2025年03月28日

常夏のバリ島に夏という季節はない!(24)

四季のある日本人から見れば、いつも夏の島だが、バリ人には夏という季節はない。

あるのは乾期(musim kemarau=乾燥した時期)と雨期(musim hujan=雨の降る時期)だ。

季節じゃなくて期間と解釈して、季の字を使わず乾期、雨期と表記した。

乾期は5月から10月まで、雨期は11月から4月までと認識していた。

サコ暦(saka)の第11番目の月(西暦の4月頃)Sasih Jiyestha(ジェスタ)で雨期が終わり、第12番目の月(西暦の5月頃)Sasih Sadha (サド)で乾季に入る。

(極楽通信UBUD・サコ暦:https://informationcenter-apa.com/kb_saka.html

現在、地球の温暖化からか境目が曖昧になってきている。


乾季でも雨は降り、スコールが来る。

雨期は確かに雨は多いが、日本の雨期のように一日中降り続くことは珍しい。

第8番目の月と第9番目の月は、強風をともなう大雨が降る期間。

日本の冬季でバリ島の雨期に、ウブドは肌寒く感じる時間がある。

夏好きな私には、一年中が暖かい島は、まさに楽園だ。


ちょっと残念に感じたのは、春夏秋冬の四季がないためか、生活に節目を感じられないこと。

日本には、正月、梅・桜の開花、節句、ゴールデンウイーク、雨季、師走などなど様々ある。

バリでは、乾期・雨期の果物の変化で、大雑把に節目を感じる程度。

私は、大雨が降り始めた時にしか、節目を感じなかった。

バリ人の生活リズムは、バリの暦に基づいている。

彼らは、暦に従う生活で、メリハリを感じていると思われる。

34年滞在していても、この感覚は身につかなかった。


一年中、気温が大きく変わることのないウブドの生活は、心地良いものだった。

長期滞在者だが、日々観光客気分で非日常を謳歌した。

日本人の性か私の気質か、寝てばかりの怠惰な生活は、後ろ指が刺されそうで落ち着かない。

生活のルーティンを工夫して、メリハリのある生活を作って暮らした。

舞踊を習った時期もある、楽器を習ったこともある、流木を拾って作品を作った時も落書きを描いたこともあった。

(落書きの数点をウブドの友人に預けたので、欲しい人は連絡ください。もちろん無料です)

ブログを書いたり、ユーチューブにも挑戦してた。

こうしたルーティンも、充実できなくなっての帰国でもある。

今回の帰国では、ルーティンを作らず、限りなく怠け者になりたいと思っております。

(動画:多分8年前、伊藤さん20年ぶりの奉納舞踊・テガランタン村セナ家の寺院祭礼)


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2025年03月25日

虫歯が欠けた node 歯医者に駆け込む!(23)

ヨーグルトを食べていて、硬い物を噛んだ。

異物混入商品か?と疑った。

取り出した物は、米の形をした3mm×2mmほどの塊が2つ。

熟視して、虫歯が欠けたのだと理解した。

舌で探ると、親知らずの手前の歯に異変。

痛くはないが、放置していて神経に触れることになれば、泣きを見る。

歯痛に悩む日々を想像しただけで、痛みを感じる。

そんなことは、勘弁してほしい。

苦痛嫌いな私は、歯医者嫌いでもある。

清水の舞台から飛び降りる思いで、駆け込んだ。

20年ぶりの歯医者。

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口コミには、親切だと評価が高いです

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観念して椅子に腰を下ろすが、不安は増すばかり。

痛みにビビりな患者は、強がりな表情で医者に対応する。

レントゲン撮影のあと、歯の抜けた部分の説明を受ける。

詰め物が施された虫歯の一部が欠けていた。

「神経を抜かなくても良いね!」と言われて大きく安堵。

新たに埋め物をすることで、手を打った。

麻酔を打って、残った歯を新しい埋め物様にグラインダーで削って整える。

大人だもん・我慢しましたよ。

一週間後の予約をして帰宅。

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2025年03月22日

会うが別れの始めとは!(22)

2006年09月28日のミクシイの投稿原稿が出てきた。

19年経過しても、私の思いは変わっていなかった。


携帯電話もスマートフォンも普及していなかった頃のウブド。

深夜1時30分頃になると、ウブド上空を通り過ぎるの飛行機の爆音が聞こえる。

東京か、大阪か、それとも名古屋へ向かっている旅客機の爆音だ。

知人の少なかったウブド滞在当初、仲良くなった友人が、ひとり、ふたりとバリを離れて行く時は寂しかった。

爆音を聞いて、部屋を飛び出して上空を見上げたことも何度もあった。

日本とバリ、時間にして飛行機で7時間ほど。

近くもあり、遠く感じる距離でもある。


和食・影武者前での別れも多い。

見送られる人は一応に笑顔を見せているが、心底の寂しさは隠しきれないようだ。

涙を見せる人も多い。

もらい泣きをしたこともある。

見送る方も寂しいだよ。

「また来るからね」

みんなのメッセージから《心からバリが好きなんだ》な、というオーラがヒシヒシと伝わって来る。

ズ〜っとウブドに滞在できる、私は幸せ者だ。


「また、来るね!」は、自分の意思で来られるけど・・・

「待ってます!」は、待つしかないのです。

バリ人は、みんなこんな気持ちで待ってたんですね。

私も「待つしかない」気持ちが、少しわかってきた。

わかっているが「また来るからね」の言葉を信じて、私は再会を心待ちしている。


見送ってばかりの私は、今度、この人とはいつ会えるのだろうと考える。

それぞれの理由でウブドを訪れて、それぞれの理由でウブドを訪れなくなる。

「会うが別れの初めとは」

歌のセリフじゃないが、会えば必ず別れがくる。


今夜も、爆音は私の頭上を、ゆっくり通り過ぎて行くだろう。

深夜の爆音を聞くたびに、先ほど別れた知人が乗っているのだろうと想像して、胸を締めつけられる思いをする。

星空の中を流れる小さな明かりは、「私を見つけてください」と言わんばかりのゆっくりした動作だ。

「ウブドが好きなら、みんな住めばいいのに!」

小さな明かりに向かって叫びたい気分だった。

今、この飛行機に、次にいつ会えるか知れない友人が乗っているのだろうと感傷的になったものだ。


みんなが、故郷にでも帰る気分で、立ち寄ることのできる店をと思って作った店が、「居酒屋・影武者」だった。

10年後、20年後にウブドに来ても、同じ場所に、昔の姿のままで影武者が残っていることが、私の夢だ。

私は、みんなを代表して故郷の家(影武者)を守るチチャックのつもりでいた。

影武者に訪れる、みんなのおかげで、私の、これまでのウブド生活が成り立ってきたと感謝している。

今、「和食・影武者」は、女将・由美さんがみんなの帰りを待っています。

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2025年03月19日

バリ島ウブド情報をネタに語り合いましょう!(21)

日本に帰国してからの日々、楽しく過ごさせていただいております。

これも、周囲の友人・知人のおかげです。

といっても、ウブドのことを懐かしく思い出す日々でもあります。

これからは、刺激的だったウブドの記憶を胸に、移住した土岐市の魅力探索を趣味として生活していきます。

ウブドの記憶を薄れさせないために、皆様の協力を得たいと考えました。

それが今回開催される「バリ島ウブド情報をネタに語り合いましょう!」です。

私のためのイベントとなってしまいますが、万障お繰り合わせの上、お集りください。

よろしく!

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posted by ito-san at 14:27| Comment(3) | TrackBack(0) | 土岐市に移住 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年03月18日

近況報告・土岐市の事情!(20)

ウブドでは、下宿を一歩出ると、大勢の人が歩いているのを目にする。

朝から夜遅くまで、観光客で溢れていた。

土岐市に来てからは、人通りを見ることが稀だ。

地域差があるとは思うが、私の下宿のある下石町は、またっく人が歩いていない。

スーパーやコンビニに、若者の姿はない。

当初は、いきなりの環境の変化に戸惑ったが、今は、そんな環境にも慣れて心地良く散策できている。

町を自転車で駆っていて、病院とドラッグストアーが多いのに気づいた。

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医院の看板群

介護施設、セレモニーホール(葬祭)も目につく。

年寄りには、願っても無い好条件なのではないか。

公民館や公共施設も充実していて、正しく行政が行われているように思われる。

いくつかのコンサートや講座のイベントに足を運んだ。

2024年12月8日:第50回 土岐市民音楽祭
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2024年12月14日:クリスマスコンサート・下石公民館 ジョイホール
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2024年12月21日:下石公民館30周年記念事業・古田友哉ピアノコンサート
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2025年1月11日:学芸員講座
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2025年1月18日:岐阜県立土岐商業高等学校吹奏楽団「51回・定期公演」
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2025年2月16日:土岐市消防音楽隊・第8回定期演奏会
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どの会場も、観客はお年寄りが多かった。

2月16日の消防音楽隊の定期公演に、賛助出演した「岐阜県立虹陵高等学校吹奏楽部」の部員数は8名。

県立紅陵高校の募集定員270名で、在籍生徒数262名(各学年90名)の定員割れ。

今後、部活が続けられるのかを心配した。

日本の人口減少を目の当たりにした思いだ。
posted by ito-san at 18:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 土岐市に移住 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年03月02日

カーテンを開けて「あっ!」と声をあげた(19)

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土岐市では、今期これまでにない雪景色。

この冬景色を見て、ウブドにリピーターさんが帰って来る気持ちが少し理解できた気がした。


ウブド在住の時には、大雨で外出を控えた。

毎日が日曜日。

旅行気分の生活を送っていた。

小振りなら雨合羽を着て、バイクで出かける。

急な雨で小振りなら、「春雨じゃ濡れて行こうホトトギス」気分で走りきる。

着てるのは薄手のTシャツ、晴れ間が見えれば、すぐに乾く。

スコールは、3時間も待ては止む。

川と化した道路を、ぼ〜と見つめるのも楽しい。

雨季でも一日中振り続ける日は、少ない。

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日本に戻っても、毎日が日曜日。

雪景色で頭に浮かんだのは「外出自粛!」

ディスタンス同様に、コロナ禍でよく使った言葉だ。

雪の積もった道を、自転車で出かける自信はない。

路肩のアイスバーンは、危険の二乗。

雪の日は、無職の特権で、部屋こもりだ。


今の私は、少しでも晴れ間が見えれば、外出する。

いつ外出できない身体になるかわからないから。

危険を冒すつもりはないが、できる限り、外の景色を見ていたい。

身体が動くことの幸せを噛みしめる毎日です。

自分の意思で行動できる幸福を噛みしめています。



考えてみれば、外出したくてもできない人がいる。

ウブドで、太陽に身体を晒せない友人がいた。

知り合いで、病院から出られない人もいる。

寝床から起き上がれない、外出できない身体。

こんな人にとっては、暑かろうが、寒かろうが、雨だろうが、雪だろうが、外出したいだろうなと思う。

健康だからベッドに横になっていても苦にならないのであって、病人にとってはベッドにいてもつまらないはず。

雨で外出を控えたり、雪で部屋こもりしたりできる私は、幸せ者だ。

「外出しなくても後ろ指刺されることがないから、雨の日は好きだ!」なんて、罰当たりなことを考えたことを反省します。

近い将来、私は病気じゃなくても老衰になり、身体が思うように動かなくなるだろう。

寝たきりになったり、介護が必要な身体になることは、想像できる。

高齢者は、こんな不安を抱えながらの人生を送ることになる。
posted by ito-san at 14:21| Comment(5) | TrackBack(0) | 土岐市に移住 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする