2024年12月11日

ハノイの夜景を見ながら考えたこと(2)

窓外の夜景を見下ろしながら、ウブドを離れることに未練はないか?と自問した。

まったくないと言えば、嘘になる。

しかし、感傷的になることはない。

誰一人として知り合いのいないウブドに滞在を始めたのは、1990年の5月。

運が良いことに、この村の若者たちは日本語が覚えたがっていた。

日本人旅行者が増え、会話ができることで収入を得られることを知った。

そんな彼らは私を利用し、私は彼らとのコミュニケーションを必要としていた。

信仰・文化・慣習・芸能すべてに興味を惹かれて、34年間の滞在となった。

私の能力では、これ以上習得することはできないだろう。

諦めたのではなく、見切ったのである。


2015年、25年ぶりの日本一時帰国。

この時、ウブドを離れようと考えた。

南米コロンビア・サレント移住計画だ。

*サレントは、コロンビアのキンディオ県の北東にある町で、コーヒー生産で世界遺産登録された観光地。

現地に、ウブドで知り合ったジュンペイさんがいたので、チャレンジしてみた。

観光客としての訪問なら楽しいところだが、残念なことに私の生活には向いていなかった。

ビザ有効期限の6ヶ月で諦め、ウブドに戻ることに決めた。

私は人生に何を求めているのだろう。

生きがいだろうか。

答えは見つかっていない。

生涯旅人『南米コロンビアの旅』を一読いただけると嬉しいです。


あそこに行きたい、ここも行ってみたい。

あんなことをしてみたい、こんなこともやっておきたい。

そんな気持ちは残っている。

今回ウブドを離れる時、それらはすべてを次の人生に持ち越すことにした。

バリの信仰するヒンドゥー・ダルモに輪廻転生という考え方がある。

人は死んでも何度も生まれ変わる。

なかなか天国には行けず、人間界に戻って試練の道を歩むことになる。

それでも、もう一度人間に生まれてきたい。

残りの人生、今世で思い残すことがないように生きたい。


今回、土岐市に移住を決めたのは、友人を頼ってである。

25年ぶりの日本一時帰国の際、友人を集めた歓迎会の幹事を受け持ってくれた彼女です。

この歳になると頼る人のいない移住には、自信がない。

先回の捨て身の日本脱出と違って、今回は大いに戸惑いがある。

これからの日本での生活は、終活になるだろう。

都会でもない、田舎でない、そんな町に住んでみたかった。

そんな私の思いに、アシストしてくれる人物がいた。

つくづく幸運に恵まれた男だと思う。

骨を埋める覚悟で帰国する。

町の魅力を全身で感じてみたい。

終活ではあるが、悔いのない人生にしたいと、老体だが精神は燃えたぎっている。

ウブド生活は私の人生第2章となった。

人生第3章、土岐市生活が楽しみだ。

生きがいは見つかるだろうか?
posted by ito-san at 11:11| Comment(2) | TrackBack(0) | 土岐市に移住 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする