自粛生活で、読書がすすむ。
残念なことに、読む本がなくなった。
蔵書を引っ張り出しみた。
再読した本を紹介する。
「日本占領下・バリ島からの報告(東南アジアでの救育政策):鈴木政平」
日本軍占領下のアンボンとバリ島に、2年半の間、赴任した教育者が残した報告書。
日本認識、日本的訓練、日本語教育を目的とした指導に打ち込む著者の姿勢が報告されている。
1943年〜1944年(昭和18年〜昭和19年)のバリ滞在中の報告書は、現在でも大差のない事柄もあり、バリ好きには興味が持てる読み物だろう。
州都が、北部バリのシンガラジャだった頃の実話。
私は訪れた1990年に、同様の感想を得たことに驚いた。
46年の時を経ても、まったく変わらない文化がそこにあった。
そして、30年後の現在を訪れる人々は、変わらないと感じるか、変わったと感じるか。
そんなことに興味があって、この本の内容を原文のままで抜粋して記載した。
第二信 第一節 バリ島点描
この島はどこへ行っても田、田、田、田の連続であります。
半年ぶりで一望千里の水田を見たときの私たちのよろこびを想像してみてください。
まったく内地へ帰ったような親しみを感じたものであります。
しかも、水利が非常によく行きとどいて、山の中腹まで開拓されているのは感心のほかはありません。
畔の切り方、苗代の様式、苗の植え方、農夫のすげ笠までが、内地とほとんど同じです。
もしその間に椰子の木立の点在がなかったならば、誰だって内地に来たんじゃないか、という錯覚をおこしたにちがいありません。
ところがここに、内地の水田風景とは途方もなくちがった一点があるのです。
こちらでは早苗をとっているかと思うと、その隣では稲が一尺も伸びて青々と波うっている、そうかと思うと向こうからは、抜穂の収穫を頭にのせて運んでくる女の群れがあるといった有様なんです。
つまり内地の、4、5、6、7、8、9、10、11月の水田風景が、ここでは同じ場所に圧縮されて、一緒くたに展開されている。
年柄年中稲が実るという証拠ですが、しかし聞けば、年二回の収穫はせぬという。──施肥をしないから、二回とったんでは地力がつづかない、というのです。
第八節
この島を訪れる誰でもが、ヒンズー文化の伝統を引く建築、彫刻のすぐれた特異性におどろかぬものはないでしょう。
それはもちろん奈良時代などに現れたような渾然たる総合性は見られず、またあれほど優雅、巧緻、精彩、気品はありませんが、しかし、それにもまさる単純が豪壮さがあり、神秘的な諧謔さがあります。
さらにここ独特のゴン音楽と踊りとが織りなす絢爛たる総合的舞踊芸術に至っては、遺憾ながら日本には比肩すべきものがないのではないかと思われるほどであります。
第三信 第十五節 伝統的文化と宗教指導
すでに多くの人々によっても紹介せられているように、独自の香りとゆたかな個性に彩られた輝かしい固有の文化を発見するものでありまして、その意味では南方地域においてはまれに見る文化人だということが出来るのであります。
これは通りすがりの旅行者などにもただちにそれと感得出来るような際立ったすがたを呈しているもので、例えば寺院建築、それに配置された彫像、あるいは集落形式、家屋構造、住民の風俗等は特にそうでありますが、もししばらく滞在でもするものであれば、さらに独特の音楽や舞踊、さては祭式、年中行事等にも自然にふれる機会が出てきますし、絵画や工芸などの特色を発見するにも至るでしょう。
卒然としてこの島にやってきた人々でさえもそうでありますから、もしジャワやその他の島々についての見聞や知識をもったものであれば、さらにいっそう鋭くその特異性について印象を得るでしょうし、この小っぽけな島だけが万緑中の紅一点のごとく、別種の彩りをもっているのかと、研究的な興味をさえそそられるにちがいないと思われます。
旅行者や研究家たちはよく「バリ人の生活はスンバーヤン(祭祀)に終始している」とか「千ヶ寺の島バリ」とか語っていますが、これは決して誇張した言葉ではなく、正しく事実の真を突いたものということが出来ます。
二カ年に近いバリの生活において我々は、スンバーヤンの主要なるものについては若干の知識をもつことができましたが、その細かなものに至っては枚挙にいとまなく、到底理解どころではない有様でありました。
−−シンガラジャ市内だけに限って見ても、スンバーヤンの供物をささげた盛装の女たちを見ぬ日とては少ないほどで、いったいこの島にはどれほどの祭日があるか、なんびとも容易に知ることの出来ない有様であります。
冠婚葬祭はもとより、ほとんど一切の年中行事がヒンズー信仰にもとづいていることは申すまでもなく、建築彫刻絵画工芸、音楽舞踊演劇等、何らかの意味でヒンズー教につながりをもたぬものは少ないのであります。
彼らが生活歴(これはインド伝来の太陰暦でありますが)のほかスンバーヤン歴(一年を二百十日とす。すなわち七日を一単位とするもの三十箇によりて構成せらる)をもっていること、そしてその祭祀歴が圧倒的な力をもっていて、生活歴の使用が主として農事に限られていることなども、彼らの信仰生活の根ぶかさを物語っているものと申さねばなりません。
結信 第二節 バリ人諸君に呈する書
十年後、二十年後のバリ、それはいったいどんなすがたのものであろう。
アゴン山は依然としてその雄姿を三千余メートルの天空に聳立させているだろうし、バトール湖は今日と同じようにバトール山の噴煙を映しているだろうし、ニッピやサラスワテの奇習もまた今日と同様年々歳々に行われているだろうし、ガロンガンのペンジョル(飾り物)は相変わらず諸君の家の門口や街頭を美しく飾っているだろう。
諸君は相変わらずゴンを楽しみ闘鶏に興じ、ハリラヤには取っておきの美しいサロンやスレンダンを着飾ってお寺詣りに忙しいことだろう。
おそらくこうした生活の面には何ら変化もないことだろう。
そして私もこうした方面には変化ないことを希望してやまないものである。
どうでしたが?
自分の感想と、相違はありましたか?
きっと、同感する部分も多かったと思います。
77年を経ても、変わらないバリは素晴らしい。
「日本占領下・バリ島からの報告」著者:鈴木政平
(1999年8月16日・第1刷発行)
(アパ?の蔵書あります。貸し出し可)