世界中の坂本龍一ファンは、ショックを隠しきれないでいる。

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坂本龍一ファンの日本人友人からメッセージがあった。
「オカ・カルティニ・バンガローにあった教授のスナップを、もう一度見てみたいです!」
ホテルのフロントの壁に、教授の写真が飾ってあったと言う。
ファンの方達は、坂本龍一氏のことを教授と読んでいるようだ。
私も、このブログでは教授と呼ぶことにする。
オカ・カルティニは、トゥブサヨ村ウブド大通り沿いにある老舗ホテル。
教授が宿泊したのは、1982年頃のこと。
1983年公開の映画『戦場のメリークリスマス』の音楽制作のために訪問している。
現在はホテルだが、教授が宿泊した頃はバンガローと言われていたと思う。
『戦場のメリークリスマス』
2023年4月8日
もしかすると、当時の写真が見られるかもしれないと、突撃取材することにした。
楽しみのフロントの壁はあとでゆっくり鑑賞するとして、まずは「Studio22k」「ギャラリー」を見学。
次は、ワヤンクリット(影絵芝居)の上演会場だ、と表に出る。
目の前で、私に手を振る女性がいる。
オーナーのオカ・カルティニさんだ。
お顔は、存じ上げている。
ワヤンクリット会場見学は諦めて、フロントに立っている彼女に近づく。
英語の挨拶で、握手で迎えてくれる。
教授が亡くなったことを告げると、彼女は驚いていた。
教授の写真が壁に飾ってあったとの情報を知り、見に来たことを伝える。
「坂本氏と私が握手をしている写真は、持ってますよ」と言う。
「今度、用意しておくので、またいらっしゃい!」と嬉しいお誘い。
写真を見せてもらう約束をして、家路に着いた。
ワヤンクリットの上演会場を見るのを忘れている。
坂本氏が宿泊した部屋とワヤンクリット会場は、次回ということで。
ウブドを訪れていた坂本龍一氏の写真を求めて!@Oka Kartini Hotel
2023年4月15日
1週間後に再訪した。
残念なことに、カルティニさんは在宅していなかった。
連絡をもらえるように、フロントの青年に電話番号を伝えた。
何とフロントで働いていた青年は、プンゴセカン村のコンピアン君の次男だった。
2023年4月25日
「坂本龍一さんの写真を用意してあるので、いらっしゃい!」
カルティニさんからWA(WhatsApp)に、メールが入っていた。
もう連絡はないかなと、諦めていたので嬉しかった。
いそいそと出かけていったが、「いらっしゃい」というわりには、彼女はいなかっt。
マネージャーが迎えてくれて、彼女は体調を崩して部屋で休息しているという。
額縁に入った写真を、マネージャーが見せてくれた。
1982年頃の写真は、さすがに色あせていた。
若かりし頃のオカ・カルティニ嬢とのツーショット。
教授は、口元に面影があった。

友人が見た写真は、これではなかったと言う。
当時のバンガローのドライバースタッフとのツーショットだったとか。
自慢げに見せてくれたから、本人が持って行ってしまったのかもしれないとも話してくれた。
41年前のドライバーを探せるかな?
お宝拝見!(坂本龍一氏とオカ・カルティニ嬢のツーショット)
教授が宿泊した部屋は、改築されていた。

この部屋に纏わる、都市伝説のような話を聞いたことがある。
現在は部屋は、家族が利用していて、旅行者が宿泊することはできない。
テラスの柱の根元は、古くからの石がそのまま使われている。

ワヤンクリット会場


おまけの動画『追悼・坂本龍一 / CAFE LOTUS (1985) 未発売曲 / RIP Ryuichi Sakamoto』
彫刻の村セバツは、Sebatuのことですよね。
撮影現場が知りたいです!