2025年04月28日

ウブドの洗濯事情・1990年(27)

ウブドにランドリーがオープンしたのは、1991年頃。
家庭用の洗濯機と乾燥機を揃えたランドリー。
それまでは私も、自分で洗濯をしていた。
電気も満足に普及していなかった時代のこと、ホーム・ステイに洗濯機はない。
これといってすることのない毎日を送っていたので、洗濯は1日のルーチンのひとつであった。
洗濯は、水浴びとトイレを併設したマンディ場で、手もみ洗い。
Tシャツなどは手洗いでよいのだが、ジョーパンのような厚手の衣服はそうもいかないので、バリ式にタイルの床に広げてブラシでゴシゴシとしごく。
衣類が早く傷みそうそうだが、この洗い方は楽だ。
小1時間かけて洗濯を終え、マンディを済まし、テラスでコピバリを飲んでいると昼になっている。

バリ人はというと、川での洗濯が主流だった。
川はマンディ場でもあるので、洗濯を終えると、マンディを済ます。
ウブドの川は、田んぼの水をたっぷり含んだ土色に濁っている。
黄ばんだシャツを着ているバリ人が多いのは、川で洗濯をしているからだろう。
洗い終えた洗濯物は、生け垣にや芝生の上に広げて干す。
バリ人は、洗濯物を不浄な物と考えて、下をくぐることを嫌う。
そんなことからか、物干し竿やロープなどのように下をくぐれる干し方を作らない。
ホーム・ステイなどに泊まっていて、煩わしいバリ人の訪問をシャットアウトするなら、テラスいっぱいにロープを張って洗濯物を干しておけばよい。
洗濯物を畳むときは、虫が入っていることがあるので、まず、はたいてからしているようだ。
私は、Tシャツに大量のアリが入っていたことがあって、困った経験がある。

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ホテルでさえも手洗いで芝生で干していた時代。
ランドリー・サービスをお願いすると、なんと真っ白なブラウスが見事に黄ばんで返ってくる。
川で洗濯をしているホテル・スタッフの姿を目撃したことがある。
長期滞在だと、日本から持ってきた白い衣服はことごとく黄ばみ、シミも目立つようになる。
私が黒のTシャツを好んで着る理由は、ここにある。

極楽通信・UBUD 27「ウブド洗濯事情」
https://informationcenter-apa.com/gt_cleaning.html
posted by ito-san at 12:16| Comment(2) | TrackBack(0) | 土岐市に移住 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年04月13日

こんな時のためにスペヤー・キーを持っている(26)

土岐市図書館で、11日に借りた本は、4冊。

外出時に読みたいので、今回はハードカバーを止めて単行本にした。

初見の作家の本です。

『珈琲屋』の三文字に惹かれて、借りた。

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実はこの日、自転車で図書館に向かう途中、車道から歩道に左折侵入する際、入車角度が悪かったのか、三センチほどの縁石で、激しく転倒。

左手甲に少しの擦り傷と親指付け根の打撲。

右手は捻挫したようだ。

左足スネに擦り傷。

ほかに負傷ない。

自転車運転に慣れてきた6ヶ月目の事故。

”気を引き締めろ!” と天からの啓示か。

曲がってしまったタイヤを、電柱にぶつけて直す。


図書館で本を借りるとき、立ちくらみをした。

事故の後遺症かと心配したが、24度の炎天下での走行だったと気づく。

この時、これからの暑い季節は日中を避け、午前か夕方に走行しようと思った。


自転車に乗ろうとして、鍵がなくなっているのに唖然とする。

どこで落としたのだろう。

図書館でトイレを借りた時だろうか。

そうだ事故の後、途中、堤防で休憩した。

その時、上着を脱いでリュックにしまった。

落としたとすれば、そこだろう。

500mを歩いて戻った。

無い!

図書館のトイレも探してみた。

無い!


こんな時のために、スペヤー・キー(部屋・自転車)を持っている。

スペアキーを使えば、500mを歩くこともなかった。

転倒して、気が動転しているのだろうか。

冷静にリュックの中に探せば、出てくるはず。

家に帰ってから調べてみよう。

気を落ち着けるために、珈琲を呑みにコメダに立ち寄った。

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家に帰って気がついたこと。

鍵は、転倒現場で落としたのでないだろうか?ということ。

捻挫の腫れは引いてきたので、心配無用です!
posted by ito-san at 13:40| Comment(4) | TrackBack(0) | 土岐市に移住 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年04月06日

COVID19が終息して、2年近くが経とうとしている(25)

新型コロナウイルスが終息して2年近くが経とうとしている。

(2023年5月5日:WHO緊急自体宣言終了・25日日本の緊急事態宣言解除)

中国湖北省武漢市で2019年12月に発生した新型コロナウィルス肺炎(COVID19)は、想像を絶する速さで世界中に蔓延していった。

2020年1月30日:WHO・緊急事態宣言

2020年2月に入って「在デンパサール日本総領事館」からのメールが頻繁になった。

そのほとんどがCOVID19に関するニュース。

3月15日、ジョコウィ大統領は、COVID-19の感染拡大とその影響に対応するため、効果的かつ効率的な措置をとることを各政府機関に要請した。

対岸の災難は、バリ島ウブドにも影響が現れた。

海外からの渡航者入国制限のため、ウブドの観光客は壊滅状態。

長期滞在の外国人の帰国が目立ってきた。

多くの店舗が休業&営業時間の短縮を余儀なくされ、モンキーフォレスト通りから観光客の姿が消えた。

人っ子ひとりいない街は、奇妙な映画のワンシーンに似た風景だった。

3月25日、悪霊払いの儀礼「オゴホゴ」のパレードが中止された。

私は、4月1日発の長距離バスで移動する予定でいたが、地域を跨いだ移動の禁止で乗ることができなかった。

5年前、ジャワ島ボロブドゥールに移住計画を立てていたことを思い出す。

4月2日午後6時、バリ・ヒンドゥー教徒は「COVID-19の終息」を願って、島あげてのお祈りを捧げた。

(4月7日:日本政府・緊急事態宣言)

メリハリのない日常と暗雲が漂う屋外に、活力が湧かない。

外出できないだけで、これだけ生命力が奪われてしまうのか。

じわじわと感染者の足音が近づいて来ている気配がする。

大型クルーズ客船で働いていたバリ人が帰郷して、感染者が増えたという噂もある。

そろそろ、身近に感染者が出てきそうだ。

新たな動きは、ナシジンゴの露天や弁当を提供する飲食店が増えたり、凧揚げが流行ったり、ゴジェック&グラブが市民権を得たり。

不幸にもコロナで亡くなったバリ人の火葬が、村では行われなくなり専門の火葬場ができた。

3年半ほどでコロナは終息したが、悪夢の後遺症は、さまざまな形で残っている。

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プンゴセカン通りマスク着用のチェックポイント+消毒

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タマン村入口のマスク・チェックポイント+消毒

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郵便局のビニール・ブラインド

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スーパー・デルタデワタ入り口に設置された消毒ブース

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スーパー・デルタデワタ店内の体温チェックと消毒

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スーパー・ビンタンのレジ前ディスタンス

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スーパー・ビンタンのレジ嬢のフェイスマスク

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スーパー・クランディのレジ嬢のマスクとトナカイの角

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ウブド大通りに出店するナシジンゴの露天
posted by ito-san at 17:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 土岐市に移住 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする