12日は、サコ暦の新年(1935)。
この日、人々は労働(アマティ・カルヤ)、通りへの外出(アマティ・ルルンガン)、火の使用(アマティ・グニ)、殺生(アマティ・ルラングアン)などが禁じられている。火は、現代では電灯も含まれる。
この4つを守り、精神を集中させ、心を穏やかにし、世界の平和、最高神イダ・サンヒャン・ウィディに祈るのがバリ人の信仰するヒンドゥーの慣習だ。
私が滞在するテガランタン村は、ニュピがダラム寺院の祭礼日初日と重なった。
デンパサールに下宿している子供たちが、11日に帰って来て、今はパチュン家全員(5人)が揃っている。
寺院祭礼(オダラン)は、ニュピより優先されるとパチュンは言う。
どうするのだろうと興味深く観察していると、11日が明けた深夜(2時)に高僧が到着して儀礼を執り行った。
12日の夜が明けてから翌日(13日)の夜明けまでが、ニュピ当日だ。
ニュピに、通りに出る事は固く禁じられている。
ケイラ中の警察官に見つかれば逮捕、警備団に見つかれば袋だたきに合う事も考えられる。
高僧といえどもニュピは外出禁止。夜明け前に帰っていった。
テガランタン村は寺院祭礼のため、寺院への行き来は特別に許されている。
歩きならOKということだ。
禁断の聖域に、おおぴらに踏み込める。こんな特例の日に外出しない手はないだろう。
午後5時:正装に身を整え、ダラム寺院に行くことにした。
ちょっとした罪悪感が心地良い。
普段でも人通りが少ない村なので、いつもと変わらない風景だ。
夕方だったせいか、子供たちがバトミントンをして遊んでいた。
あちらこちらから知り合いに声を掛けられるが、「プラ(寺院)に行くから」と通り過ぎる。
寺院内の建物では、チュキ(麻雀に似たカードゲーム)の興じるおじさんたちのグループがいくつかテーブルを囲んでいた。ほとんどが顔見知りだった。
この一年の罪を懺悔し、お祈りをすませ寺院をあとにする。
帰り道は、知人の前で立ち止まり、立ち話をする。
明日は、闘鶏(タジェン)があるらしい。
「アラックを飲んで行け」と言う青年は、パチュンの親戚だった。
小さなグラスに一杯、ご馳走になって別れる。
午後10時:あいにくの曇り空で、満天の星を観ることはできなかった。
いつものように、パチュン家族はもう就寝している。
テレビは全局、映らないように電波が制限されている。
私は、光度の小さい電気スタンドで本を読むことにした。
(ちなみにテガランタン村は、ニュピ前夜のオゴホゴ行列は行わなれなかった)