2023年01月31日

屋敷内にあるバリ料理のワルン(487)

バリ人の家は、日本の一般家庭の家に比べて広いんですよ。

私が長屋住まいだったからそう、感じるのかもしれませんが。

幅15〜20メートルもあり、奥行きは大きなところは50メートルほどある。

ウブドが特別かもしれません。

そんな広い土地に、伝統的配置で各種の棟が緑の中に点在している。

そんなスケールから、私はバリの家を家と呼ばず「屋敷」と表現するようにしている。

バリ人の屋敷には、必ず屋敷寺がある。

屋敷寺は敷地内の山側と言われる方角(ウブドでは東か北)に建っている。

北側に面した道路に門があれば、屋敷寺は道路沿いあり、南側に面した道路にあれば、屋敷寺は屋敷の奥にある。

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伝統的家屋は、家主の住む棟、その他に家族の棟、儀礼棟、台所棟、屋敷寺などが個別に建てられて点在している。

バリの屋敷は、私から見ると異質な形態だと言える。

日本のように、ひとつ屋根の下で家族が生活するというシステムでなく、いくつもの棟が集まって屋敷となっている。

棟の一つひとつが、ある役目を持った建てられている。

一棟全家族が寝起きするということではない。


こんなレイアウトを利用して、ワルンを経営する屋敷が増えてきている。

日本で古民家をレストランい改造していたり、マンション・カフェは聞いたことはあるが、自宅でレストランを経営するということは、あまりない。

屋敷入口にワルンを開店して、忙しくなると屋敷内のテラスを客席として解放する。

いつのまにか屋敷内も店舗と化して繁盛している、ワルンを何軒か知っている。


今回紹介するのは、初めから屋敷内で営業しているワルンです。


B「A Local Home Warung=Warung Tradisi」

北ゴータマ通りに、「IN DA COMPOUND HOME FOOD」以外にもう一軒、屋敷内にあるバリ料理があった。

屋敷のテラスと建て増しした建物のワルン。

ナシ・チャンプール+インドネシアティ=Rp62,000-




A「IN DA COMPOUND HOME FOOD」

北ゴータマ通りのウブド大通りに近い、6番地にある屋敷。

ホームステイとワルンを経営している。

屋敷棟と宿棟を通り過ぎて、ワルンは一番奥地にあった。

ワルンのようでワルンじゃない、屋敷のテラスじゃないテラス席。

妙に落ち着く空間だった。

ナシ・チャンプールRp40,000-

インドネシアティRp16,000-

「IN DA COMPOUND HOME FOOD」


@「 SUN SUN WARUNG」

バリ伝統建築の屋敷内の建物を、そのまま利用してのワルン。

満席で動画が撮れずに、写真でゴメン。

ツーリスト向けで、料金はちょっと高め。

私には、落ち着かない店だったので、早々に退去。




バリの伝統的家屋を見学しながらの食事も、ウブドならではかもしれませんね。

是非、一度体験してみてください。
posted by ito-san at 19:11| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年01月28日

健康飲料水「Cap Kaki Tiga」&「Cap Badak」(486)

たびたび質問のあるインドネシアの国民的健康飲料水。

「Cap Kaki Tiga」&「Cap Badak」

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チャップ・カキ・ティガは、チャップ=しるし、カキ=足、ティガ=三で、三脚印。

チャップ・バダックは、チャップ=しるし、バダック=サイで、サイ印。

同じ形状のプラスチックボトルだが、販売元は違い、チャップ・カキ・ティガはPT.Kino Indonesia、チャップ・バダックはPT.BINDE BUDI SENTOSAである。

ボトルには、どちらも「LARUTAN=ラルタン」の名称が記されている。

グーグル翻訳では、ラルタンは「解決」とあった。

Panas Dalamに効くと聞いているが、パナス・ダラムの意味がわからない。

飲んでみましたが、アクア同様に無味無臭。

果たしてこれで効用はあるのかと疑問が湧く。

創業はわからないが、30年以上前から販売されていることは、私自身が確認している。

長期的に愛用されているということは、それなりの効果があるということだろう。

効用・効能とは記されていないが、どちらも身体の熱っぽい時に飲むと熱をやわらげとあるから、これがPanas Dalamのことか。

サリアワン=SARIAWAN(口内炎)の緩和にも役立つとある。

大きさは、大(Rp7,900-)、小(Kaki Tiga Rp4,100-/Badak Rp3,900-)。

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アルミ缶も販売している。

アルミ缶(Kaki Tiga Rp6,900-/Badak Rp6,800-)には、オレンジ、メロン、グレープ、ストロベリーなどの味がある。

次の機会に試飲してみます。

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友人は「バビグリンを食べた時の胸焼けにも良いですよ!」と言っていた。

もし、あなたが身体が熱く感じたり、胸焼けをした時に、試してみてください。

試飲の結果を報告してもらえれば嬉しいです。
posted by ito-san at 02:59| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年01月22日

「ウブド公設市場」2023年3月完成予定・間に合うかな!(485)

買い物をしない人には、訪れる機会がない場所「ウブド公設市場」。

2階建てが数棟、客の導線を考慮にいれず無秩序に建っている。

通路は狭く、個店が迷路を作るように軒を列ね、迷宮に迷い込んだようだ。

売り子が掛ける声につられて買うも良し、雑然とした光景を楽しむのも良し。

生鮮食品の朝市(パサール)は、早朝の4時頃から昼頃まで、パサール・スニと呼ばれる土産物店は、6時前後に閉店する。


ウブド公設市場が、新築工事をしていることをご存知の方は多いと思います。

2023年3月の完成予定となっています。

どんな建物になるか、気になるところ。

2022年2月3日に撮影した、取り壊される運命の建物を見ていただきたいと思います。

「Pasar Umum Ubud(ウブド公設市場)解体直前を徘徊!@Bali」




それでは、工事の進捗具合を報告したいと思います。

2022年2月1日から、解体工事に入ると聞いている。

完成予定は1年後。


2022年3月22日

解体工事始まった。

建物内の店舗は、すでに退去済み。

朝市は、2022年1月31日からスゥエタ通りの公営駐車場に移動している。

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2022月4月11日

すっかり撤去されました。

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カルナ通り(Jl.Karna)に抜ける道も設けられているようです。
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2022年10月2日

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2023年1月19日


新築工事の進捗状況確認にまいりました。




YouTubeに届いたコメントを掲載します。

*かなり近代的な市場になりそうですね。
余計に値切れなくなりそうw
私がバリに通っていた頃からウブドの市場は高ったので、仲良くなったイブのお店か時々べモでギャニャールの市場に行っていた。
広場に新鮮な果物等を売る朝市が立ったらいいですね。

*わぁーすっかり素敵な市場になりそうですね土の所がコンクリートになってて何だか簡単に値切れない感じになりそう(笑)

*随分立派ですね〜。(⁠✯⁠ᴗ⁠✯⁠)
新しい観光スポットになるのかな。
クタにある免税デパートみたいにみえる。

*お寺とあの大きな木はそのまま残っていてうれしいです
ご綺麗なパサール、魅力薄れる気がするけど、その反面、綺麗なトイレができたら助かるななんて思ったり、自分勝手ですね
3月完成するか否か、完成するの方のオッズ、めっちゃ高くなりそうな気がします

*トイレは館内にできるはずです。あとは管理ですね。
ムランティン寺院はパサールの神様だから外せない。
大きな木は、葉っぱが儀礼に使われるので切り倒せない。
そんなことで、辛うじて往時をしのばれる景色が残りました、とさ。

*あのサヤンのセンゴールみたいな「ワクワク、ドキドキ」感は無くなるねえ。
アジアの市場の雰囲気、好きだったけどなあ。

以上、コメントご協力、ありがとうございます!
次回の動画は、ウブド公設市場の完成した姿を報告する予定です。
お楽しみに。


2015年12月25日:撮影のウブド公設市場(Pasar Umum Ubud)


2022年2月16日:「伊藤博史のブログ|生涯旅人」
「ウブド公設市場(Pasar Umum Ubud)・解体直前を徘徊!(407)」
http://itosan-ubud.seesaa.net/article/485633715.html
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2023年01月17日

ビスマ通りの崖崩れの、その後を追跡!(484)

昨年10月18日:午後3時頃

ウブド大通りのチャンプアン方面は、渋滞だった。

バイクで通ると、ビスマ通りの入口付近で車がとどこおっているのが見える。

ウブド大通りとビスマ通りの交わるT字路は、しばしば自動車渋滞がある。

直角のため見通しも悪く、道幅が狭いので対向車が来ると、立ち往生する。

いつもの自動車渋滞だろうと、私はすり抜けようとした。

T字路角には祠が転がり、道路は泥に満たされていた。

ビスマ通りを見上げると、ウブド第一中学校(SMP Negeri 1 Ubud)の擁壁が崩壊していた。

連日の雨続きで、地盤が緩んだのだろう。

乗用車が、泥にまみれて停車している。

校内から、女性の大声が聞こえた。

崩壊は、まだ続いているようだ。

各地で、崖崩れが起きているとの情報。

道路が崩壊しているところもあると言う。

「崖の近くを通行する時には、気をつけましょう!」と友人に声をかけた。

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2023年1月6日:

崩壊した擁壁が、修復されていた。

バリ風装飾のレンガ作りの壁は、コンクリート製になっている。

擁壁の石積みも、以前より頑丈になっているように見えた。

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2023年1月11日:

1月6日から進展はないが、気づいたことがある。

嬉しい気づきだ。

擁壁が崩壊以前と同じ位置ではない。

ウブド大通りに向かって弓状になっているのだ。

これは、何を意味するか?

私の気づきが憶測じゃなければ。

それは、ビスマ通りの入口の間口が広がるということ。

ミロズ・レストラン側は直角のままだろうが、ウブド第一中学校側はなだらかなカーブになる。

そうなれば、自動車はT字路で出会い頭にならず、ビスマ通りに入ってからすれ違うことができる。

これで、T字路での渋滞は解消されるだろう。

「雨降って地固まる」とは、まさにこのことだ。

行政に期待する!

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擁壁の仕上がりから考察すると、集合看板の左手(ジュプンの木)あたりまで広がると考えられる。

まずは、電柱の撤去だ。


追記

ビスマ通り南端で、モンキーフォレスト通りと繋がっている小道がある。

この小道を拡張して、自動車通行可能にしようという声がある。

将来、拡張された場合、モンキーフォレスト通りの渋滞は緩和されるのだろうか?

モンキーフォレスト通りとビスマ通りに2分されれば、渋滞は緩和されるだろう。

モンキーフォレスト通りを北上した車は、ウブドの変則十字路で、ウブド大通りを右折する車、スゥエタ通りに入る車、ウブド大通りを左折する車とに分かれる。

ビスマ通りを北上してきた車は、モンキーフォレスト通りを左折してきた車と合流する。

自動車通行可能になることは好ましいと思うが、チャンプアン方面の渋滞に変化はないだろう。

頓挫している、カテランタン村(ペネスタナン村)に抜ける橋の開通の方が重要のような気がする。
posted by ito-san at 19:58| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年01月13日

ウブド人女性の常識が変わりつつある(483)

私がウブドに滞在し始めた1990年頃の話。

女性は、長い黒髪を後頭部で一つにまとめていた。

それは、彼女たちの美しさを際立てた。

小、中、高の女学生は、結わえるのが校則なのか、おさげ髪や三つ編みも見かけた。

老婆は、黒く染め、やはり後ろで結わえている。

ミニャクラパ(ココナツオイル)を擦りつけた髪は、艶やかだった。

当時、乱れる髪には悪霊が忍び込むと考えられ、魔女ランダを連想するのでよくないと、地元の友人に教えられた。

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2000年に入ってからだろうか、ショートヘアーの女性を見かけるようになった。

公務員、銀行員などにショートヘアーの女性が多いと思われる。

事務系の仕事に推奨される髪型なのだろうか、それとも単にオシャレなのだろうか。

長髪が必須だと思われていた踊り子の中にも、ショートヘアーが現れた。

事務員と二足のわらじをはく踊る子だろう。

ショートヘアーが気にならない舞踊もあるが、興ざめする舞踊もある。

彼女たちは、私たち観光客のために生きているわけではないので、文句は言えない。

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今では珍しくないストレートパーマや染髪が流行したは、いつの頃だったろうか。

2014年のブログに書いているから、その頃だろうと推測できる。

金額20〜30万ルピアのストレートパーマは、給料の5分の1に匹敵する。

スーパーやコンビニの開店で、手染めが手軽に購入できるようになった。

オダラン(寺院祭礼)で見かけるショートカットや染髪した長髪を結わえていない女性も見かけて、目を疑ったことがある。

髪の毛は栗色に染まっていた。

時代は変遷しているのだ。

今後、ヘアースタイルのバリエーションも増えることだろう。

そうそう私が利用している銀行BNIの女性スタッフは、夜会巻きと言われる髪型をしている。

夜会巻きは、長髪をねじり上げて留める髪型で、日本の鹿鳴館時代に流行った髪型の一種とウキペディアにはあった。

ガルーダインドネシアやマレーシア航空の男性CAさん(ファーストクラスとビジネスクラス)がしている髪型です。

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もう一つ、変わったと感じるのは、ショートパンツ姿を見かけることだ。

上半身裸が普通の時代を経て、ある時期から外出時に肌を露出する衣類はご法度とされたバリ。

小川での水浴びでは、あっけらかんに半身裸を見せる女性が、外出では必ずカマンを巻いている。

それがこの頃では、ショートパンツどころか太ももパンパンのミニパンツ姿で驚かされる。

観光客のミニパンツ、ヨガウエアーで闊歩する姿に、顔を背けていたバリ人も、この頃は黙認。

イブイブ(ご婦人)たちの、ヨガウエアー姿も町で見かける。

個性を主張する女性が増え、オシャレが自由にできるようになったということか。

母親たちが年頃の時代は、抑圧されていたんだろうな。

娘には、自由に楽しんで欲しいと思っているのかもしれない。

ファッションは、女性の憧れの対象だ。

男性の短パン姿は少ない。

もちろん私も、短パンで外出はしない。


ファッションへの憧れは、どこの国でも同じだ。

誰にも止められない。

バリ人の常識は、さらに変化をしていくことだろう。

それは、楽しいことであり、寂しいことでもある。

2014年09月11日:■バリ人女性の長い黒髪は魅惑的(66)
https://itosan-ubud.seesaa.net/article/405251002.html
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2023年01月08日

お塩の専門店「TOYA SALT」が出店(482)

プンゴセカン通りに、昨年2022年8月22日オープンした「TOYA SALT」。

人気タイ料理店「Seeds Eatery」の南隣、以前「道」のあったビル。

ロゴがおしゃれで、オープンした時から気になっていた。

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2階にはギャラリー「Yaari Toya」があり、隣店「」も同じ経営者。


新年4日、勇気を出して入ってみた。

SALTとあるから、塩なのはわかるが、なんと、まさかの専門店だった。

バスソルト、天然海塩、フレーバーソルト、燻製塩、黒にんにく塩、ソルトスクラブ。

その他、商品は多種ありました。

2年前にトコペディアの通販に出品しインドネシア国内で人気を掴み、4ヶ月前に海外観光客向けにと当地に出店したとのこと。

アチェ、インドラマユ、マドゥラ、バリなどインドネシア各地の塩が使われているとのPOPがあった。

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ラベンダー入りバスソルト

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ジンジャー入り塩


創業者は、カランガセム出身の塩農家に育ったバリ人女性のようだ。

彼女は、若い世代の農業従事者に、持続可能な安定した収入と教育を提供したいと考えている。

そして、美しいインドネシアの自然を保護することを目的としている。

詳しくは、WEBサイド(https://toyasalt.com/)をご覧ください。

ご心配には及びません、日本語があります。

応援したくなる会社でした!

フェイスブック:https://www.facebook.com/toyasalt/
インスタグラム:https://www.instagram.com/toyasalt/
posted by ito-san at 22:35| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年01月07日

Puri Agung(王宮)の前庭について検証(481)

バリは、南北86キロ、東西140キロの小さな島。

私が生誕した愛知県とほぼ同じ広さ。

この小さな島にも、戦国時代があった。

多くの地方領主によって治世されていたバリは、各地で領地拡大の小競り合いが続いた。

第一の戦国時代は、バリ王朝(ワルマデワ王朝=ブダウル王国)に遡るのではないかと考えられる。

第二の戦国時代は、バリ王朝がマジャパヒト王国によって征服されたあと、と私は推測している。

その二つの戦国時代、王の住まいは敵の攻撃を防ぐために築かれたお城だったろうと考えた。

しかし、そうではなかった。

激しい戦闘が、なかったのだろう。

バリでは王の住居は、拓かれた土地に垣根に囲まれて屋敷が点在している。

まったく軍事的要塞ではない。

バリでは、王の住居は王宮(Puri)と呼ばれる。


まず、こちらを読んでください。

「Puri Agung Ubud・王宮の前庭についての豆知識(475)」
https://itosan-ubud.seesaa.net/article/494682557.html


ほかの王宮も同じレイアウトか検証してみましょう。

今回は、ウブド近郊の4つの王宮を徘徊しました。

@Puri agung Blahbatuh=ブラバトゥ王宮


APuri agung Mas=マス王宮


BPuri Agung Peliatan=プリアタン王宮


CPuri Agung Pejeng=ペジェン王宮


DPuri Agung Negari=ヌガリ王宮・Tjokorda Gede Rai


EPuri Agung Skawati=スカワティ王宮


いかがでしたか、理解できましたでしょうか。
posted by ito-san at 08:46| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする