先月、リピーター第一号さんの第一声が「思ったより、店が開いていました」だった。
「この2年間、ウブドはゴーストタウンだったんですよ」とお答えしたのですが、想像できないようでした。
賑わいを見せ始めたのは、4月15日くらいからです。
日に日に、開店する店が増えてます。
この調子で、観光客が戻って来て欲しいものです。
私のバリ島到着は、1990年の5月7日。
小牧市の名古屋国際空港から、ガルーダに乗ってやってきました。
中部国際空港がなかった時代です。
ウブド長期滞在が始まったのが、1990年の5月8日。
ただ今、滞在32年目に突入。
残り何年の滞在になるかは未知ですが、もう少しお世話になろうと思っています。
1990年当時、バリの空港の感想はと言うと。
空港ビルは建築中。
飛行機から、タラップで降りた。
平屋のバラックに入ります。
激しい雨が降れば、隣の人との会話もままならないだろうと想像できる、アスベストの低い屋根。
薄暗い照明が心細い明かりを灯し、天井扇は怠惰なうなり声をあげていた。
入国審査は、スムーズだったと記憶している。
ガラス扉を押し開きロビーに出ると、目の前は真っ暗闇だった。
薄明かりの中で、肩がぶつかり合うほど大勢の人間がうごめいていた。
お迎えの人々だ。
手にプレートを持っているが、まったく読めない。
酸っぱい体臭と人の熱で、息苦しくなってくる。
暗がりで見る褐色の顔に、危険を感じるような鋭い眼が光っている。
気後れする恐怖を振り払い、人混みをかき分けて外に出た。
クタで一泊し、次の日、プラマ社のシャトルバスでウブドに向かう。
動画は、現在のパサール・ウブドを見ながら、1990年の5月8日ウブドに降り立った時の様子を語っている。
この話は、「極楽通信・UBUD」の「ウブドに沈没」で綴っている。
http://informationcenter-apa.com/ubud-chinbotu.html
機会があれば、お読みください。
タイトルの「ウブドに沈没」は、ウブドが水中に沈むのではなく、ウブドの魅力に惹かれ長期滞在していく過程を意味しています。
ウブドの第一印象:
濃緑の墨があるとすれば、そんな墨で描かれた水墨画のような風景だった。
それは、ひとたび闇に包まれると、モノトーンのグラデーションの世界となったものだ。