6月12日(木)
友人との待ち合わせには、もうしばらく時間がある。
私は地下鉄を途中下車して、懐かしい土地に向かった。
名古屋市中区西大須だ。
西大須には、名古屋で有名な大須観音がある。
「大須ういろ」「寿がきや」の発祥地でもある。
私は、ここで20代の後半を過ごした。
思い出深い街だ。
きっかけは、ちょっとしたことだった。
「西大須商店街」のイベントが、大学教授を中心にして催されようとしていた。
衰退気味の商店街を活性化しようという企画のようだ。
私は冷やかし半分で、数人の仲間を連れてイベント事務所を覗いた。
企画はズサンなものだった。
意見を述べているうちに、いつの間にか主催者側の人間となって動いていた。
ライブコンサート、フリーマーケット、大須大道芸人祭りetc。
「大須大道芸人祭り」は、今も続いているようだ。
西大須ビルの持ち主で、ロウソクの芯を作っている会社の社長が「イベント成功の功労に地階を自由に使ってくれ」と提案してきた。
この頃、私の周りには時間を持て余した若者がたくさんいた。
私は喜んで使わせてもらうことにした。
西大須ビルは、昭和初期のアンティックな建物。
地階は、戦後40年以上も使われていない廃墟だった。
30センチも積もった残骸と泥を搔き出していくと、小口タイルの腰壁と床が姿を現してきた。
戦前は、カフェとして営業していたのだろう。
さっそく、仲間たちとで手作り。
タイムスリップしたような穴蔵の店は「コマンド」と名付けられた。
当初は、クリエイティブな連中を集めたバーだった。
ある時、ロック・グループの出演するハウスが欲しいと言う要望が聴こえた。
どうせ好意で借りている小屋のこと、有効利用したほうがいいだろうと、まったく経験のないライブ・ハウスを営業することになった。
こうして「ライブハウス・コマンド」が誕生した。
音楽以外には、前衛舞踏グループの公演もあった。
「西大須商店街」のイベントでは、鐘楼の上でMCをした。
準備に追われたまま、ビリビリに破れたジーパンで立った。
なぜか「山本寛斎さんが来ておられます」と紹介させられたな。
大須観音の前に立つと、マンションの壁面に描かれた大きなイラストが目に入った。
矢印の先には、大須仁王門通りのアーケードが。
仁王門通りアーケード入口にある派出所には、ライブの住民苦情に温情を加えてもらうために、よく鶏の唐揚げを差し入れした。
ヤクザの組事務所が数件ある地域でもあるので、付け届けしていたのだと思う。
コマンドの並びにも侠客の事務所があった。
大親分だということで、この並びは安全だったと言える。
時々、ヤクザっぽい兄さんが階段を下りて来るが、雰囲気が違うと察すると帰っていく。
そんな作りの店だった。
「七ツ寺共同スタジオ」が無くなると聞いた。
この小屋で、劇作家・北村想も活躍していた。
「ライブハウス・コマンド」閉店のあとは、友人の茂ちゃんが跡を継ぎ「E.L.L」を開店した。
「E.L.L」も、今は移転している。
西大須ビルは、アンティックな造形を残して、オシャレにリニューアルされていた。
2014年06月20日
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