2023年03月30日

サウナ風呂(Sauna)と温泉(Heated pool)@UBUD!(496)

チャンプアン・ホテルには、ヴァルター・シュピース氏の宿泊していた部屋以外に、もうひとつ気になっていることがある。

それは、サウナ施設があるということだ。

「熱帯のウブドで、なんでサウナ風呂」って思う人が多いと思うが、社会人になってからの20年間お世話になったサウナが忘れられないのである。

今から7年前、25年ぶりに日本一時帰国した折には、サウナ施設のある健康ランドに直行した。

日本の健康ランドやサウナ風呂のような娯楽施設はないが、私にはサウナルームがあれば大満足。

チャンプアン・ホテルのサウナは、他に温水風呂、冷水風呂、スチームルーム、スイミングプールが利用できる。

温泉&銭湯好きな私には、温水風呂も嬉しいアイテムだ。

温水風呂&冷水風呂は、屋外なので温泉気分が味わえる。

渓谷の美しい風景を見ながらの岩風呂は、極楽ですゾ。


ではでは、サウナ&温泉に興味ある方のために、ちょっとだけ情報を提供します。


スタッフの暖かい笑顔に迎えられる
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フロントで支払い(Rp145,000-)を済ませます。

渓谷沿いに建つホテルなので、階段を降りて行きます。

プール横の道をさらに下ると、洞窟の入口が見える。
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バリ独特のモチーフが彫刻された洞窟
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さらに進むと、受付カウンターがある。
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こちらで支払いレシートを渡して、ローカーの鍵とバスタオルを受け取る。

ロッカールームは、川沿いの一番奥にある。

ロッカールームの棟
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ロッカー
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ロッカールームのトイレ
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水着に着替えて、待望のサウナルームへ向かう。

(写真なし)

4つの扉があり、左2つがレディース、右2つがメンズ。

受付のスタッフは、どの部屋を使ってもいいよと言うが、未知との遭遇を私は好まない。

異性に入ってこられるのも困るが、先客に異性が居るのも面食らうだろう。

左右の端がスチームルームで、中の2つがサウナルームだった。

男性用サウナルームの2枚扉を引き開けると、流れ出た熱風が身体を押した。

室内は、2m四方ほど。

温度計が設置されていないので、室温はわからない。

非常に熱く感じるのは、7年ぶりだからということではないだろう。

我慢できず、即退散。

スチームルームに移動。

こちらは、1.5m×2mほどの広さで、水蒸気が充満していた。

ここの熱さは我慢できた。

スチームルームを飛び出して、冷水風呂へ。

サウナから冷水が、サウナの入浴法だ。

冷水風呂の半端ない冷たさに我慢できず、温水風呂に飛び込む。

「う〜!」至福のため息が漏れる。

目の前の渓谷が、目に飛び込んでくる。

私は贅沢にも温泉に浸りながら、ヴァルター・シュピース氏と同じ風景を見ている。


ロッカーからバスタオルを持って、再度、サウナルームに入る。

室内は水蒸気がまったなく、空気が熱い。

焼け石に水を掛けると室温あが上がると聞いているが、ただ熱いよりは湿度が欲しい。

私は、何度も水を掛け、水蒸気を発生させた。

今度は初回より、長い時間入っていられた。

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一人用冷水

温水風呂&冷水風呂を繰り返し、癒しの時間は過ぎて行く。

喉が乾くので、飲料水(水筒&ペットボトル)を持ち込んだ方が良いかもしれない。



最後に、スイミングプールへ。

敷石の床が滑るので、ビーチサンダルを履いて行動するのがいいと思う。

サウナ初体験の感想は「満喫できた!」であった。

次回は、更に癒し度をアップできる計画を立てて、訪れたい。

「あのヴァルター・シュピース氏の宿泊していた部屋に泊まれるって!(495)」
https://itosan-ubud.seesaa.net/article/498718311.html
posted by ito-san at 19:02| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年03月24日

あのヴァルター・シュピース氏の宿泊していた部屋に泊まれるって!(495)

前々から気になっていたのですが、ついつい32年が過ぎてしまった。

バリのことをまったく知らずに、1990年5月からウブド滞在を始めた私です。

ウブドを知るにつけ、頻繁に出てくる名前に「ヴァルター・シュピース(Walter Spies)」があった。

バリ芸能大好きさんなら、すでにご存知のことと思いますが軽く復習しておきましょう。


ヴァルター・シュピース

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名前については、ウォルター、ワルター、そしてスピースと表記されている場合もある。

1895年生まれのドイツ人の画家。

バリの魅力に魅せられ、ウブド王族に招待されるかたちで、1928年よりウブドの滞在が始まる。

チャンプアン渓谷に最初の住まいを構える(現在のチャンプアン・ホテルの敷地内)。

1930年代、バリ・ルネッサンスの中心人物として活躍した。

1931年に開かれたパリ植民地博覧会に、バリのガムラン音楽や舞踊などの芸術を出店するのに尽力を尽くした人物でもある。

1936年、シュピースとボネの協力のもと、ウブドの王族スカワティ兄弟を中心にピタ・マは画家協会が設立された。

ウブドに果たした、シュピースの功績が大きい。

1937年、彼の活動が観光化に拍車をかけることとなり、やがては急速な観光化から逃れるように、クルンクン県の田舎の村イセ(Iseh)へと移住。

1938年、同性愛者であった彼は、ホモ・セクシュアルへの取り締まりが強まる中で逮捕されてしまう。

友人たちの尽力で翌年には無事に釈放された。

1940年、ドイツがオランダを占領したことをきっかけに、当時オランダ領だったバリに滞在していたシュピースは敵国人として逮捕され、愛して止まなかったバリから離れることになる。

1942年にスマトラから移送船で移動中、日本軍の攻撃により船が沈没。

シュピースは溺死した。

享年46歳という若さ。

戦火の犠牲になっていなかったら、その後のシュピースの活躍は計り知れない。


シュピースがウブドに滞在を始めてから95年、亡くなってから81年が経っている。

彼が見たウブドは想像もできないが、残してくれた絵画から少しは測り知ることは可能だ。

アルマ・ミュージアムで、数少ないシュピースの絵画を見ている。

雑誌で、過去の作品も見た。

シュピースの影響を受けた、バリ人画家の作品も多く見た。

イセ村の小高い丘の上にある隠遁生活を送った屋敷も、遠くからではあるが何度か鑑賞している。

日本語で書かれたシュピースの本も、何冊も読んだ。

※「バリ島芸能をつくった男」著者:伊藤俊治(2002年1月23日・初版第1刷)

※「バリ、夢の景色/ヴァルター・シュピース伝」著者:坂野徳隆(2004年12月3日・初版第1刷発行)



チャンプアン・ホテル内に、シュピースが滞在したと言われる部屋が残っていることは知っている。

宿泊できると聞くが、私には予算がない。

友人が泊まっていて、ラウンジでお茶をしたことはあるが、施設を見学したことがない。

旅行者のブログに、宿泊しなくても見学できるとのコメントが載っていた。

そのコメントに背中を押され、見学する覚悟ができた。

と言ってもフロントで「見学させてください」の一言が言えず、まずレストランでコーヒーを飲むことにした。

コーヒーを飲み終え、スタッフに見学の希望を伝えると、快く許可が出た。


シュピースの部屋はすぐに、見つかった。

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屋根のアランアラン草が抜け落ちて、みすぼらしい佇まいだった。

どうやらアランアランの葺替え工事中のようだ。

工事中で職人さんが屋根に上っている。

「おじゃまします!」と声はかけて室内に潜入。

二階の寝室に上がるのは、断念。

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ホテルの宿泊棟を視界から消した風景を想像する。

アトリエの面影はないが、シュピースがこの渓谷の斜面を利用した家屋に生息していたことは間違いないのだ。

あと5年すると、シュピースがウブドに滞在初めて100年になろうとしている。

ウブドは変わった。

さらに変貌して行くだろう。

そして、それは想像もできないことだ。
posted by ito-san at 18:14| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年03月15日

チャンプアン橋周辺を観光名所にしよう!(494)

ウブドは芸能の村と称されるだけに、毎晩、どこかの村で舞踊の定期公演が催されている。

しかし、観光の見所が少ない。

サレン王宮
蓮池のあるサラスワティ寺院
グヌンルバ寺院
ブキットチンタの散歩道
猿の森
美術館(ネカ、アルマ、プリ・ルキサン、アントニオ・ブランコetc)
などが思いつくが、格別人気のある名所でもない。


そこで、私の妄想をひとつ語りたい。

それは、ウブド発祥の地であるチャンプアン橋周辺を、歴史探訪エリアの観光名所としたい、ということ。

8世紀、ジャワ島から渡って来たマルカンディアという名の高僧が、2つの川が合流する美しい渓谷が目に止めた。

その地には、豊富な薬草と湧き水あった。

ウブドの歴史は、ここから始まった。

この話は「高僧ルシ・マルカンディア(Rsi Markandeya)」をお読みください。
https://informationcenter-apa.com/kb_markandeya.html


チャンプアン橋は、ウブドの西部に位置する。


Campuhan Bridge

吊り橋:1925年完成
現在の橋:1980(1981)年完成

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チャンプアン橋周辺の紹介は、旧道の説明から始めたい。

@ ウブドの西の端は、小高い丘だった。

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H右手にダラム寺院があるのは、丘の手前が村外れだった時代のなごり。

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左側が旧道。

現在は、丘を掘削した道が開通しています。

旧道は、この丘を上り下りして、現在の「ホテル・イバ」の入り口の道につながる。
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旧道の行き先は、ホテル・イバの入口手前を左折した「グヌン・ルバ寺院」と、

ホテル・イバ自動車道入口左手の小道の先にある「ベジ寺院」か。
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BPura Beji Tirta Dedari @ Campuhan=チャンプアンにあるべジ寺院でマンディ

(撮影:2021年11月2日)

C渓谷に挟まれた小高い丘にあるのが、グヌン・ルバ寺院。

チャンプアン橋の上から、2つの川が合流する地点と「グヌン・ルバ寺院」を見る。
入場料を払ってでもいいので、寺院内に入りたいです。

河原に降ります。
橋の下の河原も、少し整備すれば憩いの場になる。

D「パブ・チャンニーナ・ルーフトップ」から見る「グヌン・ルバ寺院」
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*周辺の見どころとして。

Eもう一つの沐浴場・ペジ寺院


Fアントニオ・ブランコ美術館は、橋の西側にある。
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アントニオ・ブランコ物語:https://informationcenter-apa.com/kb_Antonio_Blanco.html

Gチャンプアン・ホテルには、ヴァルター・シュピース(Walter Spies)の過ごした館が残っていて、宿泊できる。
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ヴァルタースピース:https://informationcenter-apa.com/ubud_jiten.html#sagyou


▪️付録

ABukit Cinta に行って来ました!@ Campuhan・Ubud

(撮影:2022年8月23日)

「Pura Gunung Lebah」ウブドのルーツを巡る(最終回)グヌンルバ寺院@ Campuhan・Ubud

(撮影:2022年9月2日)

Meditation・Holy space(ウブド好き+瞑想好きなあなたに)@ Campuhan・Ubud

(撮影:2022年9月4日)

Cantina Rooftop Bali・グヌン・ルバ寺院を鳥瞰できるレストランはここだけ!

(撮影:2023年2月13日・スマートフォン)
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2023年03月09日

バリ島旅行って…ってテーマで考えてみたのですよ!(493)

ある日の知人のツイッター。

『バリ島旅行って…ってテーマで考えてみたのですよ。

伝統舞踊を堪能する旅、海を楽しむ旅、わたしのように自然の緑を求め旅。

お買い物をする、現地料理を楽しむ。

みんなそれぞれに色んな目的があってほんとに楽しい。

やっぱりバリ島ってすごいや!

わたしはバリ島を教えてくれた母に感謝してるんだ。』


この知人のツイートに便乗して、私は『アンケート募集』をした。

「あなたは、ウブド滞在で何をしますか?」

「やりたいこと」&「行きたいところ」を教えてください。

複数でもいいですよ。

参考にしたいので、よろしくお願いします。


たくさんの回答をもらった。


▪️Aさん
ボーっとしてごはん食べてビンタン飲んで、またボーっとする(以下無限ループ)


▪️Bさん
風景を楽しみながら歩いたり


▪️Cさん
買い物をしたいです


▪️Dさん
jalan-jalanします

昨年もウブドの渓谷を眺めながら一日7km歩きました


▪️Eさん
ウブドは幾分涼しい気がするので、負担なく歩けそうに思います

「自然を満喫する」ウブドの自然の香り楽しむのが1番好きです

あとは、「お買い物」オーガニックなコスメショップや雑貨がウブドには豊富にありますから


▪️Fさん
空気吸って…

緑観て……

本読んで……

本読んで……

本読んでます……


▪️Gさん
1:ウブドのジャングルを眺めながらホテルのプールで泳ぐ

2:バリ舞踊の公演を見に行く

3:街スパでリフレッシュ

4:オーガニックコスメやバリTシャツ、バリコーヒーなどをまとめ買い


▪️Hさん
1:バリ舞踊、芸能の定期公演や奉納芸能を見に行く

2:バリ舞踊を習う

3:民族衣装を着てお寺のオダランに行きスンバヤンをする

4:眺めのいいところでカフェタイム&ワルンで地元料理を堪能

5:散歩とお買い物を楽しむ、街スパで癒される

6:ミュージアムとギャラリー巡り

などなど。


総括すると、皆さんのんびりがお望みですかね。

@自然を満喫する

A芸能鑑賞

芸能に興味を持っている人がいることがわかって安心しました。

B街スパ

C地元ワルンで食事

D買物


アンケートにお答えしていただきまして、ありがとうございました。

今後、リピーターの方々を迎えるにあたって、参考にさせていただきます。
posted by ito-san at 17:19| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年03月02日

「和食・影武者」の面影を追って、やってきた!(492)

開店から現在までの経過

1991年7月10日、サレン王宮ウブドのある変則十字路から、2Km地点のプンゴセカン通りにオープンした。

10年賃貸契約(1990年〜2000年)が終わり、4年の延長。

2004年、影武者裏に2003年から始めた料理教室の建物に移転。

2014年、ニュークニン村の現在の店舗に移転。

『極楽通信・UBUD』17「お疲れさまでした、居酒屋・影武者」
https://informationcenter-apa.com/gt_kagemusha.html


昔、影武者のあったところは今、どうなっているか?

1991年から2004年までの影武者を訪れたことがあるが、その後行けていない友人のために。

2014年までの影武者を知る友人のために。

周辺がどう変わったかを動画で報告したいと思います。




◉フェイスブックに投稿したら、たくさんのコメントが届いた。

▪️Fさん
ここに影武者があった時に来たことがありました。
確か奥に座敷席があって、、
奥に座って見えた夕方の田んぼの景色を思い出しました。
懐かしいです。

▪️Oさん
いいビデオですね、最後まで観入ってしまいました。
97年の初めての滞在で訪れてお店の雰囲気と焼き鳥の美味しさに感心しました。
クブンインダーに泊まることもあり、このあたり印象深いです。

▪️Jさん
最後に行ったのは98年でした。
96~97の地球の歩き方掲載の地図です。書き込みしてありますが…
1番初めに買った91年のはボロボロになって捨ててしまいました。
影武者からアグン山見えましたね。
霊の通り道やダドンの話し、思い出しました。
地図の画像のようです

▪️Mさん
なんかさみしい気もするが 歴史っすね!

▪️Yさん
ワルンでコピを啜る伊藤さんのお顔にすべてが詰まっています。
酔い潰れての帰り道は漆黒の闇でした。たくさんの野良犬に囲まれ、カルタの弟さんにバイクで送ってもらったことを思い出しました。諸行無常、こうして万物は流転していくのですね。
ウルウル。

▪️Nさん
確か、92年に初めて影武者に入った記憶なので..
開店してまだ1年位だったのですね・・

▪️Sさん
ほんとだ!
写真でみないとわからない

▪️Kさん
思い出は 心の中に 次行くときは 昔のバリを思い出すところに行くのかも

▪️Yさん
うわぁ〜、ものすごい変わりようですね。
影武者さんには沢山お世話になりました。
アグンラカバンガローに泊まっていた頃、体調を崩して日本食が食べたくなり、おにぎりと味噌汁をテイクアウトして安心したこともありました。
座敷の席に神様?が座られていると噂を聞き、その席には座らないようにしようと思ったことも。
田んぼがあってホタルも飛んでいて素敵なお店でした。
ニュークニンに移られてからもお邪魔しました。
やっぱり超美味しい日本食を提供して頂きました。
いつかニュークニンあたりも変わっていくのでしょうかね。
それでもまた行きたいバリ島ウブド。
早く行きたいな〜!
映像を見せて下さって本当にありがとうございます。


◉ユーチューブにも、たくさんのコメントが届いていた。

▪️Iさん
そうだった、そうだった️
カキアンに泊まり、懐中電灯借りて影武者に、ご飯食べに行ってたわぁ。
田んぼに囲まれて、トッケーの声を聞きながら猫とご飯食べたなあ。

▪️Sさん
おはよう御座います。
プンゴセカン物凄い渋滞ですね〜
何度も滞在したので毎日通った道です。
カーブの付近は人気店が入れ代わり立ち代わりしてましたが、何せバイク音と排気ガスがね〜。
これからのウブドは田圃ビューの飲食店は貴重になるかもと思っています。

▪️Tさん
先回ウブドに行ったとき、who's who行きました
影武者、ここにあったのは知らなかったです
伊藤さんの『ウブドに沈没』は読んでいたので蛍がいて回りに何もなかったったことや裏の谷を探検?したこととか、ここだったんやなぁってわかりました️
私が行ったときはスパの帰りでビールを求めて彷徨って行き着いたのが、そこで回りをじっくり見ておけば土壁とか見れたのに残念です。
次回はその先の細い道通ってみようと思います️
楽しみを作っていただいてありがとうございます

▪️Tさん
懐かしいです、ここで初めて伊藤徘徊老人とお会いしたのですね。

▪️Sさん
プンゴセカンはかなり様変わりしましたね。
ウブドで一番変わったかもしれない。
90年始めの頃は田んぼばかりで、真っ暗で時々蛍が飛んだりしていました。
当時のレストランでは田んぼを眺めながら、夜は蠟燭や石油ランプの灯りの下でロマンチックな食事が出来たエリアでした。
「影武者」は2回ほどお邪魔させて頂きました。
プリアタンからプンゴセカンさらにハヌマン通りにかけては、私の昔の散歩コースでした。

▪️Jさん
今と全く違いますね。
この時代の影武者にも行ってみたかったです。

▪️Eさん
すごく貴重な写真ですね️
電信柱が変わらないのがすごい!
こんなに見晴らしが良かったんですね
98年にアグンラカバンガローに泊まった時は、アルマ美術館もあったり、今ほどではないですが、建物ありました。
それにしても、貴重な写真

▪️Sさん
「影武者」囲炉裏があって時々精霊が見える(座ってる?)とか噂でした!
「影武者」さんは、その頃の私にとって敷居が高くて憧れ遠くから緑に囲まれた建物を眺めてました。
変わり様にビックリしました。アップありがとうございます️

皆様からの投稿を、無断で拝借してしまったことをお詫びいたします。
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2023年03月01日

今・バリで流行のラトラトについて考える!(491)

カチカチカチ

どこからともなく聞こえてくる音。

懐かしさを感じる、球を打つ音だ。

朝、下宿でも聞こえた。

窓から覗くと、長男の息子が手にしている物から音がしていた。

それは、私が20代の頃、アメリカン・クラッカーと呼ばれて日本で流行したもだ。


バリでは、昨年(2022年)の初頭から流行っているという。

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20年前に流行った時のことが「ウブドのニュース」に掲載されていた。

「2003年1月20日:ケテケテ大流行!!」

ひと月ほど前には、それほど耳につかなかった拍子木を連打しているような音が、このところウブドの至る所で聞こえる。

正体は、長さ40センチのヒモの両端に直径4センチのプラスチック玉が一つずつついたオモチャだ。

音は、ヒモの中央にあるプラスチック・リンクを持って上下に振り玉を当てて出す。

ケテケテと音がするからか、Mainan ketek-ketekと呼ばれている。

日本ではアメリカン・クラッカーと呼ばれて1970年代に流行した。

ブーメランのように獲物に投げ、巻き付けて捕らえる、アメリカ・インディアンの狩猟道具だったと聞いている。

ウブドには道売りの行商がはじめ持ち込んだようだが、今では雑貨屋にも出回っている。

オダラン(寺院祭礼)の露店でも売っていてガムランの音に混じってケテケテの音が聞こえる。

いつまで続くか、ケテケテ大流行。


今回は、ラトラト(LATO LATO)と呼ばれているようだ。

命名の理由は、わからない。

流行は10年周期、20年周期に巡ってくるという定説通りだ。

プラスチック玉が直径3センチと一回り小さくなっていた。(大きい物もあるのかも知れない)

小さくなって、紐も短いからか、以前に比べて音が小さい。

20年来の在庫処分だと勘ぐっていたが、どうやら違っていたようだ。


リピーターの友人から、ジョクジャカルタのお土産、ということでいただいたラトラト。

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できるようになったら「TikTokにアップして!」とのミッションを与えられた。

「このタイプは新しいね!」と感動しながら受け取ってしまった。

「昔取った杵柄」と、やってみたができなかった。

横でやってみたら、大成功。

TikTokは、ハードルが高いので、フェイスブックとツイッターで報告した。

ミッションを終了!


ネットでググってみたら、日本では何年も前から【昭和なオモチャ】で通信販売していた。

レトロな包装なので、写真保存することにした。

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posted by ito-san at 14:45| Comment(0) | TrackBack(0) | ウブド村帰郷記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする