6月16日:クニンガン祭礼日の午後2時。
「アパ?情報センター」のワヤン君の案内で、トランス・メトロ・デワタのバスに初試乗した。
公共路線バスの運行は、道路渋滞の緩和策だろう。
インドネシア運輸省がバックアップする、半官半民の公共路線バスのようだ。
以前、トランス・サルバギータ(Trans Sarbagita)と言うのが走っていたが、どうなったのだろうか。
芳しい結果は、出ていなかったと思う。
今回のメトロ・デワタが、どのくらいの利用率で、どのくらい便利かを知ることはできないが、乗車することで快適さは理解できるだろう。
プリアタン王宮のある十字路東南側にあるバス停から乗車。
今は無料だが、有料になると写真のカードを使用するようになる。
カードは、Rp25,000-で購入。
銀行、コンビニで販売していると言う情報。
バイクを、西南側にある駐車場に止めたので、ウブドを巡回して、ここに戻ってくる予定。
道順は、プリアタンから乗って、ウブド大通り→ハヌマン通り→モンキーフォレスト通り→ウブド大通りと回って、戻って来ます。
椅子席は20席。
数えてないけど、ワヤン君がそう教えてくれた。
椅子間が狭いのが気になる。
立席を加えると40人が乗車可能だと、やはりワヤン君が教えてくれた。
今は、コロナ対策で、椅子席のみの使用。
もちろんエアコンが装備されている。
運転手には、旅行会社に勤めていた幾人かが、転職しているようだ。
コロナ禍の2020年から運行を始めたが、運転手には給料が支払われているようです。
老婆心ながら、一言付け加えておきます。
車幅の狭いコンパクトなバスだが、車高が高いので車窓の景色が、バイクと違って見えて楽しい。
横で、ワヤン君がユーチューブでライブ放送している。
時々、そんな声が聞こえる。
ウブド内のバス停は、パダンテガル村のウブド巡回無料バスのバス停を利用していた。
バス専用の停車場だが、一般車が止まっていることが多いので、バスが止まると渋滞を招いてしまう。
モンキーフォレスト内の駐車場で、運転手の小休止。
モンキーフォレスト内のバス停
HALTEは止まるのインドネシア語。
KHUSUS Teman Bus=トゥマンバス専用のバス停ということですかね。
公共バスのバス停には、この標識が出ていると聞いたか、真相はいかに。
Teman Busは、Transportasi Ekonomis Mudah Andal dan Nyaman(簡単で信頼性が高く便利な経済的な輸送)の略語(singkatan)。
略語で、Teman(友達の意味)にしたのが、アッパレだね。
トランス・メトロ・デワタのウブド内巡回は、パダンテガル村のウブド巡回無料バスが運行するまでの期間。
その後は、トゥブサヨ・ダラムプリ寺院前でUターンするようです。
乗るなら、今がチャンスですゾ!
2022年06月24日
2022年06月22日
チャロナラン奉納舞踊@タティアピ・ぺジェン村(435)
「和食・影武者」のスタッフ・ナカン君が、「明日、タティアピ村のオダラン(寺院祭礼)でチャロナラン奉納されるよ」と教えてくれた。
夫妻で働いている、ベテランのスタッフだ。
娘さんがシシアン舞踊に参加し、息子さんがガムラン隊でウガールを叩くらしい。
それは、観ざるを得ないだろう。
この前に「チャロナラン奉納舞踊」を観たのは、2022年3月5日。
この日は、雨に降られた。
*「雨に降られたチャロナラン奉納舞踊@UBUD」
ブログは:http://itosan-ubud.seesaa.net/article/485955665.html
ユーチューブは:https://www.youtube.com/embed/mgeXHLhDk78
2022年06月16日:3ヶ月ぶりの、チャロナラン奉納舞踊の鑑賞となる。
昨日が大雨だったので、心配だ。
寺院は、「Pura Agung Batan Bingin」。
Bingin(ビンギン)のBatan(木)=菩提樹のことだ。
寺院裏には、樹齢数百年と思われるビンギンの林がある。
大原さんと「和食・影武者」で待ち合わせ、午後9時出発。
開演は、午後10時頃になりそうな雰囲気。
境内をブラブラしていると、ご婦人から声をかけられた。
何を言っているのかわからなかったが、しばらくして、ナカン君の奥様の腕を取って引っ張って戻ってきた。
「娘さんが踊るのよ。私の娘も踊るの!」
テレックの衣装を着ているのが、彼女の娘さんのようだ。
スマホを向けて、パチリ!
続いて、ナカン君の娘も写真に撮らなくっちゃってことで、連れて行かれる。
こちらは、シシアン。
全員、揃ったところでパチリ!
記念撮影から解放されて、再び、ブラブラ。
奉納舞踊が始まりそう。
ゾウリをお尻に敷いて腰を下ろす。
娘達の動画を撮らなくちゃ!
自撮り棒を使って撮ったが、手ブレが激しそう。
とにかく、記録には残したゾ!
Rangda & Kris & Barong Ket
劇が始まるタイミングで、席を立った。
寺院の外へ出て、はたと気づいた。
ウエストポーチを持っていない。
スマホの出し入れで、手に持って座っていたのだ。
置いて来てしまったようだ。
ウエストポーチには、財布が入っている。
現金は少ないが、キャッシュ・カードと免許証がなくなると面倒だ。
すでに数分が経っている。
半ばあきらめの境地で、境内に向かう。
観衆が、先ほどより増えていた。
人混みを、モーゼの十戒のように分入って、先ほど座っていた場所に近づいた。
私の前に腰を下ろしていた若者が、私の姿を見て、すぐに気がついてくれたようだ。
ウエストポーチをかざして「Itu aman!=安全だよ!」って。
三度目の境内ブラブラ
再生できない場合、ダウンロードは🎥こちら
小腹が空いたので、サテ・バビ(豚肉の串焼き)を食す。
終演までは残る元気はなく、深夜1時に寺院を後にした。
「40代の頃は、最後まで見届けていたのにな」
私の発言に、大原さんは頷いていた。
後から聞いた話では、翌朝の5時まで続いたと言う。
いろんなことのあったチャロナラン舞踊劇の鑑賞でした。
夫妻で働いている、ベテランのスタッフだ。
娘さんがシシアン舞踊に参加し、息子さんがガムラン隊でウガールを叩くらしい。
それは、観ざるを得ないだろう。
この前に「チャロナラン奉納舞踊」を観たのは、2022年3月5日。
この日は、雨に降られた。
*「雨に降られたチャロナラン奉納舞踊@UBUD」
ブログは:http://itosan-ubud.seesaa.net/article/485955665.html
ユーチューブは:https://www.youtube.com/embed/mgeXHLhDk78
2022年06月16日:3ヶ月ぶりの、チャロナラン奉納舞踊の鑑賞となる。
昨日が大雨だったので、心配だ。
寺院は、「Pura Agung Batan Bingin」。
Bingin(ビンギン)のBatan(木)=菩提樹のことだ。
寺院裏には、樹齢数百年と思われるビンギンの林がある。
大原さんと「和食・影武者」で待ち合わせ、午後9時出発。
開演は、午後10時頃になりそうな雰囲気。
境内をブラブラしていると、ご婦人から声をかけられた。
何を言っているのかわからなかったが、しばらくして、ナカン君の奥様の腕を取って引っ張って戻ってきた。
「娘さんが踊るのよ。私の娘も踊るの!」
テレックの衣装を着ているのが、彼女の娘さんのようだ。
スマホを向けて、パチリ!
続いて、ナカン君の娘も写真に撮らなくっちゃってことで、連れて行かれる。
こちらは、シシアン。
全員、揃ったところでパチリ!
記念撮影から解放されて、再び、ブラブラ。
奉納舞踊が始まりそう。
ゾウリをお尻に敷いて腰を下ろす。
娘達の動画を撮らなくちゃ!
自撮り棒を使って撮ったが、手ブレが激しそう。
とにかく、記録には残したゾ!
Rangda & Kris & Barong Ket
劇が始まるタイミングで、席を立った。
寺院の外へ出て、はたと気づいた。
ウエストポーチを持っていない。
スマホの出し入れで、手に持って座っていたのだ。
置いて来てしまったようだ。
ウエストポーチには、財布が入っている。
現金は少ないが、キャッシュ・カードと免許証がなくなると面倒だ。
すでに数分が経っている。
半ばあきらめの境地で、境内に向かう。
観衆が、先ほどより増えていた。
人混みを、モーゼの十戒のように分入って、先ほど座っていた場所に近づいた。
私の前に腰を下ろしていた若者が、私の姿を見て、すぐに気がついてくれたようだ。
ウエストポーチをかざして「Itu aman!=安全だよ!」って。
三度目の境内ブラブラ
再生できない場合、ダウンロードは🎥こちら
小腹が空いたので、サテ・バビ(豚肉の串焼き)を食す。
終演までは残る元気はなく、深夜1時に寺院を後にした。
「40代の頃は、最後まで見届けていたのにな」
私の発言に、大原さんは頷いていた。
後から聞いた話では、翌朝の5時まで続いたと言う。
いろんなことのあったチャロナラン舞踊劇の鑑賞でした。
2022年06月19日
バリ島関係・マニアックな推薦本・そのEバリ島楽園紀行(434)
*まず最初に、謝っておきます。
クニンガン祭礼日の前日をマニス・ガルンガンと言っていますが、プナンパハンの間違いです。
この日は、プナンパハンでした。
マニス・ガルンガンは、翌日です。
日頃あまり使わない言葉なので、よく、言い間違いしてしまいますが、お許してください。
*動画を見られる時の注意・・
途中からカメラが切り替わるのですが、その時に声が大きくなります。
変わる前の声が小さいと指摘がありました。
そうです、マイクをつけるのを忘れていました。
この時は、大きな声で話していたつもりでしたが。
「バリ島 楽園紀行」の解説・・
1996年の発行ですが、色あせることにない傑作だと、関わった者として自画自賛しております。
バリ人にとってすべての源となる寺院と信仰、バリを華やかに彩る美術、伝統と華麗さを併せ持つ数々の芸能、一度は訪れてみたいとっておきの名所案内、その他コラムではバリの本当の姿を知るための情報がたくさん盛り込まれています。
信仰に基づいて発展してきたバリの文化を中心として、美しいカラー写真を多用して紹介している。
カメラマンの渡部さんの写真が素晴らしい。
カラー写真入りのウブド辞典のような役目をする一冊です。
保存版ですよ。
今からでも遅くないので、お求めください。
裏表紙の裏のウブド・マップは、友人のイラストレーターが描いてくれました。
「バリ島関係・マニアックな推薦本」のユーチューブでの紹介は、これで最後になると思います。
残り少ないですが、今後は、ブログ「伊藤博史の生涯旅人」
Blog:https://itosan-ubud.seesaa.net/で紹介していきます。
よろしく。
クニンガン祭礼日の前日をマニス・ガルンガンと言っていますが、プナンパハンの間違いです。
この日は、プナンパハンでした。
マニス・ガルンガンは、翌日です。
日頃あまり使わない言葉なので、よく、言い間違いしてしまいますが、お許してください。
*動画を見られる時の注意・・
途中からカメラが切り替わるのですが、その時に声が大きくなります。
変わる前の声が小さいと指摘がありました。
そうです、マイクをつけるのを忘れていました。
この時は、大きな声で話していたつもりでしたが。
「バリ島 楽園紀行」の解説・・
1996年の発行ですが、色あせることにない傑作だと、関わった者として自画自賛しております。
バリ人にとってすべての源となる寺院と信仰、バリを華やかに彩る美術、伝統と華麗さを併せ持つ数々の芸能、一度は訪れてみたいとっておきの名所案内、その他コラムではバリの本当の姿を知るための情報がたくさん盛り込まれています。
信仰に基づいて発展してきたバリの文化を中心として、美しいカラー写真を多用して紹介している。
カメラマンの渡部さんの写真が素晴らしい。
カラー写真入りのウブド辞典のような役目をする一冊です。
保存版ですよ。
今からでも遅くないので、お求めください。
裏表紙の裏のウブド・マップは、友人のイラストレーターが描いてくれました。
「バリ島関係・マニアックな推薦本」のユーチューブでの紹介は、これで最後になると思います。
残り少ないですが、今後は、ブログ「伊藤博史の生涯旅人」
Blog:https://itosan-ubud.seesaa.net/で紹介していきます。
よろしく。
2022年06月16日
ウブドに沈没D・屋台街(センゴール)デビュー!(433)
ウブドに沈没の第D回目になります。
今回は、センゴール・デビューの話。
*センゴール:http://informationcenter-apa.com/gt_senggol.html
現在、ウブド公設市場は新築工事のための、解体と整地が終わったところ。
本当なら、以前センゴールのあった場所に立って、昔を振り返りたいところですが、それは叶いません。
そんなわけで、今回は、市場のムランティン寺院前にあるレストランに、スマホカメラを設置しての動画撮影となりました。
市場の解体で、それまで商売をしていた店はどこへ行ったのでしょう、と心配になりませんか?。
なるでしょう!
お答えします。
スゥエタ通りにある青空公設駐車場が提供されました。
しかし、あんな狭い場所では、到底さばき切れません。
多くは、ウブド大通り、カジェン通り、スゥエタ通りなどの路上で商いをしています。
市場の敷地区画に簡易仕切り壁が立ち、ウブド大通り沿いは、その壁を利用して露店が出店するようになった。
それは、賑やかな風景となった。
訪れる観光客も、そんな路上ショッピングを楽しんでいるようでもある。
そんな風景も撮れるだろうと考えてセッティングしたのだが、意に反して壁は真っさらで商品が飾られていない。
な〜んでだ!
その答えは、次の動画を見ていただければわかります。
レストランの道路沿いのテーブルに席を取り、スマホを市場方面に向けてセッティング。
昔を思い出しながら、説明をしていく。
ところどころにワット数の小さな裸電球がぶら下がる暗い夜道を歩いていると、変則十字路を越えた方角に明かりが見えた。
ウブドに到着した時、バスから見た青空市のあたりだ。
コンクリート造りの2階建雑居ビルは市場で、その東隣には大きな樹が立っている。
大樹の枝葉の影で陽射しをさけるようにして、小さな寺院がある。
寺院の東は、テニスコートが3つほどできる広さの広場だった。
朝市は、この広場で開かれていたのだ。
近づくと、ブルーシートの屋根が幾つも並んだ屋台街だった。
屋台から漏れるケロシンランプが、うらぶれた、たよりない明かりを灯し、なにやら怪しげで危険な匂いを醸し出していた。
続きは、極楽通信・UBUD:「ウブドに沈没」屋台街デビューをお読みください。
http://informationcenter-apa.com/ubud-chinbotu5.html.
今回は、センゴール・デビューの話。
*センゴール:http://informationcenter-apa.com/gt_senggol.html
現在、ウブド公設市場は新築工事のための、解体と整地が終わったところ。
本当なら、以前センゴールのあった場所に立って、昔を振り返りたいところですが、それは叶いません。
そんなわけで、今回は、市場のムランティン寺院前にあるレストランに、スマホカメラを設置しての動画撮影となりました。
市場の解体で、それまで商売をしていた店はどこへ行ったのでしょう、と心配になりませんか?。
なるでしょう!
お答えします。
スゥエタ通りにある青空公設駐車場が提供されました。
しかし、あんな狭い場所では、到底さばき切れません。
多くは、ウブド大通り、カジェン通り、スゥエタ通りなどの路上で商いをしています。
市場の敷地区画に簡易仕切り壁が立ち、ウブド大通り沿いは、その壁を利用して露店が出店するようになった。
それは、賑やかな風景となった。
訪れる観光客も、そんな路上ショッピングを楽しんでいるようでもある。
そんな風景も撮れるだろうと考えてセッティングしたのだが、意に反して壁は真っさらで商品が飾られていない。
な〜んでだ!
その答えは、次の動画を見ていただければわかります。
レストランの道路沿いのテーブルに席を取り、スマホを市場方面に向けてセッティング。
昔を思い出しながら、説明をしていく。
ところどころにワット数の小さな裸電球がぶら下がる暗い夜道を歩いていると、変則十字路を越えた方角に明かりが見えた。
ウブドに到着した時、バスから見た青空市のあたりだ。
コンクリート造りの2階建雑居ビルは市場で、その東隣には大きな樹が立っている。
大樹の枝葉の影で陽射しをさけるようにして、小さな寺院がある。
寺院の東は、テニスコートが3つほどできる広さの広場だった。
朝市は、この広場で開かれていたのだ。
近づくと、ブルーシートの屋根が幾つも並んだ屋台街だった。
屋台から漏れるケロシンランプが、うらぶれた、たよりない明かりを灯し、なにやら怪しげで危険な匂いを醸し出していた。
続きは、極楽通信・UBUD:「ウブドに沈没」屋台街デビューをお読みください。
http://informationcenter-apa.com/ubud-chinbotu5.html.
2022年06月13日
バリ島関係・マニアックな推薦本・そのD漫画「踊る島の昼と夜」(432)
バリ島関係・マニアックな推薦本紹介の時間です。
先回のそのCで『アキオ紀行バリ』をオススメしました。
今回は、バリ島関連でもう一作、同じ作家の漫画を紹介したいと思います。
題名は「踊る島の昼と夜」(2003年発行)。
目次は、1)踊る島の昼と夜
2)真昼の蛇
3)チャロナランの夜
4)午後のチャンティック
5)パチャールは朝やってくる
全てブラックマジック・黒魔術・呪術・レヤックの話。
バリ好きさんには、たまらない内容だと思います。
バリの古い慣習を守っている村の青年の悪行。
日本人観光客の女性が恋に落ちてしまう、バリ人男性の不思議な力。
私の持ちネタのいくつかを、チャンプールしてまとめた作品になっています。
メインキャラクターの「ヨリトモ(通称)」は、私です。
きっと、多分。
私が20年前後、ちょっと人気者だった頃の物語。
「そんな人いたの?」と言った、過去の人。
老兵は去るのみなんて、粋がっていましたが。
過去の栄光にしがみついて格好悪いが、再び、人気者にならないかななんて、すけべ根性を出しています。
この漫画を読む前に、少し知識をつけておくとさらに興味深く読めるだろうと、今回は、バリアンについて話をしたいと思います。
バリには、悪霊、精霊、そしてレヤック(呪術師)などに対抗するものとして、バリアンという職種があります。
英語ではシャーマンとかメディスンマンと訳されます。
バリアンは、プダンド(Pedanda=ブラフマノ出身の司祭)、プマンク(Pamangku=平民僧の司祭)、サドゥグ(Sadeg=巫女)と同様に、宗教的職能者です。
バリでもっともミステリアスな世界、白呪術(ホワイト・マジック)、黒呪術(ブラック・マジック)を操るのが、このバリアンです。
バリアンには6つの職務があります。
1.Balian Usada:はじめにマントラ(mantra=不思議な力を持った呪文)を唱え、そして、いろいろな薬用植物を使用して治療する。魔術的な道具を使い、嫉妬や怒り、そして、悲哀を相手に植え付けることができる。
2.Balian Manakan:助産婦。
3.Balian Tenun:占い師。ロンタル(Lontar=ロンタル椰子の葉に書かれた古文書)の教えをもとにして、消失した物質のありかを告げる。
4.Balian Taksu:
a)小さな子供にのりうつり、誰の生まれ変わりかを告げる。
b)子供が病気の時、誰がそうしたかを告げる。
c)死亡した人がバリアンにのりうつり、隠された財産などを告げる。
5.Balian Eedan:神がのりうつり、神のお告げを説明する。
6.Balian Sonteng:子供に関する儀礼を司る。許されない結婚の時、結婚する2人に隠れ場所に招かれ、神に対する供物を作る。
これらを大きく、呪医師と呪術師の二種類に分けられます。
プダンド、プマンクにも特異な能力を持った人が多く、バリアンを兼ねることもあります。
呪医師は、ロンタル文書から得た知識や呪力、経験から治療をおこなう。
呪術師は、霊感を授かった人で、トランス状態を通じて霊界に入りお告げをする。
死んだ人の魂、霊魂を自分の身に取り憑かせて、死者の身内の者に死者の言葉を語って聞かせるのは、日本のイタコ「口寄せ巫女」と同じだ。
バリ人は今でも、病気や禍が起こるとバリアンをたずねる。
評判の高いバリアンのところには、毎日、大勢の人々が訪れる。
私の経験を1つ。
渓谷に沿いに建つ、私のバンガローの家主ワヤン・カルタの家族に、病人や怪我をする者が続いた。
カルタは、バレーボールで痛めた肩がいつまで経っても治らないので困っていた。
彼はさっそく高名なバリアンにうかがいをたてた。
バンガローは、超自然的な霊力という意味を持つ「サクティ」と呼ばれる土地にある。
バリアンはバンガローに出向いた。
100体もの霊が、渓谷を浮遊していると言う。
「バンガローの供物が、時々、供えられていない。霊たちが腹を空かして怒っている。それで注意を促したのだ」と告げた。
このあと、供物をかかさないのはもちろんのこと、新しく祭壇も建てた。
こうして、家族の病気も治り、カルタの怪我もおさまった。
信じられないような、本当の話。
「踊る島の昼と夜」には、こんな不思議な話が5題おさめられているのです。
先回のそのCで『アキオ紀行バリ』をオススメしました。
今回は、バリ島関連でもう一作、同じ作家の漫画を紹介したいと思います。
題名は「踊る島の昼と夜」(2003年発行)。
目次は、1)踊る島の昼と夜
2)真昼の蛇
3)チャロナランの夜
4)午後のチャンティック
5)パチャールは朝やってくる
全てブラックマジック・黒魔術・呪術・レヤックの話。
バリ好きさんには、たまらない内容だと思います。
バリの古い慣習を守っている村の青年の悪行。
日本人観光客の女性が恋に落ちてしまう、バリ人男性の不思議な力。
私の持ちネタのいくつかを、チャンプールしてまとめた作品になっています。
メインキャラクターの「ヨリトモ(通称)」は、私です。
きっと、多分。
私が20年前後、ちょっと人気者だった頃の物語。
「そんな人いたの?」と言った、過去の人。
老兵は去るのみなんて、粋がっていましたが。
過去の栄光にしがみついて格好悪いが、再び、人気者にならないかななんて、すけべ根性を出しています。
この漫画を読む前に、少し知識をつけておくとさらに興味深く読めるだろうと、今回は、バリアンについて話をしたいと思います。
バリには、悪霊、精霊、そしてレヤック(呪術師)などに対抗するものとして、バリアンという職種があります。
英語ではシャーマンとかメディスンマンと訳されます。
バリアンは、プダンド(Pedanda=ブラフマノ出身の司祭)、プマンク(Pamangku=平民僧の司祭)、サドゥグ(Sadeg=巫女)と同様に、宗教的職能者です。
バリでもっともミステリアスな世界、白呪術(ホワイト・マジック)、黒呪術(ブラック・マジック)を操るのが、このバリアンです。
バリアンには6つの職務があります。
1.Balian Usada:はじめにマントラ(mantra=不思議な力を持った呪文)を唱え、そして、いろいろな薬用植物を使用して治療する。魔術的な道具を使い、嫉妬や怒り、そして、悲哀を相手に植え付けることができる。
2.Balian Manakan:助産婦。
3.Balian Tenun:占い師。ロンタル(Lontar=ロンタル椰子の葉に書かれた古文書)の教えをもとにして、消失した物質のありかを告げる。
4.Balian Taksu:
a)小さな子供にのりうつり、誰の生まれ変わりかを告げる。
b)子供が病気の時、誰がそうしたかを告げる。
c)死亡した人がバリアンにのりうつり、隠された財産などを告げる。
5.Balian Eedan:神がのりうつり、神のお告げを説明する。
6.Balian Sonteng:子供に関する儀礼を司る。許されない結婚の時、結婚する2人に隠れ場所に招かれ、神に対する供物を作る。
これらを大きく、呪医師と呪術師の二種類に分けられます。
プダンド、プマンクにも特異な能力を持った人が多く、バリアンを兼ねることもあります。
呪医師は、ロンタル文書から得た知識や呪力、経験から治療をおこなう。
呪術師は、霊感を授かった人で、トランス状態を通じて霊界に入りお告げをする。
死んだ人の魂、霊魂を自分の身に取り憑かせて、死者の身内の者に死者の言葉を語って聞かせるのは、日本のイタコ「口寄せ巫女」と同じだ。
バリ人は今でも、病気や禍が起こるとバリアンをたずねる。
評判の高いバリアンのところには、毎日、大勢の人々が訪れる。
私の経験を1つ。
渓谷に沿いに建つ、私のバンガローの家主ワヤン・カルタの家族に、病人や怪我をする者が続いた。
カルタは、バレーボールで痛めた肩がいつまで経っても治らないので困っていた。
彼はさっそく高名なバリアンにうかがいをたてた。
バンガローは、超自然的な霊力という意味を持つ「サクティ」と呼ばれる土地にある。
バリアンはバンガローに出向いた。
100体もの霊が、渓谷を浮遊していると言う。
「バンガローの供物が、時々、供えられていない。霊たちが腹を空かして怒っている。それで注意を促したのだ」と告げた。
このあと、供物をかかさないのはもちろんのこと、新しく祭壇も建てた。
こうして、家族の病気も治り、カルタの怪我もおさまった。
信じられないような、本当の話。
「踊る島の昼と夜」には、こんな不思議な話が5題おさめられているのです。
2022年06月11日
ビスマ通りを徘徊してみました(431)
コロナの呪縛から解放されて、ウブドに観光客の姿が見られるようになってきた。
久しぶりにビスマ通りを歩いてみる。
ゴーストタウンに、活気が戻ってきた感じだ。
現在は、川を挟んでモンキーフォレスト通りと並行して走る自動車道路だが、私が滞在し始めた1990年初頭は、ウブド大通りから300メートルほどのところに数件の宿がある程度の、名も無い通りだった。
スバック(水利組合)の寺院があるところで行き止まりになり、そこから先は、畦道。
目の前は、広々とした田んぼのパノラマになる。
数件の宿の一軒で、ウブドならではの体験話がある。
現在のビスマ通りの動画を見ながら、1990年初頭に聞いた不思議な話に耳を傾けてください。
では、始まり始まり!
A子は、日本の大学の文学部で日本の古文を学び、将来、小説を書くんだと言っている。
ボブ・マーレーの「ライオンのうた=SONG of LION」の日本訳の小冊子を持っていた。
多数のアーチストが参加した、ボブ・マーレーからのメッセージを絵本に仕立てたものだった。
彼女は、その本の中の物語を書いていた。
この日も、小説ネタを書き留めようとバンガローの竹製の机に向かっていた。
すらすらと文章が飛び出す日もあれば、この日のようにまったく浮かばない時もある。
とにかく手に鉛筆さえ持てば、何か書くだろうという期待から、白い紙に向かった。
頭の中が白い紙と同じように、無になったと感じた時、不思議なことが起こった。
手が、勝手に動きだしたのだ。
白い紙に何やら書き連ねた。
書き連ねられた文章は、ふだん彼女が使う言葉ではない。
手は動いているが、文字は読むことができる。
それは、そうろう文で書かれていたと言う。
読み返すと、枕草子を筆記しているようだった。
白い紙には、ぎっしりと字が埋め尽くされていた。
5分くらいと感じたが、もっと長かったかもしれない、と言う。
この話を聞いた滞在者のひとりB子が興味を抱き、同じバンガローに泊まった。
そして、B子も不思議な体験をした。
「日本でもそうだったのですが、わたし、霊感が強い方なんです」
彼女は、東北の女性でイタコ体質だと言う。
「わたしが泊まった部屋が、偶然というか引き合わせてくれたのか、A子さんが泊まっていた部屋だったんです」
ライス・フィールドの中にある、心地よい風の通るバンガロー。
夜には、川沿いに蛍がいっぱい舞っていた。
ベッドに横になっていると、冷気が襲いかかってくるという感じがした。
『いよいよ、出るか!』とB子は身構えた。
安普請の壁を透かして小さな人形が現れた時は、いきなり心臓が飛び出るかと思うほど、ビックリした。
割いた竹で編んだ薄い壁は、いかにも通り抜けられそうだ。
人形は、5センチほどのバリのチリ人形に似ている。
チリ人形は稲の女神デヴィ・スリを現し、ロンタル椰子の葉で作られた美しい少女の姿をしている。
これは宇宙人の斥候かもしれないと考えた瞬間、壁から消えて行った。
B子は、もう1度会いたいと思った。
〈次に出て来ても驚かないから〉と誓った途端、また壁から出て来てくれた。
部屋の中を蛍のような動きで飛んでいた。
宇宙人なら、わたしはさらわれるかもしれないと少し不安になった。
しばらくして、今度は扉を透かして出て行った。
しばらくが数秒だったのか数分だったのか、時間の感覚はなくなっていた。
翌日、バンガローのスタッフにその話をすると。
『それならよく飛んでるよ。前の道を奥に進んでいくと突き当たるだろう。その先は畦道になる。畦道の横に祠が立っている。夜になると、よく見かけるよ』
『それって、蛍じゃないの』にわかに信じられないB子は、スタッフに質問した。
『もちろん、蛍もたくさん舞っているけど、飛び方が違うからすぐわかるよ』
そうなんだ、村人は普通に見ている物なんだ。
日本にいる時なら信じなかっただろう。
ウブドで暮らすと、こんな話もありそうな気がしてくるから不思議だ。
コロナ前(2019年6月27日)の「ビスマ通り」もご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=UEKUTiCmhss
久しぶりにビスマ通りを歩いてみる。
ゴーストタウンに、活気が戻ってきた感じだ。
現在は、川を挟んでモンキーフォレスト通りと並行して走る自動車道路だが、私が滞在し始めた1990年初頭は、ウブド大通りから300メートルほどのところに数件の宿がある程度の、名も無い通りだった。
スバック(水利組合)の寺院があるところで行き止まりになり、そこから先は、畦道。
目の前は、広々とした田んぼのパノラマになる。
数件の宿の一軒で、ウブドならではの体験話がある。
現在のビスマ通りの動画を見ながら、1990年初頭に聞いた不思議な話に耳を傾けてください。
では、始まり始まり!
A子は、日本の大学の文学部で日本の古文を学び、将来、小説を書くんだと言っている。
ボブ・マーレーの「ライオンのうた=SONG of LION」の日本訳の小冊子を持っていた。
多数のアーチストが参加した、ボブ・マーレーからのメッセージを絵本に仕立てたものだった。
彼女は、その本の中の物語を書いていた。
この日も、小説ネタを書き留めようとバンガローの竹製の机に向かっていた。
すらすらと文章が飛び出す日もあれば、この日のようにまったく浮かばない時もある。
とにかく手に鉛筆さえ持てば、何か書くだろうという期待から、白い紙に向かった。
頭の中が白い紙と同じように、無になったと感じた時、不思議なことが起こった。
手が、勝手に動きだしたのだ。
白い紙に何やら書き連ねた。
書き連ねられた文章は、ふだん彼女が使う言葉ではない。
手は動いているが、文字は読むことができる。
それは、そうろう文で書かれていたと言う。
読み返すと、枕草子を筆記しているようだった。
白い紙には、ぎっしりと字が埋め尽くされていた。
5分くらいと感じたが、もっと長かったかもしれない、と言う。
この話を聞いた滞在者のひとりB子が興味を抱き、同じバンガローに泊まった。
そして、B子も不思議な体験をした。
「日本でもそうだったのですが、わたし、霊感が強い方なんです」
彼女は、東北の女性でイタコ体質だと言う。
「わたしが泊まった部屋が、偶然というか引き合わせてくれたのか、A子さんが泊まっていた部屋だったんです」
ライス・フィールドの中にある、心地よい風の通るバンガロー。
夜には、川沿いに蛍がいっぱい舞っていた。
ベッドに横になっていると、冷気が襲いかかってくるという感じがした。
『いよいよ、出るか!』とB子は身構えた。
安普請の壁を透かして小さな人形が現れた時は、いきなり心臓が飛び出るかと思うほど、ビックリした。
割いた竹で編んだ薄い壁は、いかにも通り抜けられそうだ。
人形は、5センチほどのバリのチリ人形に似ている。
チリ人形は稲の女神デヴィ・スリを現し、ロンタル椰子の葉で作られた美しい少女の姿をしている。
これは宇宙人の斥候かもしれないと考えた瞬間、壁から消えて行った。
B子は、もう1度会いたいと思った。
〈次に出て来ても驚かないから〉と誓った途端、また壁から出て来てくれた。
部屋の中を蛍のような動きで飛んでいた。
宇宙人なら、わたしはさらわれるかもしれないと少し不安になった。
しばらくして、今度は扉を透かして出て行った。
しばらくが数秒だったのか数分だったのか、時間の感覚はなくなっていた。
翌日、バンガローのスタッフにその話をすると。
『それならよく飛んでるよ。前の道を奥に進んでいくと突き当たるだろう。その先は畦道になる。畦道の横に祠が立っている。夜になると、よく見かけるよ』
『それって、蛍じゃないの』にわかに信じられないB子は、スタッフに質問した。
『もちろん、蛍もたくさん舞っているけど、飛び方が違うからすぐわかるよ』
そうなんだ、村人は普通に見ている物なんだ。
日本にいる時なら信じなかっただろう。
ウブドで暮らすと、こんな話もありそうな気がしてくるから不思議だ。
コロナ前(2019年6月27日)の「ビスマ通り」もご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=UEKUTiCmhss
2022年06月07日
ウブドに沈没C・1990年5月のカジェン通りを思い起こす!(430)
一夜明けて1990年5月9日。
ロジャーズ・ホームステイの前。
今日は、カジェン通りの散歩です。
右に行けば、ウブド大通り。 左側は、未知の道。
私は未知の方角へ行ってみることにした。
道は、ゆるやかな上り坂。
カジェン通りのコンクリート製石畳は、1984年頃から作り始めているようです。
この石畳のシステムは、寄付によるもの。
村人やツーリストが、コンクリート板を買い上げる。
寄付した者は、自由に文字を入れることができた。
掘られた名前や、思い思いのメッセージが、ユーモアがあったりする。
路肩に側溝はない。 屋敷との間の、小さな庭は花壇になっていて、南国の花々が咲き乱れている。
塀は、土壁だったり垣根だったり、どれも自然素材だ。
その上には、突き抜けるような青空が輝いている。 家々はどこも敷地が広い。
林の中に家があるといった感じで、屋敷と言った風格だ。
背の高い木々や椰子が林を作っている。 竹林の見えるところもある。 屋敷と屋敷との間には塀も垣根もなく、庭越しに自由に出入りができるようだ。 木々やバナナの茂る林が境界になっているのだろう。
これで安全とプライベートが守られているのだとしたら、素晴らしいことだ。
釣り鐘型の竹籠が5つ並んでいる。 そばには男が5人、鶏を大事そうに抱えてしゃがみ込んでいた。
首のうしろをさすり、羽根をしごき、身体をマッサージしている。 闘鶏用の鶏だ。
「クマナ」 腰巻き姿の、上半身裸の男たちから声がかかる。
これは、顔を合わせるたびに聞いて来る。
あとでわかるのだが、ク・マナはどこへ行くの?という意味だが、挨拶のようなものなので、正直に答える必要はないようだ。
最初は、丁寧に行き先を教えていたが、しばらくして「あっち」や「カジョ=山側」で良いのだと知る。
帰りも同様「ダリ・マナ=どこから来た」と聞いて来るが、これも「あっち」「クロッド=海側」と答えればいいようだ。
女性たちは、門の階段に数珠つなぎに腰掛けて、前の女性の髪をいじっている。
門の階段に腰掛けている女性3人が、数珠つなぎになって自分の前に座った女性の髪をいじっている。
シラミを取っているのかと思ったが、よく見ると白髪を探して抜いていた。
犬に吠えられましたね。
あちこちの門から犬が姿を現した。
テリトリーを通り過ぎると吠えるのを止めた。
25番地と書かれた青いプレートが貼られた門を過ぎたあたりで、「カジェン・ホームステイ」という看板が眼に止まった。
途中、何軒かのホームステイがあったが、通りの名前をつけているのはここだけだ。
「カジェン」は、インドネシア独立戦争に参加して殉死した人の名前で、その名誉にちなんで、この通りをカジェンと名づけられという。
カジェン・ホームステイは、彼の生家だそうだ。
カジェン・ホームステイ前の森の中から、騒がしい声が聞こえてきた。
森の中には、切り開かれたちょっとした広場があった。
大勢の男たちの人だかりが二重三重となっている。
男たちの背中越しに中を覗くと、二羽の軍鶏が地上高く跳躍しているところだった。
幸運にも、バリの伝統的慣習ともいえる闘鶏の現場に遭遇だ。
上着を、腰布やズボンに押し込んで着ている村人を見かけない。
みんな上から羽織っている。
わたしもTシャツをズボンから引っ張り出した。
だらしなく思えるが、腰のあたりがルーズになって、緊張感がさらにほぐれる。
カジェン通りの奥は、先に進むのが拒まれるほど鬱蒼とした木立が立ちはだかっている。
勇気を出して奥へ歩を進めた。
人の手が入っていないとみえる荒れた森は、落ち葉が何層にも積もり、腐葉土となったぬかるんだ地道だ。
森の中を左に大きく湾曲する地道を抜けると、竹林に出た。 竹やぶの陰に、牛の姿が見えた。
近づくと、小川のせせらぎで、牛の親子が清涼飲料水でも飲むように、おいしそうに喉を潤していた。
キャラメル色をした牛は、鹿に似た顔つきで愛らしかった。
道は、小川にぶつかって途切れた。
行き止まりだ。
2022年6月・カジェン通りの動画
2015年12月・カジェン通りの動画
ロジャーズ・ホームステイの前。
今日は、カジェン通りの散歩です。
右に行けば、ウブド大通り。 左側は、未知の道。
私は未知の方角へ行ってみることにした。
道は、ゆるやかな上り坂。
カジェン通りのコンクリート製石畳は、1984年頃から作り始めているようです。
この石畳のシステムは、寄付によるもの。
村人やツーリストが、コンクリート板を買い上げる。
寄付した者は、自由に文字を入れることができた。
掘られた名前や、思い思いのメッセージが、ユーモアがあったりする。
路肩に側溝はない。 屋敷との間の、小さな庭は花壇になっていて、南国の花々が咲き乱れている。
塀は、土壁だったり垣根だったり、どれも自然素材だ。
その上には、突き抜けるような青空が輝いている。 家々はどこも敷地が広い。
林の中に家があるといった感じで、屋敷と言った風格だ。
背の高い木々や椰子が林を作っている。 竹林の見えるところもある。 屋敷と屋敷との間には塀も垣根もなく、庭越しに自由に出入りができるようだ。 木々やバナナの茂る林が境界になっているのだろう。
これで安全とプライベートが守られているのだとしたら、素晴らしいことだ。
釣り鐘型の竹籠が5つ並んでいる。 そばには男が5人、鶏を大事そうに抱えてしゃがみ込んでいた。
首のうしろをさすり、羽根をしごき、身体をマッサージしている。 闘鶏用の鶏だ。
「クマナ」 腰巻き姿の、上半身裸の男たちから声がかかる。
これは、顔を合わせるたびに聞いて来る。
あとでわかるのだが、ク・マナはどこへ行くの?という意味だが、挨拶のようなものなので、正直に答える必要はないようだ。
最初は、丁寧に行き先を教えていたが、しばらくして「あっち」や「カジョ=山側」で良いのだと知る。
帰りも同様「ダリ・マナ=どこから来た」と聞いて来るが、これも「あっち」「クロッド=海側」と答えればいいようだ。
女性たちは、門の階段に数珠つなぎに腰掛けて、前の女性の髪をいじっている。
門の階段に腰掛けている女性3人が、数珠つなぎになって自分の前に座った女性の髪をいじっている。
シラミを取っているのかと思ったが、よく見ると白髪を探して抜いていた。
犬に吠えられましたね。
あちこちの門から犬が姿を現した。
テリトリーを通り過ぎると吠えるのを止めた。
25番地と書かれた青いプレートが貼られた門を過ぎたあたりで、「カジェン・ホームステイ」という看板が眼に止まった。
途中、何軒かのホームステイがあったが、通りの名前をつけているのはここだけだ。
「カジェン」は、インドネシア独立戦争に参加して殉死した人の名前で、その名誉にちなんで、この通りをカジェンと名づけられという。
カジェン・ホームステイは、彼の生家だそうだ。
カジェン・ホームステイ前の森の中から、騒がしい声が聞こえてきた。
森の中には、切り開かれたちょっとした広場があった。
大勢の男たちの人だかりが二重三重となっている。
男たちの背中越しに中を覗くと、二羽の軍鶏が地上高く跳躍しているところだった。
幸運にも、バリの伝統的慣習ともいえる闘鶏の現場に遭遇だ。
上着を、腰布やズボンに押し込んで着ている村人を見かけない。
みんな上から羽織っている。
わたしもTシャツをズボンから引っ張り出した。
だらしなく思えるが、腰のあたりがルーズになって、緊張感がさらにほぐれる。
カジェン通りの奥は、先に進むのが拒まれるほど鬱蒼とした木立が立ちはだかっている。
勇気を出して奥へ歩を進めた。
人の手が入っていないとみえる荒れた森は、落ち葉が何層にも積もり、腐葉土となったぬかるんだ地道だ。
森の中を左に大きく湾曲する地道を抜けると、竹林に出た。 竹やぶの陰に、牛の姿が見えた。
近づくと、小川のせせらぎで、牛の親子が清涼飲料水でも飲むように、おいしそうに喉を潤していた。
キャラメル色をした牛は、鹿に似た顔つきで愛らしかった。
道は、小川にぶつかって途切れた。
行き止まりだ。
2022年6月・カジェン通りの動画
2015年12月・カジェン通りの動画
2022年06月02日
1990年5月・ウブドに沈没@〜B(429)
ウブドに沈没@
5月8日は、私の記念すべき日です@UBUD
現在のパサール・ウブドを見ながら、1990年5月8日、私がプラマ社のシャトルバスでウブドに降り立った32年前の話をします。
機会があれば、今後「極楽通信・UBUD」の「ウブドに沈没/1990年〜」を読み返しながら、語って行きたいと思っています。
ご意見、感想をお待ちしています。
http://informationcenter-apa.com/ubud-chinbotu.html
ウブドに沈没A
ロジャーズ・ホームステイ@UBUD
小川の向こうに池が見える。
池には豊富に水がはられ、水面からは長い細茎が適度の間隔をおいて、まっすぐに伸びている。
その先には、大きなピンクの花弁の花が咲いている。
実に美しい。
極楽に往生した人が座るといわれる蓮華の座。
生まれてはじめて見る蓮の華だ。
4〜5人の上半身裸体の男たちが、小川の流れの中にふくらはぎまでつかり、何やら忙しそうに洗っている。
涼を求めての水遊びには見えないが、見る眼には涼しげだ。
腰に巻いた布を、ショートパンツのようにまくりあげている。
頭に鉢巻きのように巻いた布を額の前で縛り、その布の端がピンと上を向いていて、おしゃれで、それでいて勇ましい姿だ。
道に水たまりができている。
水たまりは、赤く染まっていた。
わたしは、赤い水たまりをヨイショとまたいだ。
バックパックが肩にくい込み、ザックが大きく揺れる。
目の前に、黒豚が横たわっていた。
赤い水たまりは、黒豚が流した血だ。
ナタを持った男が、もう一頭の豚を解体し、肉塊の山をいくつも作っている。
小川には、長い腸が空気の抜けた風船のようになって漂っている。
土着宗教の生け贄か、それとも食用なのか。
いきなりのカルチャーショックで、かるいめまいを覚えた。
http://informationcenter-apa.com/ubud-chinbotu3.html
ウブドに沈没B
カルチャーショックの連続@UBUD
@生まれて初めて見た蓮の華。
A目の前で切り広げられる、豚の屠殺。
http://informationcenter-apa.com/gt_potong_babi.html
Bホームステイの意味。
Cコピ・バリの飲み方。
http://informationcenter-apa.com/gt_kopi-bali.html
Dトイレ事情。
E壊れたシャワーからオタマジャクシが。
5月8日は、私の記念すべき日です@UBUD
現在のパサール・ウブドを見ながら、1990年5月8日、私がプラマ社のシャトルバスでウブドに降り立った32年前の話をします。
機会があれば、今後「極楽通信・UBUD」の「ウブドに沈没/1990年〜」を読み返しながら、語って行きたいと思っています。
ご意見、感想をお待ちしています。
http://informationcenter-apa.com/ubud-chinbotu.html
ウブドに沈没A
ロジャーズ・ホームステイ@UBUD
小川の向こうに池が見える。
池には豊富に水がはられ、水面からは長い細茎が適度の間隔をおいて、まっすぐに伸びている。
その先には、大きなピンクの花弁の花が咲いている。
実に美しい。
極楽に往生した人が座るといわれる蓮華の座。
生まれてはじめて見る蓮の華だ。
4〜5人の上半身裸体の男たちが、小川の流れの中にふくらはぎまでつかり、何やら忙しそうに洗っている。
涼を求めての水遊びには見えないが、見る眼には涼しげだ。
腰に巻いた布を、ショートパンツのようにまくりあげている。
頭に鉢巻きのように巻いた布を額の前で縛り、その布の端がピンと上を向いていて、おしゃれで、それでいて勇ましい姿だ。
道に水たまりができている。
水たまりは、赤く染まっていた。
わたしは、赤い水たまりをヨイショとまたいだ。
バックパックが肩にくい込み、ザックが大きく揺れる。
目の前に、黒豚が横たわっていた。
赤い水たまりは、黒豚が流した血だ。
ナタを持った男が、もう一頭の豚を解体し、肉塊の山をいくつも作っている。
小川には、長い腸が空気の抜けた風船のようになって漂っている。
土着宗教の生け贄か、それとも食用なのか。
いきなりのカルチャーショックで、かるいめまいを覚えた。
http://informationcenter-apa.com/ubud-chinbotu3.html
ウブドに沈没B
カルチャーショックの連続@UBUD
@生まれて初めて見た蓮の華。
A目の前で切り広げられる、豚の屠殺。
http://informationcenter-apa.com/gt_potong_babi.html
Bホームステイの意味。
Cコピ・バリの飲み方。
http://informationcenter-apa.com/gt_kopi-bali.html
Dトイレ事情。
E壊れたシャワーからオタマジャクシが。