おかげで交通渋滞が凄いことになっている。
思い起こせば2002年、バリ島南部のリゾート地クタで爆弾テロ(10月12日)の悲劇があり、そのあと、バリ島のツーリストは激減した。
この夜は、日本人会主催の盆踊り大会が南部で開催された。
「爆発音が響き激しい振動が車を大きく揺すったのは、通り過ぎた後だった」と帰宅途中に現場前を通過した知人が興奮気味に話してくれた。
数分の違いで、彼ら家族は被害を免れたのだ。
ウブドから、烈火が夜空に浮かび上がるのを見た人もいる。
テロ直後のバリ島から、ツーリストと在留外国人が慌ただしく帰国していった。
日本の外務省からは「海外危険情報」危険度最高の「退避を勧告します。渡航は延期してください」が発令された。
テロのターゲットと思われるアメリカ人とオーストラリア人は、強制退去だ。
日々、外国人が帰国する。
日本からの飛行機に2人しか、乗っていない日もあった。
ウブドからツーリストの姿は消え、モンキーフォレスト通りには、店頭で暇をもてあます店員の姿が目立った。
11年を経て、ツーリストは戻って来た。
◇
2001年9月11日、ニューヨー・ツインタワーのテロ。
1年後、ひと月といち日遅れの2002年10月12日、バリ島クタ爆弾テロ。
2003年は、東南アジアを中心としたSARSの流行。
バリは今、近年にない不景気に見舞われている。
私は今、2003年にタイムスリップしてこの話を書いている。
このところ、私の心は落ち着かない。
ひと月といち日遅れが、私には符号のように思われてしかたがない。
今年2003年11月13日に、あと5日と近づいていることを気に掛けているのだ。
なにごとも起こらなければいいがと願っている。
13日は、50年に一度巡ってくる大きな寺院祭礼がウブドで始まる日だ。
初日には1000人以上の人出が予想される。
テロリストは、人が大勢集まるところを狙う。
「王宮の定期公演が狙われている」
「レストラン・ベベ・ブンギルかもしれない」なんて噂がはびこっている。
人が多く集まる寺院祭礼は、テロリストに絶好のターゲットだろう。
「寺院祭礼が危険だ」という、嫌な噂があちこちの村で流れ始めた。
寺院祭礼では、通常村人による自警団が祭礼が滞りなく終わるようにと警備する。
大規模な祭礼では警察官も動員される。
今回のウブドの寺院祭礼は、いつも以上の警備体制だ。
私は村の世話役に頼まれて、外国人ではあるが格闘技ができるということから祭礼期間中、テロリストの警備に当たることになった。
今日13日は、奉納芸能に仮面舞踊で参加することにもなっている。
寺院に入るには、それなりの正装が必要で、参拝者は門前でチェックされる。
今夜は持ち物もチェックされている。
境内は、すでにたくさんの参拝者であふれていた。
チェックのカマン(腰布)に黒いベストを羽織った男たちが、要所要所で警備している。
彼らの顔が、いつになく緊張している。
昨日は、テロリスト対策の講習会が開かれた。
何をどう調べればよいのか、具体的にされない対策に、私は不安になってくる。
私は、サロンも上着も白ずくめの正装だ。
芸能が行われる予定の建物には、すでに観客がいっぱいだ。
入り口のチェックが万全でなかったとしたら、テロリストはすでに寺院内にいるかもしれない。
楽屋では、踊り手たちがテロの話をしている。
不安を隠しきれないようすだ。
私は踊りの衣裳に着替えながら、客席に眼を配る。
いつもの寺院祭礼風景とどこも変わったところはない。
変わったところといえば、外国人ツーリストの姿が見えないことぐらいだ。
これは昨年のテロの影響からツーリストが激減しているからだ。
寺院祭礼の雰囲気は、神々しくて心が洗われるようで気に入っている。
こうしてバリ人に混じって奉納舞踊できることを、私は至福と感じる。
テロリストは狂信派のイスラム教徒だといわれている。
インドネシアにも狂信派はいる。
バリのテロ犯人であるアムロジーもそうだ。
イスラム教徒と言っても、バリ人と同じインドネシア人だ。
寺院祭礼に紛れ込んでしまえば、たやすく見分けることができないだろう。
今夜は、バッグやカメラなどの手荷物を持つ外国人ツーリストがいないのでチェックはしやすい。
バリ人は供物と線香以外持ち込むことはないので、爆弾を隠し持つことは難しい。
もっとも、バリ・ヒンドゥー教徒が寺院を爆発させるとは考えられない。
客席の3列目あたりに、バリ人にしては正装がどことなくチグハグな男がいる。
肩からカメラ・バッグをさげているが、先ほどからいっこうに撮影しようという意識が見えない。
落ち着き払っているようだが、その眼は芸能を観るでもなく散漫だ。
歓迎の踊りが、小学生くらいの女の子たちによって奉納された。
次は、男の子たちによる群舞バリス・グデだ。
テロリストが早々に席を立ってしまってからでは遅い、私は進行係りに、群舞バリス・グデの先に踊らせてもらえないかと頼んだ。
演奏者にそのむねが伝えられると、仮面舞踊の曲が流れてきた。
私は仮面をつけ、幕を少しずつ開けていった。
男に気づかれないように、しかし、注意は男に向いている。
舞台に踊り出た。
おどけた演技に観客がどよめく。
私は頃合いを見計らって舞台中央にある階段を下り、観客の中に入っていった。
即興でジョゲッ・ブンブンを踊る。
数人をやり過ごして、目的の男を舞台上に誘った。
男は戸惑いがちにカメラ・バッグを両手で抱えた。
大事そうに抱えるバッグを、私は引ったくるように取り上げて幕の裏に押し入れた。
男はバッグを取りに幕の裏に入ろうとするが、私は執拗に踊りに誘い、それができないようにした。
幕の裏では、警察官がカメラ・バッグの中を改めている。
予想した通り、時限爆弾が入っていた。
仮面をつけた数人の踊り手が舞台に登場すると、男を肩車して退場していった。
なにも知らない観客は、面白い余興だと拍手喝采だ。
私は両手を大げさに広げて「何が起こったの?」とジェスチャーをして舞台を引っ込んだ。
テロリストはひとり、時限爆弾は仕掛けられてはいなかった。
なにごともなかったように群舞バリス・グデがはじまり、奉納芸能は続けられた。
私は汗で湿った衣裳をはずしながら「どうも、納得いかないな」とつぶやいた。
簡単にテロリストが捕まったことが不信となっている。
「テロリストが捕まってよかったですね」今夜の付き人ニョマン君は、たたんだ衣裳をバッグにしまいながらニコニコしている。
深夜になって、州都デンパサールの寺院祭礼でテロがあったニュースが入ってきた。
テロリストは警察をウブドに注意させておいて、はじめからデンパサールを狙うつもりだったのだ。
大胆にも、警察署から50メートルと離れていない、眼と鼻の先の寺院だった。
被害者の数は、まだ発表されてない。
妄想もここまでくると立派なものでしょう。
でも、実際に、こんな場面に遭遇したら、どうしていただろうか。
妄想でよかった。