昨年2020年の9月から、フェイスブック・ページに歌を唄う私の動画を投稿している。
目的は、コロナ禍で落ち込んでいるだろうと思われる友達の気持ちを、少し和ませればと考えたからだ。
私の下手な唄でも、役に立つかもしれない。
下手な唄だからこそ、微笑ましく感じるかもしれない。
コロナ感染症の流行をウブドで実感したのは、3月に入ってからだ。
当時は、一年も経てば、終息するだろうと楽観していた。
コロナが終息するまでの間、うまくない歌を唄おうと決めた。
音感悪い老人が、無手勝流でギターを叩いて懐メロを叫んでいる姿は、どう映っているだろう。
迷惑を感じた人もいるだろう。
しかしこの時期、何もしないより、何かをしていたかった。
できれば、明るいニュースを届けたかった。
恥ずかし気もなく、己の姿をさらけ出した。
私だけかもしれないが、この歳になると、「恥ずかしい」という感覚が希薄になるようだ。
それでも、遠慮して《 どさくさにまぎれて!》と題した。
記念すべき一曲目は、2020年9月6日の「旅の友」。
電波に乗せて唄った、記念ですべき日です。
私のフェイスブック・ページは、
https://www.facebook.com/hiroshi.ito.524
8月の後半、コロナの終息に光明は見えない。
兆しが見られないのはおろか、一層悪化していると言っていい。
8月21日に、23曲目「どうにかなるさ!」を唄った。
コロナ禍が ”どうにかなるさ" と思ったのではない。
この歌には、思い出がある。
その話を、ここでしよう。
1990年5月7日、どこかで野垂れ死する覚悟で日本を発った。
その時のことを「極楽通信・ウブドに沈没・寝床を探す旅」に書いているので読んでもらいたい。
http://informationcenter-apa.com/ubud-chinbotu1.html
機体が水平飛行に移り、シート・ベルト着用のサインが消えた。
わたしはベルトの金具をゆるめ、リクライニングの座席を少し後ろに倒し深く腰を沈めた。
眼を閉じると、瞼の裏に昨夜の出来事が浮かんできた。
昨日は、夜が明けるまで友人と酒を酌み交わした。
数時間前のことが、もう遠い過去の出来事のように想われた。
旅立ちがあと1週間と迫った頃になって、世話になった数人の仕事仲間に、長い旅に出ることの報告をしてまわった。
仲間たちは心から心配してくれた。
「当分会えないだろうから、今夜一杯やろう」
浅野さんが、そう言って誘ってくれたのは、昨日のことだ。
仕事のつき合いしかなかったが、苦労人だった彼は、わたしの今の辛い心を察してくれていたようだ。
これからを心配して、海外移住の旅を引き留めようと説得してきた。
今日までの、わたしの1年間は、いよいよ明日に迫った旅立ちに希望を抱いての生活だった。
いまさら、心変わりするはずはない。
浅野さんは、わたしの決意が固いとわかると、今度は「タイやシンガポールで事業に成功している友人を紹介するから、そこで仕事を手伝うといい」と言ってくれた。
しかし、それも今のわたしにはまったく興味のないことだった。
誰の援助も受けず、過去の実績や肩書きの通用しない土地で、ゼロからのスタートが切りたかった。
新しく「一」から始めることが、もっとも充実した時間が得られると考えていた。
カウンター越しに、われわれの会話を聞いていたマスターが「あなたの旅立ちのはなむけに、この歌を送りましょう」と、ところどころ色が剥げたアコースティック・ギターを抱きかかえ、渋いかすれた声で唄い始めた。
20歳代の頃に流行った歌だ。
小さな酒場だが、マスターは地元では有名なカントリー・ウエスタンの歌手。
週末になると仲間が集い、ライブハウスのようになる。
42年間の過去は、小さな段ボール箱ひとつに納めて長姉に預けた。
過去を封印したわたしの覚悟を、マスターはどこまで理解していただろう。
しかし、彼の唄った歌は、その時のわたしの心境にぴったりだった。
♪あてなどないけど、どうにかなるさ♪
つられて口ずさんだ私の唇が、わずかに震えていた。
あれから30年が過ぎた。
ウブドの生活は、どうにかなっている。
2021年08月28日
2021年08月25日
どこを走っているか、わかりますか?(375)
アクションカメラを胸に装着して、愛スクピーを駆ってウブドを流してきました。
スタートは、ニュークニンの「和食・影武者」の前から。
動画で見ると、結構飛ばしているように見えますね。
安全運転で走っていますので、心配しないでください。
どこを走っているか、わかりますか?
Nyukuning→Jl.Pengsekan→Jl.Sukma→Jl.RayaUbud→Jl.Jembawan→Jl.Hanoman→Jl.Pengsekan
フェイスブックにアップしたら、コメントがたくさん寄せられたのブログにも投稿しました。
日付の2018/1/1は、電池入替時に修正していなかったための事故です。
正しくは、2021年8月16日の撮影でした。
コメントを紹介します。
[Aさんのコメント]
ありがとうございます
帰りたくて涙が出ます。
[ITOsanからの返事]
ウブド愛。
なくさずに、コロナの終息を願いましょう!
[Yさんからのコメント]
ご老人くれぐれも急がぬように〜〜〜〜
[ITOsanからの返事]
ありがとうございます。
注意します!
[TMさんからのコメント]
画面で見ると、結構なスピード感!
向こう側からもっと速いスピードでやってくる車、バイク〜!
慣れてるかもしれないけど、どうか〜気をつけて〜
[ITOsanからの返事]
画面で見るほどスピードは出ていないので、ご安心ください。
機敏性が衰退しているのは、自覚してます!
[Lさんからのコメント]
イトちゃま。
ありがとうございます。
久しぶりにウブド散策した気分になりました〜。
しかし、それほどスムーズに走れるのは体感した事ないな〜。
[ITOsanからの返事]
のんびり走れて気持ちいいですよ!
[Tさんからのコメント]
ありがとうございます。
息抜きになりましたぁ。
[ITOsanからの返事]
コメントありがとうございます。
これからも時々、こんな動画をアップします。
[Tさんからの返事]
ありがとうございます。
[Bさんからのコメント]
2019年11月には レンタルバイクでよくはしっていた路。
とても懐かしく、動画を観ながら自分も走っているような感覚を楽しませていただきました。
[ITOsanからの返事]
そんな感じになられたなら、嬉しいです!
次回は、どこを走りましょうかね。
[Kさんからのコメント]
1台抜いたね 後は抜かれてばかり 事故に遭った影響。
安全運転第一で運転しましょう。
[ITOsanからの返事]
ほとんど抜くことはなくなりましたね歳を取ったからだと思う。
[MSさんからのコメント]
懐かしい風景です♪
あそことあそこのワルンは閉まってました。
よく泊まる宿の前には国旗が掲げられていました。
伊藤様ありがとございました。
今度帰る時まで繰り返し来させていただきます♪
[ITOsanからの返事]
ウブドに来られないので友達の気持ちになって!
次はどこを走りましょうかね。
[Jさんからのコメント]
まさしく私の生活圏!懐かしいなぁ。
[ITOsanからの返事]
いつまでもウブドを身近に感じていてください!
[Yさんからのコメント]
走りたいー。
見られてうれしい。
いつもいく道。
[ITOsanからの返事]
喜んでもらえて嬉しいです。
[Hさんからのコメント]
バイクで幾度も走った馴染みの路ばかり。
懐っかしい〜!
終着地は新しいグリーンフィールドリゾートホテルの辺り。
[ITOsanからの返事]
よくわかりましたね。
グリーンフィールドに入ると同じ道にある下宿に引っ越したんです。
スタートは、ニュークニンの「和食・影武者」の前から。
動画で見ると、結構飛ばしているように見えますね。
安全運転で走っていますので、心配しないでください。
どこを走っているか、わかりますか?
Nyukuning→Jl.Pengsekan→Jl.Sukma→Jl.RayaUbud→Jl.Jembawan→Jl.Hanoman→Jl.Pengsekan
フェイスブックにアップしたら、コメントがたくさん寄せられたのブログにも投稿しました。
日付の2018/1/1は、電池入替時に修正していなかったための事故です。
正しくは、2021年8月16日の撮影でした。
コメントを紹介します。
[Aさんのコメント]
ありがとうございます
帰りたくて涙が出ます。
[ITOsanからの返事]
ウブド愛。
なくさずに、コロナの終息を願いましょう!
[Yさんからのコメント]
ご老人くれぐれも急がぬように〜〜〜〜
[ITOsanからの返事]
ありがとうございます。
注意します!
[TMさんからのコメント]
画面で見ると、結構なスピード感!
向こう側からもっと速いスピードでやってくる車、バイク〜!
慣れてるかもしれないけど、どうか〜気をつけて〜
[ITOsanからの返事]
画面で見るほどスピードは出ていないので、ご安心ください。
機敏性が衰退しているのは、自覚してます!
[Lさんからのコメント]
イトちゃま。
ありがとうございます。
久しぶりにウブド散策した気分になりました〜。
しかし、それほどスムーズに走れるのは体感した事ないな〜。
[ITOsanからの返事]
のんびり走れて気持ちいいですよ!
[Tさんからのコメント]
ありがとうございます。
息抜きになりましたぁ。
[ITOsanからの返事]
コメントありがとうございます。
これからも時々、こんな動画をアップします。
[Tさんからの返事]
ありがとうございます。
[Bさんからのコメント]
2019年11月には レンタルバイクでよくはしっていた路。
とても懐かしく、動画を観ながら自分も走っているような感覚を楽しませていただきました。
[ITOsanからの返事]
そんな感じになられたなら、嬉しいです!
次回は、どこを走りましょうかね。
[Kさんからのコメント]
1台抜いたね 後は抜かれてばかり 事故に遭った影響。
安全運転第一で運転しましょう。
[ITOsanからの返事]
ほとんど抜くことはなくなりましたね歳を取ったからだと思う。
[MSさんからのコメント]
懐かしい風景です♪
あそことあそこのワルンは閉まってました。
よく泊まる宿の前には国旗が掲げられていました。
伊藤様ありがとございました。
今度帰る時まで繰り返し来させていただきます♪
[ITOsanからの返事]
ウブドに来られないので友達の気持ちになって!
次はどこを走りましょうかね。
[Jさんからのコメント]
まさしく私の生活圏!懐かしいなぁ。
[ITOsanからの返事]
いつまでもウブドを身近に感じていてください!
[Yさんからのコメント]
走りたいー。
見られてうれしい。
いつもいく道。
[ITOsanからの返事]
喜んでもらえて嬉しいです。
[Hさんからのコメント]
バイクで幾度も走った馴染みの路ばかり。
懐っかしい〜!
終着地は新しいグリーンフィールドリゾートホテルの辺り。
[ITOsanからの返事]
よくわかりましたね。
グリーンフィールドに入ると同じ道にある下宿に引っ越したんです。
2021年08月20日
UP TO DATE / CAFE & EATERY(374)
ウブドで今、注目度の高いエリアがある。
テガス村からペジェン村に向けて東上するゴア・ガジャ通りの、テガス村寄りの地域だ。
2000年頃までは、左右に雄大な田んぼ風景が広がる、南国の心地よい風が吹き抜ける村道だった。
数年前、この地にオープンエアーのレストランが開店し、そのいずれもが人気店となった。
人気の秘訣は、田んぼビューだろう。
ここ数年は、コロナ禍にもかかわらず、新興のカフェやレストランが増えている。
村道は今、近郊の村からウブドに向かう交通量の多い幹線道路と変化した。
田んぼの風景が望めなくなるほど、沿道に店々が建ち始めた。
南側には、目の前に田んぼビューが見られるように設計されている店舗が多い。
今回訪れた「UP TO DATE」も南側だ。
オープンは、5月28日。
この日は土曜日の午後だったこともあってか、若年ファミリー、カップル、女性グループなどのローカルの客で賑わっていた。
客はみな、カジュアルでオシャレな服装をしてる。
海外からの旅行者が皆無の今、外国人の姿は見られない。
これまでは、旅行者向けのレストランとローカル向けのワルンとが明確に色分けされていた。
旅行者が求めるレストランは自然&伝統を求める傾向があり、ローカルが求めるレストランは都会(ジャカルタ)的センスがキーポイントだった。
もちろん、旅行者でワルンを利用する人も、ローカルでレストランを好む人もいる。
気分によって、両方を使い分けている。
レストランを好むローカルは、富裕層が多い。
近年、バリ島民が全体に裕福になったのか嗜好が変わったのか、この色分けがなくなりつつある。
「UP TO DATE」は、人気要素が満載のカフェ&レストラン。
名古屋で店舗デザイナーだった私が、人気の秘訣を検証してみよう。
と言っても、ウブドに来る30年も前の42歳までのことで、すでにセンスは古くなっていると考えられる。
そんなところを踏まえて、お読みください。
全体的には、若者に受けそうなモダンなデザイン。
ウブドはまだ田舎。
都会(ジャカルタ)に憧れる若者が多い。
都会を模倣するのは、かつての日本も同じだ。

エントランスの壁に埋め込まれた、カラフルなポットが目につく。
これは、アンドン地域にある壺屋がインスタグラムで人気なのを参考にしたのだろう。
コンクリートの打ちっ放し風だ。

ガラス窓は鉄かアルミの黒色格子。

カウンター後ろのネオンサインも、重要なポイントだ。

Mixco Coffee & Barが中庭に、併設されている。

ウォールアートもおしゃれ。
ライブ・ミュージックがあるのか、ステージが設営されていた。
大きなスピーカーから、軽快な音楽が流れている。
若者の心を捉えているSNS映えする要素が、ふんだんに用意されていた。

メニューも無国籍で多種。
こんな様々な要素を含んだデザインが、バリの若者の間で流行っているようだ。
私も旅行者だから求めるものは自然&伝統だが、この店はネット環境もよく、各テーブルにコンセントまで完備してるので、今後も利用することは考えられる。
屋外のテーブルで、パソコンでブログでも書こうかなという気分になりそうだ。
テガス村からペジェン村に向けて東上するゴア・ガジャ通りの、テガス村寄りの地域だ。
2000年頃までは、左右に雄大な田んぼ風景が広がる、南国の心地よい風が吹き抜ける村道だった。
数年前、この地にオープンエアーのレストランが開店し、そのいずれもが人気店となった。
人気の秘訣は、田んぼビューだろう。
ここ数年は、コロナ禍にもかかわらず、新興のカフェやレストランが増えている。
村道は今、近郊の村からウブドに向かう交通量の多い幹線道路と変化した。
田んぼの風景が望めなくなるほど、沿道に店々が建ち始めた。
南側には、目の前に田んぼビューが見られるように設計されている店舗が多い。
今回訪れた「UP TO DATE」も南側だ。
オープンは、5月28日。
この日は土曜日の午後だったこともあってか、若年ファミリー、カップル、女性グループなどのローカルの客で賑わっていた。
客はみな、カジュアルでオシャレな服装をしてる。
海外からの旅行者が皆無の今、外国人の姿は見られない。
これまでは、旅行者向けのレストランとローカル向けのワルンとが明確に色分けされていた。
旅行者が求めるレストランは自然&伝統を求める傾向があり、ローカルが求めるレストランは都会(ジャカルタ)的センスがキーポイントだった。
もちろん、旅行者でワルンを利用する人も、ローカルでレストランを好む人もいる。
気分によって、両方を使い分けている。
レストランを好むローカルは、富裕層が多い。
近年、バリ島民が全体に裕福になったのか嗜好が変わったのか、この色分けがなくなりつつある。
「UP TO DATE」は、人気要素が満載のカフェ&レストラン。
名古屋で店舗デザイナーだった私が、人気の秘訣を検証してみよう。
と言っても、ウブドに来る30年も前の42歳までのことで、すでにセンスは古くなっていると考えられる。
そんなところを踏まえて、お読みください。
全体的には、若者に受けそうなモダンなデザイン。
ウブドはまだ田舎。
都会(ジャカルタ)に憧れる若者が多い。
都会を模倣するのは、かつての日本も同じだ。

エントランスの壁に埋め込まれた、カラフルなポットが目につく。
これは、アンドン地域にある壺屋がインスタグラムで人気なのを参考にしたのだろう。
コンクリートの打ちっ放し風だ。

ガラス窓は鉄かアルミの黒色格子。

カウンター後ろのネオンサインも、重要なポイントだ。

Mixco Coffee & Barが中庭に、併設されている。

ウォールアートもおしゃれ。
ライブ・ミュージックがあるのか、ステージが設営されていた。
大きなスピーカーから、軽快な音楽が流れている。
若者の心を捉えているSNS映えする要素が、ふんだんに用意されていた。

メニューも無国籍で多種。
こんな様々な要素を含んだデザインが、バリの若者の間で流行っているようだ。
私も旅行者だから求めるものは自然&伝統だが、この店はネット環境もよく、各テーブルにコンセントまで完備してるので、今後も利用することは考えられる。
屋外のテーブルで、パソコンでブログでも書こうかなという気分になりそうだ。
2021年08月13日
ジェゴグ "スアール・アグン" を応援しよう!(373)
ジェゴグ ”スアール・アグン” を応援しよう!
https://www.facebook.com/groups/809184189782210
わたしが、はじめてガムラン・ジェゴグを聴いたのは、1990年のこと。
ウブドの長期滞在仲間のひとりが、どこで仕入れてきたのか「面白いガムランがあるから聴きに行こう」と誘ってきた。
バリ西部ジュンブラナ県ヌガラに古くから伝わる”ジェゴグ”と呼ばれる竹のガムランだ、と教えてくれた。
まったくバリの芸能に興味のないわたしには、ジェゴグと言われても何のことか、さっぱりわからなかった。
当時のウブドは長期滞在者も少なく、断るとつきあいが悪いと思われそうで、それがふそくで同意した。
定期公演がないので、チャーターすることになる。
滞在者は、節約旅行者ばかり。
予算の都合で、できるだけたくさんの参加者が必要だった。
さっそく、手分けして声をかけると10数人が集まった。
その頃の長期滞在者のほとんどだったかもしれない。
尻が痛くなるような座席のベモ(乗り合いバス)に乗って、遠くヌガラの街へ遠足気分で出発した。
ベモは足もとから排気ガスが車内に侵入してくるオンボロで、とても快適とはいえない。
途中のタバナン県に入ったあたりから、車窓の景色が広々とした緑一面の棚田になった。
心が癒される風景だ。
5時間かけて、ヌガラに到着。
太陽はすでに西の地平に沈んでいた。
ヌガラの街に入ってから、ベモはどう走ったのか、暗くてまったくわからない。
家々の建ち並ぶ道を抜けて、柱と屋根だけの小さな建物に案内されたのを覚えている。
すでに大勢の村人が集まっていた。
建物には、竹で組まれた1メートルほどの高さの舞台を正面にして、竹の椅子が10数脚横一線に並べられてあった。
ウブドからの面々は、そこに腰をおろした。
うしろには子供たちが鈴なりになって、われわれを凝視している。
われわれはガムラン・ジェゴグを観に来たのだが、村人たちの視線は、ガムラン・ジェゴグを観に来たわれわれを観賞しているようだ。
舞台の右側に、ガムラン・ジェゴグを前にして演奏者がスタンバイしている。
熱演してくれた村人には申し訳ないが、興味のないわたしは、その時の状況をあまり覚えていない。
辛うじて覚えているのは、数人で踊られた歓迎の舞踊のあと、ひとりの女性の舞で、途中から観客を舞台に誘って踊るジョゲッ・ブンブンを、わたしも踊ったこと。
公演後、舞台の上で、紙袋に包まれたバリ料理の食事をみんなでしたこと。
「これがガムラン・ジェゴグか!」わたしはかなり冷めた状態で帰路に着いた。
それから2年後、再びジェゴグを聴く機会が訪れた。
ガムラン・ジェゴグに興味を示さないわたしに、年末年始にかけて毎年バリを訪れる友人が「ガムラン・ジェゴグを聴きに行こう」と熱心に誘ってくれる。
「1度観たから」と断っても「このグループは違う。絶対満足するから。保証するから」と、まで言う。
ガムラン・ジェゴグのグループは、ヌガラにいくつもあって、どうやら、そのレベルにかなりの違いがあるようだ。
バリ芸能に詳しい友人が「保証する」と力強く約束した一言を信用して、もう1度あの悪路を運ばれてみようという気になった。
ヌガラの街に入ると、車は、前に来たときとは違う方向にステアリングを切った。
運転手は、友人だ。
道端に立つ表示板に、サンカルアグン村の文字が眼に入った。
車は、2度3度、ステアリングを切り、大きな屋敷の前に止まった。
門をくぐって中に入ると、中庭の芝生の上に極彩色も鮮やかなガムラン・ジェゴグが2セット、われわれを向かえるかのように並べられていた。
威圧されるセッティングだ。
楽器は騎馬のように整然と並び、騎乗する主人を待つかのようだ。
背景は鬱蒼としたジャングル。
武骨で土の匂いがする演奏者が入場し、それぞれが受け持つ楽器の前に立った。
両足を肩幅ほどに開き大地を踏ん張り、腰を少し落とした。
前方を見据え、出陣を今か今かと待ちわびる武者のように勇ましい。
彼らの気迫に、友人の保証通り、これは期待できるかもしれないと予感した。
演奏がはじまった。
演奏者は両手に持ったばちを高く振りかざしたかと思うと、いきなり馬に鞭を入れるように振る下ろす。
ガムラン・ジェゴグは、マリンバのようにばちを両手に持って演奏するが、マリンバのように優雅で上品な演奏ではない。
1曲目の演奏は、期待したほどのことはなかった。
よちよち歩きの子供が押す、手押し車のうさぎがはねる軽快な音だ。
ユーモラスではあるが、力強さがない。
これなら、竹筒ガムラン・リンディックと代わり映えしない。
この程度のものなら、友人の感性もしれたものだ。
それとも、わたしの音楽センスが貧弱なのか。
わたしはどちらかと言うと、どんなことにもあまり感動する方ではない。
2曲目が始まった。
今度は、大粒の雨がトタン屋根を激しく打つような大きな音だ。
わたしの感情が動揺しはじめた。
何か違うぞ。
この音はいったい何だ。
クエッション・マークが連続して点滅し、初体験の音に頭が混乱し出した。
楽器が揺れる。
人と空気が揺れる。
地面から振動音が伝わる。
手に持ったミネラルウォーターのプラッスチック・ボトルが、その音に共鳴する。
小刻みに叩き出される音は、連続して発射される機関銃のように壮烈だ。
ドスンドスンと腹をえぐる重低音は大砲だ。
ダイナミックで荒々しい演奏は、まるで音の集中砲火だ。
青銅製ガムランのばちさばきは、手首のスナップをきかすが、ジェゴグのばちさばきは、あまりスナップをきかさず身体ごと叩いくといった感じだ。
身体を左右に揺すり、伸び上がったり沈み込んだり、飛び跳ねるように演奏する。
時には、奇声を上げる。
これは、もうスポーツだ。
こんな演奏方法は、世界広しといえども、あまりないだろう。
青銅製ガムランがジャズだとすれば、竹筒製ガムラン・ジェゴグはビートのきいたロックのノリだ。
心を落ち着けようと、眼を閉じた。
音の波が空気を震わせ、わたしの身体に迫ってくる。
わたしの身体は、大海原の荒波に投げ出され小枝がさまようように波間を漂い出した。
砕けた音の波しぶきが、降りかかる。
時折、大きな音の波が怒濤のように押し寄せては、身体を包み込む。
母胎の中にいるのか、地球の子宮に包まれているのか。
このうえもない、安息の感覚だ。
突然、理由のわからない涙がこぼれはじめた。
いや、理由のない涙ではない。
これは感動の涙だ。
涙はなかなか止まらなかった。
演奏が終わったあと、わたしの身体は心地よい疲労感に包まれていた。
この時わたしは、この感動を多くの人々と分かち合いたいと思った。
これで友人が、執拗に薦めてくれた理由がわかった。
グループの名前は、スアール・アグン(Suar Agung)。
https://www.facebook.com/groups/809184189782210
わたしが、はじめてガムラン・ジェゴグを聴いたのは、1990年のこと。
ウブドの長期滞在仲間のひとりが、どこで仕入れてきたのか「面白いガムランがあるから聴きに行こう」と誘ってきた。
バリ西部ジュンブラナ県ヌガラに古くから伝わる”ジェゴグ”と呼ばれる竹のガムランだ、と教えてくれた。
まったくバリの芸能に興味のないわたしには、ジェゴグと言われても何のことか、さっぱりわからなかった。
当時のウブドは長期滞在者も少なく、断るとつきあいが悪いと思われそうで、それがふそくで同意した。
定期公演がないので、チャーターすることになる。
滞在者は、節約旅行者ばかり。
予算の都合で、できるだけたくさんの参加者が必要だった。
さっそく、手分けして声をかけると10数人が集まった。
その頃の長期滞在者のほとんどだったかもしれない。
尻が痛くなるような座席のベモ(乗り合いバス)に乗って、遠くヌガラの街へ遠足気分で出発した。
ベモは足もとから排気ガスが車内に侵入してくるオンボロで、とても快適とはいえない。
途中のタバナン県に入ったあたりから、車窓の景色が広々とした緑一面の棚田になった。
心が癒される風景だ。
5時間かけて、ヌガラに到着。
太陽はすでに西の地平に沈んでいた。
ヌガラの街に入ってから、ベモはどう走ったのか、暗くてまったくわからない。
家々の建ち並ぶ道を抜けて、柱と屋根だけの小さな建物に案内されたのを覚えている。
すでに大勢の村人が集まっていた。
建物には、竹で組まれた1メートルほどの高さの舞台を正面にして、竹の椅子が10数脚横一線に並べられてあった。
ウブドからの面々は、そこに腰をおろした。
うしろには子供たちが鈴なりになって、われわれを凝視している。
われわれはガムラン・ジェゴグを観に来たのだが、村人たちの視線は、ガムラン・ジェゴグを観に来たわれわれを観賞しているようだ。
舞台の右側に、ガムラン・ジェゴグを前にして演奏者がスタンバイしている。
熱演してくれた村人には申し訳ないが、興味のないわたしは、その時の状況をあまり覚えていない。
辛うじて覚えているのは、数人で踊られた歓迎の舞踊のあと、ひとりの女性の舞で、途中から観客を舞台に誘って踊るジョゲッ・ブンブンを、わたしも踊ったこと。
公演後、舞台の上で、紙袋に包まれたバリ料理の食事をみんなでしたこと。
「これがガムラン・ジェゴグか!」わたしはかなり冷めた状態で帰路に着いた。
それから2年後、再びジェゴグを聴く機会が訪れた。
ガムラン・ジェゴグに興味を示さないわたしに、年末年始にかけて毎年バリを訪れる友人が「ガムラン・ジェゴグを聴きに行こう」と熱心に誘ってくれる。
「1度観たから」と断っても「このグループは違う。絶対満足するから。保証するから」と、まで言う。
ガムラン・ジェゴグのグループは、ヌガラにいくつもあって、どうやら、そのレベルにかなりの違いがあるようだ。
バリ芸能に詳しい友人が「保証する」と力強く約束した一言を信用して、もう1度あの悪路を運ばれてみようという気になった。
ヌガラの街に入ると、車は、前に来たときとは違う方向にステアリングを切った。
運転手は、友人だ。
道端に立つ表示板に、サンカルアグン村の文字が眼に入った。
車は、2度3度、ステアリングを切り、大きな屋敷の前に止まった。
門をくぐって中に入ると、中庭の芝生の上に極彩色も鮮やかなガムラン・ジェゴグが2セット、われわれを向かえるかのように並べられていた。
威圧されるセッティングだ。
楽器は騎馬のように整然と並び、騎乗する主人を待つかのようだ。
背景は鬱蒼としたジャングル。
武骨で土の匂いがする演奏者が入場し、それぞれが受け持つ楽器の前に立った。
両足を肩幅ほどに開き大地を踏ん張り、腰を少し落とした。
前方を見据え、出陣を今か今かと待ちわびる武者のように勇ましい。
彼らの気迫に、友人の保証通り、これは期待できるかもしれないと予感した。
演奏がはじまった。
演奏者は両手に持ったばちを高く振りかざしたかと思うと、いきなり馬に鞭を入れるように振る下ろす。
ガムラン・ジェゴグは、マリンバのようにばちを両手に持って演奏するが、マリンバのように優雅で上品な演奏ではない。
1曲目の演奏は、期待したほどのことはなかった。
よちよち歩きの子供が押す、手押し車のうさぎがはねる軽快な音だ。
ユーモラスではあるが、力強さがない。
これなら、竹筒ガムラン・リンディックと代わり映えしない。
この程度のものなら、友人の感性もしれたものだ。
それとも、わたしの音楽センスが貧弱なのか。
わたしはどちらかと言うと、どんなことにもあまり感動する方ではない。
2曲目が始まった。
今度は、大粒の雨がトタン屋根を激しく打つような大きな音だ。
わたしの感情が動揺しはじめた。
何か違うぞ。
この音はいったい何だ。
クエッション・マークが連続して点滅し、初体験の音に頭が混乱し出した。
楽器が揺れる。
人と空気が揺れる。
地面から振動音が伝わる。
手に持ったミネラルウォーターのプラッスチック・ボトルが、その音に共鳴する。
小刻みに叩き出される音は、連続して発射される機関銃のように壮烈だ。
ドスンドスンと腹をえぐる重低音は大砲だ。
ダイナミックで荒々しい演奏は、まるで音の集中砲火だ。
青銅製ガムランのばちさばきは、手首のスナップをきかすが、ジェゴグのばちさばきは、あまりスナップをきかさず身体ごと叩いくといった感じだ。
身体を左右に揺すり、伸び上がったり沈み込んだり、飛び跳ねるように演奏する。
時には、奇声を上げる。
これは、もうスポーツだ。
こんな演奏方法は、世界広しといえども、あまりないだろう。
青銅製ガムランがジャズだとすれば、竹筒製ガムラン・ジェゴグはビートのきいたロックのノリだ。
心を落ち着けようと、眼を閉じた。
音の波が空気を震わせ、わたしの身体に迫ってくる。
わたしの身体は、大海原の荒波に投げ出され小枝がさまようように波間を漂い出した。
砕けた音の波しぶきが、降りかかる。
時折、大きな音の波が怒濤のように押し寄せては、身体を包み込む。
母胎の中にいるのか、地球の子宮に包まれているのか。
このうえもない、安息の感覚だ。
突然、理由のわからない涙がこぼれはじめた。
いや、理由のない涙ではない。
これは感動の涙だ。
涙はなかなか止まらなかった。
演奏が終わったあと、わたしの身体は心地よい疲労感に包まれていた。
この時わたしは、この感動を多くの人々と分かち合いたいと思った。
これで友人が、執拗に薦めてくれた理由がわかった。
グループの名前は、スアール・アグン(Suar Agung)。
2021年08月11日
安くて美味しい「ワルン・バハギア」(372)
ご存知の通り、ワルンは、インドネシア語で食堂のこと。
バハギア(bahagia)は、ハッピーとい名前のワルン(warung)です。
「しあわせ食堂」なんて、ほんわかしたネーミング。
場所は、ウブドを南北に走るハヌマン通りから続くプンゴセカン通りで、ガソリンスタンドのあるT字路を20メートルほど南下した左手(東側)にある。
この界隈で、美味しいと評判のワルン。
ワルンには、数種類の料理のメニューがあって注文するタイプと、一品の専門店がある。
専門店は、たとえばバビ・グリン(豚の丸焼き)、サテ・イカン(魚肉つくねの串焼き)、サテ・カンビン(ヤギ肉の串焼き)、イガ・バカール(豚の胸肉焼き)、ミー・バッソ(肉団子入りスープ麺)、ナシ・チャンプール(おかずが数種類入ったご飯)などのセットメニューだ。
バハギアは、ナシ・チャンプール専門店だ



専門店は、黙って座ると料理が出てくるという手品のようなシステム。
もっとも、アイ・コンタクトは必要。
もちろん、声を出して注文してもいいです。
メニューを用意してあるワルンがあるが、これはツーリスト向けに対応している店だ。
値段は、現地の人より高くなる。
メニューが出てきた段階で、これは差別されていると思ってよい。
通常、メニューはなくて、暗黙の定価がある。
ナシ・チャンプールは、レストランではRp50,000-ほどだが、ワルンではRp30,000-が相場だろう。
片言でもインドネシア語かバリ語が話せたり、常連ともなれば現地価格。
小盛りにしたいときは、ガラスケースの前に立って、欲しいおかずを指さす。
低価格にしたいのなら、1万ルピア分とか1.5万ルピア分とか告げるとよい。
現地の人は、金額を告げる方法を取っているようだ。
私は、低価格の注文方法が、なぜか苦手なんです。
人には、オススメしているのですが、自分はできない。
なんででしょうね。
30年間、黙って座るお任せメニューで過ごしてきたせいか、それとも私の性格か。
性格だとして考えられるのは、お金をことを口に出すことを卑しいと考えている節がある。
1万ルピア(77円ほど)が少額だからだろうか?
貧乏人なのに、なぜかこんなところに拘っている。
そんなことだから、いつまでたっても質素な生活をしているのだろう。
貧しいからといって、困っているわけではありませんが。
巷で注目されているミニマニスト実践者です。
*ミニマリストとは、不要な持ちものを減らして自分に必要な最小限のものだけで暮らす人のことを指します。
「ミニマル:minimal、最小限の」という言葉から派生したと言われています。
(Googleで検索)
この頃、「ワルン・バハギア」を利用することが多くなった。
理由は、コロナ禍の活動制限で「和食・影武者」での店内飲食ができなくなったからだ。
昼ごはんはあまり食欲がないので、小盛りにしたい。
私は、おかずの入ったガラスケースの横に立った。
ガラスケースには、ミーゴレン(焼きそば)がある。
私は、ミーゴレンが入ったナシ・チャンプールが好きだ。
「1万ルピア分」と言えず、指差し注文。
ミーゴレン、鶏肉、サテ(串焼き)二本と指差していく。

金額は聞いていない。
ごちそうさまで、美味しくいただきました。
会計は、くしくも1万ルピアだった。
プラス、テ・パナス(暖かい紅茶)のRp3,000-。
コロナが終息し、ウブドを訪れることができるようなった暁には、是非お立ち寄りください。
バハギア(bahagia)は、ハッピーとい名前のワルン(warung)です。
「しあわせ食堂」なんて、ほんわかしたネーミング。
場所は、ウブドを南北に走るハヌマン通りから続くプンゴセカン通りで、ガソリンスタンドのあるT字路を20メートルほど南下した左手(東側)にある。
この界隈で、美味しいと評判のワルン。
ワルンには、数種類の料理のメニューがあって注文するタイプと、一品の専門店がある。
専門店は、たとえばバビ・グリン(豚の丸焼き)、サテ・イカン(魚肉つくねの串焼き)、サテ・カンビン(ヤギ肉の串焼き)、イガ・バカール(豚の胸肉焼き)、ミー・バッソ(肉団子入りスープ麺)、ナシ・チャンプール(おかずが数種類入ったご飯)などのセットメニューだ。
バハギアは、ナシ・チャンプール専門店だ



専門店は、黙って座ると料理が出てくるという手品のようなシステム。
もっとも、アイ・コンタクトは必要。
もちろん、声を出して注文してもいいです。
メニューを用意してあるワルンがあるが、これはツーリスト向けに対応している店だ。
値段は、現地の人より高くなる。
メニューが出てきた段階で、これは差別されていると思ってよい。
通常、メニューはなくて、暗黙の定価がある。
ナシ・チャンプールは、レストランではRp50,000-ほどだが、ワルンではRp30,000-が相場だろう。
片言でもインドネシア語かバリ語が話せたり、常連ともなれば現地価格。
小盛りにしたいときは、ガラスケースの前に立って、欲しいおかずを指さす。
低価格にしたいのなら、1万ルピア分とか1.5万ルピア分とか告げるとよい。
現地の人は、金額を告げる方法を取っているようだ。
私は、低価格の注文方法が、なぜか苦手なんです。
人には、オススメしているのですが、自分はできない。
なんででしょうね。
30年間、黙って座るお任せメニューで過ごしてきたせいか、それとも私の性格か。
性格だとして考えられるのは、お金をことを口に出すことを卑しいと考えている節がある。
1万ルピア(77円ほど)が少額だからだろうか?
貧乏人なのに、なぜかこんなところに拘っている。
そんなことだから、いつまでたっても質素な生活をしているのだろう。
貧しいからといって、困っているわけではありませんが。
巷で注目されているミニマニスト実践者です。
*ミニマリストとは、不要な持ちものを減らして自分に必要な最小限のものだけで暮らす人のことを指します。
「ミニマル:minimal、最小限の」という言葉から派生したと言われています。
(Googleで検索)
この頃、「ワルン・バハギア」を利用することが多くなった。
理由は、コロナ禍の活動制限で「和食・影武者」での店内飲食ができなくなったからだ。
昼ごはんはあまり食欲がないので、小盛りにしたい。
私は、おかずの入ったガラスケースの横に立った。
ガラスケースには、ミーゴレン(焼きそば)がある。
私は、ミーゴレンが入ったナシ・チャンプールが好きだ。
「1万ルピア分」と言えず、指差し注文。
ミーゴレン、鶏肉、サテ(串焼き)二本と指差していく。

金額は聞いていない。
ごちそうさまで、美味しくいただきました。
会計は、くしくも1万ルピアだった。
プラス、テ・パナス(暖かい紅茶)のRp3,000-。
コロナが終息し、ウブドを訪れることができるようなった暁には、是非お立ち寄りください。