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わたしが、はじめてガムラン・ジェゴグを聴いたのは、1990年のこと。
ウブドの長期滞在仲間のひとりが、どこで仕入れてきたのか「面白いガムランがあるから聴きに行こう」と誘ってきた。
バリ西部ジュンブラナ県ヌガラに古くから伝わる”ジェゴグ”と呼ばれる竹のガムランだ、と教えてくれた。
まったくバリの芸能に興味のないわたしには、ジェゴグと言われても何のことか、さっぱりわからなかった。
当時のウブドは長期滞在者も少なく、断るとつきあいが悪いと思われそうで、それがふそくで同意した。
定期公演がないので、チャーターすることになる。
滞在者は、節約旅行者ばかり。
予算の都合で、できるだけたくさんの参加者が必要だった。
さっそく、手分けして声をかけると10数人が集まった。
その頃の長期滞在者のほとんどだったかもしれない。
尻が痛くなるような座席のベモ(乗り合いバス)に乗って、遠くヌガラの街へ遠足気分で出発した。
ベモは足もとから排気ガスが車内に侵入してくるオンボロで、とても快適とはいえない。
途中のタバナン県に入ったあたりから、車窓の景色が広々とした緑一面の棚田になった。
心が癒される風景だ。
5時間かけて、ヌガラに到着。
太陽はすでに西の地平に沈んでいた。
ヌガラの街に入ってから、ベモはどう走ったのか、暗くてまったくわからない。
家々の建ち並ぶ道を抜けて、柱と屋根だけの小さな建物に案内されたのを覚えている。
すでに大勢の村人が集まっていた。
建物には、竹で組まれた1メートルほどの高さの舞台を正面にして、竹の椅子が10数脚横一線に並べられてあった。
ウブドからの面々は、そこに腰をおろした。
うしろには子供たちが鈴なりになって、われわれを凝視している。
われわれはガムラン・ジェゴグを観に来たのだが、村人たちの視線は、ガムラン・ジェゴグを観に来たわれわれを観賞しているようだ。
舞台の右側に、ガムラン・ジェゴグを前にして演奏者がスタンバイしている。
熱演してくれた村人には申し訳ないが、興味のないわたしは、その時の状況をあまり覚えていない。
辛うじて覚えているのは、数人で踊られた歓迎の舞踊のあと、ひとりの女性の舞で、途中から観客を舞台に誘って踊るジョゲッ・ブンブンを、わたしも踊ったこと。
公演後、舞台の上で、紙袋に包まれたバリ料理の食事をみんなでしたこと。
「これがガムラン・ジェゴグか!」わたしはかなり冷めた状態で帰路に着いた。
それから2年後、再びジェゴグを聴く機会が訪れた。
ガムラン・ジェゴグに興味を示さないわたしに、年末年始にかけて毎年バリを訪れる友人が「ガムラン・ジェゴグを聴きに行こう」と熱心に誘ってくれる。
「1度観たから」と断っても「このグループは違う。絶対満足するから。保証するから」と、まで言う。
ガムラン・ジェゴグのグループは、ヌガラにいくつもあって、どうやら、そのレベルにかなりの違いがあるようだ。
バリ芸能に詳しい友人が「保証する」と力強く約束した一言を信用して、もう1度あの悪路を運ばれてみようという気になった。
ヌガラの街に入ると、車は、前に来たときとは違う方向にステアリングを切った。
運転手は、友人だ。
道端に立つ表示板に、サンカルアグン村の文字が眼に入った。
車は、2度3度、ステアリングを切り、大きな屋敷の前に止まった。
門をくぐって中に入ると、中庭の芝生の上に極彩色も鮮やかなガムラン・ジェゴグが2セット、われわれを向かえるかのように並べられていた。
威圧されるセッティングだ。
楽器は騎馬のように整然と並び、騎乗する主人を待つかのようだ。
背景は鬱蒼としたジャングル。
武骨で土の匂いがする演奏者が入場し、それぞれが受け持つ楽器の前に立った。
両足を肩幅ほどに開き大地を踏ん張り、腰を少し落とした。
前方を見据え、出陣を今か今かと待ちわびる武者のように勇ましい。
彼らの気迫に、友人の保証通り、これは期待できるかもしれないと予感した。
演奏がはじまった。
演奏者は両手に持ったばちを高く振りかざしたかと思うと、いきなり馬に鞭を入れるように振る下ろす。
ガムラン・ジェゴグは、マリンバのようにばちを両手に持って演奏するが、マリンバのように優雅で上品な演奏ではない。
1曲目の演奏は、期待したほどのことはなかった。
よちよち歩きの子供が押す、手押し車のうさぎがはねる軽快な音だ。
ユーモラスではあるが、力強さがない。
これなら、竹筒ガムラン・リンディックと代わり映えしない。
この程度のものなら、友人の感性もしれたものだ。
それとも、わたしの音楽センスが貧弱なのか。
わたしはどちらかと言うと、どんなことにもあまり感動する方ではない。
2曲目が始まった。
今度は、大粒の雨がトタン屋根を激しく打つような大きな音だ。
わたしの感情が動揺しはじめた。
何か違うぞ。
この音はいったい何だ。
クエッション・マークが連続して点滅し、初体験の音に頭が混乱し出した。
楽器が揺れる。
人と空気が揺れる。
地面から振動音が伝わる。
手に持ったミネラルウォーターのプラッスチック・ボトルが、その音に共鳴する。
小刻みに叩き出される音は、連続して発射される機関銃のように壮烈だ。
ドスンドスンと腹をえぐる重低音は大砲だ。
ダイナミックで荒々しい演奏は、まるで音の集中砲火だ。
青銅製ガムランのばちさばきは、手首のスナップをきかすが、ジェゴグのばちさばきは、あまりスナップをきかさず身体ごと叩いくといった感じだ。
身体を左右に揺すり、伸び上がったり沈み込んだり、飛び跳ねるように演奏する。
時には、奇声を上げる。
これは、もうスポーツだ。
こんな演奏方法は、世界広しといえども、あまりないだろう。
青銅製ガムランがジャズだとすれば、竹筒製ガムラン・ジェゴグはビートのきいたロックのノリだ。
心を落ち着けようと、眼を閉じた。
音の波が空気を震わせ、わたしの身体に迫ってくる。
わたしの身体は、大海原の荒波に投げ出され小枝がさまようように波間を漂い出した。
砕けた音の波しぶきが、降りかかる。
時折、大きな音の波が怒濤のように押し寄せては、身体を包み込む。
母胎の中にいるのか、地球の子宮に包まれているのか。
このうえもない、安息の感覚だ。
突然、理由のわからない涙がこぼれはじめた。
いや、理由のない涙ではない。
これは感動の涙だ。
涙はなかなか止まらなかった。
演奏が終わったあと、わたしの身体は心地よい疲労感に包まれていた。
この時わたしは、この感動を多くの人々と分かち合いたいと思った。
これで友人が、執拗に薦めてくれた理由がわかった。
グループの名前は、スアール・アグン(Suar Agung)。