2024年06月28日

バリ人の結婚儀礼の意識が変わりつつある・結婚式場のオープン!(541)

バリ島では、結婚儀礼や火葬儀礼など人の一生に関わる儀礼は、村人のゴトンロヨンhttps://informationcenter-apa.com/kb_gotongroyong.html(相互扶助)で、それぞれの屋敷で執り行わている。

屋敷は、儀礼が執り行なわれるように設計されている。

日本もかつてはそうでしたね。

運がよければ観光客も、そんな伝統的な慣習を見ることができる。

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今回は、そんな古くからの村落慣習がなくなりつつあるというニュースです。

ブラフマ(高僧)階層による結婚儀礼場ビジネスが繁盛している。

繁盛する背景を考えてみた。


観光地として発展するバリは、急速な環境の変化で生活は先進国並みになってきている。

村人の生活は忙しくなり、ゴトンロヨンに時間を割くのが苦痛になってきた。

結婚儀礼場は、村人の力を何日もかけ借りて準備する必要もなく、一連の儀礼と宴会を数時間で終えることができる。

招待客は減るが、予算も縮小できる。

バリ人の金銭感覚も変わりつつある。

供物作りなどの仕事が減るので、女性にはすこぶる評判がいい。

儀礼用の装飾や慣習が薄れてしまう心配はあるが、これが時代の流れだろう。

式場施設会社(リース)も痛手であろう、これも致し方ない。


今回紹介するセレモニーホールは、ギャニアール市のベン(Beng)村に存在する「Taman Prakerti Bhuana」。

結婚式場のグーグルマップ



人の一生に関わるヒンドウーバリの通過儀礼は、マニシヤ・ヤドニヨと呼ばれ、五つに分類されるヒンドウー儀礼(パンチャ・ヤドニョ)の一つである。

マニシヤ・ヤドニヨには、子供の誕生儀礼(Oton=オトン)・削歯儀礼https://informationcenter-apa.com/kb_gigi.html(Musangh=ムサンギー)・結婚儀礼・火葬儀礼https://informationcenter-apa.com/kb_kasousiki.htmlがある。

「Taman Prakerti Bhuana」では、火葬儀礼以外の通過儀礼を執り行っている。


バリ人の結婚儀礼の意識が変わりつつある・結婚式場のオープン!




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お待たせしました。
皆様、お待ちかねの企画です!
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アクセスはこちら。
https://camp-fire.jp/projects/view/756887
動画は、コロナ禍でのオンラインライブ(2021年9月26日)練習風景です。
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2024年06月19日

一年ぶりの銀行で、ATM恐怖症がやらかした失態!(540)

一年ぶりに銀行に行った。

ガラスドアーを引いて中に入る。

居るはずのガードマンの青年がいない。

いつもは青年が要件を聞いて、待ち順カードを渡してくれる。

カードが出てくると思われる機械の前に、誰もいない。

さて困った。

困ってばかりいても先に進まない。

しかたなく自分ですることにする。

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ガードマンは、いつも黒い箱の細い隙間から出てくるカードをちぎって渡してくれていた。

恐る恐るスリット近くのボタンを押してみた。

ジ〜という機会音とともに出てきたカードは、白紙。

機械の故障か?

カードを切り取り、今度は、長押しをしてみる。

ジ〜ジ〜、レシートが出るような音が続く。

長い長い白紙レシートが、吐き出されてくる。

ボタンから指を離さないと、永遠にカードは出てきそうなので慌てて離す。

しばし呆然!

これはヘルプを求めたほうがいいだろう。

誰かいないかと振り返ると・・・・!

待合ロビーに居る全員が、私を見ていた。

一人の男性が近づいてきて「要件は?」と聞いてくれた。

入金したいのですがと伝えると、黒い箱の横にある液晶画面のTeleirの画面を押した。

よく見ると、私でも理解できるインドネシア語の単語が並んでいた。

ジ〜の音とともに76と印字された紙が出てきた。

そう私は、76歳。


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なぜ一年ぶりの銀行かというと。

半年前に、ATMさんに暗証番号のピンの変更を支持された。

しかし、ピンの変更はうまくいかなかった。

その後、ピンの変更が面倒で、出入金していない。

今回は、銀行預金を解約したい。

解約手続きが面倒そうなので、少額を残して出金することにした。

出金がATMでできるのは知っている。

しかし、私はATM恐怖症。

そんなことで、通帳から出金してもらう。

30分ほど待って、ナンバー76が呼び出された。

カウンターでの手続きは順調に見えたが、「ピンナンバーが無効なので変更をしてください」と言われた。

そのピンナンバーの変更が面倒なので、直接来たのに。

「では、また出直してきます」と伝えると、スタッフは通帳と書類を持ってカスタマーサービスのエリアに行った。

優先的に手続きをしてもらえるのかもしれない、と期待する。

戻ってきたスタッフは「しばらくお待ちください」と言って、ほかの業務についた。

これはラッキーかもと、おとなしくベンチに座って待つ。

1時間ほど待って、カスタマーサービスに呼ばれた。

ここでのピンナンバー変更の手続きが面倒だから、通帳記載をお願いしたのに。

何はともあれ新しい五年間有効のキャッシュカードが支給され、面倒な手続きは終了した。

使う予定のないキャッシュカードは、寂しそうに財布に収まった。



どのようにしてATM恐怖症になったかは、過去のブログを読んでいただければ理解していただけると思います。

しかし、読後に倦怠感に陥る可能性があるので、暇な人にしかお勧めしません。

年月日の若い順に読んでいただけるとありがたいです。

2022年07月22日:■徘徊老人・相変わらずのATM恐怖症!(442)
https://itosan-ubud.seesaa.net/article/489983251.html

2018年06月30日:■ATM最終話『祝い再発行!』(207)
https://itosan-ubud.seesaa.net/article/460260076.html

2018年06月09日:■ATMの出金で冷や汗!(203)
http://itosan-ubud.seesaa.net/article/459893003.html

2018年02月13日:■「インドネシアの銀行口座を開設(184)」
https://itosan-ubud.seesaa.net/article/456858525.html



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2024年06月12日

バリの伝統芸能・ガムラン&舞踊についての私心!(539)

1990年5月:ウブドに滞在を始めて、最初に興味を持ったのは、伝統芸能だった。

バリのことにまったく知識のなかった私に、強烈な印象を与えたのは、ガムランと呼ばれる青銅鍵盤打楽器オーケストラとガムランの音に合わせて繰り広げられる舞踊だ。

(ガムランには各種あるが、ここでは説明をはぶきます。各々、検索してください)

最初は、耳をつんざく激しい金属音に戸惑ったが、何度も聴いているうちに、BGMで眠れるほど心地良い音になっていた。

ロジャース・ホームステイから、5分ほど歩いたところにウブド王宮がある。

王宮の前庭では、毎晩伝統芸能のパフォーマンスが公演されていた。

夕涼みがてら鑑賞し、そのあとはセンゴール(夜市)で夕食がルーチンだ。


バリを理解するということは、バリ人を理解することと心得た。

バリ人の生活は、信仰と慣習と芸能が一体となっている。

どれひとつ欠けても、バリを理解することはできないだろう。

それでは、どうすればいいか?

芸能を、観客として鑑賞するだけではだめだ。

舞踊を習うことで、バリの文化を知る手立てになるのではと考えた。

大学の卒業論文に「舞踊レゴン」をテーマにしていた日本女性と知り合った。

レゴンを習っているというので、スグリオ通りのスタジオ・ナタラジャへ見学に行った。

先生のくちガムランで、先生の後ろについて真似をする練習方法だった。

振り付けを覚えたところで、カセット・テープを使った練習になる。

私も習うことにした。

男性が最初に習う踊りは、バリス・トゥンガル。


バリス・トゥンガルを一通り習うと、先生をプンゴセカンの村のコンピアン君に変えた。

奉納舞踊に参加することで バリ人の人生観を垣間見ることができるのではないかと考えるようになった。

人前で顔を見せて(おまけに化粧をする)踊るのは自信がないので、お面をつけて踊るトペン舞踊に挑戦することにした。

この時のエピソードは、極楽通信:バリ島で踊る「神々に捧げる踊り」を覗いてください。
https://informationcenter-apa.com/hounou2.html

舞踊トペンクラス
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バリの伝統芸能は、バリ人の信仰する宗教儀礼に切ってもきれない重要なアイテムである。

彫刻、絵画、ガムラン、舞踊、ワヤンクリット(影絵芝居)などが奉納される。

ガムランの演奏は、宗教儀礼を司る際には、なくてはならないもの。

村では、必ずワンセット所有していて、スカゴン(グループ)を構成している。

村内の寺院祭礼で、年に数度奉納される。

ガムランには、神々を迎える楽曲や神々を慰める楽曲がある。

村人は、寺院祭礼のハレの舞台で演奏、演舞することに誇りを持っている。

同時に、娯楽の一つとしても楽しんでいるようだ。

ウブドの知名度が上がり観光客が増えると、寺院祭礼の奉納舞踊を鑑賞しようとする外国人が参列し、文化の違いによる問題が起こるようになった。

こういった問題をなくすために、奉納舞踊を観光客のためにパフォーマンスとして公演するようになったと言う。

後に、収益が目的となっていく。


ガムランは、村のスカゴン以外には、豪農、王族が所有していた。

豪農、王族のガムランは、娯楽性が強かったと思われる。

ガムラン演奏と舞踊に人気が高まってくると、クオリティの高いグループは他の村の寺院祭礼に呼ばれるようになる。

これは、幾らかの収入になった。

伝統芸能のパフォーマンスで、アルバイトができるようになったのだ。

王族、村以外に、芸術性を追求したプロの集団(サンガール)が旗揚げするようになった。

ウブド、プリアタンでは、王族の力が強くて、サンガールに発表の場を与えなかったという話を聞いた。

そんな時代に、旗揚げしたのがS・T・S・I(I・S・Iの前身)の卒業生で構成された「スマラ・ラティ」だった。

旧態依然システムを打開しようとする、彼らの反骨精神に共感した私は、全力で応援した。

会場が持てない弱小グループの苦労を乗り越えて、今の「スマラ・ラティ」がある。

スマラ・ラティ以外にも、海外からの脚光を浴びるクオリティの高いサンガールは増えている。


I・S・I(インドネシア芸術大学)の教授や生徒による新作が創作され、世に出て行く。

新作は人気が出ると、奉納舞踊でも披露される。

ここでこんな発言はふさわしくないが、私的には新作は好みじゃない。

これは年寄りの意見で、バリ人の若者は新しいものを望んでいるのだろう。

旧態依然のシステムを嫌った私が、新作を拒否してはいけない。

伝統芸能を在続させるのは、時代を担う若者の嗜好を優先しなくてはいけないのは、わかっている。

言いたいことは書いたので、わたし的には満足ですが、読み手の方々には不満足でしょうが、今回はまとまりがないままに終了です。


舞踊ムニエール(知人の家寺で奉納)




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動画は、コロナ禍でのオンラインライブ(2021年9月26日)練習風景です。

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