2022年05月04日

クラパ・ムダ=Kelapa Muda Ubud / Pool Bar & Kitchen(422)

ひと月ほど前にアンドン通りを散歩した時から、「グヌン・ムルタ・バンガロー」のことが気になっていた。

1990年代初頭、知人が泊まると、訪ねて行ったことのある宿だ。

1988年創業で、多くの日本人が定宿にする人気のバンガロー。

オーナーのイダさんは、サヌールのバリ・ビーチホテル(現在のインナ バリ ビーチ ホテル)に、20年ほど務めた後、フリーランスの日本語と英語のガイドになった。

(バリ・ビーチホテルは、日本の戦争賠償金によって1966年に完成)

私も1980年頃、近畿ツーリストのパック旅行で泊まっている。

バリ・ビーチホテルに日本人観光客が多かったからだろうか、イダさんは日本語が堪能です。

イダさんは勤務後の夜、グヌン・ムルタ・バンガローのスタッフに、日本語を熱心に教えていた。

アパ?情報センターのワヤン君も、イダさんの教え子のひとりだ。

イダさんは、日本人じゃありません。

知ってますよね、ゴメンなさい。

プダンダ(高僧)階層なので、イダ・バグースの称号で呼ばれています。

日本人のお客様は「イダさん」と親しみを込めて呼んでいる。

コロナ禍をどう乗り切っているか?

協力できることはないか?

そんな気持ちから、イダさんに会いたくなった。

「グヌン・ムルタ・バンガロー」は、ウブド警察署の西隣りにある。

20年ぶりの訪問。

会話は尽きず、2日続けて訪ねることになり、イダさんの作るブブール(お粥)までご馳走になった。


そのイダさんとの会話の中で、プリアタン村のプトゥ君が、レストランをオー プンしたこと聞いた。

プトゥ君は、日本の旅行会社に務めるために、日本語を勉強したかったようで、短い期間でしたが、居酒屋・影武者で働いたことがある。

大柄の体格で、ちょっと引っ込み思案なところがあった青年だと記憶している。

旅行会社を辞めた後は、実家の文房具屋とテガス村にプリント会社を経営している。


レストランの名前は「Kelapa Muda Ubud / Pool Bar & Kitchen」。

Kelapa Muda=クラパ・ムダ(若いココナッツ))

場所は、アンドンの十字路をマヤウブド・リゾート方面に北進すると、右に左にとS字カーブ がある。

S字カーブの右に、小川を渡る道がある。
そこが、クラパ・ムダに続く道。
土道を600メートルほど進むと、現れる。

田んぼの中に開店したレストラン。

駐車場エントランスは、左手にMASAKO石鹸の工場に繋がる小道がある。

右手に南下する道は、サワ・インダ通りと呼ばれる畦道。

進むと「ワルン・サワインダ」「トゥランブラン・バンガロー」「べ べ・テピサワ」に通じる。

なんでこんな不便な場所でと思ったが、出店理由はすぐにわかった。

「バリ島ウブド 楽園の散歩道」で紹介した道だった。

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不便だから残っている風景。

日影にいると頬を撫でる風が心地よいです。

のんびり流れる時間も、ウブドらしい!

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土地を贅沢に使った、インスタ映えするレストラン。

観光客が戻れば、人気のスポットになるだろう。

メニュー:インドネシア+アジア料理(料理に疎くて、食レポができないのでゴメンなさい)

営業時間:10am~7pm(レストラン利用者には、プール無料 )

まだ、YouTubeに動画がうまくリンクできません。

とりあえず、これをクリックしてご覧ください。

https://www.youtube.com/embed/Cuv29LrJCqQ



posted by ito-san at 16:41| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする