変則十字路角の二重屋根の大きな建物の壁に、映画の垂れ幕がかかっていた。
建物は村の多目的ホールのようで、たまに巡回映画の会場になるようだ。
映画は、週2回上映されている。
インドネシア映画がほとんどだが、時々、海外からの映画も上映される。
インドネシア映画が500ルピアで、外国映画は1000ルピア。
娯楽らしい娯楽のないこの村で、映画は村人の数少ない娯楽のひとつだろう。
今夜の映画はインドネシア物だ。
建物は竹で編んだ壁に囲まれていて、中の様子を見ることはできない。
幅2メートル、奥行き1メートルほどの小屋が、道路に面した歩道に建っている。
チケット売りの小屋だ。
小屋には、ワット数の小さな豆電球がひとつ、小窓を照らしてぶらさがっている。
どことなく、パチンコ店の現金引き換え場のような雰囲気だ。
数人の村人が近くにたむろしているが、映画を見に来た人かどうかはわからない。
小屋の前に誰もいないのを確認して、小窓に500ルピアを掴んだ手を突っ込んだ。
すぐに、左右から地元の若者の手が小窓に差し込まれた。
いつのまにか、集まっていたのだ。
お金を渡したのはいいがチケットを手にすることができるのか、不安になってくる。
チケットが手に入らなくても、言葉ができないので文句の一つも言えない。
心細くなったが、手は引っ込めなかった。
しばらくして、掌に小さなチケットがのせられた。
粗末なチケットを手にして、スゥエタ通り沿いにある入り口に向かう。
扉も、やはり竹で編んだ素材が使ってある。
素朴というよりは、これも粗末と言っていいだろう。
扉の前に立っている青年に、チケットを手渡した。
脇で大きな発電機が、村の静寂を破る無粋な機械音を出してうなっている。
青年はチケットをもぎり、半券を返すと扉を開けてくれた。
終戦直後のサーカスか見せ物小屋にでも入る気分だ。
中に入ると、左手の壁に取り付けられた大きなスクリーンが、風にかすかに揺れていた。
椅子は教会にあるような背もたれのついた長椅子だ。
どれもこれもが、どこか壊れている。
右手の3分の1ほどがステージのように一段高くなっていた。
その上には、重々しい竹の椅子が並んでいた。
開演の時間にまだ早いのか、5分の1の入りだ。
満員になれば、200人は入るだろう。
天井高く取り付けられた蛍光灯が青白い色を発し、場内にうらさびれた雰囲気をにじませている。
わたしは、ステージの前を中央に進み、壊れていない長椅子を選んで腰掛けた。
よく見ると、屋根近くの梁部分に壁がない。
すきま風が入るのだろう、正面のスクリーンが大きく揺れた。
なんとなく微笑ましく思われ、顔がほころんだ。
上映される映画は人気があるのか、しばらくすると場内は100人ほどで埋まった。
客は、小学生くらいの少年から30前の青年男女がほとんどだ。
少年たちは皆、タバコを吹かしている。
誰もそれを咎めようとしない。
日本なら、警官か生活補導の先生に注意されるだろう。
場内はタバコの煙りが煤煙のように不健康に霞んでいる。
タバコを吸わない人にはもうしわけないと知りながら、他人の吐いた煙を吸うよりはましだろうと、わたしもグダンガラムに火をつけた。
王宮からガムランの音が聞こえてくる。
芸能のパフォーマンスがはじまったのだ。
発電機のまわる音が耳障りだ。
映画の内容は、まったく理解できなかった。
ひんぱんに蛇の出てくる恋愛物語だった。
フイルムは傷だらけで、映画は途中でよく切れる。
そのたびに観客は、ヤジをとばす。
時には、火のついたタバコをスクリーンに向かって投げつける。
前席の客の頭に、火のついたタバコが落ちたのを見た。
当たった人は、困った顔を見せたが喧嘩にはならなかった。
わたしだったら、どうするだろうか。
持って行く先のない怒りを、振り返って闇雲に睨み付けるだけだろう。
観客は映画の内容を期待しているより、この場の雰囲気を楽しんでいるようにみえる。
つまらない映画に嫌気はさすが、わたしもこの場に雰囲気を楽しむことにした。
※この巡回映画は、まもなく廃止になった。
なんでも、子供に与える影響を考えての措置らしい。
ウブドは芸能の村。
子供たちが、伝統芸能に興味を持たなくなってはたいへんだというのが、理由らしい。
もうすでにテレビが普及しはじめ、そんなことで歯止めはできないだろう。
州都デンパサールへ行けば、首都ジャカルタとはいかないまでも、かなり文明は入ってきている。
止めるのではなく、理解したうえで自分たちの芸能に興味を持って欲しいものだ。
[極楽通信・UBUD:バリ島滞在記「ウブドに沈没」//7月・12) モンキーフォレスト通り]
http://informationcenter-apa.com/ubud-chinbotu12.html