2013年03月13日

ニュピ祭礼日(6)



12日は、サコ暦の新年(1935)。

この日、人々は労働(アマティ・カルヤ)、通りへの外出(アマティ・ルルンガン)、火の使用(アマティ・グニ)、殺生(アマティ・ルラングアン)などが禁じられている。火は、現代では電灯も含まれる。

この4つを守り、精神を集中させ、心を穏やかにし、世界の平和、最高神イダ・サンヒャン・ウィディに祈るのがバリ人の信仰するヒンドゥーの慣習だ。

私が滞在するテガランタン村は、ニュピがダラム寺院の祭礼日初日と重なった。

デンパサールに下宿している子供たちが、11日に帰って来て、今はパチュン家全員(5人)が揃っている。

寺院祭礼(オダラン)は、ニュピより優先されるとパチュンは言う。

どうするのだろうと興味深く観察していると、11日が明けた深夜(2時)に高僧が到着して儀礼を執り行った。

12日の夜が明けてから翌日(13日)の夜明けまでが、ニュピ当日だ。

ニュピに、通りに出る事は固く禁じられている。

ケイラ中の警察官に見つかれば逮捕、警備団に見つかれば袋だたきに合う事も考えられる。

高僧といえどもニュピは外出禁止。夜明け前に帰っていった。

テガランタン村は寺院祭礼のため、寺院への行き来は特別に許されている。

歩きならOKということだ。

禁断の聖域に、おおぴらに踏み込める。こんな特例の日に外出しない手はないだろう。

午後5時:正装に身を整え、ダラム寺院に行くことにした。

ちょっとした罪悪感が心地良い。

普段でも人通りが少ない村なので、いつもと変わらない風景だ。

夕方だったせいか、子供たちがバトミントンをして遊んでいた。



あちらこちらから知り合いに声を掛けられるが、「プラ(寺院)に行くから」と通り過ぎる。

寺院内の建物では、チュキ(麻雀に似たカードゲーム)の興じるおじさんたちのグループがいくつかテーブルを囲んでいた。ほとんどが顔見知りだった。



この一年の罪を懺悔し、お祈りをすませ寺院をあとにする。

帰り道は、知人の前で立ち止まり、立ち話をする。

明日は、闘鶏(タジェン)があるらしい。

「アラックを飲んで行け」と言う青年は、パチュンの親戚だった。

小さなグラスに一杯、ご馳走になって別れる。

午後10時:あいにくの曇り空で、満天の星を観ることはできなかった。

いつものように、パチュン家族はもう就寝している。

テレビは全局、映らないように電波が制限されている。

私は、光度の小さい電気スタンドで本を読むことにした。

(ちなみにテガランタン村は、ニュピ前夜のオゴホゴ行列は行わなれなかった)

posted by ito-san at 17:15| Comment(0) | TrackBack(0) | テガランタン村滞在記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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