テガランタン村に引っ越して半年以上も経つというのに、愛猫ちびたと先住猫レーシーは、未だに仲良くなっていない。
この頃、私は、レーシーにもエサをあげている。
レーシーは、私が扉を開けるのを待っていたかのように、テラスの下の階段にいる。
エサを皿に入れるのを待って、テラスにあがる。
「日本料理店・影武者」から戻る深夜には、バイクの音を聞きつけるのか、どこからともなく現れる。
待っていてくれたのかと、私の顔が少し微笑む。
私は、皿にエサを入れると扉を閉めてしまう。
時々、先住犬ブラッキーにエサを横取りされているようだ。
ちびたのユルんだお腹がお気に入りのようで、パチュン家の家族に可愛がられている。
頭やアゴを撫でると「キャン!」と啼き、お腹を擦るとパンチを繰り出す。
突然、ゴロンと横になる仕草を面白がっている。
ユルんだお腹を左右に揺すって歩く姿もユーモラスだ。
私がテラスで寝転がっている時には、座布団に座っているか、私の身体の一部に寄り添っている。
両手両足をいっぱいに伸ばし、私と同じようにお腹を上に向けた格好で寝る。
子猫の時から育てたちびたは、私に守られているという安心感があるのか、まったく無防備。
この頃、寝言を言うし、イビキもかくようになった。
これは高齢になった証拠なのかな。
私も66歳の高齢期、自分では気がつかないが、寝言とイビキをしているかもしれない。
斉藤式猫年齢換算法で計算すると、私に飼われてから8年が経っているちびたは、60歳の中高年期だった。
今は私より若いが、2年もすると私より高齢になる。
バリの猫には当てはまらないかもしれないが、斉藤式換算式では、6〜10年は5を掛けて20を足すと猫年齢になる。
ちびたの行動範囲は、着実に広がっている。
しかし、屋敷中を我が物顔で散歩しているレーシーの姿を気にしながらの徘徊だ。
窓から出て、隣の家に遠征に出掛けることもある。
ムラジャン(家寺)で、ちびたの悲愴な声が聞こえる。
レーシーに遭遇して、固まっていた。
私は間に入って、両猫を分ける。
屋敷に侵入する他猫を目ざとく見つけると、レーシーは壁際まで追いつめる。
先住犬も一緒になって追い出そうと駆け寄る。
完全に見えなくなるまで、レーシーは塀の上で見張っている。
ちびたには、そこまで攻撃を仕掛けてこない。
レーシーが近づくと、ちびたは尻尾を太くして「ウーウー!」とクグモッタ小さなうなり声をあげて威嚇する。
完全に拒絶しているようには見えない。
尻尾の先を少し振るだけで、レーシーは落ち着いたものだ。
時として、攻撃態勢に斜めに構える。
箱入り猫で育てられたちびたは内弁慶で、危険を察知すれば、安全圏とも言える部屋に逃げるか私のそばに避難する。
私の部屋も以前は、レーシーのテリトリーだったろう。
先住猫は、テリトリーを侵されて腹を立てているかもしれない。
心の広いレーシーは、そんなことも許しているようにうかがえる。
私には、一緒に遊びたがっているように思える。
ちびたは、どうしたら仲良くなれるのか迷っているのかもしれない。
イブ・マデに「焼きもちだね」と言われるが、どちらがどういう風に焼きもちをやいているのかわからない私は、対処の仕方に困っている。
庭で仲良く遊んでくれると有り難いのだが。
メス(ちびた)とオス(レーシー)だし、どちらも高齢だから、少々の相性が悪くても、いずれは喧嘩をしなくなるだろうと楽観している。
2013年08月09日
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