進国の人々は文明人と称し、文明に取り残された(本人たちは、そう思っていないかもしれないのに)人々をしばしば未開人=野蛮人と呼ぶ。
果たして文明は今、正しい方向に向かっているのだろうか、それは疑問だ。
発展途上国とされる国民は、先進したいと願っているのだろうか。
果たして、先進する必要があるのか。
開発することが良いのか?
発展することが良いのか?
私的には、先進の反意語は後退だと思っている。
人類は、今、後退するべきかもしれない。
退行的進化だ。
ウブドが、退行的進化した村ではないかと感じた点を、いくつかあげてみる。
バンジャールと呼ばれる最小単位の村組織は、その一つだ。
役割は、寺院の維持、管理、寺院祭礼の運営や奉仕活動(ンガヤ)だ。
さらに、バンジャールの集会場や村内の道路などの労働奉仕(ゴトンロヨン)。
そして、村民同士の相互扶助。
相互扶助は人類の誕生以来、世界各地に存在していたようだが、現存しているのは珍しいと思われる。
日本にもあった、ようですね。
ンガヤ&ゴトンロヨンの連絡が頻繁にあるため、干渉は密である。
先進国のコミュニケーション不足と比べれば、かなり干渉過多かもしれない。
生活の拠点がバンジャールにあれば、日本のような孤独死はない。
日常生活にも、退行的進化を感じた。
朝陽とともに仕事を始め、日没には仕事を終える。
それは、信仰儀礼中心の生活だからだろう。
庭には野菜や果物がなり、飼われた鶏は卵を産む。
半自給自足。
儀礼の時には、鶏や豚を生贄にする。
生贄にされた動物は、その後ご馳走になって給される。
飲料水には、湧き水が豊富に供給できる。
充分に食事がとれて、健康であれば、それで良いのではないだろうか。
裸足での生活。
古着のようだが、洗濯は頻繁にされている。
無駄に贅沢はしないのだ。
バリアンと呼ばれる呪医師がいる。
呪医師は、いろいろな薬用植物を使用して治療する。
あとは、近代医療設備の整った病院があれは、もう怖いものない。
万全な医療と衛生管理が行き届いた生活。
自分に必要と思われる物だけを選んで、享受していこう。
望むならば、個人個人が楽しくあれば、いい。
滞在を始めてすぐ、この村は人類が理想とする先進した村ではないだろうかと思った。
そう言う意味で、使い古された言葉だが「最後の楽園」を感じた。
街づくりに興味がある私が最初に驚いたのは、1990年に訪れた時に、すでに「セミパブリックスペース」があったことだ。
今では、日本でも普通に使われている言葉だろう。
セミパブリックスペースとは、プライベートなスペースとパブリックなスペースの中間的な役割をする場所。
例えば、屋敷内と外。
ウブドには、屋敷の道路側に幅の狭い空間があり、ほとんどが小さな庭になっている。
私は、曖昧なスペースと呼んでいる。
曖昧な部分は、バリの二元論にも通じると思っている。
「バリ人の信仰するヒンドゥー教の二元論について考える(355)http://itosan-ubud.seesaa.net/article/476168500.html」
道路ギリギリに、家が建っているわけでないので、圧迫感がない。
滞在当時、塀も生け垣だったり、低い土塀だったので、さらに圧迫感は薄い。

(写真提供:中村政広氏)

(写真提供:中村政広氏)
現在は、わずかしか残っていないが、田舎に行け、ばまだ見られる風景だ。
滞在が長くなるうち、この曖昧さは、バリの個性でもあること気がついた。
そう、キッチリ割り切らなくてもいいだろう、と言う考え方だ。
これが、ストレスを溜めないテクニックに思えた。
バンプ(Bump)の存在にも目を奪った。
バンプとは、道路の一部を隆起させ、通過する車両に上下の振動を及ぼすことで運転者に減速を促す構造物の総称。
機能や形状によって、スピードバンプやスピードクッションなどとも称される。
インドネシア語では、ホリス・ティドゥールと云う。
横たわっている警察官とも訳そうか。
日本では、ニュータウンや住宅地などに設置されている。
ウブドでは、幹線道路を除いて、すべての道にバンプが敷設されていた。
残念ながら、簡易なため壊れやすいバンプでもあった。

先進国、後進国という言葉がある。
先進国は、高度な工業化を達成し、技術水準ならびに生活水準の高い、経済発展が大きく進んだ国家のこと。
後進国は、経済発展や開発の水準が先進国に比べて低く、経済成長の途上にある国を指すらしい。
後進国は、侮蔑的な言葉とされ、現在では発展途上国(開発途上国)の呼称が一般的になっている。
途上国という言葉にしても、先進したとされる国の、上から目線としか思えない。
よその家と比較して「うちはお宅より、文化的生活しています」だから先進国なのよ的な発想だ。
先進国にしても、到着点に達したわけではない。
すべての国は、現在進行形の発展途上国。
あえて先進を使うなら「先進途上国」だろう。
人間がもっとも人間らし生きられる国造りに、すべての国は邁進している。
インドネシアには、外部と接触を持たない村があり、数世紀前の文明のままで生活している人々がいる。
先進国の人々は文明人と称し、文明に取り残された(本人たちは、そう思っていないかもしれないのに)人々をしばしば未開人=野蛮人と呼ぶ。
果たして文明は今、正しい方向に向かっているのだろうか、それは疑問だ。
発展途上国とされる国民は、先進したいと願っているのだろうか。
果たして、先進する必要があるのか。
開発することが良いのか?
発展することが良いのか?
私的には、先進の反意語は後退だと思っている。
人類は、今、後退するべきかもしれない。
退行的進化だ。
ウブドが、退行的進化した村ではないかと感じた点を、いくつかあげてみる。
バンジャールと呼ばれる最小単位の村組織は、その一つだ。
役割は、寺院の維持、管理、寺院祭礼の運営や奉仕活動(ンガヤ)だ。
さらに、バンジャールの集会場や村内の道路などの労働奉仕(ゴトンロヨン)。
そして、村民同士の相互扶助。
相互扶助は人類の誕生以来、世界各地に存在していたようだが、現存しているのは珍しいと思われる。
日本にもあった、ようですね。
ンガヤ&ゴトンロヨンの連絡が頻繁にあるため、干渉は密である。
先進国のコミュニケーション不足と比べれば、かなり干渉過多かもしれない。
生活の拠点がバンジャールにあれば、日本のような孤独死はない。
日常生活にも、退行的進化を感じた。
朝陽とともに仕事を始め、日没には仕事を終える。
それは、信仰儀礼中心の生活だからだろう。
庭には野菜や果物がなり、飼われた鶏は卵を産む。
半自給自足。
儀礼の時には、鶏や豚を生贄にする。
生贄にされた動物は、その後ご馳走になって給される。
飲料水には、湧き水が豊富に供給できる。
充分に食事がとれて、健康であれば、それで良いのではないだろうか。
裸足での生活。
古着のようだが、洗濯は頻繁にされている。
無駄に贅沢はしないのだ。
バリアンと呼ばれる呪医師がいる。
呪医師は、いろいろな薬用植物を使用して治療する。
あとは、近代医療設備の整った病院があれは、もう怖いものない。
万全な医療と衛生管理が行き届いた生活。
自分に必要と思われる物だけを選んで、享受していこう。
望むならば、個人個人が楽しくあれば、いい。
2020年09月13日
ミンタ・ウアンに遭遇したら!(345)
徘徊老人の動画を撮りに出かけた、ある日の午後。
行き先は、ウブドの西・チャンプアン橋を越えたサンギンガン通りにある「ビンタン・スーパー」。
「ビンタン・スーパー」の南側に、壁に沿うようにして階段がある。
階段を上り路地を進むと、見晴らしのよい田んぼに出る(はず)。
今回の徘徊は、このあたりの散歩コースを開拓したいと目論んでいる。
帰りに買い物をしたいので、バイクを「ビンタン・スーパー」の駐車場に止めた。
駐車場の端にある階段を下りる。
歩道に出ると、幼児を抱えた若い女性が右手を出してきた。
ミンタ・ウアン(minta uang)=お金を求める仕草だ。
妖怪じゃありません、我々と同じ人間ですよ。
お乞食さん、でもありません。
一説では、バリ東部の貧困の村がらの出稼ぎだという。
某村の風習のようなもので、ある時期になると出現する。
顔ぶれは変わるが、今では一年を通して見かけるようになった。
幼児は同郷の村人から借りてくることもあるらしい。
モンキーフォレスト通りやガソリンスタンド近くなどの、大勢の人がいそうな場所にいる。
観光地ウブドのイメージが悪くなるのを懸念して、ギャニアール県は時々、警官を動員して彼女ら締め出しをする。
私は、遭遇すると、たいてい小銭を渡すようにしている。
これは、托鉢する修行僧に対するお布施のようなものだと心得ている。
ウエストバッグに、小銭が入っていた。
掴むとRp500-が、4枚出てきた。
いつもなら全部渡すところだが、この日はなぜか2枚を差し出した。
手のひらにのせて、歩き始める。
彼女たちは、感謝の意を表さない。
5メートル先に、もうひと組の親子がこちらを見ていた。
先ほどの女性よりも、さらに若い。
コインを渡すところを見ていただろう。
グループじゃないだろうから、ひとりに渡したからって済むことではない。
彼女に、施しをしないわけにはいかないだろう。
残っていたRp500-2枚を渡した。
財布の中には、一万ルピア以上の札しか入っていない。
もうひと組いたら、どうしてただろう。
2組のミンタ・ウアンをやり過ごして、徘徊ために階段を上る。
次の日、動画の撮り忘れがあったため、再びビンタン・スーパーへ向かった。
買い物がないので、バイクを路肩に止めることにした。
路肩には、バイクが列をなして止まっている。
ちょうど階段前に、一番分のスペースがあいていた。
駐車して、歩き始めると、目の前に一台のバイクが止まった。
婦人が運転していた。
バイクに乗ったまま、声を掛けてくる。
「この近くで、仕事はありませんか?」
かなり唐突な質問だった。
サンギンガン通りの従業員募集の情報が、私の耳に届くはずもない。
コロナ禍で解雇の噂は、聞こえてくるが。
私は、困惑した。
そんな私の表情を見てとったのか、こんなことを言う。
「仕事が見つからなくて。シンガラジャまで戻るのですが、ガソリンがなくなりかけていて」
今すぐ、お金が必要な状況なのだと理解した。
ということは、砂やブロックを運ぶ日当の仕事を探していたのか。
ウブドに、日雇い仕事の受けいれ業者があるかどうかも知らないし、昼3時を過ぎた時間から仕事を探すのも難しいだろう。
彼女の話を、腰を据えて聞いてやる時間はない。
私の頭の中は、混乱している。
仕事は見つけられないが、なんとかしてあげたい。
できることと言えば、ガソリン代を少しカンパすることくらいだ。
「これでガソリンを買ってください」と、1万ルピア札を渡した。
節約生活している私にとって、たとえ少額でも痛い出費だ。
果たして、これでシンガラジャまで帰れるかどうかはわからないが、今の私にはこれしかできない。
婦人を疑う気持ちは、起こらなかった。
2日続けてのミンタ・ウアン遭遇。
観光客がいなくなった今、ビンタン・スーパーマーケットの脇は長期滞在の外国人を待ち構えるに最適な場所なのだろう。
ガードマンのいる入り口には近づかないし、駐車場内には入ってこないので、普通は遭遇しない。
初めから渡すつもりでいる私には問題ないが、こういう行為の許せない人にとっては「鬱陶しい」ことかもしれない。
風習とは言え、好ましい行動とは考え難い。
インドネシアの経済が発展すれば、ミンタ・ウアンの姿も減るのだろうか?
行き先は、ウブドの西・チャンプアン橋を越えたサンギンガン通りにある「ビンタン・スーパー」。
「ビンタン・スーパー」の南側に、壁に沿うようにして階段がある。
階段を上り路地を進むと、見晴らしのよい田んぼに出る(はず)。
今回の徘徊は、このあたりの散歩コースを開拓したいと目論んでいる。
帰りに買い物をしたいので、バイクを「ビンタン・スーパー」の駐車場に止めた。
駐車場の端にある階段を下りる。
歩道に出ると、幼児を抱えた若い女性が右手を出してきた。
ミンタ・ウアン(minta uang)=お金を求める仕草だ。
妖怪じゃありません、我々と同じ人間ですよ。
お乞食さん、でもありません。
一説では、バリ東部の貧困の村がらの出稼ぎだという。
某村の風習のようなもので、ある時期になると出現する。
顔ぶれは変わるが、今では一年を通して見かけるようになった。
幼児は同郷の村人から借りてくることもあるらしい。
モンキーフォレスト通りやガソリンスタンド近くなどの、大勢の人がいそうな場所にいる。
観光地ウブドのイメージが悪くなるのを懸念して、ギャニアール県は時々、警官を動員して彼女ら締め出しをする。
私は、遭遇すると、たいてい小銭を渡すようにしている。
これは、托鉢する修行僧に対するお布施のようなものだと心得ている。
ウエストバッグに、小銭が入っていた。
掴むとRp500-が、4枚出てきた。
いつもなら全部渡すところだが、この日はなぜか2枚を差し出した。
手のひらにのせて、歩き始める。
彼女たちは、感謝の意を表さない。
5メートル先に、もうひと組の親子がこちらを見ていた。
先ほどの女性よりも、さらに若い。
コインを渡すところを見ていただろう。
グループじゃないだろうから、ひとりに渡したからって済むことではない。
彼女に、施しをしないわけにはいかないだろう。
残っていたRp500-2枚を渡した。
財布の中には、一万ルピア以上の札しか入っていない。
もうひと組いたら、どうしてただろう。
2組のミンタ・ウアンをやり過ごして、徘徊ために階段を上る。
次の日、動画の撮り忘れがあったため、再びビンタン・スーパーへ向かった。
買い物がないので、バイクを路肩に止めることにした。
路肩には、バイクが列をなして止まっている。
ちょうど階段前に、一番分のスペースがあいていた。
駐車して、歩き始めると、目の前に一台のバイクが止まった。
婦人が運転していた。
バイクに乗ったまま、声を掛けてくる。
「この近くで、仕事はありませんか?」
かなり唐突な質問だった。
サンギンガン通りの従業員募集の情報が、私の耳に届くはずもない。
コロナ禍で解雇の噂は、聞こえてくるが。
私は、困惑した。
そんな私の表情を見てとったのか、こんなことを言う。
「仕事が見つからなくて。シンガラジャまで戻るのですが、ガソリンがなくなりかけていて」
今すぐ、お金が必要な状況なのだと理解した。
ということは、砂やブロックを運ぶ日当の仕事を探していたのか。
ウブドに、日雇い仕事の受けいれ業者があるかどうかも知らないし、昼3時を過ぎた時間から仕事を探すのも難しいだろう。
彼女の話を、腰を据えて聞いてやる時間はない。
私の頭の中は、混乱している。
仕事は見つけられないが、なんとかしてあげたい。
できることと言えば、ガソリン代を少しカンパすることくらいだ。
「これでガソリンを買ってください」と、1万ルピア札を渡した。
節約生活している私にとって、たとえ少額でも痛い出費だ。
果たして、これでシンガラジャまで帰れるかどうかはわからないが、今の私にはこれしかできない。
婦人を疑う気持ちは、起こらなかった。
2日続けてのミンタ・ウアン遭遇。
観光客がいなくなった今、ビンタン・スーパーマーケットの脇は長期滞在の外国人を待ち構えるに最適な場所なのだろう。
ガードマンのいる入り口には近づかないし、駐車場内には入ってこないので、普通は遭遇しない。
初めから渡すつもりでいる私には問題ないが、こういう行為の許せない人にとっては「鬱陶しい」ことかもしれない。
風習とは言え、好ましい行動とは考え難い。
インドネシアの経済が発展すれば、ミンタ・ウアンの姿も減るのだろうか?
2020年09月02日
徘徊老人のハイカイ先は?(344)
コロナ禍の外出自粛で、怠惰な時間を浪費する日々。
何もしないより、何かをしていたい。
そんな思いで、自撮り棒を買ったのをキッカケにして、フェイスブックに己の姿をさらけ出すことにした。
みんなに忘れられないために、との言い訳を含んで。
高齢になって、恥ずかし気もなく露出趣味が漏出してきた。
この歳になると、「恥ずかしい」という感覚が希薄になるようだ。
「徘徊老人のハイカイ先は?」のタイトルで投稿している。
写真じゃなく、それも動画で喋りも入れて。
と言っても、全編私の顔が入っているのも鬱陶しいだろうと考え、景色はカメラで撮影しています。
フェイスブックの友達が、ブログの読者とは限らない。
重複している人には申し訳ないが、投稿を掲載させていただいます。
フェイスブックで繋がっていない友人のために。
これまでの4回分を、公開します。
《 第1回:徘徊老人のハイカイ先は? 》
デヴィシータ通りの橋の上に立って、緊張気味にコメントしている。
さて、行き先はどこだ!
《 第2回:徘徊老人のハイカイ先は? 》
プンゴセカン通りのある場所に立っています。
「グリーン・フィールド」と「テガル・サリ」のリピーターの方には、懐かしい風景かもしれません。
自撮り棒の使い方がイマイチ掴めないのと、畦道での使用は危険だと判断して、普通のカメラに持ち替えました。
ひとりで喋るのって、難しいね。
他人には、独り言をつぶやいて歩いている、変な徘徊老人に見えているのかな?
《 第3回:徘徊老人のハイカイ先は? 》
プンゴセカンにあった頃の「初代・影武者」の跡を訪ねてみた。
庭から見えていた田んぼは、全滅。
これではホタルも飛んできませんね。
裏にあったコスは、廃墟。
「二代目・・影武者」は、ゲスト・ハウスになっていました。
《 第4回:徘徊老人のハイカイ先は? 》
「和るん・あんかさ」のある路地をハイカイしました。
「アパ?情報センター」があったところも紹介しています。
「ホワイト・ハウス・バンガロー」を「スリー・ブラザーズ」と言い続けていますが、終了間際に気づいて訂正しています。
誤報のないように気をつけていますが、そこは老人のすること間違いは多くなると思います。
そこのところ、よろしく!
畦道を通って「ホワイトハウス」に行くのですが、右手・南側には下りの田んぼが遠くまで続く風景でした。
バリ関係と旅の動画を、細々とYouTubeにアップしているので、覗いてやってください。
「https://www.youtube.com/channel/UCuxCYokJu-mzTfxTK5Xe2eg?view_as=subscriber」
よろしく!
何もしないより、何かをしていたい。
そんな思いで、自撮り棒を買ったのをキッカケにして、フェイスブックに己の姿をさらけ出すことにした。
みんなに忘れられないために、との言い訳を含んで。
高齢になって、恥ずかし気もなく露出趣味が漏出してきた。
この歳になると、「恥ずかしい」という感覚が希薄になるようだ。
「徘徊老人のハイカイ先は?」のタイトルで投稿している。
写真じゃなく、それも動画で喋りも入れて。
と言っても、全編私の顔が入っているのも鬱陶しいだろうと考え、景色はカメラで撮影しています。
フェイスブックの友達が、ブログの読者とは限らない。
重複している人には申し訳ないが、投稿を掲載させていただいます。
フェイスブックで繋がっていない友人のために。
これまでの4回分を、公開します。
《 第1回:徘徊老人のハイカイ先は? 》
デヴィシータ通りの橋の上に立って、緊張気味にコメントしている。
さて、行き先はどこだ!
《 第2回:徘徊老人のハイカイ先は? 》
プンゴセカン通りのある場所に立っています。
「グリーン・フィールド」と「テガル・サリ」のリピーターの方には、懐かしい風景かもしれません。
自撮り棒の使い方がイマイチ掴めないのと、畦道での使用は危険だと判断して、普通のカメラに持ち替えました。
ひとりで喋るのって、難しいね。
他人には、独り言をつぶやいて歩いている、変な徘徊老人に見えているのかな?
《 第3回:徘徊老人のハイカイ先は? 》
プンゴセカンにあった頃の「初代・影武者」の跡を訪ねてみた。
庭から見えていた田んぼは、全滅。
これではホタルも飛んできませんね。
裏にあったコスは、廃墟。
「二代目・・影武者」は、ゲスト・ハウスになっていました。
《 第4回:徘徊老人のハイカイ先は? 》
「和るん・あんかさ」のある路地をハイカイしました。
「アパ?情報センター」があったところも紹介しています。
「ホワイト・ハウス・バンガロー」を「スリー・ブラザーズ」と言い続けていますが、終了間際に気づいて訂正しています。
誤報のないように気をつけていますが、そこは老人のすること間違いは多くなると思います。
そこのところ、よろしく!
畦道を通って「ホワイトハウス」に行くのですが、右手・南側には下りの田んぼが遠くまで続く風景でした。
バリ関係と旅の動画を、細々とYouTubeにアップしているので、覗いてやってください。
「https://www.youtube.com/channel/UCuxCYokJu-mzTfxTK5Xe2eg?view_as=subscriber」
よろしく!