24歳になるというのに、私の会話能力はバリ語はおろか、インドネシア語の語学力も小学校低学年レベルだ。
宗教、慣習、芸能の知識についても、未だに中途半端なままだ。
今後もこれ以上の進歩は望めないだろう。
不甲斐ないと思いながらも、ウブド生活の心地よさに埋没している。
滞在し始めた当初は、もう少し探究心があった。
テガランタン村滞在で、そんな頃のことを思い出した。
テガランタン村のダラム寺院には、思い出がある。
それは、私のバリ舞踊初舞台の渋柿を噛んだような苦い思い出でもある。
1993年のダラム寺院オダランでのことだ。
私がウブドに滞在初めて最初に知り合ったワヤン・カルタから「私の村の寺院に、舞踊を奉納しないか?」と誘われた。
カルタは、私がバリの踊りを習い始めていることを知っていて薦めてくれたのだ。
私は奉納舞踊を体験したくて、飛び上がるほど喜んだ。
もちろん快諾だ。
衣裳替えは、小学校の教室だった。
日本人女性6人が、歓迎の踊りを奉納する。
彼女たちも、奉納舞踊は初舞台のようだった。
舞台は、寺院前の村道を塞いで道路上にあった。
今のように弓形に回っている道ではなく、寺院の塀に沿って通っていた道。
日本人女性の歓迎の踊りは、滞りなく終わったようだ。
ワヤン・カルタの娘は、私のあとにチャンドラワイ(極楽鳥)を踊る。
いくつかの踊りが終わり、いよいよ私の出番になった。
私は、幕のうしろに用意された椅子に座った。
奉納舞踊、初お披露目はトペン・ムニエールだ。
幕の横にいた人が、演奏者に合図を送ったようだ。
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このあとの展開をここに記するだけの勇気が、私にはない。
興味のある方は「神々に捧げる踊り」をお読みください。

