2022年02月25日

カフェ・ワヤ「 Wyah Art & Creative space 」@スバリ村(409)

動画の始まりに、パヨガン村を抜けて突き当たりを右折しますが、突き当たりにプチャ・パヨガン(Pucak Payogan)寺院があります。

この寺院は、高僧ルシ・マルカンディア(Rsi Markandeya)が瞑想した場所。

http://informationcenter-apa.com/kb_markandeya.html

パヨガンの、Pa-yoga-nは、yoga(瞑想)から由来していると言われている。

通りの名称が、ルシ・マルカンディアとなっているのが頷ける。

Jl.Rsi Markandya.jpg

深い深い渓谷に橋が架かったのは、1990年頃のこと。

対岸の崖を切り崩して、尾根伝いの村に道路が通じた。

橋までは、バイク走行が危険なほど、急坂が続く。

尾根は、チャンプアン橋の袂「グヌン・ルバ寺院」の横道から、徒歩で往来できる。

1990年初頭までは、自転車で走ることができた。

バンギアンシダム村までの尾根は今、地元の人はブキット・チンタ(恋の丘)と呼んで、散歩を楽しんでいる。

私の知人の住むスバリ村は、バンギアンシダム村の次の集落。

橋ができるまでで尾根伝いの村は、遠くクリキ(Keliki)村から迂回する必要があった。

この道は、かなりのショットカットになる。

その昔、スバリ村&バンギアンシダム村の人々は、ウブド市場を利用するのにブキット・チンタを徒歩で往復していた。


その橋の袂にできたのが「カフェ・ワヤ」。

「wyah=ワヤ」は、バリ語で古いと言う意味らしい。

コロナ禍でスバリ村の知人の家を訪問することが遠のいていた。

一年ぶりに訪れる途中に、発見したのが「カフェ・ワヤ」。

鳥小屋のような建物がユニーク。

昨年9月にオープンしたようだ。

インスタグラムなどのSNSで発信されているのだろう、オープン当初から人気だとのこと。

ウブドも建築ラッシュ、どうせ建つなら、せめてクーラーを使わないオープンエアーを推奨したい。

クーラーを使うようになったのは「観光客が欲しがるから」と現地の人は言う。

部屋に虫や小動物が入ってくるのが嫌だから、締め切った部屋になる。

締め切れば暑いので、クーラーが必要になる。

プールを望むのも観光客。

ローソクやオイルランプが電灯になったのは有難いが、明る過ぎるのではないか。

省エネ対策は、どうなっている。

ゴミ問題は、解決したのか。

環境に優しいバリ島を目指そう!


気になったので、知人と息子さんを誘って出かけた。

近くにワヤの関連ホテル「 Umah Lawas Villa」があり、ヴィラの朝食はここでとる。

ホテルは、バリ南部の「KEMILAU GROUP」のようだ。

私は、コーヒーを頼んだ。

親子は、アイスクリームの入ったジュースを飲んでいる。

ショーケースを覗いてシュークリームと思って頼んだものは、スコーンのような硬さだった。

名札には「Kue Soes」とある。

Google翻訳するとシュークリームと表記されていた。

カスタードクリームが食べたかったのに。



posted by ito-san at 18:15| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年02月19日

コワーキングスペースPARQを徘徊! @ Ubud・Bali(408)

コロナ禍に入ってから、バリ島ウブドでも、ノマドワーク、ノマドワーカーの言葉をよく耳にするようになった。

ノマドという言葉に、私はウブドにある「レストラン・ノマド」を連想する。

滞在始めた1990年初頭には、シシカバブを食べに、よく通った。

定住を望まないジプシー体質の私は、遊牧民と言う意味のノマドという言葉が好きだ。

ワークとワーカーは、仕事、仕事をする人のことだと、私は理解している。

定住しなくて、仕事をする人。

遊牧民がなぜ、話題になっているのか?

疑問を持った時に頼るのが、ウキペディア。

さっそく検索してみた。

そこには、ここ書かれていた。

ノマドワーカーは、ノートパソコン、スマートフォン、タブレット端末などを使い、Wi-Fi環境のある喫茶店やコワーキングスペースなど、通常のオフィス以外のさまざまな場所で仕事をする人を指す日本語の表現。

また、そのような働き方を、「ノマドワーク」という。

「ノマドワーカー」も「ノマドワーク」も、2010年の時点で使われていた表現であるが、「ノマドワーカーの先駆者」と評された安藤美冬の活動が知られるようになり、ブログの広告収入で生活するようになった経験を綴った立花岳志の著書『ノマドワーカーという生き方』が出版された2012年ころから、広く用いられるようになった。

ノマドワーカーが働く場としては、しばしば代表的な例として言及されるスターバックスなど、通常の喫茶店の他、そうした客向けに特化した店や、公共図書館などがある。

また、ノマドワーカーが注目されるようになると、その受け皿として、各地で電源やWi-Fi環境などを整備したコワーキングスペースを設ける動きも出始めた。

コワーキングスペースは、ウブドにも数件ある。

ノマドワークでウブド滞在を可能にしたツーリストが増えている。

今後は、もって増えるだろうと考えられる。

和食・影武者の近くに「Outpost」、コロナ禍で姿を消してしまった「Habitat」、その他。

集客力のあった「Hubud」が、なぜ閉店してしまったのかは、深掘りする必要がある。

昨年(2021年)新たに、ウブド北・テガランタン村の広大な敷地に、ノマドワーカーの拠点「パルク・ウブド」が出現した。

『パルク・ウブドは、共通の価値観とオープンワールドビューを共有する志を同じくする人々を結びつけるために生まれました。

その結果、個人またはチームが快適に作業してプロジェクトを実現できるコワーキングスペースを作成しました。』

(ホームページから抜粋)


広い敷地に、コワーキングスペースとレストラン(和食・洋食)、カフェ、スパ&マッサージ、サウナ、ヨガ、ジム、プールなどの施設とアパートまで完備していた。

インターネットを利用して、パソコン一つで、収入を得ている人がノマドワーカーだと理解した。

ノマドワーカーは、ネット社会の産物。

外出自粛のコロナ禍で、会社の仕事をリモートでする人が増えている。

これは、リモートワーク&在宅ワークと呼ぶようだ。

学校の授業もリモートだと聞く。

これはオンライン授業とでも言うのか。

今後さらにネットの需要は増え、生活は一変するだろう。

ほかにテレワーク、テレコミューティング、モバイルワーク、フレキシブルワークプレイスという、呼び方もある。

老人は、日々ネット対応に四苦八苦し、やがては時代に取り残されていくのだろう。

ブログ・ホームページ・ユーチューブ・フェイスブック・インスタグラム・ツイッター、その他諸々に加わってはいるものの、まったく使いこなせていない。

そう言った意味で、私には住み難い世の中になっていきそうだ。


BGM『jegog suar agung』

posted by ito-san at 18:20| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年02月16日

ウブド公設市場(Pasar Umum Ubud)・解体直前を徘徊!(407)

「パサール・ウブド(通称)」が、またまた新しくなる。

またまたというのは、私が1990年に滞在し始めててから3度目になるからだ。

1度目は、1994年頃の一部建築。

ムランティン寺院(市場の寺院)の東隣りは、テニス・コートが3つほどできる広さの空き地があり、朝市・夜市(ナイトマーケット)が開かれていた。

広場の南端に、鉄筋2階建の店舗棟ができた。

この時から、ウブドのナイトマーケットは姿を消した。

(ウブドのセンゴール:http://informationcenter-apa.com/gt_senggol.html

寺院からモンキーフォレスト通りまでが、パサール・ウブドの敷地。

ウブド人の胃袋を満たす市場と雑貨を商う店舗が、増築増築で迷路のようにひしめいていた。

ジュリア・ロバーツ主演で映画化された「食べて、祈って、恋をして」(著者:エリザベス・ギルバート/訳者:那波かおり)の撮影もここで行われた。

1990年代bali 352.JPG


以前ブログに、こんなことを書いていた。

「ウブドの散策」:パサール・ウブドを覗いてみよう!

買い物をしない人には、訪れる機会がない場所。

2階建てが数棟、客の導線を考慮にいれたとは思えないほど無秩序に建っている。

通路は狭く、個店が迷路を作るように軒を列ね、迷宮に迷い込んだようだ。

売り子が掛ける声につられて買うも良し、雑然とした光景を楽しむのも良し。

生鮮食品の朝市(パサール)は、早朝の4時頃から昼頃まで、パサール・スニと呼ばれる土産物店は、6時前後に閉店する。

くまなく見て廻ったら、所要時間はどれほどだろう?

旅の醍醐味に「ウブド公設市場」見学を入れておこう。


2度目は、2013年3月17日に新装となった。

2012年8月14日から工事が始まって、7ヶ月後に完成。

今から、9年前のことだ。



白を基調とした官庁かホテルのような建物に《 PASAR UMUM UBUD 》の切り文字看板が輝いていた。

今までのバックパカーに嬉しい東南アジア丸かじり雰囲気から、都会化を目標に掲げた途上国事情の風景に変化した。

ウブドの慢性的交通緩和のために「地下駐車場」ができると言う話は、噂で終わったようだ。

2016年3月24日(木曜日):南棟から出火。

建物は、建て直されずに駐車場となったまま。

Pasar_Ubud4.jpg


そして、今回で3度目。

2月1日から、解体工事に入る予定と聞いている。

コロナ禍で、このタイミングがベストだったのか?

不満の声が、村人から上がっている。

朝市は、1月31日からスゥエタ通りの公営駐車場に移動。

駐車場は狭いので、道路に溢れることが想像される。

パサール内の店舗は、すでに退去済み。

賃貸契約の残っている店舗は、新しくなってから入居できるそうだが、「延長契約時の家賃高騰が気になる」と入店者のバリ人は言う。

完成予定は1年後。



posted by ito-san at 18:57| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年02月11日

インド料理店「INDIAN」@サンギンガン通り・UBUD(406)

一回の食事に、10万ルピアを超えるのは、私の財政では禁物である。

先日ズームでインタビューを受けて、嬉しい臨時収入があったので、今日は解禁のブランチにした。

解禁メニューは、前々から食べたいと思っていたインド・カレー。

ニュークニン村のあったインド料理店「TULSI」は、お値打ち価格だったので、馴染みの店だった。

数年前、突然に閉店した。

改装だろうと新装開店を期待していたが、工事現場の職人さんは、違う人が借りたと教えてくれた。

移転したという、情報も未だにない。

私はインドカレー難民となったのでる。


さてさて、解禁ブランチは、どこへ行こうか?

トリップアドバーザーを覗くと、ウブドにはインド料理をメニューに出している店が25軒あった。

そのうち数件で、食事をしていた。

モンキーフォレスト通りの「Ganesha」、ゴータマ通りの「Pesona Loung」、サンギンガン通りの「Mambai Station」、スリウエダリ通りの「Muse Cafe」、「India Delites」は、経験済み。

トゥブサヨ村スクマ通りの「India Delites」は、昨年末に閉店した。

コロナ禍で、休業の店もあるだろう。

ウブド王宮前の「Queen's」は、高級そうで、二の足を踏んでいる。

そして、思い出した。

サンギンガン通りにある「INDIAN delites」を。

プンゴセカン通りのプラマシャトルバス前にあったインド料理店「インディアン」は、2013年に、サンギンガン通りの集合店舗「The TJAMPUHAN VIEW Ubud」に移転した。

プンゴセカン通りにあった頃は、何度も利用をしたことのある老舗だ。

「INDIAN delites」は、バリ南部に4店(ヌサドゥア・クタ・スミニャック・サヌール)とウブド店を開店している。

http://www.baliindianfood.com/

今回の解禁ブランチは、サンギンガン通りの「INDIAN」に決定。

メニューは、プンゴセカン通り店と変わっていない。

数年ぶりの「INDIAN」のターリー。

料理のついては疎いので、食レポじゃなくて食事レポになってしまいますが、悪しからず。

動画でお楽しみください。

2階からは、対岸のチャンプアン尾根(キット・チンタ)とさらに向こうの「ワルン・ボダ・マリア=サリ・オーガニック」のある素晴らしい眺望が見られる席もある。



食事は、チキン・ターリー、Rp150,000-。

飲み物はチャイ、Rp30,000-。

会計は、Rp180,000-が40%の(コロナ禍)ディスカウントになっていた。

ラッキー!

タックス15%がついて、トータルRp135,000-でした。

ご馳走様でした!

posted by ito-san at 18:34| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年02月04日

AIちゃんのウクレレ・ショップ@Pasar Umum Ubud(405)

「居酒屋・影武者(旧名)」の1周年記念のイベントで、バリス・トゥンガルを踊ってくれた少年。

アノム・バリスさんのお父さん・コンピアンさんが連れて来ていた。

彼は、コンピアンさんからバリス・トゥンガルを習っていたのだ。

次に会った時は、日本語ガイドをしていた。

その時に、彼が1周年で踊ってくれた少年だと知った。

才能があるのに、踊りはやめていた。

名前はAIちゃん。

ガイドの仕事をしながら、ウブド・パサール(公設市場)のモンキーフォレスト通り沿いの入口で、ウクレレ・ショップを営んでいる。

通路にウクレレを並べで、時には弾き語りをして。

コロナ禍で、客足は最悪だが、それでも店を出して頑張っている。

もちろん、ガイドの仕事もない。




ローカル客が少し戻ってきた、このタイミングでウブド・パサールが閉鎖される。

建て替え計画だ。

2月1日から、解体工事に入る予定と聞いている。

朝市は、1月31日からスゥエタ通りの公営駐車場に移動。

建物内の店舗は、すでに退去済み。

完成予定は1年後。

どんな建物になるのかな?

ウブドらしい建物になるといいな!

以前の建物は、2013年に7ヶ月完成している。

契約の残っている店子は復帰できるが、家賃の高騰が心配だと言う。

AIちゃんは、これから、どうするのかな?

逞しい AIちゃんのこと、力強く生き残ってくれるだろう。

応援してます。


解体直前のウブド公設市場(Pasar Umum Ubud)を撮ってきました。



posted by ito-san at 17:49| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年02月02日

ミニ・コンテナ・ショップ「DIMSUM GM」(404)

コロナ禍の中でローカル・ビシネスが元気だ。

これはバリ島ウブドの話。

「寿司ケイ(sushi Key)http://itosan-ubud.seesaa.net/article/485076379.html」に続いて、新たに登場したのが「DIMSUM GM」。

「DIMSUM GM」は、現在、ローカルに人気メニューのようで、しばしば列を作っている。

DIMSUMは、漢字で書くと点心となるようだ。

点心という言葉は知っているが、正確にはわかっていない。

それは、中華料理の軽食の総称で、菜(中華料理の主菜)と湯(中華スープ)以外のものを指す、とウキペディアに記されていた。

飲茶(やむちゃ)という言葉も聞いてはいるが、これも正確には知らない。

点心のことが、飲茶だと思っていた。

ウキペディアには、点心を食べて楽しむ中国広東省、香港、マカオを中心に行われている習慣が飲茶だとあった。

40年ほど前、息子7歳を連れての旅で、中国・北京のホテルで飲茶を頼んだことがある。

その時、シューマイ、春巻き、粥、ちまき、等々を食べた記憶がある。

味は、思い出せない。


DIMSUMのミニ・コンテナ・ショップ発見!

と言っても、友人からの情報で、その友人の住む家の大家さんが営む店だった。

三軒目の出店と聞く。

場所は、プンゴセカン通りのSの字北東、アルマ美術館西口付近。

小さな寺院との間の空き地に、建った。

近くにはステーキハウスの「Batubara-Argentinian Grillery」がある。

応援に、駆け付けた。

「DIMSUM GM」は、点心専門店だった。

日本食がブームであるように、点心も、にわかに人気を集めているようだ。

コロナ禍で、テイクアウトの需要が増えていることが、行列を作る要因だろう。

蒸したもの、揚げたものが、並んでいた。

料理のことは、まったくわからないので、説明できません。

というより、皆さんの方がよくご存知でしょう。

おやつ感覚で購買できる低価格の設定も、人気の秘訣だと思われる。

*価格:Rp1,000-〜Rp3,500-

*営業時間:14.00pm〜21.00pm





posted by ito-san at 02:15| Comment(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする