9月29日のポカポカ陽気の昼下がり。
テラスで寛いでいた私に、家主のパチュン君が話しかけてきた。
「クタの親類の娘が、海外の仕事が終了して帰って来る。テガランタン村のホテルで就職が決まり、10月からこの村に移って来たいと言われている」と言う。
コロナの影響で、海外の就職先を解雇されたのだろうか。
就職が決まったことは、祝福したい。
「ほかの部屋は使っているので」と、言葉を濁す。
私に、この部屋を明け渡してくれ、と言いたいのだろう。
とぼけて聞き流せばいいものを、感の良い私は、言葉の内容を汲み取ってしまう。
これまで、まったくそんな素振りを見せなかったので、寝耳に水だった。
突然の宣告に、唖然とした。
よりによって、先の見通しのつかないコロナ禍の最中で。
日本帰国、ボロブドゥール移住、ウブドに止まるかの選択に苦慮しているこの時期に、まさかの事態だ。
困惑で、小さなパニックを起こしている。
「今は家賃も安くなっているだろうから、部屋はすぐに見つかると思うよ」と、ありがたくもないアドバイスをしてくれる。
私の払う家賃が少額なのも、理由のひとつかもしれない。
2015年のコロンビアに旅立つ前、奥さんから「伊藤さんは、家族の一人だから、ズ〜といてくれると思ったのに!」の一言が胸に残り、甘えていたのかもしれない。
頭の中は、すでに転居先を模索していた。
パチュン君にも、何らかの思惑があるだろう。
彼の立場を考慮すると、拒むことはできない。
一ヶ月の猶予をもらって「10月中には出て行きます」と応えた。
友人の家、以前に滞在したことのある宿など、幾つかの候補が思い浮かんだ。
積極的に動かないうちに、「和食・影武者」のスタッフの一人が空き部屋を見つけてきてくれた。
1軒目は、屋敷の一番奥で、数段の階段を降りる。
階段が濡れていて、滑るのが難点だ。
部屋は、湿気を含んだ古い部屋だった。
雨風がしのげればよいと考えていた私には、ここでも問題なかった。
2軒目は、住居が密集しているが、部屋は真新しく清潔だった。
1軒目を見た後だから真新しく見えたわけはなく、実際に改装したばかりで、まだ誰にも使われていない部屋だった。
私は、借りたいと即決した。
「影武者」のスタッフは、1軒目を見た時から、こちらを推薦するつもりだったようだ。
こうして、プンゴセカン村に転居することが決まった。
11月1日からの入居だが、新しい大家さんは、1週間前から荷物の運び入れを承諾してくれた。
2週間の猶予があるので、バイクで引っ越しをすることにした。
自称・生涯旅人の家財道具は、バックパッカー荷物に工具少々と着替えがプラスされる程度だ。
コロンビア移住を諦めたあとも、4月にボロブドゥール移住を考えていたので、大きな荷物はほとんどない。
1週間で運ぶことのできる荷物以外は、一時、影武者に預けることにした。
預けた荷物は、引っ越してから運ぶ予定だ。
1週間は、毎日少しの荷物を運んだ。
10月31日の最終日、最後の荷物と共に、パチュン家を後にした。
家賃の不足分は、バイクを手放すときに精算する約束だ。
今回のパチュン家滞在は、ほぼ一年間。
快適な住空間だった。
以前、私の置いていった家具のうちベッドは虫に食われ新しくなっていたが、タンスと本棚、その他小物は揃っていた。
ホットシャワーとバスタブとの別れが、辛かった。
お世話になりました。
プンゴセカン村のデワさん家に、引っ越し完了。
この日から、新しい下宿先に泊まることになる。
家具ひとつない部屋だが、バックパカーの私には、まったく問題はない。
ホットシャワーがないのは可哀想だと、「影武者」の女将が一口ガスレンジとガスボンベ、大きなヤカンを用意してくれた。
今度の下宿先は「和食・影武者」に、バイクで5分とかからない。
近すぎて寄り道ができないのが、ちょっと残念だが。
真新しい部屋での生活も、10日目になる。
長々とつまらない日常を綴りましたが、コロナ禍の中、ストレスを溜めないように心がけて生活を送っている私の情報です。
1日も早くコロナが終息して、皆様に再会できることを楽しみにしております。
2020年11月10日
2020年11月05日
第4弾:徘徊老人のハイカイ先は? (352)
私が旅の信条としていること。
それは、世界のどこにもおもしろくない場所など存在しない、だ。
自分が行き先に選んだ場所をオモシロがれないとしたら、それを楽しむ努力が足りない自分の責任だろう。
想定と違うなら、その想定を軌道修正すればいい。
それでも、どうしても楽しめないというなら、立ち去ればいい。
通過者には、その自由がある。
だが、選んだ場所を批判する権利はない。
今回の徘徊も、楽しませていただきました。
お楽しみください。
《 第13回:徘徊老人・ハヌマン通りに残る空き地 》
パダンテガル村ハヌマン通り沿いに、一つ残る空き地を撮影。
画家・ブディアナ氏のアトリエがあった建物横の小道を入る。
小道沿いに、日本人の友人・知人の定宿が並ぶ。
《 第14回:徘徊老人 @ 和食・影武者 》
「和食・影武者」の南(裏手)にあるタマン寺院。
村人にはタマン寺院と呼ばれているが、聖水を作る湧き水のでるベジ寺院でもある。
苔むした寺院の鄙びた感が好きだ。
《 第15回:徘徊老人@ペネスタナン村 》
ペネスタナン村とカティッランタン村の村境にある、かつて畔道だった小道を入る。
一望できた田園風景は、ヴィラ棟に遮られていた。
しばらく進むと、田園風景が残る場所に出た。
風を感じて、ガゼボで休憩。
小道を前進すれば、クデワタン村の大通りに繋がる。
一時間ほどで往復できる散歩コースだ。
《 第16回:徘徊老人@プリアタン村 》
プリアタン村パンデ(Pande)寺院横の小道を入る。
パンデ寺院は、鍛冶屋の親族集団の寺院。
パンデの称号で呼ばれる、太古の火の祭司だ。
その昔、神秘的な炎を操り、霊力を持つ金属を細工し、男性生殖器の象徴である呪的なクリスなどの神聖な物を作ったところから、バリ人に尊敬されている。
カースト導入後も、スードラではあるが、カーストに属さない特別な階層として扱われている。
建築中のパンデ集団事務棟の北(うしろ)の田園風景は、広がっていた。
休憩した小屋の横にある畦道を進めば、もっと楽に徘徊できたかもしれない。
次回があれば、釣り堀・レストラン「サワ・インダ」まで行ってみたい。
それは、世界のどこにもおもしろくない場所など存在しない、だ。
自分が行き先に選んだ場所をオモシロがれないとしたら、それを楽しむ努力が足りない自分の責任だろう。
想定と違うなら、その想定を軌道修正すればいい。
それでも、どうしても楽しめないというなら、立ち去ればいい。
通過者には、その自由がある。
だが、選んだ場所を批判する権利はない。
今回の徘徊も、楽しませていただきました。
お楽しみください。
《 第13回:徘徊老人・ハヌマン通りに残る空き地 》
パダンテガル村ハヌマン通り沿いに、一つ残る空き地を撮影。
画家・ブディアナ氏のアトリエがあった建物横の小道を入る。
小道沿いに、日本人の友人・知人の定宿が並ぶ。
《 第14回:徘徊老人 @ 和食・影武者 》
「和食・影武者」の南(裏手)にあるタマン寺院。
村人にはタマン寺院と呼ばれているが、聖水を作る湧き水のでるベジ寺院でもある。
苔むした寺院の鄙びた感が好きだ。
《 第15回:徘徊老人@ペネスタナン村 》
ペネスタナン村とカティッランタン村の村境にある、かつて畔道だった小道を入る。
一望できた田園風景は、ヴィラ棟に遮られていた。
しばらく進むと、田園風景が残る場所に出た。
風を感じて、ガゼボで休憩。
小道を前進すれば、クデワタン村の大通りに繋がる。
一時間ほどで往復できる散歩コースだ。
《 第16回:徘徊老人@プリアタン村 》
プリアタン村パンデ(Pande)寺院横の小道を入る。
パンデ寺院は、鍛冶屋の親族集団の寺院。
パンデの称号で呼ばれる、太古の火の祭司だ。
その昔、神秘的な炎を操り、霊力を持つ金属を細工し、男性生殖器の象徴である呪的なクリスなどの神聖な物を作ったところから、バリ人に尊敬されている。
カースト導入後も、スードラではあるが、カーストに属さない特別な階層として扱われている。
建築中のパンデ集団事務棟の北(うしろ)の田園風景は、広がっていた。
休憩した小屋の横にある畦道を進めば、もっと楽に徘徊できたかもしれない。
次回があれば、釣り堀・レストラン「サワ・インダ」まで行ってみたい。