年々、ガソリン代が値上がってますよね。
現在、リッター6,500ルピア。
おかげで諸物価も右肩上がり。
私の日常にも貧窮の兆しが見えて来た。
貧乏してても癒されるウブドで生活していて、泣き言を言ってはヒンドゥーの神様に叱られるそうだが。
唐突に話は変わりますが。
ウブドで「ガソリン・スタンドはどこにありますか?」と村人に訊ねても、誰も教えてくれませんよ。
どうしてかって?
それは「ガソリン・スタンド」は和製英語で、英語では「ガス・ステーション」だからですよ。
ゴメンゴメン、そうがじゃなくて、インドネシア語で「ポンパ・ベンシン(Ponpa Bensin)」と言わないと通じないのです。
かく言う私が、困った経験者です。
ポンパはポンプのことで、ベンシンはガソリン。
ベンシンをポンパで汲み上げるところから命名されたのかな?
一般的にウブドでは「プルタミナ」と呼ばれている。
ガソリン・スタンドはポンパ・ベンシンで、売っているベンシンはプレミウム(Premium)と言われる。
ちなみに油はMinyak、石油はMinyak Bumi(地球)、灯油はMinyak Tanah(大地)、香水はMinyak Wangi(芳香)だって。
インドネシアの石油は「国営プルタミナ」1社の独占販売。
近年、民間会社が権利を買って「プルタミナ」を経営しているところもあるそうだ。
ウブド地域のプルタミナ1号店は、1998年のテガス(マス方面)だった。
続いて、テガス・カンギナン(Tegas Kanginan)が2001年。
アンドンは2005年。
プンゴセカンは2006年になる。
「プルタミナ」ができるまでは、雑貨屋で瓶詰めのプレミウムを買っていた。
ウブド大通りはもちろんだが村道沿いに、軒並み(100メートルおき)に見つけられた。
なぜか看板には、英語で「PETROL」と書かれてあったりした。
ポンパ・ベンシン出店の影響で廃れ、今では見つけることが大変なほど軒数が減っている。
瓶から、プラスチックのジョウゴに濾して入れてくれる。
こちらはちょっと割高で、リッター7,000ルピア。
プレミウムを売るワルンは「カキ・リマ・ベンシン(Kaki Rima Bensin)」と呼び「プルタミナ」と言い分けている。
カキ・リマは5つの足と言う意味で、手押し車屋台の車輪2つと突っかい棒、それを押して商いをしている人の足2本の合計のこと。
現実には、プレミウム販売を手押し車で営業していないので、通称と言うところですかね。
プレミウムと言えば、こんな思い出がある。
ぺー・カー・べー(PKB)のゴンクビヤール県対抗戦を鑑賞した帰りのこと。
PKB(Pesta Kesenian bali)は、観光客にはアート・フェスティバル(バリ芸術祭)としてアピールしているが、地元の人々にはぺー・カー・べーでないと通じないことが多いので注意・注意。
夜11時30分頃。
とにかく、その帰路でのことだ。
バトゥブラン・デンジャラン村集会場(バロン・ダンス会場)の前で、バイクが止まってしまった。
ガス欠だ。
こんな時間に、こんな場所で、最悪のガス欠。
どうしよう。
「カキ・リマ・ベンシン」は、夕方6時頃には店を閉めてしまう。
この頃は、まだポンパ・ベンシンも少なかったし、この時間では閉店している。
途方に暮れていると、道路を渡って近づいて来る人影があった。
そういえば、集会場のクルクル塔の下に数人の男たちが腰を下ろしているのを見た。
きっと、そのうちの一人だろう。
彼に、この時間でもプレミウムを売っているところを訊いてみよう。
近づいた青年は、東映のヤクザ映画にでも出てきそうな苦み走ったいい男だった。
ちょっと危険を感じる男だが、この男ならお近づきになってもいいかな、なんて思うほどの細面の男前だ。
青年は「ガス欠なんだろう」というジェスチャーをし、俺についてこいと無言で行動した。
プレミウムを売ってくれるところへ連れて行ってくれるのだろうと判断し、私はついて行った。
青年は、400ccのバイクに跨った。
私が後部座席に乗ると、バイクは爆音をたてて駆った。
大通りを1〜2分走り、左折して住宅街に入っていった。
バイクは、板戸の閉まった雑貨屋の前で止まった。
やはり店は閉まっている。
しかし、青年のクールな表情は変わらない。
これからどうするのだろうと、青年の行動を見ていると、彼は板戸を緊急事態でもあるかのように激しく叩いた。
青年は中から返ってきた声に答えると、雑貨屋の中に入っていった。
すぐに、赤い小さなポリタンクを手に戻って来た。
プレミウムが手に入ったのだ。
これは、まさに天の助けだ。
青年は私のバイクにプレミウムを入れると、エンジンを起動させた。
これでウブドまで帰れる。
青年が自分のバイクに跨った。
私はプレミウム代を青年に手渡した。
お礼にいくらかのお金を渡そうとした時には、すでに青年は背中を見せて走り去っていた。
親切を押し売りしない青年の行為に、私は「格好いい奴!」とつぶやいていた。
幻の青年の話を、私は数人の日本人女性に話して聞かせた。
彼女たちは、青年に会いたがった。
もちろん私も会いたかった。
しかし、私に青年との連絡手段はない。
時が流れ “影武者” の由美さんの婚約者・バトゥブラン村のデド君との雑談の中で、私はこの親切なバトゥブラン村の青年の話をした。
ことの顛末を話し終わると「それは私の従兄弟でしょう」とデド君は言った。
バリでは、こういう出会いがよくある。
同席していた、kyokoちゃんからクレームがついた。
バイクの一人乗りだと思っていたら、どうやら彼女と一緒だったようだ。
kyokoちゃんとボンチェン(2人乗り)したという記憶ない。
もしデートだったとしたら、私は失礼な奴だよね。
よくよく考えてみると、バイクではなくトヨタのキジャンに乗っていたようだ。
ウブドから数人が同乗して、ぺー・カー・べーに出掛けたのを思い出した。
それにしても、素晴らしい思い込みだ。
キジャンを路上駐車して、青年とプレミウムを探しに行ったのを思い出した。
かなり記憶が薄くなってきている。
ボケが始まってきてはいるが、救いは髪が薄くなってきていないことだ。
私は青年と再会を果たすことができ、あの時のお礼を伝えた。
諏訪ちゃん、オギボーさん、残念です、青年は結婚していました。
2013年12月21日
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突然コメントをして申し訳ありません。
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