2022年08月30日

ふくろうを描くシーラさんに会いに!@オウル・ハウス=Owl House (450)

ふくろうを描いてる画家として知られている、ワヤン・シーラ(Sila)さん。

1997年から24年間、ビスマ通りでギャラリー「オウル・ハウス」を開設していた。

2年ほど前に、移転したと聞いていたが、やっと場所がわかった。


移転先は、ウブド大通り東端アンドン交差点を北上して「マヤ・ウブド・リゾート&スパ」方面に向かう途中にある。

グーグルの地図を、参照にしてください。

画面の右面にあります。

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突然の訪問でしたが、快く受け入れてくれました。



バリ絵画の技法でふくろうの絵を描くシーラさんは、自然な木々や草花に囲まれたアトリエで穏やかな日々を過ごしていた。

オウルハウスはアートと自然と人を繋ぐナチュラル空間。

ブログのタイトル「バリ島ウブドでアートと自然のナチュラルライフ」が、すんなり理解できた。

植物の話。

薬草の話。

薪で沸かして飲む、ハーブ茶は美味しいだろうな。

微笑みを絶やさず話すシーラさんに、ほっくり。

いつのまにか、穏やかな心にしてくれる。

自然体で生きる、いい味出している。

バリ人のルーツを見た思いだ。

シーラさんの顔がだんだんと、ふくろうに見えてくる。

ふくろうが人間だったら、シーラさんみたいな性格なんだろうな、と妙に納得。

そうだった、ふくろうをモチーフに選んだ理由を聞くのを忘れている。

機会があれば、聞いていみたい。

楽しいひと時を過ごすことができました。

みなさんも、是非、訪れてみてください。



終了してしまいましたが、シラさんの個展の模様です。

25周年記念 W.Sila展「Happiness」(2022年5月20日〜5月26日)

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ブログ:https://ameblo.jp/owlhousebali/entry-12744441566.html

グーグルマップ:Owlhouse

インスタグラム:owlhousebali

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2022年08月29日

ウブド村のルーツを巡る・豊富な泉が湧く聖なる場所!(449)

8月17日は、インドネシア共和国の独立記念日。

今年で、77周年にとなる。

この記念すべき日に、唐突にムルカット(沐浴)がしたいと思った。

ムルカットを終えて「和食・影武者」に顔を出すと、スタッフのアユが「正装してどこへ行ってきましたか?」と聞いてきた。

私は「チャンプアンでムルカットして来た!」と答えた。

アユは「ムルカットをするなら、満月の日がいいですよ!」と言う。

それは、知っていた。

でも、満月の日はどこの沐浴場も混んでいて、私は避けている。

しかし今日は、カジャン・クリオンの日。

アユの顔には、よりによって悪霊がはびこるといわれている日に、”なぜ”と書いてあるようであった。

何故だろう、私にもわからない。



グヌン・ルバ寺院(Pura Gunung Lebah=小高い丘の寺院)のネームプレートが、「PAYOGAN AGUNG GUNUNG LEBAH」に変更されていた。

いつ変わったんだろう。

パヨガン=Payoganは、yoga=瞑想から由来した言葉で、ルンシアカン村には高僧ルシ・マルカンディア一行が瞑想したと伝えられる場所に、プチャ・パヨガン(Pucak Payogan)呼ばれるが寺院がある。


ムルカット先は「ホテル・イバ」の裏にある沐浴場。

ホテル横の小道を、ウオス川沿いに10分ほど進むとたどり着く。

高僧ルシ・マルカンディアがこの地を休息場所に選んだ理由は、薬草があることと、豊富に湧き水かあることだった。

今も泉は、絶え間なく流れ続けている。



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ベジ寺院内にある、高僧ルシ・マルカンディアの石像



9ヶ月前にも、ここを訪れている。

2021年11月2日のコロナ禍でのムルカット。

道は、荒れ果てていた。

当時の風景と見比べてもらいましょう。

「Mandi di Pura-Beji =チャンプアンにあるべジ寺院でマンディ@ Campuhan」



胸にアクションカメラを装着して出かけたが、なんと音声が入っていなかった。

たくさん解説したのに、残念!。


2022年8月17日の総集編です。

ホテル・イバの話が、少し入っています。

いい感じに、仕上がっているので、是非見てください。



posted by ito-san at 17:42| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月24日

土曜日の夕食は、ララパン=LALAPANだった!(448)

夕方のバリをバイクで走っていて、沿道でララパンの垂れ幕がかかったワルンを見かけたことはありませんか?

もちろん、自動車でもいいですよ。

なんなら、観光バスでもいいです。

こんな垂れ幕なんですが。

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ところで、ララパンって何ですか?

これまでの私は、ララパンと言えば、鶏モモ肉(アヤム)か、ナマズ(レレ)の揚げ物に、生野菜が添えられたインドネシア料理の名前だと思っていた。

ネットで調べたら、インドネシア語で新鮮な野菜のことだ、と初めて知った。

改めて調べると、アヤム・ゴレン・ララパンは鶏モモ肉を、レレ・ゴレン・ララパンはナマズをしっかりと味を馴染ませ、油でカラッと揚げ、生野菜(ララパン)が添えた料理とのことで、サンバルという辛いソースと一緒に食べる、国内どこに行っても食べられる庶民料理とのようでした。

私は辛いのが苦手なので、サンバルはよけます。

「サンバルが美味しいのに!」と外野がうるさいですが、ダメなものはダメなのです。

「辛くしないで!」とオーダーすればそうしてくれるよと、ワルンの目の前で店を開いている友人が教えてくれた。


私の中でララパンといえば、鶏と魚とナマズと野菜の絵が描かれた垂れ幕をぶら下げた、道端のワルンのこと。

屋号なく、どこもかしこもワルン・ララパンだ。

ウブドでは、空き地がなくなったせいか、見かけられなくなった。

メニューにララパンがある店は、ウブドに数件ある。

私の御用達だった(この頃食べていないので過去形)店は、アンドンの交差点東北角にある「Ayam goreng prambanan 」。

友人がすすめてくれたのは、ウブド大通りのトゥブサヨ村入口にある「Lalapan cak nomin」でした。

これらの店は、他のメニューも豊富です。


ララパンの屋台が、気になりだした今日この頃。

こいうことってありますよね。

そういう時は引き寄せだと思っているので、来店することにしている。

毎日のように前を通る、プンゴセカン村のララパン屋。

ブランチにと考えて午後3時に立ち寄ったが、まだ、開店していなかった。

こういった類の店は、夕方からの営業なのだろう。

せっかくだからと、無人の店舗を写真におさめた。

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新しい店「The Heart Space」がオープンしていた。

夜9時に、再度訪れる。

1組のカップルと、オジェックのおじさんが食事をしていた。

お持ち帰りのお客が、ひっきりなしに訪れる。

十数年ぶりだが、妙に落ち着く。

あの時は、耳の聞こえないお婆ちゃんと一緒だった。

お婆ちゃんの話は、バリ島滞在記「ウブドに沈没」/「魔法使いのおばあちゃん現れる」を読んでください。
http://informationcenter-apa.com/ubud-chinbotu23.html

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コンビニのインドマレットが見える。

オーダーしたのはレレ・ゴレン・ララパンと暖かい紅茶。

グラスに入って紅茶とフンガーボールが運ばれて来た。

レストランでは、小さな石臼に盛られたて出てくることが多いララパンだが、ここではプラスチック皿だった。

付け合わせは、バジル、キャベツ、テンペゴレンに焼きナス。

レレは、パダン料理のレレと同じような味がした。

食レポはできないので、ゴメンなさい!

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料金は、紅茶込みで16,000ー。

営業時間が、午後5時頃から。

閉店は深夜のようだ。

posted by ito-san at 01:59| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月19日

チャイナ・ムーン=China Moon・De Ubud Villas & Spa(447)

チャイナ・ムーンは、ホテル・デ・ウブドのレストラン部門だ。

以前は、ハヌマン通りY字路のモンキーフォレスト方面角にあった。

その頃には、ウブドでは珍しいん台湾料理と友人が勤務していたこともあり、たびたび訪れていた。

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ハヌマン通りにあったころの「チャイナ・ムーン」


8年ほど前になるだろうか、ウブド南部ロットゥンドゥ村に移動した。

遠くになったという理由から、訪問は皆無になった。



「徘徊老人・あぜ道を行く!@Nyuhkuning〜Lodtunduh」で、出口に迷った時、「チャイナ・ムーン」の看板を見つけた時は嬉しかった。

https://www.youtube.com/embed/EclUbmakIDE

まずは、その看板を探そう。

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初めて入る道路だ。




De Ubud Villas & Spaの前に立つ。




私にホテルは必要ないので、さっそくチャイナ・ムーンに向かう。

レストランから見える範囲で動画に収める。

以前のデ・ウブド同様に白亜のモダンなホテルを想像していたが、アンティックな建物にイメージチェンジしていた。

部屋数も倍増していた。




いよいよ食事。

プールを目の前にしての食事だ。

知っている料理にすればいいものを、新しいものに挑戦してしまう馬鹿な私。

料理は、クニンクニン・イカン=Kuning Kuning Ikanをオーダー。

Kuning Kuningの意味はわからないが、Ikanは魚だとは知っている。

それがどんな料理かは、まったくわからない。

ウエーターは、フロントカウンターにいた中年のおじさんだった。

さきほどまで、数人の女性スタッフがいたのに、どうしたのかな?

魚の塊が三つ入っていた。

カレーアヤムに似たココナツミルク味のスープだった。

おじさんが「ボナ・ノッテ」と言ってくる。

「イタリア語ですね、意味はなんですか?」と聞くと、「スラマット・マカン」と答えた。

あれっ、そうだったかな。

インドネシア語のスラマット・マカンは「幸せな食事をしてください」と、希望を伝えていると、私は思うようにしている。

スラマットだけだと、おめでとうと言う意味だと思うが、あとにパギ、シアン、マラムと続くと、日本語では、おはよう、こんにちは、こんばんはと訳される。

私的には、朝に幸せを!、昼に幸せを!、夜に幸せを!、の直訳の方が気に入っている。

「日本では、なんと言うのですか?」と聞き返された。

日本では「幸せな食事をしてください」なんて、キザっぽくて言わないな。

「どうぞ、お召し上がりください」と教えたが、難しそうで何度も繰り返して発音していた。

おじさんは最後に「エンジョイ!」と言って立ち去った。

そうか「お食事をお楽しみください」でよかったのかも、と反省する。



クニンクニン・イカン= Rp65,000-

コピバリ=Rp35,000-

税+サービス料:21%=21,000-

私のブランチにしてはRp121,000-は、散財だった。


総集編



posted by ito-san at 20:05| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月11日

ウブド村のルーツを巡る『西端は丘だった!』(446)

ウブドは、幹線道路をそれたプリアタン村から、更に、(アンドン交差点を)西にそれた先にある村。

古くは、ウブドに行くには、この一本道しかなかった。

急坂を下り、プリアタン村との村境の川に架かる橋を渡る。

登り坂の左右には、大樹が道路を覆い隠すほど鬱蒼としている。

さらに、村境の三つの川の橋を下り登りした先に丘があり、行き止まる。

ウブドは、そんな山間の村である。

四つの橋の話は、ここに書いてあります。

「ウブド大通りの見えない橋(443)」
https://itosan-ubud.seesaa.net/article/490102510.html


丘は切り開かれ、東西のウォス川が合流する地点に橋が架かり、パヤンガン村方面まで行けるようになった。

当初は、車一台が通れる吊り橋か架けられている。

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当時を知るバリ人は「車が通るときに橋が揺れるのが面白くて、よく見学した」と話している。

その後(現在まで続く)、車がすれ違えるアスファルト道路になった。

架橋の完成年月日は、今、調査中です。

*1925年:チャンプアンの吊り橋が完成(1981年:新しいチャンプアン橋の開通)


興味深いのは、丘の手前北側にダラム寺院があることだ。

バリでは、村形成の際にダラム寺院は、不浄の方角と言われる海側に建立されることになっている。

ウブドの場合は、海側のダラム寺院は、パダンテガル村が所有していることもあってか、西側にある。

これは、二つの川が合流する聖なる場所があることから、西側にしたことも考えられる。

合流地点は、ムラスティと呼ばれる浄化儀礼の場所でもある。

丘には、ダラム寺院と反対側に火葬儀礼場に続く道がある。

この道は旧道で、丘を越えて、川に向かっている。

旧道は、ウブド発祥の地と言われるグルン・ルバ寺院と豊富な湧き水の出る泉に続いている。

動画では、以上のことを説明しています。

説明不足ではありますが、お楽しみください。

グルン・ルバ寺院と豊富な湧き水の出る泉については、次回、徘徊する予定です。


ウブド村のルーツを巡る・西端は丘だった!


旧チャンプアン橋をのぞいて見た!


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2022年08月04日

『 OTO KAFE=オトカフェ 』・開放的になって新装開店。(445)

ハヌマン通りの南端にあるY字路。

右手西に向かえば、猿の森・パダンテガル村のダラム寺院に向かう。

途中に、クブクのワルンがある。

直進に見える左手に南下すれば、プンゴセカン村に続く。

1990年代初頭、Y字路周辺の景色は、ほとんどが田んぼ。

数件の土産物屋が、簡素な建物で商っていた。

鋭角の地点には、祠が鎮座している。

その横にあった小さな雑貨屋は、街道の分岐点的で峠の茶屋的存在だった。

真っ赤な大きな麦わら帽子を被った店番の女性が、印象に残っている。

その後、その一帯には次々と店舗ができ、田んぼの風景は様変わりしていった。


年代のちっと古いY字路の動画と、見比べるのも一興です!

2015/10/25 のY字路


2018/11/22のY字路



モンキーフォレストの看板の南側、鋭角の場所は、様々な商売が入れ替わった後、ウブド不動産が長く営業していた。

2019年3月末日に、バイクマニアの店「OTOKAFE」がオープン。

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このたび「OTOKAFE」が、開放的になって新装開店。

確認していませんが、本年の6〜7月頃のオープンだったと思う。

以前は、クラシックカーとハーレーを展示した、若者の集う店だった。

今は、ベスパが可愛く展示してある。

バイク愛好家・若者専科の店から、ツーリストも楽しめる大人専科のレストランに変身した。


「OTOKAFE」新店舗


バリのヒンドゥー教の儀礼が、毎日のように見られるのが、ウブドの特殊性だ。

この日は、火葬儀礼の行列が2つ続いた。

私は、ストリートウオッチングに絶好の席を確保していた。


火葬儀礼の行列@


火葬儀礼の行列A


たいていは、パダンテガル側から見た、Y字路の写真を撮ることが多い。

南側から見たY字路の撮影は、32年間にして初だ。

屋上に上る許可を得て、撮影。




最後に総集編。


posted by ito-san at 02:08| Comment(3) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする