2013年03月15日

家族紹介(7)


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ニュピ前日の夕方に行われる、鍋釜など音の出るものを手に屋敷内の隅々をガンガンと鳴らしながら廻る「ングルプック=Ngerupuk(プングルプガンとも言う)」儀礼のあとに、パチュン家の家族集合写真を記念に撮らせていただいた。

では、私がお世話になっている、パチュン家の家族の紹介をしよう。

家長「イ・グスティ・ヌラー・パチュン(I Gusti Ngurah Pacung)」1968年12月 31日生まれ。

日本語専門のガイドで、月の半数以上は仕事に出かける。

今月(3月)始めに、日本の有名ミュージシャン夫妻のガイドをしていた。あまりにも有名人なので、ここで明かす事もできない。

「グスティ・ヌラー」は、バリのカースト(階層)一つ、貴族(ウエシャ)の名称である。


奥様「ニ・マデ・ムルヤンティニ(Ni Made Muryantini)」1968年8月15日生まれ。

バリ南部クタの出身で、結婚する前はキリスト教徒だった。

ギターを引いて、五和真弓の「心の友」を日本語で唄う。

毎日、唄声が聴こえる。ブルーの衣服が良く似合う美人だ。

「ルアック・ウブド・ヴィラ」で働いている。

バリでは、ホテルが建つと地域の住民をある程度の割合で雇用する事が決められている。

彼女も、その恩恵を受けている。


長女「ニ・グスティ・ヌラー・プラジャヤンティ(Ni Gusti Ayu Prajayanti)」1992年2月18日生まれ。

デンパサールの司法書士事務所に勤める大学生。

今年、卒業予定だが、卒業後もその司法書士事務所に身を置くようだ。

母親似の細身の美人。


長男「イ・グスティ・ヨギスワラ(I Gusti Ngurah Yogiswara)」1994年4月4日生まれ。

デンパサールの専門学校に通いバーテンダーの勉強をしている。

年内に卒業で、ウブドのホテルで働く予定だ。体格のガッチリした好男子。(写真中央)


次男「イ・グスティ・ヌラー・プリマナンダ(I Gusti Ngurah Primananda)」1999年3月9日生まれ。

高校生。末っ子の甘えん坊。これからが楽しみの少年だ。


末っ子で次男は、私の知人であるバンリ県のワヤン・スタモ君の奥さんに命名してもらっていた。

長男が誕生する時期に、夫妻はパチュンの奥さんを頼ってテガランタン村に滞在していたようだ。

奥さん同士は、同じ村の幼友達だった。


ワヤン・スタモ君の奥さんは、インドのサイババからパワーをもらった人物で、現在「アパ?情報センター」のバリヤン・ツアーを手伝ってくれている。

息子たちの口数の少ない控えめな性格は、お父さん似か。

娘は奥さんに似たのだろう、陽気に歌を唄う声が聴こえてくる。

こんな明るくて健全な家族に囲まれて、私はテガランタン村生活を堪能している。


posted by ito-san at 17:30| Comment(2) | TrackBack(0) | テガランタン村滞在記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
平成18年にコテツさんの車でクタの野球場までご一緒したものです。
仕事でヘロヘロの中、昼休みにふと「テガランタン」という言葉を思い出して、検索してこのブログを発見し、体が震えました。
Pacungさんは、僕が最初にバリに行ったときにお世話になった人です。
その時、アユちゃんは1歳でした。
その後平成18年に1度、平成20年に新婚旅行でバリに行き、Pacungさんに会い、アユちゃんにプレゼントをもらったりしたのでした。
それから、オカさん一家にもたいへんお世話になりました。
どうか、皆さんによろしくお伝えください。
いつか、いつか、また行きたいです。
Posted by hatae at 2013年05月19日 22:37
hataeさん
奇遇ですね。
さぞかし、家族の写真を見て驚かれたことでしょう。
来ウブドの節は、必ず、パチュン家へお寄りください。
Posted by ito-san at 2013年05月20日 16:25
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