2022年05月30日

バリ島関係・マニアックな推薦本・そのC漫画「アキオ紀行バリ」(428)

は〜い、徘徊老人の伊藤です、で始まる私のYouTube。

推薦本は、漫画「アキオ紀行バリ」です。

慣れないYouTube出演なので、原稿を書いて、それを読みながら喋っております。

原稿どうりに、話は進まないね。

セリフを覚える役者さんって、凄いなと、今更ながら感心しています。

今回のブログは、その原稿を公開しました。


お待ちかねの、バリ島関係・マニアックな推薦本のコーナーです。

誰も待っていないか。

実は、きのう。

たまには違った雰囲気でと思って、ロケーションを変えたんですよ。

ホームグランドの「影武者」を飛び出して「KEDAI D’SAWA」に行ったんです。

「KEDAI D’SAWA」がリニューアルしていたので、それも紹介しました。

撮影を終えて、編集して、YouTubeに公開しました。

ここで残念なことが起こりました。

なんと、BGMに著作権がかかっていてNG。

ということで、今日は撮り直し。


で、今日の推薦本です。

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1995年発売の漫画「アキオ紀行バリ」です。

登場する店を訪れる観光客が現れるほど、バリ好きさんに愛読された漫画です。

著者が、サテ・カンビン(Sate Kambing)屋の娘に恋に落ちていく実録物。

漫画家へのデビュー作になりました。

とにかく、絵が素晴らしい。

昨日の午後のコーヒータイムで、久しぶりに読み返してみた。

興味深かったので、推薦本として、紹介したいと思います。


「アキオ紀行バリ」を読むときの予備知識として、サテ・カンビンの話を少ししておきます。

カンビンはヤギのことで、サテは串。

ヤギ肉の串焼きのことです。

(やっちゃったな。

カンビンをひつじと言っていたので、そこだけ撮り直して挿入して編集。

以前、ロバートハリスさんのJwaveで、バビグリンを牛の丸焼きと言ってしまって、ハリスさんが、豚ですよねとフォローしてくれたことがった。)

私の古い情報では、サテ・カンビン屋は、ジャワ島スラバヤの近くにあるマドゥラ(Madura)島からの人々が商っていると聞いています。

マドゥラ人は、イスラム教徒です。

バリに来たマドゥラ人が、カキリマ(屋台)を引いて商いを始めた。

カキリマって知っていますか。

カキは足、リマは5つです。

説明。

その後、カキリマを同郷のマドゥラ人に、食材共々貸し出すという方法で、発展していった。

バリ島内のサテ・カンビン屋は、ほとんどマドゥラ人だと言ってもいいだろう。

今では、常設店舗もあります。

それぞれ屋号はあるのだろうが、どこもマドゥラの看板が出ている。

漫画の中のサテの価格は、サテ&ソト&エステでRp2,000-(100円)です。


あまり内容を教えてはいけないと思うので、かいつまんで説明します。

著者は「ヤシの木がなきゃ日本の田舎と変わんね〜よな」と感想を述べています。

これは、ほとんどの日本人観光客が、同じ感想を持ちます。

私もそうでした。


お世話になったホームステイの話は、ウブドらしさ凝縮されています。

初体験のすべてが、新鮮に感じます。

あなたのウブドステイは、どんなでしたか?

そうそうと、頷くほど似たところもあるし、まったく違うところもあるでしょう。

昔を懐かしんで、他人の体験と重ねて見るのも楽しいかも。

闘鶏の話、マンディ(水浴び)の話も面白いよ。


ウブドでの登場人物は、ほとんど友人です。

居酒屋・影武者は、武者・武者(ムシャムシャ)で登場します。

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イトーダさんは、私です。

昨年亡くなった、彫刻家のワヤン・ムカさんも登場しています。

懐かしい、思い出です。


一部始終を聞かされている私が、発言します。

「たぶん、悲しい結末になると思うんだわ」と。

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まさか、漫画になるとは思ってないので、正直な気持ちを伝えた。

私のアドバイスに、ショックを受けた著者の気持ちを知らない。

漫画が、手元に来てからわかった。

彼が私を嫌っているように感じるのは、そんな理由があったからかもしれないな。


インドネシア語の勉強も、ちょっとできる内容になっています。

これ以上解説しないほうがいいだろうと思うので、これくらいにしておきます。

さて結末は、どうなるのでしょう。



posted by ito-san at 02:02| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年05月27日

徘徊老人ダウン、湧き水で顔を洗う!@Pejeng・Bali(427)

見てはいけにものを見てしまった。

友人のお供をした時に、視線に入った「waterfall」の文字。

water-fallは、インドネシア語では、air terjun。

air(水)のterjun(急落)で、滝の意味になる。

「体力低下のため、渓谷探検や滝巡りは止めます」と、4日前のYouTubeに発言したばかり。

その舌の根も乾かぬうちに、目的地の滝が、ウブドから近い距離だということで、誓いを破ってしまった。

結果、戻りでダウン。


5月13日(快晴)

午後2時、ウブド大通りの東端・アンドン交差点を突っ切った。

急坂を下り上りして、Y字路を左折する。

あとは道なりに、バイクを走らせればいい。

陽差しが強くても、田舎道の風は心地よい。

約5キロの地点で、見覚えある看板が見えてきた。

看板には、Melayang村とある。

15分ほどで到着したことになる。


動画でもしゃべっていますが、見下ろした階段の急なのに恐れをなしている。

いろいろと言い訳しています。

恐る恐る階段を降りる。

降りる時はいつも、戻りのことを考えている。

この時は、この急な階段はキツイだろうな、と想像していた。

目の前のパノラマは、絶景だった。

渓谷の深さから察するに、まだ先は長いだろう。

泉までは、10分ほどだった。

目の前には、清流が力強く流れている。

しかし、滝が見つからない。

もっと先に進まなければいけないのかな?

川の対岸に、スケールの小さな滝が落ちていた。

予想とは違う、今までで一番ショボイ滝だった。

季節柄で水量が少ないのか、滝に威力がない。

川原まで降りれば楽しめたと思うが、この日は暑くて、泉で顔を洗って早々に引き上げることにした。

もどり道は、20分以上は、かかっていると思う。

動悸、息切れ。

もうダメだ!

小道に、天を仰いで横たわった。

グロッキー姿が写っていますが、大丈夫でしたので、ご心配なく。

「やっぱり、滝巡りはやめよう!」と、再度誓った私でした。



posted by ito-san at 01:31| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年05月25日

タバナン・バトゥリティにある温泉に行ってきました!(426)

カフェ・トピの悟さんのソーシャルメディアに、たびたび温泉の情報が流れる。

直接、話も聞いた。

聞けば聞くほど、行って見たくなる。

場所は、ユネスコ世界遺産のジェトゥルイに近いところ。

このエリアには、温泉が多く湧いているようだ。

目的地の温泉の名前は「WET New Hotspring Water Bali」。

住所:Jl.Raya Apuan Senganan-Baturitu.Tabnan。

ウブドからは、結構の距離がある。

悟さんのルートで行けば、ウブドから約一時間。

グーグルマップに登録。

遠いところだが、途中のライスフィールド、森林からの空気が心地よいのは知っている。


5月21日。

この日、体調も天候も絶好調!

温泉行きを決行。

カフェトピで朝食をとり、悟さんに声をかけ、14時10分、カフェトピを出発。

到着は、15時50分。

途中、サンゲ村から迷ったので、40分の超過時間なってしまった。


WET New温泉は、村はずれの山深い川沿いにあった。

駐車場に、券売場の小屋がある。

券売場の横に、バイクを停める。

入場料:Rp15,000-(大人一名)

係員は、はじめRp30,000-と呟いたが、私が確認すると、素早く訂正した。

清流の小川には、人専用の橋が架かっている。

橋を渡った景色は、緑豊富な公園になっていた。

背景は、緑豊富な小高い丘。

右手の一段高くなったところに、プールがあるようで、人々の歓声が聞こえる。

土曜日だからか、ローカルのお客様で賑わっているようだ。

入口の小屋で、温泉の個室を借りたいと告げると、Rp30,000-と言われた。

鍵を手にした係員について行くと、小屋の鍵を開けてくれた。

中は真っ暗闇。

壁にあったスイッチを押すと、灯りがついた。

グルリを40センチのベンチにして、プールのような浴槽があった。

脱衣場はない。

竹製のフックに、リュック、ウエストバック、脱いだ服を引っ掛けて裸になる。

注意事項:タオル、水着は、持参のこと。

用意していたのに、持ってくるのを忘れてしまった。

使用時間30分、ここは掛け流しでした。

久しぶりのバスタブ。

数年前のバトゥール温泉プール以来。

温泉ぽい温泉には、20年ぶりかもしれない。

思わず “あ〜” と唸ってしまう。

20分ほどで茹で上がったので、出ることにした。

時間内なら、プールに入ったりもできる。

水着を持ってきていれば、プールに入りたかった。

他の小屋では、家族連れや友達でシェア、中にはカップルもいるだろう。

私もカップルで来たいな!



posted by ito-san at 02:16| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年05月20日

バリ島関係・マニアックな推薦本・その@〜B(425)

「極楽通信・UBUD:バリ島関係・推薦本」の中でも、特にオススメするマニアックな本、数冊です。

http://informationcenter-apa.com/suisen_hon.html

まずは、この3冊から。


その@「バリ島・海のない村へ」

著者・シルビオ・サントーサ」

ビーチばかりがバリじゃない。

地元インドネシア人が孫の手的に案内する。

村の旅・徹底ガイド。

こいつは”目からウロコ”だ!

現地特製 総天然色マップ付き。




そのA「バリ島 ウブド楽園の散歩道」

ウブドを訪れるなら、この本がオススメです。

この一冊で、あなたもウブドの達人になれる!

コロナ禍で、ウブドも変貌していてベストの情報ではないのですが、宗教儀礼、伝統芸能、慣習は、ほとんど変わりないので問題はありません。

ホテル、スパ、レストランなどに閉店や休店があるが、観光客が戻ってくれば、再開する店も増えることでしょう。

改訂版が出版されることも考えられるので、そう言った意味でも保存版としてオススメします。

最近、増刷していないので、そろそろ増刷して欲しい。

私も関わっているので、増刷されると、私にも幾らかの印税が入るので。





そのB「バリ島カルチャー情報事典」

一家に一冊、保存版っていう感じ。

私としては「ウブドなんでも事典」を、本にできたらいいなと考えています。

言い足りなかったことを、補足しておきます。

バリの生活は、アガマ(宗教)・アダット(慣習)・ブダヤ(芸術)の三つが互いに関係して成り立っている。

バリ人は、どれ一つが掛けても、バランスが悪くなり、生活に不調をきたすと考えている。



マニアックな推薦本、続きます。


御免なさい!

画面が、width="500" height=“281” の大きさにならない。

只今、補修に挑戦中!

posted by ito-san at 00:44| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年05月15日

私のウブド記念日は5月8日!@UBUD(424)

先月、リピーター第一号さんの第一声が「思ったより、店が開いていました」だった。

「この2年間、ウブドはゴーストタウンだったんですよ」とお答えしたのですが、想像できないようでした。

賑わいを見せ始めたのは、4月15日くらいからです。

日に日に、開店する店が増えてます。

この調子で、観光客が戻って来て欲しいものです。


私のバリ島到着は、1990年の5月7日。

小牧市の名古屋国際空港から、ガルーダに乗ってやってきました。

中部国際空港がなかった時代です。

ウブド長期滞在が始まったのが、1990年の5月8日。

ただ今、滞在32年目に突入。

残り何年の滞在になるかは未知ですが、もう少しお世話になろうと思っています。


1990年当時、バリの空港の感想はと言うと。

空港ビルは建築中。

飛行機から、タラップで降りた。

平屋のバラックに入ります。

激しい雨が降れば、隣の人との会話もままならないだろうと想像できる、アスベストの低い屋根。

薄暗い照明が心細い明かりを灯し、天井扇は怠惰なうなり声をあげていた。

入国審査は、スムーズだったと記憶している。

ガラス扉を押し開きロビーに出ると、目の前は真っ暗闇だった。

薄明かりの中で、肩がぶつかり合うほど大勢の人間がうごめいていた。

お迎えの人々だ。

手にプレートを持っているが、まったく読めない。

酸っぱい体臭と人の熱で、息苦しくなってくる。

暗がりで見る褐色の顔に、危険を感じるような鋭い眼が光っている。

気後れする恐怖を振り払い、人混みをかき分けて外に出た。


クタで一泊し、次の日、プラマ社のシャトルバスでウブドに向かう。

動画は、現在のパサール・ウブドを見ながら、1990年の5月8日ウブドに降り立った時の様子を語っている。



この話は、「極楽通信・UBUD」の「ウブドに沈没」で綴っている。

http://informationcenter-apa.com/ubud-chinbotu.html

機会があれば、お読みください。

タイトルの「ウブドに沈没」は、ウブドが水中に沈むのではなく、ウブドの魅力に惹かれ長期滞在していく過程を意味しています。

ウブドの第一印象:

濃緑の墨があるとすれば、そんな墨で描かれた水墨画のような風景だった。

それは、ひとたび闇に包まれると、モノトーンのグラデーションの世界となったものだ。

posted by ito-san at 19:19| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年05月14日

オンラインライブでバリ芸能を応援しよう・終了! (423)

アノム・バリス氏の屋敷を突撃訪問したのは、2021年の3月21日のことです。

インドネシア大統領・Joko Widodo氏の前で、ハヌマン姿でワクチンを打った時の話を聞きに立ち寄った私は、ミーハー(死語?)です。

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話題は、バリの宗教から芸能へと進む。

コロナ禍で、一年間活動がストップしているスマララティ歌舞団。

会話は、ゴールデンウイーク(5月)に、日本に住むスマララティ・ファンに向けてオンライン・ライブをしようと飛躍する。



広報の手段として、フェイスブックに「スマララティを応援しよう!」のページを開設した。

https://www.facebook.com/groups/136520508397106

私の手持ちの写真とアノムさんから送られた写真で、ページを飾った。

すぐに、ファンの方々から思い出の写真・動画の投稿が続き、盛り上がりを見せていった。




関連記事:ブログ・生涯旅人

スマララティを応援しよう!(367)
http://itosan-ubud.seesaa.net/article/480929815.html

オンライン・ライブ@スマララティを応援しよう!(369)
http://itosan-ubud.seesaa.net/article/481483120.html


2021年5月から2022年4月の1年にかけて、6回のオンライン・ライブを開催した。

覚書として、まとめて見た。

■2021年05月02日:第一回スマララティ応援しよう!

アノムさんとの雑談から持ち上がった「スマララティを応援しよう!」が実現した。

1年ぶりに集結したスマララティのスピリットを堪能。

観客0でも、気力を抜かない。

会場をアノムさんの屋敷でという設定も、画期的だった。

踊り手、ガムラン演奏者、スタップ、視聴者、と役割は違うが、一体化した企画に仕上がったと思っている。

もちろん、鑑賞してくれる皆さんの応援があったからの賜物だと肝に銘じている。

ヒデさんの参加が、牽引力になったことも間違いない。

1日でも早く、ファンの皆さんにウブドでライブを観て欲しいと思った公演だった。


■2021年07月25日:第二回スマララティとスニマン・トゥアを応援しよう!

会場:アノムさんの屋敷

「スニマン・トゥア(Seniman Tua)」の特別公演。

かつてバリ芸能の分野で名を馳せ、比類なき技・力量を持った「巨匠」または「マエストロ」と呼ばれる人々。

この巨匠たちに再び、その凄腕を披露していただこう、という意趣である。

出演者
1)I Made Jimat
2)Ni Ketut Arini
3)Gusti Agung Susilawati
4)Desak Made Suarti Laksmi
5)Ayu Sukmawati
6)Anom Baris


■2021年09月26日:第一回ジェゴグ ”スアール・アグン” を応援しよう!

会場:スアールアグン・ステージ@ヌガラ

■2021月10月24日:第三回スマララティ33周年記念!

会場:ダラム寺院ウブド・外境内

■2022年01月30日:第四回スマララティを応援しよう!

会場:ダラム寺院ウブド・ワンティラン(集会場)

■2022年04月24日:第一回ティルタサリを応援しよう!

会場:Balerung Stage @ プリアタン


ウブドは、4月半ばから観光客が戻り始め、日に日に賑やかになって来ている。

定期公演も再開され始めている。

これで、私のオンラインライブの役目は終了。

今後は、ヒデさんとアパ?のワヤン君の若手にバトンタッチしていく。

バリの芸能に貢献できる機会が得られたことに、感謝している。

posted by ito-san at 23:57| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年05月04日

クラパ・ムダ=Kelapa Muda Ubud / Pool Bar & Kitchen(422)

ひと月ほど前にアンドン通りを散歩した時から、「グヌン・ムルタ・バンガロー」のことが気になっていた。

1990年代初頭、知人が泊まると、訪ねて行ったことのある宿だ。

1988年創業で、多くの日本人が定宿にする人気のバンガロー。

オーナーのイダさんは、サヌールのバリ・ビーチホテル(現在のインナ バリ ビーチ ホテル)に、20年ほど務めた後、フリーランスの日本語と英語のガイドになった。

(バリ・ビーチホテルは、日本の戦争賠償金によって1966年に完成)

私も1980年頃、近畿ツーリストのパック旅行で泊まっている。

バリ・ビーチホテルに日本人観光客が多かったからだろうか、イダさんは日本語が堪能です。

イダさんは勤務後の夜、グヌン・ムルタ・バンガローのスタッフに、日本語を熱心に教えていた。

アパ?情報センターのワヤン君も、イダさんの教え子のひとりだ。

イダさんは、日本人じゃありません。

知ってますよね、ゴメンなさい。

プダンダ(高僧)階層なので、イダ・バグースの称号で呼ばれています。

日本人のお客様は「イダさん」と親しみを込めて呼んでいる。

コロナ禍をどう乗り切っているか?

協力できることはないか?

そんな気持ちから、イダさんに会いたくなった。

「グヌン・ムルタ・バンガロー」は、ウブド警察署の西隣りにある。

20年ぶりの訪問。

会話は尽きず、2日続けて訪ねることになり、イダさんの作るブブール(お粥)までご馳走になった。


そのイダさんとの会話の中で、プリアタン村のプトゥ君が、レストランをオー プンしたこと聞いた。

プトゥ君は、日本の旅行会社に務めるために、日本語を勉強したかったようで、短い期間でしたが、居酒屋・影武者で働いたことがある。

大柄の体格で、ちょっと引っ込み思案なところがあった青年だと記憶している。

旅行会社を辞めた後は、実家の文房具屋とテガス村にプリント会社を経営している。


レストランの名前は「Kelapa Muda Ubud / Pool Bar & Kitchen」。

Kelapa Muda=クラパ・ムダ(若いココナッツ))

場所は、アンドンの十字路をマヤウブド・リゾート方面に北進すると、右に左にとS字カーブ がある。

S字カーブの右に、小川を渡る道がある。
そこが、クラパ・ムダに続く道。
土道を600メートルほど進むと、現れる。

田んぼの中に開店したレストラン。

駐車場エントランスは、左手にMASAKO石鹸の工場に繋がる小道がある。

右手に南下する道は、サワ・インダ通りと呼ばれる畦道。

進むと「ワルン・サワインダ」「トゥランブラン・バンガロー」「べ べ・テピサワ」に通じる。

なんでこんな不便な場所でと思ったが、出店理由はすぐにわかった。

「バリ島ウブド 楽園の散歩道」で紹介した道だった。

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不便だから残っている風景。

日影にいると頬を撫でる風が心地よいです。

のんびり流れる時間も、ウブドらしい!

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土地を贅沢に使った、インスタ映えするレストラン。

観光客が戻れば、人気のスポットになるだろう。

メニュー:インドネシア+アジア料理(料理に疎くて、食レポができないのでゴメンなさい)

営業時間:10am~7pm(レストラン利用者には、プール無料 )

まだ、YouTubeに動画がうまくリンクできません。

とりあえず、これをクリックしてご覧ください。

https://www.youtube.com/embed/Cuv29LrJCqQ



posted by ito-san at 16:41| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年05月02日

ワンデー・マーケット@KafeTopi・UBUD(421)

カフェ・トピのサンデーマケットは、2ヶ月に一度、ワンデーマーケットとして主催される。

https://kafe-topi.business.site/

開催時間は、朝9時30分から15時まで。

場所は、プンゴセカン通りとニュークニン通りのT字路のニュークニン村寄りの右手にある「複合店舗ガーデン」内。

悟さんのフェイスブックに、「ニルマラTシャツ」のアウトレットが出店するとあった。

https://www.instagram.com/nirmala_tshirt/

ニルマラは、ハヌマン通りの北入口近くにあるオシャレTシャツの店。

私も、ニルマラのデザインが好きで愛用している。

えっ、一枚4万ルピアから!

普段10万ルピア以上するTシャツが、ピンホールか小さな汚れがあるだけの処分品。

買わなくちゃ!

悟さんのインスタグラムに、毎週アップされる美味しそうな団子各種。

この機会に、気になっている団子も買おう。

自分一人だと腰が重いので、日本からのリピーター第一号・友人カップルを誘って出かけることにした。

5月1日。

私にとっては早朝の11時に、待ち合わせ。

胸にアクションカメラを装着して、眠い目を擦って出かけた。

他人が、承諾もなく写ってしまいますが、お許しください。

無事、友人カップルに会うことができ、まずは買い物。

「ニルマラTシャツ」2枚、団子各種+おはぎ、をゲット。

悟さんから、予約していた今川焼を受け取った後、のんびりと物色してパン、声を掛けてきたニョマンちゃんからは、Kurma=ナツメヤシの実(Dete Palm)を購入。

他に、野菜や食べもの、runguやレザーの商品、などなどが多数出店し、買物客で賑わっていた。

度々、登場する悟さんは、本名・古谷悟、カフェ・トピのオーナーご夫妻のパートナー。

マーケットでは、ブドゥグルの高原野菜を担当しています。

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買い物をした後は、コピ・バリを注文して座敷席に腰を下ろす。

友人カップルは、明日帰国する。

4月25日に再会した時の彼女の第一声は「ウブド、思ったより店が開いていました!」だった。

「2020年の4月からの2年間、コロナ禍のウブドはゴーストタウンだったんですよ」と説明をする。

賑わいを見せ始めたのは、4月15日くらいから。

日に日、開店する店は増えている。

次ウブドを訪れる時は、どう変化しているでしょうかね。

再会を約束して、別れた。


まだ、YouTubeに動画がうまくリンクできません。

とりあえず、これをクリックしてご覧ください。

https://www.youtube.com/embed/NaZLVVeNB2A



posted by ito-san at 07:44| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする