徘徊老人の動画を撮りに出かけた、ある日の午後。
行き先は、ウブドの西・チャンプアン橋を越えたサンギンガン通りにある「ビンタン・スーパー」。
「ビンタン・スーパー」の南側に、壁に沿うようにして階段がある。
階段を上り路地を進むと、見晴らしのよい田んぼに出る(はず)。
今回の徘徊は、このあたりの散歩コースを開拓したいと目論んでいる。
帰りに買い物をしたいので、バイクを「ビンタン・スーパー」の駐車場に止めた。
駐車場の端にある階段を下りる。
歩道に出ると、幼児を抱えた若い女性が右手を出してきた。
ミンタ・ウアン(minta uang)=お金を求める仕草だ。
妖怪じゃありません、我々と同じ人間ですよ。
お乞食さん、でもありません。
一説では、バリ東部の貧困の村がらの出稼ぎだという。
某村の風習のようなもので、ある時期になると出現する。
顔ぶれは変わるが、今では一年を通して見かけるようになった。
幼児は同郷の村人から借りてくることもあるらしい。
モンキーフォレスト通りやガソリンスタンド近くなどの、大勢の人がいそうな場所にいる。
観光地ウブドのイメージが悪くなるのを懸念して、ギャニアール県は時々、警官を動員して彼女ら締め出しをする。
私は、遭遇すると、たいてい小銭を渡すようにしている。
これは、托鉢する修行僧に対するお布施のようなものだと心得ている。
ウエストバッグに、小銭が入っていた。
掴むとRp500-が、4枚出てきた。
いつもなら全部渡すところだが、この日はなぜか2枚を差し出した。
手のひらにのせて、歩き始める。
彼女たちは、感謝の意を表さない。
5メートル先に、もうひと組の親子がこちらを見ていた。
先ほどの女性よりも、さらに若い。
コインを渡すところを見ていただろう。
グループじゃないだろうから、ひとりに渡したからって済むことではない。
彼女に、施しをしないわけにはいかないだろう。
残っていたRp500-2枚を渡した。
財布の中には、一万ルピア以上の札しか入っていない。
もうひと組いたら、どうしてただろう。
2組のミンタ・ウアンをやり過ごして、徘徊ために階段を上る。
次の日、動画の撮り忘れがあったため、再びビンタン・スーパーへ向かった。
買い物がないので、バイクを路肩に止めることにした。
路肩には、バイクが列をなして止まっている。
ちょうど階段前に、一番分のスペースがあいていた。
駐車して、歩き始めると、目の前に一台のバイクが止まった。
婦人が運転していた。
バイクに乗ったまま、声を掛けてくる。
「この近くで、仕事はありませんか?」
かなり唐突な質問だった。
サンギンガン通りの従業員募集の情報が、私の耳に届くはずもない。
コロナ禍で解雇の噂は、聞こえてくるが。
私は、困惑した。
そんな私の表情を見てとったのか、こんなことを言う。
「仕事が見つからなくて。シンガラジャまで戻るのですが、ガソリンがなくなりかけていて」
今すぐ、お金が必要な状況なのだと理解した。
ということは、砂やブロックを運ぶ日当の仕事を探していたのか。
ウブドに、日雇い仕事の受けいれ業者があるかどうかも知らないし、昼3時を過ぎた時間から仕事を探すのも難しいだろう。
彼女の話を、腰を据えて聞いてやる時間はない。
私の頭の中は、混乱している。
仕事は見つけられないが、なんとかしてあげたい。
できることと言えば、ガソリン代を少しカンパすることくらいだ。
「これでガソリンを買ってください」と、1万ルピア札を渡した。
節約生活している私にとって、たとえ少額でも痛い出費だ。
果たして、これでシンガラジャまで帰れるかどうかはわからないが、今の私にはこれしかできない。
婦人を疑う気持ちは、起こらなかった。
2日続けてのミンタ・ウアン遭遇。
観光客がいなくなった今、ビンタン・スーパーマーケットの脇は長期滞在の外国人を待ち構えるに最適な場所なのだろう。
ガードマンのいる入り口には近づかないし、駐車場内には入ってこないので、普通は遭遇しない。
初めから渡すつもりでいる私には問題ないが、こういう行為の許せない人にとっては「鬱陶しい」ことかもしれない。
風習とは言え、好ましい行動とは考え難い。
インドネシアの経済が発展すれば、ミンタ・ウアンの姿も減るのだろうか?