2022年05月15日

私のウブド記念日は5月8日!@UBUD(424)

先月、リピーター第一号さんの第一声が「思ったより、店が開いていました」だった。

「この2年間、ウブドはゴーストタウンだったんですよ」とお答えしたのですが、想像できないようでした。

賑わいを見せ始めたのは、4月15日くらいからです。

日に日に、開店する店が増えてます。

この調子で、観光客が戻って来て欲しいものです。


私のバリ島到着は、1990年の5月7日。

小牧市の名古屋国際空港から、ガルーダに乗ってやってきました。

中部国際空港がなかった時代です。

ウブド長期滞在が始まったのが、1990年の5月8日。

ただ今、滞在32年目に突入。

残り何年の滞在になるかは未知ですが、もう少しお世話になろうと思っています。


1990年当時、バリの空港の感想はと言うと。

空港ビルは建築中。

飛行機から、タラップで降りた。

平屋のバラックに入ります。

激しい雨が降れば、隣の人との会話もままならないだろうと想像できる、アスベストの低い屋根。

薄暗い照明が心細い明かりを灯し、天井扇は怠惰なうなり声をあげていた。

入国審査は、スムーズだったと記憶している。

ガラス扉を押し開きロビーに出ると、目の前は真っ暗闇だった。

薄明かりの中で、肩がぶつかり合うほど大勢の人間がうごめいていた。

お迎えの人々だ。

手にプレートを持っているが、まったく読めない。

酸っぱい体臭と人の熱で、息苦しくなってくる。

暗がりで見る褐色の顔に、危険を感じるような鋭い眼が光っている。

気後れする恐怖を振り払い、人混みをかき分けて外に出た。


クタで一泊し、次の日、プラマ社のシャトルバスでウブドに向かう。

動画は、現在のパサール・ウブドを見ながら、1990年の5月8日ウブドに降り立った時の様子を語っている。



この話は、「極楽通信・UBUD」の「ウブドに沈没」で綴っている。

http://informationcenter-apa.com/ubud-chinbotu.html

機会があれば、お読みください。

タイトルの「ウブドに沈没」は、ウブドが水中に沈むのではなく、ウブドの魅力に惹かれ長期滞在していく過程を意味しています。

ウブドの第一印象:

濃緑の墨があるとすれば、そんな墨で描かれた水墨画のような風景だった。

それは、ひとたび闇に包まれると、モノトーンのグラデーションの世界となったものだ。

posted by ito-san at 19:19| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする