2021年11月27日

ワルン・ビアビア @ ゴータマ通り・ウブド(394)

11月20日(土曜日):ヒンドゥー・バリはクニンガン祭礼日。

クニンガン当日、「和食・影武者」は、休業。

ということで、午後5時「ワルン・ビアビア」で、友人と待ち合わせた。

ビアビアは、ウブド初のツーリスト向けバリ料理専門店と言ってもいいだろう。

地元のワルン(食堂)では腹具合が心配、といって、レストランのバリ料理は外国人向けにアレンジされていてつまらない。

そういう方にはピッタリの食堂。

創業は、2002年9月8日の老舗だ。

2011年10月から知人である現在のオーナーに引き継がれ、新生ビアビアとして営業している。

2021年10月に10周年を迎えた。

来年には、20周年を迎える。

20年近くもの間、旅行者にバリ料理を提供し続けてきたビアビア。


ウブドを南北に走るモンキーフォレスト通りとハヌマン通り挟まれて並行する、ゴータマ通りの中ほどにある。

緑のテントが目印の、ちょっとおしゃれな感覚の店(デザインは、なんと私itosanです)。

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コロナ禍で閉店しているところが多い中、ビアビアは開店して、ゴータマ通りを心意気で盛り上げてくれている。

開いててよかった。

バリ人は、バリ料理を食べに、ビアビアに来ることは少ないだろう。

彼らは、ビアビアよりさらに価格の安いローカルワルンに行く。

では、お客さんは? と心配になってしまいますね。

海外からのツーリスト・ゼロの今、在住の外国人か自粛が緩和されて他島から訪れるローカルがお客です。

あいにくの雨で、友人との待ち合わせは取り止めになった。

午後6時を過ぎて、雨がやんだ。

さてさて、夕食はどこに行こうか。

一度は「ワルン・ビアビア」に行こうと決めた心。

心は、ビアビアに飛んでいる。

久しぶりに、ビアビアのナシチャンプールが食べたくなった。

バリ料理は食傷気味だが、ここのナシチャンプールは食べられる。

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やっぱり美味しい!


2020年9月22日のYouTube投稿もご覧ください。



トリップアドバイザー(2012年9月27日)にも投稿していました。

バリ人の日常を感じながら・・・。

モンキーフォレスト通りと並行して走るハヌマン通りとの間に挟まれた距離にして300メートル程のゴータマ通りは、下町の雰囲気が残る地域だ。

地元の人が営むホームステイの間に、レストラン&スパ&雑貨屋などの人気店が軒を連ねている。

10年前(2002年)に開店した《ワルン・ビアビア》は、バリ人の日常食 ナシ・チャンプールを専門にする食堂(ワルン)。

もちろん単品でも注文できる。

「地元の人が利用するワルン(食堂)には入りにくい、レストランでは堅苦しい」というツーリスト向けて開店したバリ料理専門店。

バリ料理専門として、ウブドでは草分け的店だ。

辛いというイメージがあるバリ料理にしては、日本人には馴染みやすい味だ。

椰子の木&土壁&自然石で造られた、オープンスペースのインテリアは、落ち着いて食事ができると評判だ。


食レポのできない私です。
「イブウブ子@バリ島ブログ〜バリ島ウブド奮闘記:新生ビアビアに期待感アップ@biah biah〜https://ibuubuko.blog.fc2.com/blog-entry-1355.html」の食レポ(2011年12月08日)をごらんください。

posted by ito-san at 12:50| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年11月22日

ブレンド・コーヒー@ニュークニン村・ウブド(393)

11月19日、クニンガン祭礼日前日。

ガルンガン祭礼日(11月10日)の10日後(11月20日)が、クニンガンの祭礼日だ。

祭礼日前日は、プナンパハンと呼ばれ、休業する店が多い。


昼過ぎに起床すると、陽が射していた。

軽く腹ごしらえしようと、外出する。

ワルン・バハギアは、店じまいするところで「ハビス!=品切れ!」と言われてしまった。

ナシ・チャンプール専門店で、具も量も自分好みで注文できる。

おやつ代わりに、少し食べておこうと思ったのに残念。

さてさて、どこへ行こうか?

食べたいものもない、どうしても行きたいという店もない。

そして、コロナ禍に加えて祭礼日中で、開いている店も少ない。

ちょっと早いが、「和食・影武者」に行こうか。

影武者には、昼と夜、毎日のように顔を出す。

昼は食事をすることは少なく、もっぱらインターネットをさせてもらっている。

ということで、行き先を影武者のあるニュークニン村方向にした。

ニュークニンは、ウブド南部に位置する、モンキーフォレストの裏手にある村。

外国人が多く滞在する地域でレストランの数は多い。

今日は、ほとんどの店が閉じている。

雨が降り始めた。

とこでもいいから飛び込みたい。

大きな店舗に挟まれて、間口の狭い店舗が並ぶエリアがあった。

通り過ぎてしまいそうな、小さな小さなカフェ。

初めて入るカフェだった。

コロナ禍以前は、こういった小さな店も潤っていたのだろうな。

一日も早く、終息して欲しいと願う思いです。

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サインボードに、ジェラート・サンドイッチのメニューを見つけた。

小腹がすいていたので、サンドイッチが食べられると、喜んだ。

店員さんが「何にしますか?」と訊いてきた。

サンドイッチは看板メニューのジェラートの一種類だけだと思い込んでいたので、不意の質問だった。

数種類の名前を訊いているうちに、それがアイスクリームの名前だと気ずく。

そうだ、ジェラートとはアイスクリームの一種だ。

何年か前から、ウブドにジェラートの店が増えた時に覚えた名称だった。

雨足が強くなってきた。

肌寒い今、アイスクリームは食べられないが、雨宿りはしたい。

コーヒー・アメリカンをオーダーして、テーブルにつく。

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メニューを見せてもらうことにした。

アボガド・トーストが、朝食メニューに載っている。

昼過ぎでも食べられるな?

ダメ元で訊いてみた。

OKとのこと。

「Rotiですよね!」と、何度も念を押して注文した。

ご存知のように「Roti」は、インドネシア語でパンのこと。

コロナ禍で、奮闘している店を見ると微力ながらも応援したくなる。

小さな小さなカフェ、頑張って欲しい!




ガルンガン祭礼日については「ガルンガン祭礼日・2021年@ウブド・バリ(389)」に詳しく紹介させていただきました。
http://itosan-ubud.seesaa.net/article/484319105.html

posted by ito-san at 19:11| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年11月20日

チャ・リノ(Cak Rina)を観たい人、この指止まれ!(392)

2021年11月16日。

久しぶりに、リノさんと対面した。

ジョクジャカルタから帰ったあと、2週間前から身体の具合が悪いようだ。

オンライン・ライブの要請は、健康が回復してからにしよう。

2時間30分の対談のあとの記念写真。

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イ・クトゥット・リノ

インドネシア・バリ島タガス村在住の舞踊家。

バリ舞踊とコンテンポラリーを演じる。

世界各地で、ワークショップやパフォーマンスなど多数行っている。




インドネシアを代表する演出家(振付家)サルドノ・クモス氏によって作られたケチャは、独創的だった。

1971 年、サルドノ氏は4人舞踊家とともにでバリ島トゥガス村を訪れた。

この時、トゥガス村にはケチャのグループがなかった。

サルドノ氏らは、村人と共同でケチャを創作した。

ケチャは、上半身半裸の男性達の舞踏劇と、チャの男声合唱が特長だ。

チャの合唱は複雑で、世界に類のない独特のかけ声だと言える。

観光客向けに演じられているケチャは、ラーマヤナ舞踊をメインにチャの合唱が伴なう、ヴァルター・シュピース創作のものが主流。

サルドノ氏の創り出したケチャは、2つのグループによる掛け合いを闘鶏に見立てて、両者が戦うように声を出して演じる。

モチーフは、ラーマヤナ物語に登場する猿王スバリとスグリオ兄弟の戦いの話だ。

物語は、洞窟に逃げ込んだ魔王マヘサ・サラを、兄スバリが退治に行くところから始まる。

洞窟から流れ出す川に、赤い血が流れたら魔王が死に、白い血が流れ時は自分が敗れたしるしとした。

「もし、白い血が流れた時には、ただちにこの洞窟を埋めよ」とスバリはスグリオに命じる。

スバリは、洞窟の壁に魔物の頭を打ち付けて退治した。

しかし、川には魔物の赤い血とスバリの白い血が流れてきます。

スグリオは、魔物もスバリも死んだものと思いこみ、洞窟を大岩で塞いでしまいます。

スバリは、自分が勝ったことを知りながら、スグリオが洞窟を塞いでしまったと考える。

こうして、兄弟の激しい戦いがはじまるのであった。

松明をかざし、火のついた椰子殻を蹴飛ばして熱演する。

リノさんの熱演は、興奮ものだ。

1976年、サルドノ氏が天才舞踊家と賞されるリノのために創った、オリジナル「チャ・リノ」は、現代に至るまで少しづつ形を変えながら上演されている。


「チャ・リノ」は、満月/暗月の日にアルマ・ミュージアム・オープンステージで上演している。

現在、コロナ禍で休演。

コロナの終息を願って止まない。

皆さんの要望があれば、オンライン・ライブを計画したいと考えています。


「Monkey Chant From "The Fall"」

こんなのに出演しています。

美しい映像です。



本編「The Fall (2006) 」は、こちら。




フェイスブックに「チャ・リノを観たい人、この指止まれ!」のページを作りました。
https://www.facebook.com/groups/219023373692613

近い将来、チャ・リノの公演が観られることを切望しています。

posted by ito-san at 17:43| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年11月18日

人気のワルン「ジャワ・ティムール(Jawa Timur)」(391)

2021年11月14日。

ふと気になって、プリアタン村にあるワルン「ジャワ・ティムール」に出かけた。

「アパ?情報センター」の元スタッフだったクトゥト君夫妻が経営するワルンだ。

クトゥト君は、以前アパ?の責任者だったワヤン・スシラ君の実弟。

ワヤン君は、今年3月15日に病気で他界している。

そんなことが気になったのか、久しぶりに訪れた。


ジャワ・ティムールは、コロナ禍でも営業を続けている。

場所は、プリアタン村のアグン王宮のある十字路から東(テガス方面)に、少し行った左手(北側)。

ジャワ料理の店。

2017年に、現在の位置(実家)に移転していた。

ローカルに人気のワルンは、ブンクス(持ち帰り)の注文も多い。

日本人旅行者のリピーターにも評判が良い。


オーダーしたのは、ナシ・ゴレン(焼き飯)スペシャル。

スペシャルには、目玉焼きがのる。

野菜豊富の大盛り。

味も、私好みのちょっと薄味で美味しかった。

卵付きスペシャルでRp10,000-。

コメントでRp15,000-と言ってますが、間違いです。

ワルン・ジャワ・ティムールに飛び込んで、しばらくして雨が降り始めた。

雨のプリアタン大通りの「雨宿り」動画も楽しんでください。

渋滞、公共バス、パトカーの先導で祭礼に参列するススオナン(御神体)とガムラン隊が荷台に乗ったトラックと村人を乗せた観光バスなどの、日々見られ光景です。

つまらないくなったら、止めてもらってもいいですよ。



★食事:ナシ・チャンプールRp15,000-/アヤム・ゴレン・サユールRp12,000-/ナシゴレンRp10,000-/フーヨンハイRp8,000-/etc

★飲物:テ・ボトルRp5,000-/バリ・コピRp3,000-/etc

★営業時間:9.00am〜11.00pm / 定休日・儀礼祭礼日/

2017年からメニューの金額は変わっていないようです。

posted by ito-san at 18:09| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年11月15日

トリ・サンディオ(Tri sandya)のマントラ(390)

インドネシア独立(1945年8月17日)後、認められる宗教は「唯一神への信仰」となった。

バリのヒンドゥー教がインドネシアの宗教として公認されるために、唯一神をイダ・サンヤン・ウィディ・ワソとした。

古文書の中にある、「宇宙の神聖なる支配者」「神聖にして絶対的な宇宙の法」という意味の抽象的な概念を、神の名に冠したのだ。

シヴァ神やウィシヌ神、ブラフマ神などは、その化身だ。

この概念を取り入れたのが、パンディット・シャストリ(Pandit Shastri)氏。

バリ宗教の改革運動に、もっとも大きな貢献を果たした人物である。

彼は、イスラームのサラート(一日五回の礼拝)に対応させて、ヒンドゥー・バリではトリ・サンディオと名ずけた一日三回(日の出、正午、日の入り)の礼拝することとした。

パンディット・シャストリ氏は、インドの4ヴェーダとウパニシャッド、そしてバカヴァッドギータを、バリのヒンドゥーの聖典に当たる基本文献とし、これを集約したかたちでバリ人に施した。

さらに、バリ人の営む種々の儀礼を、パンチョ・ヤドニョ(Panca Yadnya=五儀礼)という五つ(神の儀礼、人生儀礼、死霊儀礼、司祭儀礼)に分類し、儀礼をヒンドゥー教徒の宗教義務として位置付けた。

(参照文献:地上の楽園の観光と宗教の合理化・著者/吉田竹也)


ガーヤトリ・マントラ(GAYATRI MANTRA)

Om(オーム)
至高の神よ

Bhur Bhuvah Suvaha(ブール ブヴァッ スヴァハ)
地、空、天界

Tat Savitur Vareniyam(タット サヴィトゥル ヴァレーンニャム)
私たちの聖なる母よ、その輝きは、私たちの心にある暗闇を滅します

Bhargo Devasya Dheemahi(バルゴー デーヴァッス ジャディーマヒ)
私たちは、その聖なる輝きに瞑想します

Dhiyo Yo Nah Prachodayath(ディヨー ヨー ナッ プラチョーダヤート)
私たちの内なる知性を目覚めさせたまえ


トリ・サンディオの時に唱えられるマントラ。

一番は、ガーヤトリ・マントラだが、二番から六番まではリグヴェーダのマントラと古ジャワの祈りとを組み合わたバリ独自のマントラ。



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ガーヤトリ・マントラはヒンドゥー教における最高峰のマントラとされ、ヴェーダ聖典のエッセンスすべてを含むと言われている古いマントラのことである。

108回を3回(合計324回)唱えます。1日3回でも効果があるそうです。

posted by ito-san at 14:01| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年11月11日

ガルンガン祭礼日・2021年@ウブド・バリ(389)

バリ島ウブド村滞在も30年を超えた。

滞在年数が増しても、ツーリストという立場は一向に変わらない。

バリ人との距離は、決して縮まることはない。

「それはそうだろう。あなたはバリ人じゃないから!」

そう言われてしまえばそれまでだが、長期滞在者としては、そんなことろがちょっぴり寂しく感じる。

と言っても、バリ人と同じような生活を送れば、それは日常となり、これまで満喫していた非日常ではなくなってしまうだろう。

ツーリストのままで良い、ただ部外者だと実感させられるのが、ちょっと寂しいだけ。

祭礼日には、特に疎外感を受ける。

ヒンドゥー・バリを信仰する彼らは、神々との交感儀礼を全身全霊で執り行う。

信仰を中心にして生活が成り立っている彼らの奉仕精神には、敬服する。

私の常識では、とても理解できない。

バリ人気質の起源は、ここにあるのか?


11月10日は、ガルンガン(Galungan)祭礼日。

前日のプナンパハンと翌日のマニス・ガルンガンの3日間が祭礼日となり、公共機関が休暇となる。

商店も休業するところが増える。

ウブドでは、レストランの休みが目立つ。

今まさに、疎外感を味わっている最中です。

ツーリストとしては、楽しんでいますがね。

少し説明させてください。

ガルンガンは、210日を1年とするバリ独特の暦・ウク暦(Wuku)最大の祭礼日のひとつです。

ウク暦は、ひと月35日で6回を1年とする。

西暦のカレンダーで読み取ると、毎年日にちが変わっていくことになる。

ガルンガンは、善(ダルマ)の悪(アダルマ)に対する勝利を記念する祝日と言われている。

善の勝利を喜び、森羅万象を創造してくださった神に感謝する。

10世紀頃の、インドラ神とマヤデナワ王との戦いの神話から発しているようです。

人々は朝早くから起きて沐浴し、正装に身を包む。

女性たちの多くは、この日のためにひと揃いの正装を新調する。

まず屋敷寺に、数日前から用意された盛大な供物を祠に供える。

屋敷寺に訪れた神々と自然の霊力と祖先の霊に供物で手厚くもてなし、祈りを捧げる。

このあと、村の寺院、水利組合(スバック)の寺院、仕事場の祠に、供物を捧げる。

嫁に行った女たちは、実家の寺へも供物を持って参拝する。

村の守り神であるバロンとランダの仮面が寺院の境内に安置され、この1年間村人をお守りくださったことへのお礼として供物が捧げられるのも、この日である。


ツーリストにとっての見所は、ペンジョールでしょう。

祭礼日期間にバリを訪れると、日本の七夕飾りに似たペンジョールと呼ばれる竹飾りが、家々の門口に立てられているのを見ることができる。

細工が施されたペンジョールの立ち並ぶ風景は、バリの風物詩でもある。


前半はカジェン通り・後半はジュンバワン通りになります


七夕飾りは、もともとお盆に先祖の霊を迎えるために立てられたと言われている。

正月の門松も、神々を迷いなく迎えるための目印のようです。

共通点に、興味を惹かれる。

山岳信仰のあるバリでは、神々は“山”いるものと考えられてきた。

ペンジョールは、天と地をつなぐ龍を表しているという説と、山を象徴しているという説がある。

訪れた神々を手厚くもてなし、1年の豊作を祈願したことには違いないでしょう。


参照記事
ガルンガン(Galungan):http://informationcenter-apa.com/kb_galungan.html
ウク暦(Wuku):http://informationcenter-apa.com/kb_wuku.html
サカ暦(Saka):http://informationcenter-apa.com/gk_jegog.thml kb_saka.html
スバック(=Sunak・水利組合):http://informationcenter-apa.com/kb_subak.html
バロン(Barong):http://informationcenter-apa.com/gk_barong.html
ランダ(Rangda):http://informationcenter-apa.com/gk_rangda.html

posted by ito-san at 18:18| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年11月09日

徘徊老人・川原の縄跳びは上手くいかなかった!(388)

11月3日

2日続けて晴天に恵まれた。

「チャンプアンにあるべジ寺院でマンディ!」の疲れが少し残っているが、せっかくの好天なので徘徊することにした。
http://itosan-ubud.seesaa.net/article/484213619.html

今日の徘徊は、"さすらいの縄跳び老人"も撮影したいと考えている。

”さすらいの縄跳び老人”をシリーズ化しようと目論んでいます。

行き先は、ニュークニン村。

ニュークニン村とカテッランタン村の村境を流れる川をニュークニン村側から降りるコースです。

数ヶ月前に一度降りているのだが、記憶が曖昧だ。

サッカー広場の西北を入って行ったと記憶していたが、違っていた。

前回も間違えて入ってしまった。

一本南、サッカー場の横を入ってみる。

ここは、プライベートの屋敷に通じる道だった。

エコランドリーを営業している知人の家に続く道で、行き止まり。

さらに南に下ったところにある脇道に入ると、記憶が蘇ってきた。

そうここここ、この道だ。

突き当たりを左に折れ、バイク一がすれ違うにやっとの細道を入る。

10メートルほど進むと、右手にさらに細い道がある。

ここを降りていけば、川原に降りられるはず。

アクションカメラを胸に装着して、動画のスイッチをオンにした。

両側に塀が続く道を下りて、渓谷の見渡せる場所に立った。

左手に進むと、青年が畑作りに勤しんでいた。

以前に来た時より、道が良くなっている気がする。

青年の仕事だろうと思う。

青年の作る畑の途中に、川原に続く道ができている。

足元も悪く、急な下りで、腰を低くしたり枝につかまったりと苦労して川原に降りた。

大きく湾曲する場所があるはずだが、見えてこない。

降り口を間違えたのかな、と不安になる。

とにかく、もう少し進んでみよう。

その前に、確認したいことがあった。

苦労して降りた場面が録画されてるか、気になったので覗いてみた。

予感した通り、カメラは止まっていた。

アクションカメラのスイッチに触れた覚えがないが、もっとも苦戦して降りたアドベンチャーで危険なエリアのコマ3分間が録画されていなかった。

気を取り直して、先に進む。

あとは、動画でお楽しみください。

「徘徊老人」+「さすらいの縄跳び老人」

川原の岩場で縄跳びに挑戦の巻です。



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2021年11月05日

パ・カイルン(=Pak Kairun)の閉店!(387)

コロナの終息が近づいて来ている、予感がする。

バリ行きが平常に戻り、ウブド旅行が解禁されたら、あなたは何をしたいですか?

その時、ウブドの受け皿は整っているだろうか、が心配です。

現在、アクティビティは休止、休業している店、閉店撤退した店も多い。

徐々に、復興していくとは思われるが、満足できるまでになっているだろうか?

ウブド滞在者としてできることは、現状をお知らせすることでしょう。

今後ブログでは、そんな情報の投稿をしていこうと考えています。

今回は、残念にも閉店してしまった人気店のお知らせです。


インドネシアのおやつ的食べ物。

それは「BAKSO」。

どんぶりの縁をスプーンで「カン、カン、カン!」と叩く音が聞こえたら、これはバッソのカキリマの登場だ。

カキリマは、移動式屋台のこと。

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1991年カキリマ。現在も同じ形態です

バッソ、またはバクソと呼ばれている「肉団子(つくね)スープ」です。

ひき肉と片栗粉で作られたミートボールが入った、スープことです。

料理のことはまったくわからない私には、うまく説明はできませんのでお許しください。

肉団子には、鶏肉、牛肉、豚肉、魚、etcと多種です。

肉団子自体もバッソと呼ぶようです。

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私の経験からすると、カキリマ屋台(移動式露店)で売られているバッソには、春雨が入っていることが多い。

小ぶりのどんぶりなので量が少なく、小腹が空いた時か、3時のおやつ的に食べるのに向いている料理です。

私が好きなのは、春雨ではなくミー(麺)が入るもの。

これは日本のラーメンに似た、食感だ。

大抵、バッソのワルンは、バッソ専門店になる。

ウブド・エリアで最も美味しいと評判の高いワルンは「パ・カイルン」。

プリアタン王宮がある十字路の南東角の体育館一階。

写真のように、ローカルワルンだから、観光客には入りずらいかもしれない。

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その「パ・カイルン」で、私が注文するのはミー・アヤム・バッソ。

どんぶりの中身は、肉団子と麺にアヤム(鶏肉)が入る。

現地の人は、真っ赤かになるほどトマトソースなどの調味料を大量に入れている。

会計は、レジに座っているおじさん&おばさんに、自分の飲食分を自己申告して支払う。


今年の2月頃に、閉店していた。

「パ・カイルン」ファンの皆様には、寂しいニュースですね!

イスラム教徒の宗教行事があり、故郷に長期間で帰っていたのだろうと思った。

6月の時点で、解体工事が始まっていた。

その時、工事作業からコンビニができるという話を聞いた。

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(撮影:10月30日)

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2021年11月04日

チャンプアンにあるべジ寺院でマンディ!(386)

11月2日。

目覚めは、いつものように昼近く。

カーテン越しの窓から差し込む陽射しが、眩しい。

何日ぶりの晴天だろう。

曇り空だと2度寝してしまうが、晴天の日は、早く陽を浴びたくて落ち着かない。

一週間ぶりの縄跳びに行くか?

それとも、マンディ(水浴び)に行くか?

こんな選択しかできない私に、ちょっと幻滅。

雨季に入ったようなので、今後、太陽が顔をのぞかせる機会も少なくなるだろう。

この機会を逃しては、いけないゾ。

よし、今日はマンディだ。


「ホテル・イバ」の裏にある沐浴場に行こう、と相成った。

防水カバーのついたアクションカメラで、マンディ・シーンを撮ろう。

色っぽいものではなく、胸につけたカメラに勢い良く水が当たるシーンを撮りたい。

ホテル横の小道を、ウオッス川沿いに10分ほど進むとたどり着ける、マンディ場までの道程。

往復とマンディをカメラにおさめた(つもり)。

部屋に戻って動画をチェックすると、ガ〜ン。

なんと音声が入っていない。


右に行くと「ホテル・イバ」、左手の細道を進みま〜す。と説明しています。

ブキット・チンタ(尾根道)に行くのに、グヌン・ルバ寺院横の道が利用できなかった1990年初頭には、この細道を利用していた。

渓流と虫の音しか、聞こえない。

東ウオッス川に架かる橋を渡ると、アランアランの緑茂るなだらかな丘が見える。

私はハイジの丘と名付けていた。なんてのも説明した。

たくさん解説したのに、残念。

水浴びを撮りたかったので、防水カバーをつけた旧カメラ(レンズに傷のついた)を持参したのはいいが、急に思いついた行動だったので、かんじんの新しいカメラ(レンズに傷のない)を置いてきてしまった。

防水カメラの使用は、マンディの時だけでよかったのだが、忘れてきてしまったので、防水カバーをつけたアクションカメラでの撮影になった。

今回は、スマホで撮った音声のある動画とアクションカメラで撮った音声のない動画を組み合わせた動画になっています。

BGMは、自前でセレクトしてください!



posted by ito-san at 18:20| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする