窓外の夜景を見下ろしながら、ウブドを離れることに未練はないか?と自問した。
まったくないと言えば、嘘になる。
しかし、感傷的になることはない。
誰一人として知り合いのいないウブドに滞在を始めたのは、1990年の5月。
運が良いことに、この村の若者たちは日本語が覚えたがっていた。
日本人旅行者が増え、会話ができることで収入を得られることを知った。
そんな彼らは私を利用し、私は彼らとのコミュニケーションを必要としていた。
信仰・文化・慣習・芸能すべてに興味を惹かれて、34年間の滞在となった。
私の能力では、これ以上習得することはできないだろう。
諦めたのではなく、見切ったのである。
2015年、25年ぶりの日本一時帰国。
この時、ウブドを離れようと考えた。
南米コロンビア・サレント移住計画だ。
*サレントは、コロンビアのキンディオ県の北東にある町で、コーヒー生産で世界遺産登録された観光地。
現地に、ウブドで知り合ったジュンペイさんがいたので、チャレンジしてみた。
観光客としての訪問なら楽しいところだが、残念なことに私の生活には向いていなかった。
ビザ有効期限の6ヶ月で諦め、ウブドに戻ることに決めた。
私は人生に何を求めているのだろう。
生きがいだろうか。
答えは見つかっていない。
生涯旅人『南米コロンビアの旅』を一読いただけると嬉しいです。
あそこに行きたい、ここも行ってみたい。
あんなことをしてみたい、こんなこともやっておきたい。
そんな気持ちは残っている。
今回ウブドを離れる時、それらはすべてを次の人生に持ち越すことにした。
バリの信仰するヒンドゥー・ダルモに輪廻転生という考え方がある。
人は死んでも何度も生まれ変わる。
なかなか天国には行けず、人間界に戻って試練の道を歩むことになる。
それでも、もう一度人間に生まれてきたい。
残りの人生、今世で思い残すことがないように生きたい。
今回、土岐市に移住を決めたのは、友人を頼ってである。
25年ぶりの日本一時帰国の際、友人を集めた歓迎会の幹事を受け持ってくれた彼女です。
この歳になると頼る人のいない移住には、自信がない。
先回の捨て身の日本脱出と違って、今回は大いに戸惑いがある。
これからの日本での生活は、終活になるだろう。
都会でもない、田舎でない、そんな町に住んでみたかった。
そんな私の思いに、アシストしてくれる人物がいた。
つくづく幸運に恵まれた男だと思う。
骨を埋める覚悟で帰国する。
町の魅力を全身で感じてみたい。
終活ではあるが、悔いのない人生にしたいと、老体だが精神は燃えたぎっている。
ウブド生活は私の人生第2章となった。
人生第3章、土岐市生活が楽しみだ。
生きがいは見つかるだろうか?