「橋の下世界音楽祭」で、竹ちゃんと再会を果たした。
竹ちゃんは、10年ほど前から豊田市の北部にある小原村で暮らしていた。
小原村は、和紙の里として国内で名が知れている。
「スローライフは忙しい」と、竹ちゃんは言う。
日々、草取りや竹の間引きなどで忙しいようだ。
今回の一時帰国は、息子夫妻と孫に会う目的以外に、もうひとつの理由がある。
それは、将来的に日本復帰ができるかの下調べである。
問題点は、金銭面と環境面だ。
金銭面については、この年齢では就職が難しいだろう。
国民の義務を怠ったので、当然、年金の支給は無い。
この問題は追々に考えるとして、まずは生活環境だ。
日本の生活に適応できるかを確かめることだ。
田舎暮らしも(寒くなければ)憧れる。
再会をした日に、小原村の竹ちゃん家を訪れる約束した。
小原村に向けて出発したのは、5月21日。
車は、鬼頭さんが出してくれた。
鬼頭さんは、以前、センチメンタル・シティ・ロマンスのスタッフ。
現在は「鬼頭印刷」の社長。
私にパソコンを寄付してくれている、大変世話になっている友人だ。
毎年、年始に2泊3日で、私を訪ねてウブドに来てくれる。
今回の小原行きメンバーは、鬼頭さんと水野君と高木さんと私の男組4名。
国道419を岐阜方面に向けて北上する。
岡崎と豊田を結ぶ国道248は、豊田中心部から419号線と名称が変わる。
通過地点の猿投地区と藤岡地区は新興住宅地に変貌していた。
山あいの道をさらに進むと小原地区に入る。
小原地区は岐阜県との県境。
車がメイン道路を避け左折した。
なだらかな坂道を登ると、点在する家々が山裾に見え隠れする。
小山を切り開いた山道は、左に右に幾度もカーブする。
目的地に近づくにつれ、緑の深い景色になっていく。
鬼頭さんは、古民家の前で車を止めた。
崖の上から「いらっしゃい!」と竹ちゃんの声が聞こえた。
ここは、豊田の中心部から車で45分ほどの乙ヶ林(おかばやし)町。
竹ちゃんは、古民家を修復して生活していた。
この地区は過疎の村。
畑付きの一軒家が、ベラボーに安い価格で借りられる。
竹ちゃんは、この村の若者が帰ってきて生計が立てられることのお手伝いしようとしているようにお見受けした。
そして、田舎住まいに憧れて住み着く「 I ターン」の人々にアドバイス。
そんな活躍の中に、里山アートプロジェクトによる「ヤィヤァー祭」や「里行くあんどん」軽トラギャラリーパレード、フリーペーパー「おばらのじかん」などがある。
私は思う、企業誘致は自然環境が破壊されるから控えよう。
無策な人口増加もいただけない。
人口の流入も少なく収益が望めるのは、観光地としての発展だろう。
私が滞在している、世界的観光地・バリ島ウブド村と似ているところがある。
ついついバリ島ウブド村と比較してしまう私です。
小原は、和紙工芸作家、漆工芸作家、陶芸作家、家具職人などが住む芸術の村として有名なところだ。
和紙展示館、和紙工芸館、作家の工房なども見学できる。
他にも神社に奉納する地芝居の小原歌舞伎や数々の神社仏閣、春は桜、秋は紅葉の名所としてうたわれている。
空気の奇麗な環境。
しかし、これだけでは若者は戻ってこないだろう。
若者が訪れたくなる村。
そうすれば小原っ子もUターンし、商売を請け負うこともできる。
若者のニーズは何か?
カーニバルやライブミュージックのイベントは、竹ちゃんに任せるとして。
癒しに、四季折々の草花や鳥のさえずり、蛍の乱舞、夜空の星、満月は利用できないか。
グルメに、小原特有のものを開発できないか。
この村特有の素材で、ファッション雑貨・小物はできないか。
冬は寒いが、その寒さを逆手にとったビジネスは考えられないか。
年間を通じて観光客が訪れる村。
いったいそれはなんだろう。
それが問題だ。
ウブドで感じることは「村人との触れ合い」だ。
リピーターが多いのは、宗教、文化、習慣を身近で触れられるからだ。
個人的な話では、私にはウブドでバナナの幹から紙を作っていた時期があった。
流木、小枝、竹ヒゴを使いランプを作って販売した店が「ブンブン・カフェ」だ。
昔取った杵柄を使えば、金銭的な点も補えるかもしれない(かなり楽観的ですが)。
環境的には(寒いことを除けば)好きなタイプの田舎だ。
竹ちゃんからの豊富な情報で、田舎暮らしの可能性が出て来た。
こうして小原地区は、私の終の住まいの一つに選ばれることになった。
大収穫。
竹ちゃん、ありがとうございました。
2014年06月04日
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